異世界ニルヤと都市長の花嫁

森野稀子

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08ー慈雨

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 風呂から上がると、俺たちの世話係に任命されたと思しき男の人が服を持ってきてくれた。絹のように表面に艶の浮く素材で、円形を多様した刺繍がふんだんに施されている。おめでたい日に着る衣装だそうだ。
 わずかに襟元が開いたところから、チュニックみたいに頭からかぶる。着た後は首元を締めて、とっくり型になる。上着とそろいのズボンをはいて、襟元にはネックレスをかけた。どことなく中国の古代王朝の衣装みたいで、フェイには抜群に似合っていた。
 夜になるにつれて、雨はほんのすこし弱まった。
 俺たちはまた牛車に乗せられて、アマミさまのいる宴会場へと運ばれる。世話係兼牛車の御者でもある人に、送迎の往復をさせてしまったことを申し訳なく思った。
「いいのかな? 労働は禁止だってアマミさまが言っていたのに。それに宴席まで設けてもらって」
 俺の言葉を聞きつけて、男の人がなにか返事をしてくれる。ニルヤ語の聞き取りはすこしできるらしい。ただしゃべるのは難しいので、返しはミジチ語だった。
「労働は禁止だけど、シュニャのもてなしはべつだそうだ」
 フェイが通訳してくれる。男の人は「ダ。ワガイ、シュニャウムトゥナシ」とフェイの通訳のあとに付け加える。「そうそう、シュニャのおもてなし」と言っているんだろうと、言葉はわからなくてもなんとなく通じるものがある。
 アマミさまのいた洞窟に向かうのとは反対方面に折れると、反り返った屋根を持つ大きな建物が見えてきた。集会や宴会に使われる場所なのだと、男の人が説明してくれた。
 建物まえで牛車が止まった。お礼を言って牛車を降りる。
 なかでは複数の人が忙しそうに立ち働いていた。俺たちと同じようなきらびやかな上着とズボンを身に纏った案内係に先導されて、ひとつの部屋に案内される。部屋には床の間のような一段高くなった場所が設けられていて、そこに机と椅子が二つ並んでいる。床の間から入り口に向かって設けられた花道を挟み、二列向かい合わせで机と椅子がずらりと並んでいた。
「ソラはここ」
 さきに到着していたアマミさまに案内されて、俺は床の間の真んなかに座らされた。
「俺がここでいいんですか?」
「いい。ここはシュニャの席」
 アマミさまは俺の右隣に腰を下ろす。
「本当に、ありがとうございます。こんな盛大な歓迎会をしてもらって」
「うん。私たちは飲むのが好き。だから、これはいい……」
 ニルヤ語での表現が思い浮かばなかったらしく、アマミさまがしばらく考える。
「口実になったってことですか?」
「そう、それ」
 俺が続きを引き取ると、我が意を得たりとほほえんだ。
 徐々に人があらわれて、向かい合わせになった席を埋めはじめる。年配の方が多かった。一人到来するごとに、アマミさまが座したまま軽く頭を垂れているところからして、この人たちは尊敬を集めるミジチの長老たちなのかもしれないと思った。対する若い人たちは回廊をばたばたと行き来して料理やお酒を運び、てきぱきと宴会の準備を進めている。
 きれいな絵付けのされた皿で、机に乗りきらないほどの料理が運ばれた。精巧な彫刻が施された調度品がいくつも置かれた部屋といい、全員が俺たちと同じような晴れ着を着ているところといい、この宴席はめったにないような特別な場なのだとひしひしと感じる。
 アマミさまが乾杯の音頭を取って、宴会がはじまった。贅を尽くした料理の数々に、高そうな甕に入った酒がまわされる。今日の宴会のために七年ものの甕を開けたと聞いて、恐縮しきりだった。
