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28 誤解の種
しおりを挟む亘と最後までしてしまった。
『恋人ごっこ』をすることになって一ヶ月半ほどが経過した。ラブグッズについて教えてもらっている延長で、亘は最後までしてくれた。それは味わったことのない快感で、知らない世界を教えてくれた。今の里帆には重要な、仕事にだって活かすことができる経験だ。
でも、本物の恋人ではないのにここまでしてくれるんだという疑問と、最後までしてしまってよかったのかと悩み始めている。
「四宮さん、ちょっといい?」
「はいっ」
部長に呼ばれて、里帆は彼女のデスクへ急いだ。部長は忙しい人なので彼女から直々に声がかかるなんてめずらしかった。
「新プロジェクトの件だけど……どう?」
部長のデスク前に姿勢良く立ち、緊張気味に答える。
「順調です。商品案は提出したとおりで、部長に許可をいただきましたのでいま各開発担当と打ち合わせをしている最中です。今週末にはサンプルが仕上がってくる予定です」
「そう」
硬い表情だった部長は、にこりと微笑んだ。
「がんばってるわね。このままよろしくね。頼りにしてるわよ」
「……っ、はい、ありがとうございます! 部長やチームメンバーのおかげです」
「いい心がけね」
メンバーと向き合うことができなかったらここまで順調に進んでいなかっただろう。メンバーのおかげでもあるし、亘のおかげが大きい。それはさすがに言えないけれど。
――ごめん、今日も遅くなりそうなので家に帰ります。
――わかった。無理しすぎないようにね。
スマホのメッセージアプリを閉じて、ため息を吐いた。
ここ数日、里帆の忙しさには拍車がかかっていた。ようやく具体的な形が見えてきて、メンバー全員が今まで以上にやる気で満ちていた。もちろん里帆もそのひとりだ。毎日のように会議を繰り返し、社外用の資料を作成する。上がってきたサンプルを確認して吟味し、再度修正をお願いする。この繰り返しだった。残業時間は増えていく一方で、亘ともなかなか会えない時間が続いた。そのせいで疲労が溜まっている実感があった。
そろそろ、亘に癒やされたくなってきた。でもカウンセリングを受けている時間すらない状況だ。
「四宮リーダー」
「佐々川くん、どうしたの?」
「ちょっと話したいことあるから、一緒に昼飯いい?」
「大丈夫だよ」
佐々川や、他のメンバーとの距離も日に日に近づいていた。彼らの他人行儀がいつの間にかなくなっていたし、里帆も身構えることがなくなった。向き合うようになると仕事はスムーズに進むものだなと実感した。
里帆は佐々川と一緒にエレベーターで社員食堂に来た。最近忙しくてゆっくり昼食をとっていられなかったので食堂も久しぶりだ。里帆は前に亘がおいしいと言っていたカレーを選んだ。すると佐々川も同じカレーを選んでいた。テーブル席に向かい合って座り、佐々川は開口一番に「ゴムとかローターのサンプル使ってみた?」と言った。
「ちょ、食事中にする話!?」
里帆は咳き込み、水を飲み干す。里帆の動揺に、佐々川は声を上げて笑った。
「仕方ないじゃん。会議会議で時間ないんだし、今話すしかないだろうよ」
「……まあ、そうだけど……」
里帆はコホンともう一度咳をした。
他の男性だったらいやらしい感じがして気持ち悪い、と思うんだろうけれど佐々川はなにかと飄々としているのでそうは感じない。なにより、探究心の深さからセクハラ発言ではないということはわかる。
「つ、使ってないけど」
周りの人には聞こえないように、声を小さくした。
「はーやっぱり。多分メンバー全員そうだと思うんだけど、この前ゴムのサンプル見てたらやっぱ使ってみないとわかんないよなって。ローターのほうは肌に当てりゃなんとなくわかるんだけど、あれはな……と思ってさ」
「う、うん……それで、使ってみたの?」
カレーを運ぶスプーンの手が止まる。佐々川に今彼女がいるかは知らないし話をしたこともないけれど、なんとなくドキドキして食い入るように見つめてしまっていた。
「……気になる?」
佐々川はにやりと口元を緩める。
「……はぁ……」
