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2章 イゼロン騒乱編
48. 量産される死兵
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「ここか……」
「はい、ベリムス様」
ハイガルド王国、王都セットレーより馬で北に半日ほど、よくある田舎の小さな村、その郊外の森の中。恐らく滅多に人など通らないのであろう、森の中の細い道は雑草に覆われかけている。
ベリムス以下十数人の兵は馬を降り、雑草を掻き分けながら森の中を進む。
何故こんな所に、とベリムスは思ったが、それは当然の疑問だろう。危険な実験などを行う場合、都市部ではなくこういった郊外に研究所などを設けるのは珍しくないだろう。しかし、ここはあまりにも人の気配がなさすぎる。それだけ危険な実験を行うからだ、と言われればそうなんだろうが。
「その、何て言ったか、そこの名前……フリ……?」
「はい、フリス・ザランであります」
「フリス・ザラン……」
聞いたことはない。何よりも、タイミングが良すぎる気がするのだ。
今回の作戦は絶対に失敗できない。独断で兵を動かし失敗しました、などと、口が裂けても言えない。全軍を動かせないどころかどれだけの兵を動かせるか……使えるものならどんなものでも使わなければならない。と、考えていたところにこの話だ。信頼の置ける部下が、自分のために必死で掴んできた情報。疑いたくはないがどうしても疑念は拭えない。とにかく一度自分の目で確かめよう、と、この場所に来たのだが……
森の中を進むにつれ、どんどん胡散臭さが増していくような気がする……
やがて目の前が開け古びた建物が姿を表した。建物の玄関の前には揃いの茶色いローブに身を包んだ、十人ほどの集団が立っている。その中の一人、ボサボサの頭の女が前に進み出た。
「ベリムス様でいらっしゃいますね、お待ちいたしておりました」
顔の半分が髪で隠れており、一見すると不気味、という印象が先に立ちそうな女だが、良く見ると整った顔立ちをしている。
不憫な……身なりを整えれば少しは魅力も出るだろうに……と、ベリムスは少し憐れみにも似た感情で女を見る。
「わざわざの出迎え、痛み入る。ハイガルド王国右将軍、ベリムス・アーカンバルドと申す」
「本日、当研究所をご案内させていただきます、リネイと申します。何卒お見知りおきを」
「早速だが、この研究所のことを詳しく聞かせて頂きたいのだが……」
「はい、それはもちろん。ですが……先ずは中にご案内いたしますわ。お茶でも頂きながら、お話いたしませんか?」
「あ……ああ、そうであるな。申し訳ない、先走ってしまいましたな」
女はニッコリと笑って建物の中に入る。
建物の中は外観からは想像がつかないくらい、驚くほど綺麗に整っていた。エントランスのすぐ横の部屋、応接室に通される。中央には大きなテーブルと椅子、壁際のチェストや本棚に至るまで、室内の調度品は非常にセンスの良い、こだわって揃えられた物のように見えた。
これは、ひょっとしてしっかりとした機関なのではないだろうか? 自分が知らないだけで、世には広く知られているのではないか?