「アマミさま、本当にいいんですか? 俺はまだシュニャだと確定したわけじゃないのに」
 隣で杯をあおっているアマミさまにこっそりと尋ねた。こんなに盛大に歓迎してもらって、占いでシュニャではないことが確定してしまったらどうしよう。ミジチの人たちに期待をもたせたことが申し訳なくなる。
「いい。私も、長老たちもほぼ確信している。それに、あなたはシュニャだと信じて行動することが大事。信じるとシュニャになる」
 アマミさまによると、シュニャとは存在が定まっているものではなく、常に揺らいでいるものらしい。シュニャかどうかを決めるのは、シュニャ自身の意志。シュニャの可能性がある人が「自分はシュニャだ」と思い込めばシュニャだと確定するし、逆に「どうせ自分は違う」と思うとシュニャではなくなってしまうのだとか。だからこうしてあらかじめお祝いをして、もうすでにシュニャになったつもりにさせることも、シュニャをもてなすことの一貫なのだとか。
 まだシュニャでない人を、シュニャとして祝福する。シュニャ確定のお手伝いをしたということで、結果としてシュニャに対する奉仕にもなる。
 なんだかものすごく難しい宗教学だ。ニルヤの人ならすんなり理解できるんだろうかと、アマミさま側の列に座っているフェイとアッシュをちらりと見やった。フェイは無心で食べるのに夢中でこっちを見ない。アッシュは持ちまえのコミュ力の高さで、言葉が通じないはずの長老たちと話を弾ませていた。
「あなたはどちらがいい?」
 アマミさまに問われる。どの二択なのだろうと俺が返事に詰まっていると、アマミさまは言葉を付け足して再び問いかけた。
「シュニャか、シュニャではないか。どっち?」
「そう……ですね……」
 フェイ、アッシュ、ジャヒバル市長、アギト医師、そしてアマミさま。この世界で出会ったいろいろな人たちに、俺はシュニャと呼ばれてきた。
 そろそろ本当に決めなくてはいけない局面にいるのかもしれない。この世界に顕現したシュニャであることを受け入れるのか。それともたまたまこの世界に飛ばされただけなのか。
「もし本当に俺がシュニャだとしたら……。よかったなと思います。だってそのおかげで俺は、フェイとアッシュを外に連れ出すことができたんだから」
 フェイは妹と再会して、アッシュは最愛の人とあらためてお別れができた。もし彼らの苦しみをすこしでも軽くするのに役立てたとしたら、こんなにうれしいことはない。自分がシュニャでよかったと思う。
「そう。信じることが、大事」
 俺の返答に、アマミさまは丸い鼻先にしわを寄せて笑った。
 食事を楽しみつつ、花道で披露される歌と踊りの催し物を鑑賞する。背後で奏でられる弦楽器の音色が風雅だった。
「そういえば、アマミさま。来るときに神殿みたいな場所を通りました」
 強いお酒を飲んでも一向に顔色を変えないアマミさまがうなずく。
「うん。シュニャをお祀りする神殿。ミジチにいくつかある。雨がいやじゃなければ、案内する」
「そうなんですね。ぜひ、お願いします。それと、神殿の来歴をまとめた資料があったら借りられないでしょうか? どういう由来のある場所なのか知りたいんです。あとできれば、ニルヤの古代史も」
 シュニャであることを受け入れるための準備として、俺はニルヤの歴史を知る必要があると思ったのだ。ニルヤがいつ誕生して、どういう歴史をたどってきたのか。シュニャはいつごろから信仰されはじめて、人々にとってどういう存在だったのか。伝統を大切にするミジチなので、そうした資料もきちんと保管されているはずだと思われた。
 ところがアマミさまは眉間にしわを寄せて、気難しそうな顔をした。訊いてはいけないことを訊いてしまったのかもしれないと思い、俺はあせった。
「あ……。すみません、これってタブー……禁止事項でしたか?」
