1 / 8
1 通りすがりの告白
しおりを挟む「好きです」
「……え?」
「俺とつき合ってください」
「ええっ!」
ここで問題点がふたつ。
まずひとつ、今は昼休み明けの仕事中で、職場の廊下で、糸井真子は会議室へ向かう途中だ。しかも真子は昼食後にお昼寝をしすぎてしまったので昼休みが終わるギリギリに起きてしまった。一時ちょうどから始まる会議に遅刻しているため、廊下を走っていたところだ。
そしてもうひとつ。
彼――君島司は、真子の後輩であり、真子は彼の教育係でもある。ちなみに、そんな素振りなど一切見せたことのない仕事に真面目な、好青年だった。
これは、冗談?
「返事は?」
司は淡々として答えを求めてくる。
真子は腕を上げて時計に目を落とす。もう五分は過ぎていた。やばい、と顔を上げた。
「え、えっと、わかった。じゃあ私急いでるから!」
適当な返事をし、黙ったままの司を置いて、真子は走り出した。
「遅くなってすみません!」
「さっさと席つけ」
「はいっ」
上司にじろりと睨まれ、一番近くの席に座った。事前に配布されていた資料を慌てて広げる。十分ほど経過してしまっている会議はすでに話が進んでおり、理解をするのに時間がかかった。
数十分経過し、用意されていたコーヒーを一口飲んで、ようやくさっき起こったことを思い出す余裕もできてきた。
「あれ?」
「ん、どうした糸井」
「いえ、なんでもありませんっ」
「集中しろー」
上司の厳しい声音に真子は口をつぐむ。会議に集中しなければいけないのはわかっているが、先ほどのことも気になっていた。
さっき、「好きだ」って言われた?
しかも「つき合って」とも言われたような気がする。
さらには、「わかった」と答えたような気も――。
「っ!」
思わず立ち上がってしまい、上司の冷たい視線が突き刺さった。
「……おい、糸井」
「……すみません」
真子に意見がないとわかると鋭い眼光で睨まれ、真子は腰をおろした。口元を手で覆う。先ほどの司とのやり取りをはっきりと思い出していた。
司は、二年前に中途入社した後輩で、真子と同じ企画制作部、さらには同じチームだ。彼の成長を一番近くで見てきた真子だから彼の仕事ぶりはよくわかっている。真剣に取り組んでいて、仕事に一生懸命だ。基本的には口数が少なめで、たまに話したとしても淡々とした口調で、飲み会などには滅多に参加しない。参加したとしても二次会には参加したことは見たことがなく、まっすぐ帰宅する印象だった。仕事と私生活を割り切っていて、きっと彼女がいるんだろうなあなんて考えたこともあった。
そんな彼に、告白をされた?
いやまさか。あんな職場の廊下で、しかも会議に向かう真子を呼び止めてまで。やっぱり真子の勘違いだろう。
うんうん、と頷いた。
「糸井、わかったか?」
「っ、あ、はい!」
思わず答えていたけれど、結局会議での決定事項は理解していなかった。
会議が終わり自席に戻る。まるで集中できなかったので会議の資料を見返していると、パソコンにぴょこんと通知が現れた。社内チャットの通知だ。
メールや電話をするほどでもない場合はチャットでやり取りをしたりすることもある。なにも考えずにチャット画面を立ち上げると、ドキリとした。
司だ。
同じフロアの、目の届くところにいる彼からチャットが飛んできた。仕事でたまにチャットをすることはあるけれど、あんな出来事のあとなので身構えてしまう。
――お疲れさまです。今日の夜あいてますか?
