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06.初恋(終)

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 怜央くんと最後までして、わかってしまった。
 怜央くんのことが好きだ。
 性欲を発散させるだけの関係にはなりたくないとはっきりと思った。最後までしておいて今さら気づくなんて遅すぎる。



「手島さん、おはよう。これお土産」
「おはようございます。……ありがとうございます」
 出社してすぐに怜央くんに渡されたのは、小分けの袋に入ったバウムクーヘンだった。怜央くんは微笑むと、また違う人へ、同じものを渡す。
 初めて最後までした次の日から、怜央くんは二日間出張だった。怜央くんは朝一で新幹線に乗って行ってしまったので、本当に丸二日顔を見ていなかった。おかげで夜は何事もなく、ぐっすり眠れることができた。

「手島さん、余ったからもう一個あげる」
 全員に配り終えた怜央くんが自席へ戻ってくる。お菓子が入っていた大きな箱はほとんど空っぽになっていた。
「あ、ありがとうございます」
「二日ぶりだね」
「……はい」
 怜央くんが何を言いたいのかわかる。でもここは職場だから言えないのだろう。

 あれほど毎日のようにしていた行為が、2日間ないだけで寂しく感じていた。それは怜央くんも同じだったのかもしれない。もちろん彼の場合は、「性欲発散」という意味でだ。
 その気持ちの違いが悔しくて、もうこの関係のままではいられない。

 少しの残業をして仕事を終えると、隣の席の怜央くんにバレないように帰るために慌てて支度をする。怜央くんは会議中らしくちょうど席を外しているうちにオフィスを出た。エレベーターに乗り1階のフロアまで降りると、安心して息を吐いた。
「お疲れ。いま帰り?」
 優しい声音に声をかけられて、一瞬身体が跳ねる。振り返るとやっぱり怜央くんが立っていた。
「……あ、うん。お疲れ様。えっと、お先に失礼します」
「いや俺も帰る」
「えっ」
 隣を歩き出す怜央くんをよく見ると、ビジネスバッグを持っていた。会議中だと思っていたのに。
「えーと、会議は大丈夫なの?」
「会議? 出張の話だったら午後に上司に報告して、今日は早く帰ろうと思って1階でコーヒー飲んでた」
「……そう……」
 判断ミスだ。怜央くんの席にバッグがあるかも確認するべきだった。いつの間に先に帰っていたのだろう。自然に隣を歩き出す怜央くんから逃れる方法が思いつかない。

「出張どうだった?」
 仕方なく仕事の話をすることにした。
 仕事の話をし続けていれば、怜央くんもそんな気分にはならないだろう。
「ん。うまくいったよ。新しい提携先も見つかったし」
「すごいねえ」
 怜央くんの営業成績は軒並み上がっていく一方だ。隣で見ていても、電話応対や無駄のない動きにいつも感心させられる。

 一緒に電車に乗っている間も、電車を降りて一緒にコンビニに寄った時も、ずっと仕事の話を振り続けていた。なのに、マンションに着いて、二人の部屋が近づくにつれて話題も途切れ、変な沈黙がおとずれる。慌てて話題を探していると、怜央くんが私の手を取る。

「紗江にはやく会いたかった。今日来るよね」

 さらりと指を絡めて、当たり前みたいに言わないでほしい。怜央くんは気持ちがないから言えるのだと考えるだけで腹が立つ。

「行かない」
「……どうして?」

 きょとんと私を見る怜央くんから目をそらして、手も離した。好きだって気づいちゃったからもうしない。とは言えない。
「どうしても」
「……なにふてくされてるの? 出張先では誰ともしてないよ」
「っ、そういうことじゃないよ!」
 カッとして声が大きくなった。怜央くんの頭の中はやっぱりそんなことばかりなんだ。見た目とのギャップがひどすぎる。