テーブルに着くと、上品なティーカップに紅茶が注がれた。その香りだけで、高級品だと分かる。ベリムスは香りを楽しみながら、その紅茶を飲む。
「うん、良いお茶ですな」
案の定、それは自宅で良く飲むような美味しい紅茶だった。
「あら、さすがは右将軍様、お分かり頂けますか? 私達のことをご存じない方々からすれば、私達はどうにも胡散臭く見えてしまうようでして……せめてこういったところは手を抜かず、良い物を揃えよう、とまぁ、その様な浅知恵でございます」
ならば貴女のその格好も……と、喉まで出かかった言葉を、ベリムスはグッと飲み込んだ。
「で、このフリス・ザランというのは、どのような組織なのですか?」
ベリムスは取り繕うように話し出す。
「はい、私達は大陸のあらゆる街にこのような研究所を保有し、貴族、王族の皆様方から援助してもらいながら、様々な研究を行っております。そしてその成果は、出資者の皆様方に等しく分配させて頂いております。国や街の運営に関わる部分から、人々の日々の生活に役立つ物、魔法や魔道具、軍事関係に至るまで、研究分野は多岐にわたります」
リネイは流れるように、淀みなく説明した。ベリムスはその様子から、何度も繰り返し説明していることなのだろう、との印象を受けた。
「そうですか。いや、恥ずかしながら勉強不足で、貴女達の存在を今回初めて知ったのです。何でも、今我々に必要な研究を行っている方々だと」
「いえいえ、ご存知ないのも無理はありません。実は我々、大陸中央部での活動はこのハイガルド王国が初めてなのです。この研究所は一年ほど前から稼働しております。それまでは、もっと南の方で活動していたのですが、そちらの出資者様との契約が打ち切りになりまして……で、この場所へ移転してきた次第です」
「なるほど……では、この国に来たということは、この国の誰かが貴女達に出資しているということですか?」
「はい、左様です。ですが、どこのどなたが、というところまでは申し上げることができません。出資者様にご了承いただければ可能ではございますが……」
「ああ、いえ、結構……」
確かに、場合によっては莫大な利益を生む研究に出資している可能性もある。おいそれと名は出せないだろう。
「それでは、ここで行われている研究について、詳しく伺いたいのですが」
「はい、それでは地下の研究室へ移動いたしましょう」
応接室を出て廊下の奥を曲がると、地下へと続く薄暗い階段が口を開けていた。
「足下にお気を付け下さい」
リネイは階段を降りながら説明する。
「当研究所では軍事関係の研究をしております。もっと絞って言いますと、とある兵器、でございます。この兵器が実用化され、大量生産された暁には、戦場にて命を落とす兵士の数が減少するでしょう。なぜなら、その兵器が兵士に代わり戦場に立つことになるからです」
階段を降りた先にはすぐに大きな扉。扉を開け中に入ると、そこは広々とした研究室のようだった。壁一面の本棚にはびっしりと本が並んでおり、いくつかあるテーブルには実験器具のような物や、資料らしき書類が散乱している。
「死兵というのは恐ろしい。戦場にて死を覚悟し、死を恐れない敵兵は打ち破るのが困難だ。と、亡くなった元軍人の祖父が、よく話しておりました。この辺のことは、ベリムス様もお詳しいと思いますが……」
「ああ、良く分かりますな」
話ながら研究室を通り抜ける。そして研究室の奥には一際大きく、頑丈そうな金属製の扉がある。
「ではその死兵、もしくはそれに類する存在を、人為的に生み出せないだろうか? 仮に生み出すことができたなら、軍人達、兵士達に代わり死をもらい受けてくれるのではないか? そう考えたことから、この研究が始まりました」
扉には魔法の鍵が施されているようだ。リネイは解錠し重そうな扉を開く。
扉の奥は広そうな薄暗い部屋。部屋の奥は鉄格子が張られている。そして鉄格子の奥、何かがある。五、六個の黒い大きな塊。鉄格子に近付くと、その塊が何なのかはっきり分かった。
「これは……」
ベリムスは言葉を失った。その様子を見て、リネイは嬉しそうに話す。