「いや、禁止ではない。ただ、コダイシとはなんだろう? 言葉がわからなくて」
「ああ、古代史っていうのは、大昔の出来事――歴史についてまとめた書物です」
 ほう、と目を丸くしたあとで、アマミさまは静かにうなずくと、意外な答えを口にした。
「そういうものはない」
「そういうものって……」
 俺はきょとんとする。
「あなたの言う、古い資料。ニルヤの過去を記した資料は、なにもない。神殿のことについても、なにも」
「ないんですか? 本としてまとまってなくてもいいんです。話を知っていそうな人から聞けるだけでも」
 アマミさまがやけにきっぱりと否定するので、ひょっとしたらミジチには文字がなくて、全部口伝なのかもしれないと思い当たった。アマミさまは軽く首を縦に振る。答えが肯定でも否定でも縦に振ることに気づいた。人の話を受け止めるのにまず、うなずくのだ。
「昔のことはだれも知らない。長老たちの祖父母世代の話なら聞けるかもしれない。でもそれ以上の昔はわからない」
 ミジチに資料がないのなら、階層都市に戻ったときにジャヒバル市長に聞いてみるしかないか。そう考えたところで――アマミさまがおどろくことを口にした。
「ニルヤがどうして誕生したのか。いつからあるのか。どうやっていまの都市ができたのか。知っている人はだれもいない。ミジチだけじゃない。ほかの都市の人も知らない」
「そうなんですか……?」
 そんなことって、ありえるんだろうか。
 ニルヤでは俺の世界ほど考古学が発達していなくて、過去について探求することがこれまでなかったのかもしれない。仮にそうだとしても、時点、時点で起きた出来事が記録されて、その記録が受け継がれていくのはごく自然なことに思えた。アマミさまの口ぶりだとそういった資料すら、ひとつも残されていないように聞こえた。
 すこし波立った気持ちを調えるように、俺はお茶をすすった。古きよきものを大事にしていそうなミジチにすら、ニルヤの歴史がわかりそうなものがない。ミジチが特殊なわけではなくて、ニルヤ全体的にニルヤ史を残す意識が希薄みたいだ。
 宴もたけなわのうちにお開きになり、帰りも牛車で邸宅まで送り届けてもらった。
 アッシュはほろ酔いで、足下をややふらつかせながら上機嫌で部屋に戻っていった。俺は当然のことながら、肩をがっちり抱かれてフェイの部屋に連れ込まれる。フェイもすこし飲んだみたいで、体温がいつもより高い。
 部屋には火を灯した蝋燭がいくつも置かれていた。部屋の支度をしてくれた人が俺たちの帰宅に合わせて点灯しておいてくれたのだろう。
「やっと、二人きり」
 フェイが背後から抱きついてきた。なんだか舌っ足らずで、鼻にかかった声が甘さを含んでいて、いつもよりも色っぽい。
「あの、フェイ……」
 俺は困って、腕のなかで身じろぎをした。好意を寄せられている人と部屋に二人きりだ。このあとになにが起こるか、簡単に想像がつく。
「ねえ、ソラ」
 あいかわらず俺にべったりと抱きついていたけれど、フェイの声色がやや背筋が伸びたように芯がとおったものになる。
「俺に興味がなかったら、早めにそう言って。俺は嫉妬深いし、独占欲が強いし、あきらめが悪いから。はっきり拒絶されない限り、しつこいよ」
「……フェイ……」
「でも、ソラがすこしでも俺に興味があるのなら、俺にチャンスをくれない? ソラがいやがることはしないから」
「うん……」
 俺はうなずく。
「俺もフェイのことは……好きだよ。ただ……自分から人を好きになった経験がないから。どうしたらいいのか、よくわからなくて」
「え、そうなの……?」
 フェイがくるりと俺を振り向かせる。
「うん。あ、結婚詐欺というか、恋愛詐欺みたいなことはしてたけど。あれはうわべだけの知識で相手が喜びそうなことをしてただけだから。いざ自分のこととなると……」
「そうじゃなくて」