「じゃ、じゃあね私帰るから」
 怜央くんに背を向けて、自分の部屋の鍵を開ける。部屋に入ってしまえばこちらのものだ。
「……痛っ」
「俺から離れたいの?」
 ドアノブを握った手首を、強い力で握られる。
「なんで? 一回最後までしたから悶々としてたのおさまっちゃった?」
「……違うってば」
「じゃあ他に男できた?」
「そんなわけないよ。手、離してよ」
 手を離してくれないと、ドアノブを回せない。
「……だめだよ。紗江は俺のものなんだから」
「変だよ、怜央くん」

 私のこと好きなんかじゃないくせに。
 他の女の人でもいいくせに。

「紗江、急にどうしたの。今までは気持ちよさそうにしてくれてたのに」
「とにかく、もう怜央くんの家行かないから!」
 そうでもしないと気持ちが爆発してしまいそうだ。
「……そっか。わかった」
 私が激高すると、怜央くんの手が離れていく。これほどあっさり引くとは思っていなかったので安堵はしたけれど、胸のあたりが苦しくなった。怜央くんはただ発散の相手が欲しかっただけだ。最初からそれが目的だったのはわかっていたはずなのに、なにを勘違いしてしまったのだろう。目の奥のほうがじりじりと痺れてきたので逃げるようにドアノブを回し、部屋に入る。ドアを閉めようとすると怜央くんはするりと入ってきた。怜央くんの後ろでドアがガチャンと閉まる。
「……って言うと思った?」
「きゃっ」
 細い腕とは思えないくらいの力で身体を引き寄せられ、ふらついたまま怜央くんの胸に倒れ込む。

「れ、怜央くんっ?」
「ようやく手に入れたのに、離すわけないでしょ」
 ぎゅっと、苦しいくらい強い力で抱きしめられた。
「……離して。出てってよ」
「なんで俺を拒否するの?」
「……」
 言えるわけがない。
 身体だけの関係を求めてる人に告白なんて、できるわけがない。

「俺が嫌いになった?」
「……そうじゃないよ。でも、やっぱりこういう関係よくないなと思って」
「どうして?」
「……身体だけ、とか……私には無理だから」
「紗江は身体だけだって思ってるってこと?」
 首を振りたかったけれど、そうなると気持ちがバレてしまう。だからといってうなずくことは絶対にしたくない。どうすることもできなくて黙ったままでいると、怜央くんの手が私の頬を包んだ。

「紗江……キスしていい?」
「え」
 怜央くんの口から、意外な言葉が聞こえた。
「キスとか……しないんじゃなかったの?」
「んー、セフレはね。でも紗江は違うでしょ」
「……私は違うの?」
 淡い期待を抱いてしまうような言い方。私は怜央くんを見上げた。

「紗江は、幼なじみでしょ」

 すると怜央くんからは期待外れの答え。わかっていたはずなのに、何を期待してしまっていたんだろう。私は怜央くんから視線をそらしうつむいた。

「それと、俺の初恋の子」

 頭上から、囁くような声が聞こえて、パッと顔を上げた。
「……え?」
「だから身体だけじゃないんだけど……だめ?」
 怜央くんはうかがいを立てながらも、私の両頬を包み、ゆっくりと近づいてくる。

 どういう意味?

 怜央くんの言葉の意味を考えている間にも息がふれるほどの距離になる。
「ん……」
 怜央くんの薄く柔らかい唇が、私の唇に重なる。時間をかけてくっついて、時間をかけて離れていった。
「……キスしちゃったね」
「あの」
「もう一回していい?」
「ん、う」

 また、返事をしていない間に唇がもう一度重なる。怜央くんの唇が、私の下唇を食んだ。ただのフレンチキスではなかった。さっきよりも長く、甘い。上下の唇を交互に食まれて、熱い息が出た。薄く口を開けると、怜央くんは目ざとく気づき、舌の先を中に入れてくる。一瞬身を引いたが、そんなことお構いなしに、怜央くんの舌は歯列をなぞり、私の咥内を舐る。器用に狭い口の中で動き回る舌は、私の舌を見つけると、舌を合わせて絡めた。