「こちらが、当研究所の研究の成果でございます」
「この……オークがか……?」
鉄格子の奥にいたのは、六体のオークだった。オークが鉄格子の奥で床に座っていたのだ。
「立ちなさい」
リネイがそう命じるとオーク達は無言で立ち上がった。天井に頭がつきそうなほどの巨体だ。
「前へ」
オーク達は鉄格子の前まで移動する。そして、ベリムスは気付いた。
「ちょっと……待ってくれ! この色……皮膚の色が……」
赤黒い。
「さすが右将軍様、お気付きになられましたか。ご覧の通り、このオーク達は魔力の過干渉状態にあります」
そうだ。この皮膚の色は魔力の干渉を受けている色だ。だが……
「大人しいとは……どういうことだ……?」
「これらのオークは魔力の過干渉状態にあり、すでに自我を失っております。ですが、決して暴れることはございません。
多量の魔力を浴びせ、自我を失い暴れ出す寸前のところで、ある特別な措置を施します。するとどうでしょう? 彼らは暴れるどころか、こちらの命ずるがままに動く、傀儡と化すのです」
「バカな……操っていると言うのか……?」
リネイはローブのポケットから魔法石を取り出した。
「はい。この魔法石を持つ者の命令を聞くように調整しております。これ一つで、最大百体くらいまで操作可能です。彼らは自我を失っておりますが、それはすなわち、死というものを認識することができない状態ということ。死を恐れない、というよりは、死を理解できないのです。これにより彼らは、まさに死ぬまで忠実に命令を遂行する死兵となるのです」
リネイの説明を聞き、ベリムスは軽く目眩を覚えた。
「オークとて、理性的で文明的な種族だ……我ら人間と、さして変わりはない……それを……」
オークはその巨体と容貌の恐ろしさから、人間たちによるオーク狩りという、忌まわしい迫害の対象となってきた歴史がある。しかし徐々に、温厚で友好的な種族であるということが広まり、長い時間が掛かりはしたが、今では良き隣人として共存しているのである。
「仰っていることはもちろん理解できますわ。しかしながら、これを人で行う訳にはまいりません。倫理的に……」
リネイのその言葉にベリムスは激しい怒りが湧いてきた。
「人であろうがオークであろうが、同じではないか! このような研究が、許されると……」
「聞けば!」
リネイはベリムスの言葉を遮り声を張り上げた。
「聞けばベリムス様は、今まさに重要な岐路に立たれているとか。この研究、残すは実地試験のみとなっております。一千体のオークをご用意できますわ。存分にお使いいただきたいと存じます。そしてその結果が良好であれば、出資者様方は実用化をお考えになるでしょう」
「出資者とは……誰なのだ!」
「先ほども申し上げた通り、お答えすることはできません。ですが、少しだけ……そうですね、この国の中枢に近い位置にいらっしゃる、貴族の方々と……」
……そうか。これは、この研究は、この国の有力者達が望んだことなのか。ここで自分が拒否しても、実験は他の者の手によって行われるだろう。
そう、これはまさに……
ベリムスは静かに目を閉じる。
「……ご理解いただけましたでしょうか、この研究と実験は、まさにこの国が望んでいることなのです」
ベリムスは目を開ける。その表情には未だ怒りと嫌悪感が漂ってはいるが、どこか吹っ切れたような感じもある。
「死になさい」
そう言ってリネイは鉄格子の中にナイフを放り投げる。一番手前のオークはそのナイフを拾い、自身の首に突き立てた。
「どんな命令も忠実に実行いたしますわ。存分にご利用下さい」
ベリムスは眉一つ動かさず、その様子を見ていた。
「……詳細が決まり次第、ご連絡する」
「かしこまりました。ですが、できればお早めに。なにしろ一千という数ですので、それなりに時間が掛かりますゆえ。それと、このことはくれぐれもご内密に」
「……無論、失礼する」
一千体ものオークを一体どうやって用意するのか。当然のごとく浮かび上がる疑問にも、ベリムスはあえて触れないように振る舞う。それはもはや、どうでも良いことだからだ。