 フェイは怒っているみたいに首を振る。
「俺のこと、好き? それ、本当?」
「う、うん……。本当だよ」
「なんで? どこが好き? いつから好きなの?」
 フェイの鼻息が荒い気がする。こんなに必死になるなんて、とおかしいやら、ちょっと怖いやらだ。
「最初は……。かっこいいし、さりげなく優しくて、いい人だなって思ったよ。それから、フェイに迫られてすごくドキドキして……。俺、男の人を好きになれるとは思わなかったから、自分でもちょっとびっくりだったけど。これ、好きってことだよね?」
「そうだよ。錯覚でもいいから、好きだって思ってて」
 フェイは真剣な顔で、催眠術師みたいに俺を都合のいいほうに誘導しようとする。どうして俺なんかに必死になってくれるんだろうって、申し訳なくなる。でも同時に、うれしくて自然と口元がにやける。
「フェイを好きな理由、もうひとつあって」
 フェイは真剣な顔をして聞き入っている。俺の言うことをひと言も漏らすまいとする姿勢は、ようやく両思いになれたという喜びのあらわれだ。
「この人はどうしてこんなふうに寂しそうに笑うんだろうって、ずっと気になってたんだ。さっきここで話をして、フェイがどうして寂しかったのかよくわかった。だからなんていうか……。フェイが、もう寂しくないようにしてあげたいなって思ったんだ」
 フェイの寂しさに寄り添える人が、この世で俺だけだったらいいのに。そんな馬鹿なことさえ考えた。これって独占欲だろうか。
 ほんのりと蝋燭に照らされたフェイが、はっと息を詰めるのがわかった。
「……俺、なにか変なこと言った?」
「ちがうよ」
 フェイは俺を抱き上げて、布団まで運ぶ。
「そんな最高の口説き文句を口にされたら、もう我慢できないでしょ」
「口説き文句!?」
 正直な思いを吐露しただけで、口説いたつもりはなかったのに。
 俺を布団に転がすと、フェイが唇をふさいできた。何度も口をつけて、そのうちに舌を絡ませる。はじめて口内で感じる、他人の舌。俺を懐柔するような、ねっとりとした動きをいやらしいものに感じてしまって、頭がくらくらした。
「フェイ、まっ、て……」
 ゆっくりと舌をからませているだけなのに、息が苦しい。俺は唇が離れたすきに息継ぎをする。
「苦しい? 酸欠になりそうなくらい、してあげるね」
 フェイは優しく宣言して、一向にキスをやめる気配がない。口づけしながら俺の首元のボタンをはずしにかかるのを、手の動きで感じた。フェイはようやく顔を離すと手を交差して自分の服をめくり上げて、上半身裸になる。ズボンも脱ぐと、俺の服も剥ぎ取りにかかった。フェイの脚の間にあるものが、早くもほんのりと上向きになっているのを見てしまって、目のやり場に困った。
「傷、痛む?」
 これからけっこう激しい動きをすることになるのに、大丈夫だろうか。俺はそっとフェイの肩の銃創に触れた。傷は塞がっていたけれど、かさぶたができかけなので、まだ絆創膏で押さえてある。
「痛みはもう平気。ここより、古傷のほうが気になるかな。雨だから」
「ああ……。雨が降ると、気圧の関係で古傷が痛むことがあるって聞いたことがある。痛い? ここ……?」
 俺はフェイの腕にそっと触れた。腕にも、胸にも、腹にも。フェイの体のいたるところに、ひきつれた線が残っている。
「うん、傷痕がうずく感じ。でも、ソラがキスしてくれたら治るかも」
「も、もう……。変なこと言わないで」
「変なことじゃないよ。キスして?」
 このうえなく優しい笑顔のフェイにねだられて、俺は目立つ傷痕に軽く唇を触れさせた。
「そこは、ナイフを使った対人訓練で切られたところ。そこは誤射された銃弾がかすめたところ。あと、そこは……なんだっけ。忘れた。子どものときに自転車で遊んでいて、転んですりむいたところかも」