 怜央くんとの初めてのキスに、私は身体が固まってしまって何もできないでいた。ただ、されるがままだ。
 今まで、キスは何回かはしたことがあった。怜央くんのことを忘れようと大学生の頃につき合っていた彼氏と何回か。それ以上のことはしていないけれど、数ヵ月しかつき合っていなかった彼のことはもうあまり思い出せない。でも、こんないやらしいキスはしたことがないだろう。そうだったらきっと記憶に残っている。
 怜央くんは私の頬と耳を撫でながら、キスが深くなっていく。

「ん、ん」

 じゅ、と唾液の混ざる音がして口の端からこぼれていく。それでも怜央くんは離してくれない。紳士的なその見た目とは反して貪るようなキスに、身体の力が抜けていく感覚がした。足が震えてうまく立っていられない。手も震えて、しがみつくこともできない。

「ぁ……はぁ……」

 足の力を無くして、怜央くんにしなだれかかった。ふれた身体は熱く、ドクドクと鼓動が聞こえてくる。怜央くんでもこんなに鼓動が速くなるなんてことあるんだ。

「紗江、ベッド行こう」

 怜央くんが私の耳元で囁いた。甘い囁きに、身体の芯から熱くなるのを感じた。このままベッドに行ったらなにをされるかなんて簡単に想像がつく。
「紗江のベッドでたくさんしたい」
「でも」
「嫌?」
「……」
 嫌と言われれば違う。でも、気持ちがはっきりしていないままではまた繰り返しになってしまう。

「紗江が俺のこと嫌いっていうならしないよ」
 そんな言い方をされたら、拒否ができなくなる。
「……い、意地悪だよ怜央くん。やっぱり変わった。私が好きだった怜央くんはそんな人じゃ……」
「え」
「あっ」
 慌てて手で口を押さえたけれど、もう言葉をなかったことにはできない。怜央くんもさすがに気づいてしまったみたいだ。

「……紗江も好きだったの? 俺のこと」
「……む、昔の話だよ」
 苦し紛れに誤魔化す。今気持ちがバレてしまったらきっと重いと思われて、この関係は終わってしまうだろう。
「じゃあ、どんな俺が好きだった?」
「優しくて、王子様みたいな……」
「そんな男が、セフレなんか作るわけないでしょ」
「……」
「ねえ紗江、俺がどうしてセフレ作ってたか知ってる?」
「知るわけないよ」
 そんなの知りたくもない。いったい何人のセフレがいたのか、想像してしまうから。
「……みんな、紗江の代わりだよ」
「……え」
「でももう代わりはいらない」
 どういう意味? やっぱり私はこのままセフレを続けていかなくちゃいけないの?

「紗江、今は俺のこと好き?」

 告白を強要されているようで口をつぐんだ。怜央くんはもう私の気持ちに気づいているのだろうか。だからそんな意地の悪い質問を。

「ちゃんと答えて」

 じっとひとみの奥まで見つめられて、もう負けてもいいや、と思った。諦めに近い感情だ。怜央くんの視線は私が逃げるのを許さない。

「…………好き」

 たった二文字を口にするだけでも呼吸が乱れる。

「身体だけじゃなくて?」
「そっ、それは怜央くんでしょ!」
「きっかけに利用しただけ。身体も含めて全部、紗江が好きだよ」
「……え……」
 さらりと口にするセリフは、告白とは思えなかった。

「初恋の人に再会して、また好きにならないわけないよ」
 私は呆然と、怜央くんを見つめた。彼はめずらしく、目をそらした。
「……同じ気持ちで、安心した」
 伸びてきた腕は、私を抱きしめた。強引で苦しくなるほどの力ではなく、優しく、包み込むような腕だった。

「怜央くん?」
「よかった、紗江が離れていかなくて。……痛くしてごめん」
 怜央くんに握られた手首に、キスをされた。
「ほら、ベッドに行こう」
「…………」
 手のひらを上にして差し出されて、素直にその手を取った。
 すると、怜央くんは照れくさそうに微笑む。やっと、昔の柔和な怜央くんの笑顔を見た気がした。