◇◇◇
「ふぅ、上手くいきましたね。」
ベリムスが去り、ルピスは安堵のため息をついた。
「そうね、思っていたよりも常識的な男だったから、どうなるかと思ったけれど……どうやら腹はくくれたようね。あれだけ釘を刺せば、あちこち嗅ぎ回るような真似もしないでしょう。
それにしても、突貫で準備した割には良くできてるわね、ここ」
「それはもう、ここだけでかなりの金を使ってますので。すぐに潰してしまうのはもったいないですね」
「しょうがないわ、証拠を残しておく訳にはいかないもの。それにお金なんていくら使ってもいいのよ。使うためにあるものでしょ? 私達の懐が痛む訳でもないわ。ここの村の人達にも口裏合わせのために相当ばらまいてるし、彼の部下の買収にも結構な額を使ったわ。全ては必要経費よ」
そう言って女はニッコリ微笑む。
「しかし、フリス……ザランですか? 元々決めていた組織名とは違いますが、あれは一体……?」
「ああ、そうだったわ、ごめんなさいね、あなたには話してなかったわね。あれ、私の故郷の言葉なのよ。あなた・お馬鹿ねって意味よ」
「はははは、まったくお人が悪い」
ルピスは大いに笑った。
「はい、ベリムス様」
ハイガルド王国、王都セットレーより馬で北に半日ほど、よくある田舎の小さな村、その郊外の森の中。恐らく滅多に人など通らないのであろう、森の中の細い道は雑草に覆われかけている。
ベリムス以下十数人の兵は馬を降り、雑草を掻き分けながら森の中を進む。
何故こんな所に、とベリムスは思ったが、それは当然の疑問だろう。危険な実験などを行う場合、都市部ではなくこういった郊外に研究所などを設けるのは珍しくないだろう。しかし、ここはあまりにも人の気配がなさすぎる。それだけ危険な実験を行うからだ、と言われればそうなんだろうが。
「その、何て言ったか、そこの名前……フリ……?」
「はい、フリス・ザランであります」
「フリス・ザラン……」
聞いたことはない。何よりも、タイミングが良すぎる気がするのだ。
今回の作戦は絶対に失敗できない。独断で兵を動かし失敗しました、などと、口が裂けても言えない。全軍を動かせないどころかどれだけの兵を動かせるか……使えるものならどんなものでも使わなければならない。と、考えていたところにこの話だ。信頼の置ける部下が、自分のために必死で掴んできた情報。疑いたくはないがどうしても疑念は拭えない。とにかく一度自分の目で確かめよう、と、この場所に来たのだが……
森の中を進むにつれ、どんどん胡散臭さが増していくような気がする……
やがて目の前が開け古びた建物が姿を表した。建物の玄関の前には揃いの茶色いローブに身を包んだ、十人ほどの集団が立っている。その中の一人、ボサボサの頭の女が前に進み出た。
「ベリムス様でいらっしゃいますね、お待ちいたしておりました」
顔の半分が髪で隠れており、一見すると不気味、という印象が先に立ちそうな女だが、良く見ると整った顔立ちをしている。
不憫な……身なりを整えれば少しは魅力も出るだろうに……と、ベリムスは少し憐れみにも似た感情で女を見る。
「わざわざの出迎え、痛み入る。ハイガルド王国右将軍、ベリムス・アーカンバルドと申す」
「本日、当研究所をご案内させていただきます、リネイと申します。何卒お見知りおきを」
「早速だが、この研究所のことを詳しく聞かせて頂きたいのだが……」
「はい、それはもちろん。ですが……先ずは中にご案内いたしますわ。お茶でも頂きながら、お話いたしませんか?」
「あ……ああ、そうであるな。申し訳ない、先走ってしまいましたな」
女はニッコリと笑って建物の中に入る。
建物の中は外観からは想像がつかないくらい、驚くほど綺麗に整っていた。エントランスのすぐ横の部屋、応接室に通される。中央には大きなテーブルと椅子、壁際のチェストや本棚に至るまで、室内の調度品は非常にセンスの良い、こだわって揃えられた物のように見えた。
これは、ひょっとしてしっかりとした機関なのではないだろうか? 自分が知らないだけで、世には広く知られているのではないか?