 フェイに導かれるまま、俺は傷痕に唇を触れる。色気もなにもなく、軽く唇をつけては離しているだけだ。自分でもぎこちなさすぎて気まずい。あまりのぎこちなさに、フェイもほほえましさとこそばゆさの中間のような気持ちで見守っているのかもしれないと思うと、かなり照れくさかった。
「いい気持ち。じゃあ俺も、ソラのこと気持ちよくしてあげるね」
 フェイは俺の耳、首、肩に順番に口づける。ちゅ、と唇で吸着する音をわざと大きく、長く残すような粘着質なやり方だった。気持ちよくするにはこうやって、とお手本を示されているような気がした。
「ここも。俺が開発してあげる」
 とんとん、とフェイは俺の胸を指で軽く叩く。
「開発って……。そんな、ところ……」
 気持ちよくなるわけない。ちょっと笑って受け流そうと思ったのに。
 丸い部分にフェイの唇が触れた瞬間に、これまでに感じたことのない電流が体に走った。
 俺の反応が楽しいのか、フェイが意地悪くほほえむ。
「ここだけでいけちゃうようになるから」
「……あっ……!」
 フェイは丸い突起にかぷりとかじりついて、舌でねっとりとねぶる。ゆっくりと、執拗に。何度も舌で表面をなぞられて、弱く吸い付かれて、そのつど、きゅんと胸の奥が切なくなるような重たい痺れが、なぜか下半身に溜まっていく。
「フェイ……、それ、や……」
 本当はいやじゃないけれど、自分の体の変化に戸惑って、拒絶したくなってしまう。
「怖がらないで。気持ちいいこと全部、受け入れて」
「でも、俺……」
 フェイの舌で誘導されて、ずく、ずくと下半身に血流が集まって、痛いくらいだった。どうして乳首を舐められただけで、こんなに感じてしまうんだろう。自分の体の変化に、戸惑いしかない。
「ここ、触られたことない? 自分でも触らない?」
 俺はふるふると頭を振る。
「本当に? 見て。こんなにぷっくりふくらんでるのに。これがはじめてならソラって……ずいぶんいい体してるね」
 からかうように言われて、かーっと顔が火照った。
「でも、俺……。こ、こういうことするの、はじめてだから……っ。だから勝手がわからないし、あんまりからかわれると、困っちゃうよ……」
「馬鹿なの、ソラは」
 ば、馬鹿? どうして罵られるんだろう。はあーっとフェイがあきれたようにため息を吐く。
「そんなふうに煽られたら、よけいに困らせたくなるだけだろ? っていうか、本当にはじめて? 見た目も言うこともかわいいのに、よくいままで無事でいられたよね」
 ああ。フェイの「馬鹿」は、どうやら俺の不用意な発言に捧げられた罵倒だったらしい。罵倒というよりは、俺をかわいく思う気持ちの高ぶりに困った末の魂のシャウトみたいなものか。
「もう、俺、煽ってないよ……」
「だから、涙目でそういうこと言わないで」
 フェイがきゅっと目を細めて、俺をにらむように見つめる。俺のひと言、ひと言が、フェイのセンサーに触れてしまうらしい。部屋のなかに縦横無尽に糸が張り巡らされて、動作ごとにいちいち引っかかってしまう罠のなかを進まされている気分になる。
「でも、まあいいか。これからは俺がたくさん気持ちよくして、俺なしじゃいられない体にしてあげるから」
「フェイ……」
 にっと自信ありげに笑うフェイ。うーん、さっきからこの自信はどこから湧いて出てくるんだろう……。それに聞いているほうが恥ずかしくなってしまうような、とんでもなく甘さ濃厚な台詞も。とびきり甘い台詞が朴念仁みたいな容貌のフェイから発せられると、イメージとの落差で効果倍増だ。
「続き、していいよね?」
 フェイはまた俺の、敏感になった場所に唇を触れさせる。時々、指で押しつぶすように触ったりもする。びり、びり、と電流は俺の下半身を刺激しつづけて、血が集まりすぎて痛いくらいだった。
「ソラ」
