強引組長は雇われ婚約者を淫らに愛す

春密まつり

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05 彼の裏側

過去

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「……よし、今週も返済完了」

 春子は雑居ビルから出ると、明細を見て呟く。
 今月の返済は予定額より多く入金できた。虎将と出会う前は闇金業者が家にまで回収しにきて、ある分のギリギリまでを手渡しせざるを得ない状況だった。でも今は余裕を持って返しに行くことができていた。返済用ATMもないような業者なので直接渡しに行くしかないと知ったのは最近になってのことだ。
 今日も定時で仕事を終えてヒガシキャッシュサービスに寄り、給料と合わせて五十万円を返済した。一度に大金を運ぶのは怖くて一週間に一度か二度は返済に行っている。

 虎将と出会って約一か月。
 返済金額はすでに四百万円。こんな短期間で返済できる金額ではないので虎将のおかげでしかない。家賃も食費も払っていないので罪悪感はあるが、彼の婚約者のフリをしているあいだに一刻も早く借金を完済したい。
 今日はこの後もバイトがある。虎将と一緒に暮らすようになって寝る時間は前よりも遅くなったけれど睡眠の質が上がったからか、そこまでつらくはない。
 バイト先のファミレスへまっすぐ向かっている途中、正面からひときわ目立つ女性が歩いてくるのが目に入った。スタイルも良く、露出の高い服を着ていて、周囲を歩く男性の視線が彼女に集中している。
 じっと見ていたからか目が合ってしまった。

「あ、虎将くんの」
「え……あっ」

 先ほどまで見とれていた女性と目が合う。メイクは濃くドレスのような服装なので一瞬誰かと目を凝らす。でもこんな格好をするような知り合いは一人しかいない。まじまじと見ると琴だとわかった。先日会った時とはまた印象が違っていてプロのキャバ嬢なのだと納得した。

「春子さんじゃん。……いっつもその恰好なんですかあ?」
 一方で春子はいつもの黒スーツ。タイトスカートではあるけれど彼女のような華やかさは皆無だ。
「……そうですよ」
「へー……」
 冷たい視線が春子の全身を舐めるように見ている。
「琴さんは……きれいですね。前は可愛らしい感じだったのでびっくりしました」
「あ、この格好の時はその名前呼ばないで! 琴じゃなくてコトミでやってるから客に見られたら困る」
「わかりました。ごめんなさい」
 キャバ嬢のルールなのか琴のルールなのかはわからないが、焦ってきょろきょろする琴を見て申し訳なくなった。。
「ていうか前からお世辞すごいけど、そんなに虎将くんに気に入られたいの?」
「いえ、本心ですよ」

 琴が春子への態度が悪いとはいえ、春子が彼女に無理に気に入られる必要もない。春子にないものを持っている彼女に対しての正直な気持ちだ。

 彼女はじっと春子を観察するように見ている。
「……ねえ、これからうちの店に飲みに来る?」
「ええ!?」
 琴の仕事はキャバ嬢。ということはキャバクラに誘われているということになる。キャバクラといえば男性が遊ぶ場所。これだけ嫌われていて誘われたことにも驚いたが、その場所にも戸惑う。

「私にそんなお金はないので遠慮しておきます」
「お金はいらない。虎将くんとのこと詳しく知りたいから話したいの」
「それは……彼がいる時にしたほうがいいと思います」
「虎将くんがいるとあたし、それどころじゃなくなっちゃうもん」

 先日の光景を思い浮かべると、そうなっている光景は安易に浮かんでくる。虎将と一緒にいる琴は別人のように甘く、虎将しか見えていないようだった。

「あの、私これから行くところがあるので、失礼しますね」
 早くこの場を立ち去りたい。バイトがあるので嘘ではなかった。
「すぐ? 用事は何時から? それまでの間ならいいじゃん」
「……ええと……」

 突然のことで、琴と二人で話す心の準備ができていないし虎将と話を合わせてもいない。下手なことを言ってしまったらバレる可能性もある。

「あれ、姐さん。……と、コトミさん?」
 どう断ろうかと考えていると、男性に声をかけられた。
 吾妻組若頭の陽太だ。虎将に一番近い存在なので何度か会っていることもあり、春子にとって虎将と同じくらいには信用している。