テーブルに着くと、上品なティーカップに紅茶が注がれた。その香りだけで、高級品だと分かる。ベリムスは香りを楽しみながら、その紅茶を飲む。
「うん、良いお茶ですな」
案の定、それは自宅で良く飲むような美味しい紅茶だった。
「あら、さすがは右将軍様、お分かり頂けますか? 私達のことをご存じない方々からすれば、私達はどうにも胡散臭く見えてしまうようでして……せめてこういったところは手を抜かず、良い物を揃えよう、とまぁ、その様な浅知恵でございます」
ならば貴女のその格好も……と、喉まで出かかった言葉を、ベリムスはグッと飲み込んだ。
「で、このフリス・ザランというのは、どのような組織なのですか?」
ベリムスは取り繕うように話し出す。
「はい、私達は大陸のあらゆる街にこのような研究所を保有し、貴族、王族の皆様方から援助してもらいながら、様々な研究を行っております。そしてその成果は、出資者の皆様方に等しく分配させて頂いております。国や街の運営に関わる部分から、人々の日々の生活に役立つ物、魔法や魔道具、軍事関係に至るまで、研究分野は多岐にわたります」
リネイは流れるように、淀みなく説明した。ベリムスはその様子から、何度も繰り返し説明していることなのだろう、との印象を受けた。
「そうですか。いや、恥ずかしながら勉強不足で、貴女達の存在を今回初めて知ったのです。何でも、今我々に必要な研究を行っている方々だと」
「いえいえ、ご存知ないのも無理はありません。実は我々、大陸中央部での活動はこのハイガルド王国が初めてなのです。この研究所は一年ほど前から稼働しております。それまでは、もっと南の方で活動していたのですが、そちらの出資者様との契約が打ち切りになりまして……で、この場所へ移転してきた次第です」
「なるほど……では、この国に来たということは、この国の誰かが貴女達に出資しているということですか?」
「はい、左様です。ですが、どこのどなたが、というところまでは申し上げることができません。出資者様にご了承いただければ可能ではございますが……」
「ああ、いえ、結構……」
確かに、場合によっては莫大な利益を生む研究に出資している可能性もある。おいそれと名は出せないだろう。
「それでは、ここで行われている研究について、詳しく伺いたいのですが」
「はい、それでは地下の研究室へ移動いたしましょう」
応接室を出て廊下の奥を曲がると、地下へと続く薄暗い階段が口を開けていた。
「足下にお気を付け下さい」
リネイは階段を降りながら説明する。
「当研究所では軍事関係の研究をしております。もっと絞って言いますと、とある兵器、でございます。この兵器が実用化され、大量生産された暁には、戦場にて命を落とす兵士の数が減少するでしょう。なぜなら、その兵器が兵士に代わり戦場に立つことになるからです」
階段を降りた先にはすぐに大きな扉。扉を開け中に入ると、そこは広々とした研究室のようだった。壁一面の本棚にはびっしりと本が並んでおり、いくつかあるテーブルには実験器具のような物や、資料らしき書類が散乱している。
「死兵というのは恐ろしい。戦場にて死を覚悟し、死を恐れない敵兵は打ち破るのが困難だ。と、亡くなった元軍人の祖父が、よく話しておりました。この辺のことは、ベリムス様もお詳しいと思いますが……」
「ああ、良く分かりますな」
話ながら研究室を通り抜ける。そして研究室の奥には一際大きく、頑丈そうな金属製の扉がある。
「ではその死兵、もしくはそれに類する存在を、人為的に生み出せないだろうか? 仮に生み出すことができたなら、軍人達、兵士達に代わり死をもらい受けてくれるのではないか? そう考えたことから、この研究が始まりました」
扉には魔法の鍵が施されているようだ。リネイは解錠し重そうな扉を開く。
扉の奥は広そうな薄暗い部屋。部屋の奥は鉄格子が張られている。そして鉄格子の奥、何かがある。五、六個の黒い大きな塊。鉄格子に近付くと、その塊が何なのかはっきり分かった。
「これは……」
ベリムスは言葉を失った。その様子を見て、リネイは嬉しそうに話す。
「こちらが、当研究所の研究の成果でございます」
「この……オークがか……?」
鉄格子の奥にいたのは、六体のオークだった。オークが鉄格子の奥で床に座っていたのだ。
「立ちなさい」
リネイがそう命じるとオーク達は無言で立ち上がった。天井に頭がつきそうなほどの巨体だ。
「前へ」
オーク達は鉄格子の前まで移動する。そして、ベリムスは気付いた。
「ちょっと……待ってくれ! この色……皮膚の色が……」
赤黒い。
「さすが右将軍様、お気付きになられましたか。ご覧の通り、このオーク達は魔力の過干渉状態にあります」
そうだ。この皮膚の色は魔力の干渉を受けている色だ。だが……