「ん……ん」
「痛くない?」
「……だいじょう、ぶ」
 怜央くんは最初から、すごく優しくふれてくれた。私の身体を労わりながら、怜央くんは長い時間をかけて気持ちよくしてくれて、身体はもうぐずぐずにとろけていた。怜央くんの優しさにふれて、私は昔の彼を思い出していた。
 私を気遣って、守ろうとしてくれた怜央くん。
 彼は小さな頃から私の王子様であることに変わりはなかった。

「……じゃあもう少し奥にいってもいいかな」
 中に入ってきた頃には身体は怜央くんを求め、二度目だというのに痛みもなかった。
「あっ、あ」
「……ん? 奥気持ちいい?」
「えっと……」
 気持ちいい、とは言いづらくて言葉を濁す。まだ身体を重ねて二回目なのに気持ちいいなどと言ってしまったら、いやらしい女だと思われてしまいそうだ。
「よかった。素質あるみたいで」
 私の心配とは裏腹に、怜央くんは私の気持ちに気づいたのかうれしそうに笑った。

「動くよ」
「あ、あっ」
 怜央くんが腰を引き、再び押し入ってくる。ゆっくりと出し入れされる熱は、中をこすり上げる。
「……っ、気持ち、いい」
 腰を揺さぶりながら怜央くんがつぶやいた。
 怜央くんの、そういう顔が見たかった。いつも私ばかりが気持ちよくなって、怜央くんの余裕のない顔とか、息遣いとか、声とか、激しく打つ鼓動を知らなかった。

 もっと感じたくて手を伸ばし、怜央くんを抱きしめた。するとつながりがさらに深くなり、息を飲んだ。
「紗江、キスしよ」
「んんっ……あ、あっ」
 中をかき回されながら、キスをする。指先に開かされた唇は怜央くんの舌を招き入れ、くちくちと音を立てて絡め合う。

 ――キスもしない。最後までしない。

 怜央くんはそう言っていたのに、今、キスをしながら身体をつなげている。そのことがじわりじわりと胸の中を満たしていく。
「……紗江、なんで泣いてるの?」
「……なんでもない」
「そう?」
 ちゅ、と目尻にキスをされて、涙を舐めとられる。

「泣き顔興奮する」
「……え?」
「ごめんね、ちょっと激しくする」

 怜央くんがにこりと不敵な笑みを浮かべると、穏やかだった腰の動きが急変した。激しくなったと思ったら、奥のほうを突き上げ始める。今までにない律動に私は口をだらしなく開け、声を出すことしかできない。いつも指先で弄られるその場所を、怜央くんの熱の出っ張りがごりごりとこする。そのたびに腰が跳ねて、意識が飛んでしまいそうになる。怖くなって、怜央くんの腕に爪を立ててしまった。

「っ……好きだよ、紗江」
「……私、も」
 肌がぶつかる音と、互いの荒い息遣い。いつも一人で眠っているだけのベッドがギシギシと軋む。
「あっ、あ!」
「ん……紗江、いく」
 怜央くんが切羽詰まった声を出して、胸の奥がぎゅっと絞られるように縮む。
「――っ!」
 中で、怜央くんの熱がぶるりと震えた。引き抜かれたそれは、膜越しに欲望を放っていた。びくびくと腰を震わせて肌や髪を汗で濡らしている怜央くんから目が離せなかった。



「俺、紗江の部屋でするの夢だったんだ」
「どういうこと?」
 そういえば怜央くんが私の部屋に入るのも、私のベッドでするのも、初めてだ。
「だって、女の子の部屋に入れてなんて言えないでしょ」
「……強引に入ってきたくせに」
「そうしないと、紗江は素直になってくれなかったと思うけど?」
「……うう」
 まったくその通りでなにも言い返すことができない。
「大好きだよ、紗江」
 キラキラとした笑顔。私はその笑顔に、昔から夢中だった。

 怜央くんはやっぱり、ちゃんと王子様だった。
 ただその正体は、ちょっと意地悪でえっちな王子様。



 終
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