「お二人とも知り合いだったんすね」
「うん。この前お兄ちゃんと虎将くんと飲み行ったの」
「ああ、なるほど」
 陽太の顔を見て、逃げ出すチャンスだと閃いた。
「あ、あの陽太さん、これから事務所に連れていってもらっていいですか?」
「え? あ、はい。いいですけど」
「ありがとうございます。バイトの前に寄りたいので……お願いします。ごめんなさいコトミさん、またの機会にお願いします」
「……はいはい」
 春子は陽太を連れて、琴から逃げるように立ち去った。

 いつかは琴と二人で話したい気持ちはある。でもその前に虎将と打合せをしておきたいし、キャバクラに足を踏み入れるのも春子にとっては敵地に潜り込むようなもの。その勇気はなかった。
 琴から少し離れたところまで歩き、陽太に礼を言う。

「陽太さんが来てくれて助かりました。ありがとうございます」
「なにかありましたか?」
「ちょっと琴さんにお店に誘われて……二人で話すのはまだ慣れてなくて」
 陽太に正直に伝えようかと迷ったが嘘が思いつかなかった。曖昧に伝えると、彼は納得したように頷く。
「可愛いけど姐さんとはタイプが違いますもんね。しかも組長の婚約者だったら琴さんの態度ひどいんじゃないですか?」
「やっぱり、そうなんですね」
「はい。組長に近づく女性は片っ端から嫌がらせしていくような子なので。愛想はいいし良い子ではあるんですけどね、組長のこととなるとちょっと」
 陽太は困ったように笑った。

 その話を聞くと、嫌われているのは自分だけではないようでほっとする。琴は本当に以前から虎将のことが好きなのだ。そんな虎将の婚約者のフリをするのは、少し心が痛む。

「このまま事務所行きますか?」
「あ……ごめんなさい、さっきのは口実で……夜はバイトがあるんです」
「なるほど。わかりました。それならバイト先まで送りますよ」
「いいんですか?」
「はい。姐さんに会ったからにはきちんと見送らないと組長に怒られますからね」

 陽太は優しくていい人だ。ヤクザとは思えないほど。見た目は爽やかな青年という感じだけどスーツを着崩している点で普通の会社員とは違いがある程度だ。虎将ほどではないけれど彼も背が高く、見上げていると首が痛くなる。

「あ、あの『姐さん』っていうのは慣れないのでちょっと……」
「ああそっか。すみません。じゃあ春子さんって呼びますね」
「それでお願いします」

 先ほどから姐さんと呼ばれていて、抵抗があった。虎将の婚約者だと思われるのは問題はないが、『姐さん』は違和感がある。

「でも組長と結婚したらきっと『姐さん』って呼ばれるようになりますよ」
 陽太はからかうように笑う。彼といると歳が近いからか友人と話しているような感覚で、話しやすい。虎将のことを聞くには適任だ。
「あの、虎将さんって、陽太さんから見てどんな人ですか?」
「どんな人、ですか。なんでそんなこと聞くんです?」
「……婚約者として虎将さんの周りのことももっと知りたいなって思っていて、彼はどう思われてるのか気になって、いろんな人に聞いてるんです」
「すごい、奥さんの鏡ですね」
「いえ、そんな……」
 ただ、虎将との付き合いが短い春子にとって身近な人からの情報が欲しいだけだ。

「俺からしたら吾妻組長はとにかく尊敬できる人ですね。強くて情が厚くて、懐も深い人です」
 陽太は迷うことなくそう答えた。
「陽太さんは彼といつからのお付き合いがあるんですか?」
「組長が鳳組にいる時からなので……もう十年くらいになりますかね」
「そんなにですか。ていうか鳳組って……?」
 初めて聞く組の名前だ。
「今の神代会の鳳会長が組やってた時の団体ですね」
「え、会長の?」
 神代会の会長という響きは春子でもわかる。先日のバーでも話題にあがった人だ。とんでもなく偉い人なのだろう。