「大人しいとは……どういうことだ……?」
「これらのオークは魔力の過干渉状態にあり、すでに自我を失っております。ですが、決して暴れることはございません。
多量の魔力を浴びせ、自我を失い暴れ出す寸前のところで、ある特別な措置を施します。するとどうでしょう? 彼らは暴れるどころか、こちらの命ずるがままに動く、傀儡と化すのです」
「バカな……操っていると言うのか……?」
リネイはローブのポケットから魔法石を取り出した。
「はい。この魔法石を持つ者の命令を聞くように調整しております。これ一つで、最大百体くらいまで操作可能です。彼らは自我を失っておりますが、それはすなわち、死というものを認識することができない状態ということ。死を恐れない、というよりは、死を理解できないのです。これにより彼らは、まさに死ぬまで忠実に命令を遂行する死兵となるのです」
リネイの説明を聞き、ベリムスは軽く目眩を覚えた。
「オークとて、理性的で文明的な種族だ……我ら人間と、さして変わりはない……それを……」
オークはその巨体と容貌の恐ろしさから、人間たちによるオーク狩りという、忌まわしい迫害の対象となってきた歴史がある。しかし徐々に、温厚で友好的な種族であるということが広まり、長い時間が掛かりはしたが、今では良き隣人として共存しているのである。
「仰っていることはもちろん理解できますわ。しかしながら、これを人で行う訳にはまいりません。倫理的に……」
リネイのその言葉にベリムスは激しい怒りが湧いてきた。
「人であろうがオークであろうが、同じではないか! このような研究が、許されると……」
「聞けば!」
リネイはベリムスの言葉を遮り声を張り上げた。
「聞けばベリムス様は、今まさに重要な岐路に立たれているとか。この研究、残すは実地試験のみとなっております。一千体のオークをご用意できますわ。存分にお使いいただきたいと存じます。そしてその結果が良好であれば、出資者様方は実用化をお考えになるでしょう」
「出資者とは……誰なのだ!」
「先ほども申し上げた通り、お答えすることはできません。ですが、少しだけ……そうですね、この国の中枢に近い位置にいらっしゃる、貴族の方々と……」
……そうか。これは、この研究は、この国の有力者達が望んだことなのか。ここで自分が拒否しても、実験は他の者の手によって行われるだろう。
そう、これはまさに……
ベリムスは静かに目を閉じる。
「……ご理解いただけましたでしょうか、この研究と実験は、まさにこの国が望んでいることなのです」
ベリムスは目を開ける。その表情には未だ怒りと嫌悪感が漂ってはいるが、どこか吹っ切れたような感じもある。
「死になさい」
そう言ってリネイは鉄格子の中にナイフを放り投げる。一番手前のオークはそのナイフを拾い、自身の首に突き立てた。
「どんな命令も忠実に実行いたしますわ。存分にご利用下さい」
ベリムスは眉一つ動かさず、その様子を見ていた。
「……詳細が決まり次第、ご連絡する」
「かしこまりました。ですが、できればお早めに。なにしろ一千という数ですので、それなりに時間が掛かりますゆえ。それと、このことはくれぐれもご内密に」
「……無論、失礼する」
一千体ものオークを一体どうやって用意するのか。当然のごとく浮かび上がる疑問にも、ベリムスはあえて触れないように振る舞う。それはもはや、どうでも良いことだからだ。
◇◇◇
「ふぅ、上手くいきましたね。」
ベリムスが去り、ルピスは安堵のため息をついた。
「そうね、思っていたよりも常識的な男だったから、どうなるかと思ったけれど……どうやら腹はくくれたようね。あれだけ釘を刺せば、あちこち嗅ぎ回るような真似もしないでしょう。
それにしても、突貫で準備した割には良くできてるわね、ここ」
「それはもう、ここだけでかなりの金を使ってますので。すぐに潰してしまうのはもったいないですね」
「しょうがないわ、証拠を残しておく訳にはいかないもの。それにお金なんていくら使ってもいいのよ。使うためにあるものでしょ? 私達の懐が痛む訳でもないわ。ここの村の人達にも口裏合わせのために相当ばらまいてるし、彼の部下の買収にも結構な額を使ったわ。全ては必要経費よ」
そう言って女はニッコリ微笑む。
「しかし、フリス……ザランですか? 元々決めていた組織名とは違いますが、あれは一体……?」
「ああ、そうだったわ、ごめんなさいね、あなたには話してなかったわね。あれ、私の故郷の言葉なのよ。あなた・お馬鹿ねって意味よ」
「はははは、まったくお人が悪い」
ルピスは大いに笑った。
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