里帆は大きく息を吐いた。まったく期待外れの反応にがっかりした。
「おいなんだよその顔は」
「気になるとか気にならないとかそういうことじゃなくて……」
「四宮さん」
「……え?」
里帆が佐々川に抗議しようとしていたら、名前を呼ばれた。声の方向を見上げると亘がトレイを持って立っていた。
「え、わ……桐ヶ谷さんっ」
久しぶりに亘の顔を見ることができた。安堵するというよりも緊張と、鼓動が激しく鳴った。顔が赤くなってしまっていないか心配だ。
「四宮さん……お疲れさまです。カレー、おそろいですね」
亘のトレイを見るとカレーだった。三人ともカレーを選んでいることになる。
「ほんとだ。ここのカレーおいしいですね」
亘に教えてもらったから選んだ、と言いたいけれど佐々川の手前言えるはずもなかった。亘は仕事の顔でにこりと微笑む。その視線は里帆から佐々川へと移った。
「あーあーあん時の。先日はどうもご迷惑おかけしました」
「いえ。お役に立てたのなら何よりです。……では僕はこれで」
亘はあっさりと立ち去るので里帆と佐々川は頭を下げた。
「……で、リーダーさっきの話だけど」
「は、はい」
「ゴム使ってみようよ」
「ちょ、声!」
「は? 大きくはないだろ」
佐々川は不満げだ。でも里帆にとっては、まだ背中が見えている亘に聞こえてしまってないだろうかと不安になった。何もやましいことはないし仕事の話だと理解してくれているだろう。でも、万が一のことがある。
「リーダー彼氏いるんだろ? 使って感想教えてくれよ」
一応いるにはいる、と言っていいのだろうか。『ごっこ』だけど。里帆が沈黙していると「別にオレと使ってもいいけど」とまたからいかい口調で言った。
「ば、ばか!」
セクハラにもほどがある。彼の口調は軽いので本気にはとらないが、一歩間違えば訴える女性もいるだろう。
「リーダー、じゃあよろしく~」
早々にカレーを食べ終えてた佐々川は、話は済んだとばかりに席を立った。
「……お疲れ」
新商品のゴムのサンプルは何種類かあって、今全員でどれにしようかと選んでいるところだ。どれもデザインはかわいらしく女性が喜びそうなものばかりだ。香りやさわり心地も良い。とはいえ実際使ってみないとなんとも言えないところもあった。佐々川の言う通り、使った人の感想は欲しい。また社内でアンケートをとるのもいいかもしれないが、時間がかかりそうだ。里帆は朝食後の歯磨きをしながらずっと考えていた。
――どうしよう。また亘くんにお願いする……?
以前だったらきっと里帆は気軽に亘にお願いしていただろう。でも一度身体を重ねた今、なんとなく気恥ずかしかった。でもお願いする相手は亘しかいない。
ぶつぶつと考えながら女子トイレから出てエレベーターホールへ向かっていた。
「きゃっ!」
急に背後から腕を引かれた。振り返ると、亘だった。
「わ、亘くん、ちょっと」
腕を引かれてトイレ近くにあった扉を開く。そこは非常階段だ。私用電話をする人がたまにいるけれど、今は誰もいない。会社ビルの外側についている階段なので、外の空気が肌を焼き、じめじめして暑い。
「……亘くん、どうしたの?」
「里帆最近忙しいから、会えてないなと思って」
「ごめんね。カウンセリングすらなかなか行けなくて……」
「それはいいけど、さっき、佐々川くんと何話してた?」
亘がどこか怒っているように見えて、少し怖い。肩を掴む手の力が強い。
「仕事の話だよ?」
「佐々川くんと、ゴム使うの?」
やっぱり、聞こえてしまっていたらしい。佐々川を恨みながらも里帆は必死にフォローを入れる。
「違うよ! 新商品のゴムが、誰も試してないねって話になって」
「だから彼と里帆が?」
「違うってば、彼氏と使えって言われたんだけど……その」
「……なら、俺でいいのかな」
里帆は口をつぐむ。良いと、里帆が言ってしまっていいのかわからなかった。あくまで『恋人ごっこ』だからだ。
「なんで黙るんだ?」
「ううん……いいのかなって」
「いいに決まってんじゃん」
亘の手が頬を撫でる。するりと撫でられ、首筋にまで落ちてくる。いやらしい手つきにぞくりと震えた。
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