 フェイはやっと胸から口を離して、一歩ずつ下がりながら俺のわき腹、内ももに口をつける。皮膚の薄いところに触れられて、皮膚がぞくん、と震えた。
「あ……っ、なんか、くすぐった……」
「くすぐったいところって、気持ちいいところなんだって」
 フェイが笑って、軽く息が下半身にかかる。その吐息ですら感じてしまって、俺は体を震わせた。
「ここ、すごいことになってるね」
「ひあ、あっ……!」
 フェイが前触れなく、俺の体の中心に手を触れた。親指を丸みを帯びた部分に触れさせて、くるくると円を描くように指でこねる。そこは、自分でも恥ずかしいくらいに液体がにじんでしまっていた。フェイが指の腹で孤を描くと、ねっとりと濡れた感触が広がった。
「ねえ、なにか感じる?」
 俺の中心で遊んでいたフェイがふと、お腹に手のひらを当てた。
「……? フェイの手、あったかくて気持ちいいよ……?」
「そう? それならよかった。でも、もっと深いところで、なにか感じない?」
 フェイが手で軽く、お腹を押すようにする。そうされた瞬間、ずん、と体の奥にある小さい泉が、揺れたみたいになった。
「なに……」
「ああ、あるね。大丈夫そう」
 フェイが手を下腹部に押しつけたまま、軽くゆらゆらと動かす。俺の体の深いところにあるなにかを、呼び起こそうとするみたいに。
 一体どうしてと思うのに。俺の下半身はさっきから兆しっぱなしで、フェイが手を当てて揺らすたびに、動きに合わせてきゅん、と震えた。
「シュニャ」
 フェイがまたその神の名をつぶやく。
「大丈夫。ソラはちゃんと、シュニャに変化してるよ。体の奥に、子宮ができてる」
「し、きゅうって……」
 なに、言い出すの……。俺は目を白黒とさせた。フェイは俺を安心させるように頭をなでる。
「シュニャは都市長の花嫁になる。だから都市長を受け入れるための体に変化するんだよ。マスターシステムの鍵になるためにね」
 またシステムと宗教的儀礼とが絶妙に混ざり合った独特の概念が登場して、頭がくらりとする。そんな超常現象が俺の体に起こるなんて。
「フェイ、俺……どうなっちゃうの……?」
「平気。気持ちよくなるだけ。ほら、こっちきて」
 俺はぐいっと腕を引っ張られて、横から抱きつかれた。フェイと体を重ね合い、腕のなかに収められる。
「ねえ、ソラ。わかる……?」
 フェイがそっと指を触れたので、俺にもわかった。後ろからとろりと、蜜みたいなものが流れ出している。
「え、あ……」
「子宮のあるところから出てるんだよ。かわいいね。俺のことほしいって、言ってるみたい」
 フェイが指を触れたのは――男性同士だとそこを使うということは知識として知っていたけれど。でも、色々と事前準備が必要だったはずの場所だ。とろとろとした液体で勝手になかが潤って、フェイを受け入れるための場所になっている。
「ソラ……」
 フェイがとびきり甘い声でささやいて、俺の胸の尖りをきゅっとつまむ。
「あん……っ」
「は……。さっきよりかわいい声が出たね」
 興奮を帯びた息が耳にかかる。
「俺のことほしくて、たまらないって言わせてみせるから」
 そう言うとフェイは指をそっと、蜜で濡れた部分に侵入させた。自分の体なのに信じられないほどやわらかくほぐれていて、フェイの指をあっさりと飲み込んでしまう。
「あ……あ……フェイ……」
「平気。かわいいね。こっちも触ろうか? いい子であえいでて」
「ああ……っ……」
 立ち上がったまま触れられていなかった場所も反対側の手で握られて、俺は苦しげにうめいた。解放されずに放置されていた部分は、触られて痛いほどだった。
 でも痛みだけではなくて。自分の声に、媚びるような切ない響きが混ざるのを俺は感じていた。
 フェイは俺をこわがらせないように、そっと手順を進める。臀部に熱いものが触れていて、フェイがはち切れそうなほどに興奮していることがわかる。獰猛な獣を必死で内に収めて、俺のために奉仕を続けるフェイからただよう、危険で甘い香りに全身がぞくぞくと震えた。