「ええ。吾妻組長を育てたのも鳳会長です。鳳組の時に組長は拾ってもらったらしいんです。俺もその時吾妻組長に拾ってもらって、そのあと吾妻組長は組を任せられるようになったって感じですかね。それからずっと吾妻組長の舎弟やってました」
「……なるほど……」

 春子の頭の中で虎将周辺の組織図がうっすらとできていく。虎将の過去が見えてくる。
 つまり鳳組の時に鳳組長に拾われて虎将はヤクザになり、その後鳳組長は会長へ昇進、虎将は吾妻組を立ち上げた、というイメージだろう。

「組長はその時から無駄な争いは嫌って、他の組員たちとは違ったやり方で組を成長させたのも、俺はすげえなって思ってます」
「違ったやり方?」
「はい。他の組は暴力や金でねじ伏せたり、アコギな商売でカタギに手ぇ出したり、常識外のみかじめ料を取ったり……。まあそれで組も稼がないといけないんですけどね」
「……あの、みかじめ料ってなんですか?」
 特有の用語に、陽太の話がすっと頭に入ってこない。聞いたことはあるが自分には関係がないと、調べもしない用語だった。

「ええと……縄張り内の店を守る代わりに店から金を貰う、って感じですかね」
「……なるほど。正直、ヤクザは暴力とかお金のイメージでした」
「あ、やっぱり? 組長も詳しくは話さないんですね」
 春子は小さく頷く。

「この前見回りについていった時も、虎将さんはお店の前で普通の男性に声かけたりしてました」
 あの場面は、虎将が悪い人にしか見えなかった。彼がヤクザなのだと思い知らされ、この関係について悩んでいた。
「ああ、店に依頼された迷惑客を寄り付かないように注意したりしてまわってるみたいです」
 あの時にしていたことだ。あれは一般人に威嚇しているのだと思っていたけれど、迷惑客だったと聞いて少しほっとした。
「でもそれで、みかじめ料ってものをもらうんですね」
「いや、吾妻組はみかじめ料とらないんですよ。なんでか」
「え」
「俺たちの見回りは、キャバクラとか飲食店をまわって困ったことはないか聞くんです。何かあったら無料で助けてやる。そんな感じです」

 一緒に街を歩いたあの日を思い出す。虎将は頻繁に立ち止まっては、キャバ嬢や店の男性と会話をしていた。ただのコミュニケーションだと思っていたけれど、それ以上のものがあったらしい。でも、お金にならないのにどうしてなのかと疑問だ。

「じゃあどうやって稼いでるんですか?」
「普通に会社経営っすね」
 ここにきて全うな仕事がでてきた。でも話を聞きながら、疑問が増えていくばかりだった。
「あの……ヤクザって経営ってできるんでしたっけ」
「いや。俺たちはできないので関係者がやってる会社の経営を組長がチェックしてる、って感じっすかね」
 陽太のおかげで、どんどん極道について詳しくなってくる。
「そういう変わったところが会長には気に入られてますけど、他の組からは疎まれてるところはありますね。極道が『ただのいい人』でどうすんだって」
「……そういえば、東雲さんも似たようなことを言ってました」
「ですよね。でも俺はそんな組長のやり方は尊敬してます。なので吾妻組で幸せですよ」
 そこまで言えることこそしあわせなことだ。一般企業に勤めていてもそう思えることなんて少ないだろうに。
「いろいろ教えてくれてありがとうございました」
「いえ。春子さん、組長をよろしくお願いします」
「……いえ、こちらこそ」

 婚約者のフリはいつまで続くのだろう。借金完済したらすぐに終わり? そうなると陽太のように優しくしてくれた人に申し訳なくなってくる。薫や琴にも。
 陽太と話をしていたらバイト先まであっという間だった。もっと知りたいことはあるけれど、時間切れだ。

「バイト先はここです。ありがとうございました」
「いえ。じゃあ、バイトがんばってください」

 陽太と会えたことで、思わぬ収穫があった。虎将があの日していたことはお店を守ることに繋がっていたらしい。だとしたら彼を誤解してしまった。彼が極道の人に変わりはないけれど、思ったほどの悪い人ではなかったことに心の底から安堵していた。
 はやく虎将に会いたい。
 バイトが終わって家に帰るのが待ち遠しかった。
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