流浪の魔導師

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2章 イゼロン騒乱編

59. ベリムス・アーカンバルド

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 兵士はそれを呆然ぼうぜんとしながら眺めていた。

 血の海を渡り迫り来るエリノスの軍勢。ときを上げるでもなく、走るでもない。静かに、ゆっくりと歩いて来る。

「あ……あぁ……」

 彼は後衛の最前列に並んでいた。ベリムスの号令が下るまさにその時、大きな爆発が起きた。前衛の制圧部隊が巻き込まれ、次の瞬間には爆風が押し寄せて来る。咄嗟とっさに身をかがめ爆風に耐えた後、前方を見ると土埃つちぼこりが高く舞い上がっており、前衛の様子は確認できなかった。

 一体何が起きたのか?

 爆発をその目にしながら、彼には理解ができなかった。と、一、二メートルほど先に、ドンッ、と何かが落ちてきた。

 腕だ。

 右か左かは分からない。が、それは腕の肘から下の部位だった。ハイガルドの鎧の一部である籠手こてを身に付けている。

「は……は……はぁ……はぁ………」

 土埃つちぼこりが収まると、そこにいたはずの前衛部隊の姿はなかった。代わりに現れたのは血の海。

「な……何だ……何だこれは!!」

 ベリムスの怒鳴り声が響き渡った。その声で兵士はようやく状況を理解する。攻撃された。前衛部隊が吹き飛ばされた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 息苦しい。汗が噴き出してくる。そして、動き出すエリノスの軍勢を目にした時、こう思った。

 次は自分達の番だと。

「あ……あぁ……あぁぁぁぁ~!!」

 兵士はその場から逃げ出した。周りの兵士を押し退けながら、もつれる足を必死で動かす。それを見ていた他の兵士達も一人、また一人と彼の後を追うようにその場から逃げ出す。恐怖が伝染したのだ。残されたハイガルド軍後衛部隊は、たちまち恐慌きょうこう状態となり瓦解がかいする。パニックだ。

「待て、貴様ら! 撤退の指示は出していない! 戻れ! おい!」

 副官が逃げ惑う兵達を必死で呼び止める。

(ここが終着か……)

 その光景を見ていたベリムスは悟ったように副官に話し掛ける。

「無用だ、放っておけ。ことここに至っては、もはや統制あたわぬだろう」

 いくら歴戦の将とはいえ、ここまで崩れた軍を立て直すすべはない。

「は……いえ、しかし……」

「フフ……兵達にはあの神の御子みこたる修道士共が、あたかも自分らの首を狩りに来た死神にでも見えたのだろうな」

 やけに落ち着いて話すベリムスに、副官は嫌な予感を感じ進言する。

「ベリムス様、お退きを! 殿しんがりは私と近衛このえ兵らが……」

「最後のめいだ」

 ベリムスは副官の進言をさえぎる。

「私が倒れたら武器を捨て降伏せよ。死神とはいえ神に仕える者共だ、降伏を願い出る者を攻撃せんだろう」

 副官の予感は当たった。いくら上官のめいとはいえ、容認できるはずがない。

「ベリムス様! 何卒なにとぞ……」

「くどい!」

 ベリムスは副官を一喝する。

「これは私が始めたいくさだ、私にはこの戦の幕を引く義務がある。この大役は、誰にも譲れぬよ」

 と、軽く微笑みながらベリムスは前に出る。

「っ……ご武運を……」

 副官は諦め、全てをベリムスにゆだねた。自分ができることは、この戦を最後まで見届けることだと悟ったのだ。




「お、ありゃ大将だな、降伏かぁ?」

 ゼル達の十メートルほど前方、ハイガルド軍の大将と思われる男が進み出る。

「ハイガルド王国、右将軍ベリムス・アーカンバルドである! 我こそはと思うものは前に出よ! 雌雄を決するべくやいばを交えようぞ!!」

 大声量のベリムスの口上こうじょうにゼルは笑いながら答える。

「おいおい、将軍様よぉ。このに及んで一騎討ちをご所望しょもうたぁ、随分ずいぶん虫が良すぎるんじゃねぇかぁ?」

「黙れ、下郎げろうめが! 自信がない者は下がっておれ!」

「誰が下郎げろうだよ、開き直りやがって。これでも一隊を預かる隊長だぜぇ? 調子乗んのも大概たいがいに……おい……嬢ちゃん?」

 二人のやり取りの間に、メチルはすたすたとベリムスの前へ歩く。

「メチル、やるのか?」

「っす」

 デンバの問いにメチルは短く答える。

「そうか」

「そうか、っておいデンバ……」

「問題、ない」

 デンバは腕を組み静観する構えを見せる。

「おいおいマキシよぉ、いいのかぁ?」

「メチルは強い。皆知っている。誰も文句は言ってないだろ? だからゼルも大人しく見てな」

「そりゃ強いのは分かってるが……大丈夫かよ……」

 メチルはベリムスの前に立つ。するとベリムスは怒りの表情を浮かべる。

「これは何の冗談だ? 女、しかも子供ではないか?」

「子供じゃないっすよ、ピチピチのセヴン・・・ティーンっす。祝成人っす」

「子供ではないか! このような者を前に立たせて、恥ずかしくはないのか!」

 ベリムスの言葉にゼルは苦々しい表情を浮かべる。が、他の修道士達は涼しい顔だ。ニヤニヤ笑っている者もいる。

「やれやれ、弱い何とかほど何とかってうっすよ?」

「何とかだけでは分からんわ!!」

 怒鳴りながらザザッと二、三歩踏み出たベリムスは、右手に持つハルバードの斧頭ふとうをくるっとメチル側に回転させ、長いを自身の右腰に当てる。そしてそこを支点としてブンッとハルバードを左に振る。メチルはちょん、とバックステップしてかわすと、隠術いんじゅつを使い一気に前方へ詰め寄る。

(な……早い!)

 驚きながらもベリムスはメチルのスピードに反応する。左に振ったハルバードをそのまま左に構える。丁度ハルバードを上下逆に構える形だ。そしての底に付いている金具、石突いしつきでメチルを突こうと狙いを定める。
 メチルはそれを察知し、わずかに上体を右に振る。フェイントだ。石突いしつきが右に振れたのを確認すると、そのまま左に踏み込む。

「あざといわ!」

 ベリムスは釣られなかった。しっかりとメチルの胸辺りに照準を合わせ、石突いしつきを突き出す。

「うおっ」

 メチルはそこから隠術いんじゅつでさらに加速。石突いしつきが自身に到達する前に方向を変え右前方に移動、ベリムスのふところに飛び込む。そのまま右手に持った短剣をベリムスの左腰、鎧の隙間に突き立てようとする。

 カィィィン

 と、金属音。メチルの短剣は防がれた。ベリムスは突き出したハルバードを引き戻し、斧頭ふとうで自身の左腰を隠してメチルの短剣を防いだのだ。
 しかもそれだけではなかった。短剣の先端、切先きっさき斧頭ふとうの表面に施された装飾に引っ掛かった。そして短剣はメチルの手から弾き飛んでしまう。

「女だ、子供だとあなどったことをびる」

 そう言うとベリムスはドスン、とハルバードを地面に放り投げ、腰の剣を抜く。細かく動き回るメチルにはの長いハルバードより剣の方が立ち回りしやすいと考えたのだ。

「ナメられたままの方がやりやすかったんすけどね」

 メチルは再びベリムスに突っ込む。

無手むてで何ができるか!)

 ベリムスは右足を踏み出し、剣を寝かせ左から右へ水平切りする。メチルはドンッ、と踏み込みジャンプしてかわす。しかし、これはベリムスの仕掛けだった。

 確かにこの女は強い。だが常識的に考えて、単純な力比べで負けはしないだろう。そしてついさっき、短剣を弾き飛ばした時にベリムスは確信した。いかにスピードがあろうと、決して埋めることができない膂力りょりょくの差というものがある。武器を持たぬ非力な者に掴み掛かられても何も怖くない。故にベリムスは剣を横に振った。相手はすでに前に突っ込んで来ているため、後ろにかわすことはない。となると剣の下に潜るか、上に跳ぶかのいずれかだ。行動を予測できれば対処は簡単だ。そしてメチルはまんまと上に跳んだ。ベリムスはメチルの行動を制限したのだ。

 宙を舞い、メチルはベリムスに取り付く。そして右こぶしでベリムスの首筋を突く。ベリムスは右手でメチルの左の肩口を掴む。そのまま地面に叩き付けてやろうと考えていたのだ。だが、そこでベリムスの動きが止まった。メチルを掴んでいた手が緩む。メチルはそのままストンと地面に降りて距離を取る。それと同時にベリムスの首筋から血が噴き出す。

「……暗……器か……」

 メチルの右こぶしの指の隙間から、先端の尖った鉄の棒が飛び出していた。Tの字になっており、握り込むことで指の隙間から棒が突き出る構造の隠し武器、暗器あんきだ。メチルは法衣の袖口にこの武器を隠していた。

「得物があれ短剣だけなんて言った覚えはないっすよ」

 ベリムスは全身の力が抜けていくのを感じた。噴き出す血を右手で押さえ、よろめきながら、それでも左手に持った剣をメチルに向ける。

「あの……スピー……ドに、暗器あんき……貴様、アル……アゴスの……目……」

 メチルはすたすたと、無造作にベリムスに近付く。ベリムスにはもう剣を振るう力はなかった。そして再びベリムスの首筋を突く。

「レディの過去を詮索せんさくするなんて、野暮やぼってもんすよ?」

 ベリムスはそのまま仰向けに倒れた。メチルは弾き飛ばされた短剣を拾い、修道士達の元へ歩く。

「見事」

「どもっす」

 デンバの呼び掛けにメチルは短く答える。

「さて、それじゃあ連中を捕らえて終わりだ」

 マキシは警備隊に指示を出す。ベリムスの側近達はすでに武器を捨てていた。
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