 フェイの指が、体の奥に差し込まれて震える。その振動で俺の奥に眠る獣も、呼び起こそうとしているみたいに。
「フェイッ……! それ、や――」
 深い部分からじんわりと、背徳的な波紋が広がるのを感じて、俺は悶絶した。これ以上、ここで感じてしまったら。自分が完全に獣へと変貌してしまう気がした。
「子宮に伝わるから、やなの? 俺のだと入り口まで届いちゃうかもしれないね」
 フェイは一向に手の動きを休めてくれない。
「ああんっ、フェイ、それやだよおっ……。へん、へんなの……」
「はは、手がびしゃびしゃだ。まえも後ろも」
 筒型にしたフェイの手が、ちゅくちゅくと湿った音を響かせながら上下運動を続けている。うしろに挿入した指も二本に増やされて、内側の壁をこするようにばらばらに動かされた。どちらからも、じゅ、と分泌液がにじんで、フェイの手を濡らす。
「あ、あ――っ」
 これ以上、俺に触らないで。もっとひどくして、激しくしてって、みっともなくねだってしまいそうだから。
「ソラ、顔が見たい」
 フェイの手で一方的に追い立てられていた、嵐のような激しさが一時止んだ。俺の上からフェイが覆い被さってくる。脚を高くあげて、両脚の間にフェイの腰を挟み込んだ。
「ここ、入れるね」
 俺がわずかにうなずいたのを確認すると、フェイがゆっくりと腰を進めてきた。指とは比較にならない質量と熱さ。人の体を直接、自分の体の奥で感じる。いままで味わったことのないだれかとの直接的な触れ合いに、俺は全身を震わせた。
 フェイが腰を引いてはまた奥に突き入れる。でも、がつがつと乱暴にするような動きではない。体の最深部に振動を伝えるような、じっくりと優しい動きだった。じわ、じわと熱波のような気持ちよさが伝播して、俺の全身が熱くなる。
「ああ……フェイ……」
 俺はフェイの肩にぎゅっとすがりついた。
「ソラは俺のもの。ここに入れるのは、俺だけ」
 独占欲を剥き出しで、フェイは満足そうに俺を抱きしめ返した。めずらしく汗ばんでいる。額を汗で湿らせながら、ふっと不敵にほほえむ顔が格好いいなと思った。
 引いてはまた寄せる波のような動きで、俺はじわじわと、どこかへと投げ出される境界へと運ばれていく。
 フェイが体勢を変える。上半身を起こして、俺の脚を抱え上げ、たん、たんとリズミカルに腰を打ち付けてくる。熟しすぎて、軽く押しただけでどろりと果汁がしみ出すような内壁のやわらかいところをこすられて、一段高いところまで連れていかれた俺は、シーツをつかみながら悶絶した。
「くぅ……あっ……あっ……あ~……っ!」
「いい声。もっと聞かせてね」
 まなざしひとつで俺を服従させる悪魔みたいに蠱惑的にほほえんで、髪をかき上げるフェイからは凄絶な色香が薫ってくる。それはバニラみたいにとても濃厚な甘さで……。甘いなかにも煙草みたいにぴりっとした、スリリングなにおいを感じる。その甘くて濃密な香りは俺の頭にかすみをかけて、いとも簡単に理性を消し去ってしまう。
「フェイ……。俺、もう……お、お願い……。さっきから、痛くて……」
 脚を曲げて大きく開かされているから、体の中心にあるものが丸見えになっている。それは体を揺さぶられるたびにふるふると頼りなく震える。まえも後ろもぐずぐずにとろけすぎていた。フェイが腰を振るときの振動で、震える俺の中心からあたりに粘液が散ってしまっているのではと錯覚して、恥ずかしかった。でも全身からくたりと力が抜けた俺は、もう手で隠す余裕もなくて、解放を懇願することしかできない。あまりに苦しいので自分で出してしまおうかと思って手を伸ばしかけたけれど、その手をやんわりとフェイに押さえつけられた。