彼が、夜誘ってくるなんて初めてのことだ。やっぱり先ほどの告白は勘違いではなかったのだろうか。
いやでもまさか。
――お疲れさま。夜あいてるよ。
真子は正直に答えていた。嘘は好きではないし、何より先ほどのことをはっきりとさせたかった。あれは告白だったのか、雑談の一種で勘違いなのか。もし告白だったのならさっきは勢いで答えてしまっただけなので、断らなければいけない。
――終わったら下で待ってます。
――了解。
彼の見た目通りの、簡素なチャットだ。画面を閉じて、一息つく。まだ胸はドキドキと鳴っていた。
「君島、ちょっと」
「はい」
返事をした司の声が聞こえてきて、さらに心拍数が上がる。
「また君島くん部長に呼ばれてる」
隣の席の加奈がこっそりと真子に話しかける。彼女は、真子が社内で一番仲のいい同期だ。心を許している存在でもあるが、さすがにまだ司とのことは話すことはできない。
「君島くんがんばるねえ」
「……うん」
司は企画部に配属された時から、新人研修を受けながらも様々な企画を部長に提案してきた。もちろん通常のプロジェクトはしっかりと進行しながら、だ。それほど意欲のある後輩が入ってきたということは部内でも話題になっていた。真子は司の教育係だったが、教育しているのは日常的な雑務であったり、電話対応などの基本的なことだけだ。企画部の仕事内容については、彼は積極的に学び、一人でもかなり成長してしまったので真子としては助言程度しかできていない。しかも、企画を自分から提案しているくらいだから、もしかしたら真子以上かもしれない。
そのクールな見た目に反して、仕事熱心でバイタリティが凄い。そのことから部内では注目の存在だった。
「彼、真面目だし仕事すごくがんばってくれるけど、仕事のこと以外はあんまり話してるところ見たことないな」
「……そういえば、そっか」
加奈がぽつりとつぶやいた言葉に真子もうなずいた。
司とは一緒に仕事をしているけれど、仕事以外の会話をした覚えはない。飲み会でも口数は少なく、無口だという印象さえあった。
だから余計に、「好き」だと言われたことはどうしても信じられなかった。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
Home, Sweet Home
茜色
恋愛
OL生活7年目の庄野鞠子(しょうのまりこ)は、5つ年上の上司、藤堂達矢(とうどうたつや)に密かにあこがれている。あるアクシデントのせいで自宅マンションに戻れなくなった藤堂のために、鞠子は自分が暮らす一軒家に藤堂を泊まらせ、そのまま期間限定で同居することを提案する。
亡き祖母から受け継いだ古い家での共同生活は、かつて封印したはずの恋心を密かに蘇らせることになり・・・。
☆ 全19話です。オフィスラブと謳っていますが、オフィスのシーンは少なめです 。「ムーンライトノベルズ」様に投稿済のものを一部改稿しております。
小野寺社長のお気に入り
茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。
悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。
☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。
続・上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。
会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。
☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。
「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
アダルト漫画家とランジェリー娘
茜色
恋愛
21歳の音原珠里(おとはら・じゅり)は14歳年上のいとこでアダルト漫画家の音原誠也(おとはら・せいや)と二人暮らし。誠也は10年以上前、まだ子供だった珠里を引き取り養い続けてくれた「保護者」だ。
今や社会人となった珠里は、誠也への秘めた想いを胸に、いつまでこの平和な暮らしが許されるのか少し心配な日々を送っていて……。
☆全22話です。職業等の設定・描写は非常に大雑把で緩いです。ご了承くださいませ。
☆エピソードによって、ヒロイン視点とヒーロー視点が不定期に入れ替わります。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しております。

上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
恋愛に臆病な28歳のOL椎名澪(しいな みお)は、かつて自分をフッた男性が別の女性と結婚するという噂を聞く。ますます自信を失い落ち込んだ日々を送っていた澪は、仕事で大きなミスを犯してしまう。ことの重大さに動揺する澪の窮地を救ってくれたのは、以前から密かに憧れていた課長の成瀬昇吾(なるせ しょうご)だった。
澪より7歳年上の成瀬は、仕事もできてモテるのに何故か未だに独身で謎の多い人物。澪は自分など相手にされないと遠慮しつつ、仕事を通して一緒に過ごすうちに、成瀬に惹かれる想いを抑えられなくなっていく。けれども社内には、成瀬に関する気になる噂があって・・・。
※ R18描写は後半まで出てきません。「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
なし崩しの夜
春密まつり
恋愛
朝起きると栞は見知らぬベッドの上にいた。
さらに、隣には嫌いな男、悠介が眠っていた。
彼は昨晩、栞と抱き合ったと告げる。
信じられない、嘘だと責める栞に彼は不敵に微笑み、オフィスにも関わらず身体を求めてくる。
つい流されそうになるが、栞は覚悟を決めて彼を試すことにした。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる