流浪の魔導師

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3章 裏切りのジョーカー編 第3部 傭兵の王

166. 毒蛇

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 早朝、リザーブル王国王都ドナン。真っ直ぐに伸びたドナン城の長い長い廊下を、カン、カツ、カツと靴音を鳴らしながら早足で歩く男。いくつも並んでいる窓からは目映い朝日が射し込んでいる。男は窓の横を通るたびにその眩しさからか目を細め、時折「チッ……」と小さく舌打ちをする。すると前方からメイド服を着た給仕きゅうじの女が歩いてきた。廊下のずっと先にはこの城で働く者達の部屋がある。きっと彼女は朝食の用意の為に食堂にでも向かうのだろう。男はそんな給仕きゅうじに声を掛けた。

「君、済まないが……昨夜エルマ様が城にお泊まりになったそうだが、どちらの部屋か?」

「あ、はい、この先左の階段を上った二階の客間です」

「そうか、ありがとう」


 ◇◇◇


 男の前には豪華な扉。給仕の女に教えられた客間の前だ。男は客間の扉をノックし、扉越しに声を掛ける。

「お早うございます、エルマ様。グースです。屋敷に伺いました所、昨夜はこちらにお泊まりになったと……起きていらっしゃいますか?」

 すると部屋の中から「いいわよ」との返答。グースは「失礼致します」と扉を開け部屋へ入る。と、グースはギョッとして思わず視線を下へ外した。エルマは窓際に立ち気持ち良さそうに朝日を浴びている。どうやら彼女はつい今しがた起きたばかりの様でまだ着替えてはいなかった。彼女が身にまとっている薄絹のネグリジェは、日の光を浴びている為かうっすらと輝くようにきらめいており、更には彼女の柔らかな肢体したいが透けて見えていたのだ。

「これは……失礼を」

 下を向きながら部屋を出ようとするグース。しかしエルマは「構わないわ、急ぎでしょう?」とグースにそのまま部屋に残る様に伝える。グースは戸惑いながら「しからば……何か羽織はおって頂きたく………」とエルマに願い出る。そこで初めてエルマは今の自身の格好に気付いた。そしてクスリと笑う

「なぁに貴方、こんなオバさんの身体に欲情するの?」

「またその様な……まだそんなお歳ではございますまい。エルマ様、何卒なにとぞ……」

 グースに懇願こんがんされたエルマは「もう、分かったわ」と若干不貞腐ふてくされた様に呟くと、ベッドの上に広げられていたレースのストールを手に取る。そして両肩にふわりと羽織はおると中央のテーブルに着いた。

「これでいいわね? で、こんな朝早くに尋ねて来たという事は重要事よね? 何かしら、吉報だったら嬉しいわ」

 エルマは話しながら右手を差し出し、グースに自身の向かいに座る様促す。「吉報にして凶報かと……」と話しながらグースは席に着く。

「一昨日夜、東の辺境アイジスとその南のリガーヌ一帯いったいにジノン軍が侵攻、両地域が制圧されたとの報です」

「アイジスとリガーヌ……って……確かボルガ将軍が……」

「はい、ボルガ将軍が南を攻める為に戦力を用立てた地域です」

 するとエルマは一瞬ポカンとし、そして呆れた様な表情でため息をついた。

「はぁ……案の定じゃない……それはそうよね、あんなに大胆に守備兵を引き抜いたんですもの。私、陛下に進言したのよ? ジノンはそんなに間抜けな国ではありませんわよ、って。そうしたら陛下、こう仰ったの。此度こだびはボルガに絶対の自信があるとか……任せてみようぞ」

 エルマはクッと眉間にシワを寄せ、リザーブル王の声色を真似た。

「で、ボルガ将軍は? 撤退したの?」

「まだ確認がとれておりませんが、恐らくは。南にはドナンと同じくらいのタイミングで急報が届いているものと思われますので。いかにボルガ将軍が……その、アレだとしても……このに及んでいまだに南に固執する様なら……」

 言葉を選びながら話すグース。そんなグースにエルマはいらついた。ボルガ如きに何をそんなに丁寧に、と。

「あんなのに気なんて遣う必要はないわ、本当にあの馬鹿将軍! 馬鹿も馬鹿、大馬鹿のお馬鹿将軍よ! 力もない、みる目もない、あるのは無駄な自信だけ……あぁ、思い出しちゃったわ、あのドヤ顔……本当に腹が立つ!」

 バンバンとテーブルを叩きながらボルガをののしるエルマ。形の上ではボルガの部下に当たるという立場上、吐き出す事が出来なかった鬱憤うっぷんあふれ出たのだ。

「ボルガ将軍にはずいぶんと目のかたきにされておりましたからね。念の為、陛下は南へ早馬を送ったそうです。これ以上ジノンが食い込まぬ様に抑えよ、と」

「当然よ!」と思わず大きな声を出したエルマ。しかしすぐにふぅぅ、と息を吐く。吐いた息と共にボルガに対する怒りも身体の外へ逃がしたのだ。いや、怒りだけではない。ボルガに関する全てだ。それはボルガとの決別を意味している。もうボルガに先はない、ゆえに関わる事もなく、これ以上わずらわされる事もないだろう。そして気を落ち着かせると静かに話を続ける。

「でもまぁ……これで立ち回りやすくなるかしらね」

「はい。さすがに此度こたびの一件、いかに陛下と言えども捨て置く訳にはまいりませんでしょう。ボルガ将軍は失脚するものと……」

「ええ。国にとっては凶報なれど、私にとっては吉報、ってね。これで今まで以上に陛下も私のげんに耳を傾けて下さるわ」

「は。寝屋ねやまで共にした甲斐がございましたな」

「あら……ずいぶんと意地の悪い言い方をするのね」

 ハッとするグース。全く無意識に要らぬ軽口がポロリとこぼれてしまった。ボルガはすぐに謝罪する。

「これは失礼を……口が滑りました」

「十歳……」

「……は?」

「せめてあと十歳陛下がお若ければ、私もそれなりに楽しめるのでしょうけれどね。あれじゃまるっきり介護だわ」

「それは何とも……」

 クスクスと笑うエルマ。苦笑いのグース。

「しかし、これでいよいよ本格的に動けますね。この国に潜り込んで三年。たった三年でここまで来ようとは……さすがエルマ様です」

「ボルガ如きを総司令に据える様な田舎の小国よ? 手玉に取るのなんて訳ないわ。噛まれた事さえ気付かぬ内に毒は全身に回ってしまうの。狡猾こうかつな蛇の毒がね。それより……陛下亡き後の傀儡かいらいは誰が適任かしらね……やっぱり末子まっしのスヴェン殿下かしら? 七歳というお歳は好都合。それに殿下はずいぶんと私に懐いて下さっているから……ぎょやすいわね」

「その後は北へ?」

「そうよ。東の辺境なんていくらでもくれてやればいい、南なんて更にどうでもいいわ。私が欲しいのは北。ロバール平原の西にあるサムリバン渓谷よ。複雑に入り組んだあの地形、攻めるにかたく守るにやすいあんな場所だからこそ、秘密基地を置くにはピッタリだと思わない?」

「ハハハ、秘密基地ですか」

「ええ、私達の秘密の場所。あんな出来損ないの魔法石なんて使いたくないわ。大体二割も失敗するって多すぎるでしょう、そう思わない? 西からオークを運ぼうとするから無理が出るの。サムリバン渓谷にオーク生産工場を立ち上げれば、二割の戦力ロスを気にしなくて済むわ。まぁリアンセちゃん辺りはそんなの気にしないでガンガン使うんでしょうけれど。知ってる? あの自身の移動にもあの魔法石を使うのよ? きっと頭のネジが二つ三つ外れちゃってるのね。あのに付き合わされるルピス達が不憫ふびんだわ。いっそうちに来ないかしら、可愛がってあげるのに……」

「そのルピス達ですが、北へ向かったとの情報が入っています」

「北?」

「はい。イオンザ王国です」

「イオンザ……確か、止まった地との境界にあるドワーフの国よね。そんな北の果てに何の用が……リアンセちゃんも北へ?」

「いえ、リアンセ様は祖国へ戻られたと。ローバイム卿にお会いになるとかで……」

「あの変人貴族に? ドワーフの国……ローバイム卿……」

 エルマはしばし考え込む。そして何かに気付いたようにハッとして声を上げた。

「嫌だわ! あの娘、ローバイム卿の与太話を信じちゃってるんじゃないでしょうね!?」

「与太話とは……ゲートの事でしょうか? あれは充分実現可能だと聞いておりましたが?」

「そうでも言わなきゃ予算を削られてしまうもの。実際の所はかなり難航しているらしいわ。リアンセちゃん、ローバイム卿の口車にでも乗せられたのかしら……ドワーフを巻き込んで共同開発でもするつもりかも知れないわね」

「なるほど。ドワーフはその手の技術力が高いと評判ですしね」

「大量の人や物資を一度に運ぶ転移の門、通称ゲート。完成すれば楽なんでしょうけれど……でもその技術のベースはあの転移の魔法石よ? 成功率八割の壁を越えない限り、使いたいとは思わないわね」

「同感です。私もこちらに来る時に使いましたが……二度とゴメンです」

「でしょう?」

 顔を見合せ笑う二人。しかしエルマはすぐにスッと表情を固くする。

「ねぇグース……あの男の情報は入ってない?」

「……は。東へ向かったと……それしか……」

「そう。ずいぶん東にご執心しゅうしんね……あの男の動きには注視していてちょうだい」

「……伺っても?」

「何かしら?」

何故なぜあの御仁ごじんをそこまで警戒されていらっしゃるのですか? 確かに敵方ではありましたが、それは過去の話。今や我らは一つの頭をもたげる一匹の蛇。仲間……とまで言う気はありませんが、しかし少なくとも敵ではないはず……」

 エルマは椅子の背にもたれると窓の外に目をやる。朝日が射し込む窓、東向きの窓。その窓の遥か先に、あの男がいる。そう考えるとエルマの表情は自然と更に険しくなる。

「得体が知れないのよ、あの男。時折嫌な噂も耳に届いてくる……杞憂きゆうであればいいのだけれど」

「分かりました。常に動向を探れる様整えておきます」

「頼むわね。でもお願い、絶対に直接接触しないで。危険を侵す必要はないわ。いい?」

「……はい」


 ◇◇◇


 オルスニア・ヒルマス国境の街、エリステイ。エルマとグースが話題に上げ話をしていた長髪の男。男はしくもその同日の早朝、ようやく目的地であるこの街に辿り着いた。

「ハハ、出迎えがあるとは思わなかったな」

 長髪の男は少しだけ笑った。根城にする予定のパブの前、入り口の脇に置かれた椅子にはローブのフードを目深まぶかに被った男が座っていた。ローブの男は長髪の男を見ると立ち上がり近付いた。どうやら彼は長髪の男を待っていた様だ。

「あまりに遅いから気を揉んだ。賊にでも襲われたかと思ったよ」

「そんな間抜けに見えるか? だが遅れたのは悪かった、ゆっくりし過ぎたよ。せめて少しでも急ごうと、昨夜は泊まらず夜通し移動してきたんだ。出来れば昼まで寝かせてもらえればありがたいんだがな」

 そう話しながらパブに入ろうとする長髪の男。しかしローブの男は長髪の男の肩を掴む。

「それは構わんが……一つだけ確認だ。この作戦、陛下のご意向に沿うものなんだろうな?」

「……当たり前だ。じゃなきゃ三ヶ月も掛けてわざわざこんな東の端まで来ない」

「三ヶ月? 魔法石はどうした?」

「おいおい、あんな危ないもん使えねぇよ。二割失敗するんだぞ? 命は大事にってな。まぁお前にしてみりゃ色々と思う所があって当然だ。なんせお前が背負う事になる罪はとてつもなくデカい。だがすでに腹はくくっているはずだ、そうだろ? それに……今更だ。すでにお前は罪を犯している、今更だよ。信じろ、お前に対して嘘はない。お前一人にその罪を背負わせるつもりもないしな。とにかく時間はまだまだたっぷりある、ゆっくり作戦を詰めよう。いずれ仲間もこの街にやって来る」

 そう話すと長髪の男はパブの中へ入った。フードの男は一人、その場で考え込む様に立ち尽くす。自身の選んだ選択肢が果たして正しいものだったのか? しかし考えた所でもう引き返せない。どんな結末を迎えようが進むしかないのだ。


 ◇◇◇


「コウ! デーム! 見えたよ、ルミー渓谷!」

 ライエが声を上げた。地平の先まで続いているのではないか、そう思えるくらい真っ平な荒野。その地面は突然目の前で割れる。口を開けているのは深く大きな亀裂。

 ルミー渓谷。

 この渓谷を渡ればベーゼント共和国、目的地であるバルファの街がある。そう、俺達は再びバルファを目指す。ライエを救出した、アイロウと交戦した、あのバルファだ。アルマドへ侵攻してきたリザーブル軍を退けた俺達は、先行して南へ向かったゼル達を追い掛けた。合流地はバルファ。エクスウェルとの……いや、俺にとってはアイロウとの決着を付ける為、ここから東へと打って出るのだ。
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