「だーめ。俺なしではいられない体になる訓練だから。できれば触らずにいって」
「え、や……。意地悪……っ」
 抗議する俺の頭を、フェイはぽんぽんとなでる。仕草は優しいのに、行動が優しくない。フェイはちょっとサディストの気があるのかもしれない。
「意地悪かな? 言ったでしょ。俺は嫉妬深くて、独占欲が強くて、あきらめも悪いんだって。せっかくソラの声、すごくかわいくなってきたら。たぶん触らなくてもいけるよ」
 ひょっとして俺、ものすごく厄介な人に好かれちゃったのかな……。
 捕食者に捕らえられた瞬間のあきらめは、このうえなく甘美なものかもしれない。俺は蜘蛛の巣にかかった蝶の気持ちを勝手に夢想して、体を震わせた。
 フェイがぐっと一段と深いところまで入り込み、腰を密着させた状態で俺をゆさぶる。
「あ――あああっ……――」
 とん、とん、と俺の体の奥にフェイが触れる。がくがくと脚が震えるほどの気持ちよさだった。
「当たったね。俺も気持ちいいよ」
 フェイの先端が当たったのは、形成しはじめた俺の――子宮なのだろう。じゅわっとあたたかいものが内部で広がり、フェイを飲み込んだ部分がきゅんと収縮した。
「いやあ、フェイ……っ。俺、俺、へんになっちゃうよお……」
「いいよ。ここも、触ってあげるね」
 フェイが胸の赤いところをきゅ、とつまんだ瞬間。体の奥で疼いていたものが一気に爆発した。
「あっ、あ……あああああ……!」
 体の奥が締まって、きゅうきゅうとフェイのものを締め付けている。自分ではまるでコントロールできなかった。とろっとお腹のうえになまあたたかい液体がかかる。それでとうとう、手を触れずに爆ぜてしまったんだと自覚した。
 達したあとなのに体のうずきが収まらない。フェイが俺のなかに硬いものを突き入れるたびに、受け入れている場所がきゅうっと収縮して、じわ、じわ、と気持ちよさの波紋がいつまでも残って、俺に耐えがたいむずがゆさにも似た快楽を与え続けた。
「ふっ、フェイ……。俺、やだあ……。気持ちいいの、止まらなくて……」
 触れられずに達したことにびっくりして、快楽の残りがなかなか引かないことにもまた、どう対処したらいいのかわからなくて。俺はひく、ひくと声を震わせながらフェイに訴える。
 ぐっ、とフェイが低くうめいたかと思うと、腰を何度か強く打ち付けて、体を震わせながらしばらく静止していた。体の奥にとろとろとあたたかいものが流れているのを感じる。フェイが達したのだ。俺のなかで。
 しばらくすると落ち着いたのか、
「だからさ……そういうところなんだけど」
 とフェイは憤っているみたいにつぶやいて、ばたりと倒れて俺に覆い被さってきた。汗ばんだその背中を、俺はそっとなでる。
「そういうところって……。俺、また糸に引っかかったの?」
「糸?」
 吐精の疲れから、フェイはぐったりとした声ながらも、文脈が不明であろう俺のひと言に律儀に反応する。
「なんでもない。俺、フェイのセンサーすぐ引っかかっちゃうみたいだけど……。でも、相手はフェイだけだから、なにも問題ないよね」
 俺がほほえむとフェイは、「もう降参」とまた怒っているみたいに言って、それから困ったようにすこしほほえんだ。
 翌朝もまだ、雨が降っていた。眠る直前まで雨音を聞いていた。きっとひと晩中、降り続いていたのだろう。いつ上がるのかわからないとアマミさまが言っていた長い雨。
 隣で眠るフェイに目を向ける。体を横にかたむけて、保護するように俺に片腕を被せて、肩を上下させて寝ていた。
 フェイがこんなふうに、ちゃんと眠るところをはじめて見た気がする。それでちょっと安心した。フェイはいつも、息をしていないんじゃないかって心配になるような眠り方をするから。
 俺が凝視していたせいか。フェイがふと目を開いた。
「……おはよう、お姫さま」
 まだ眠たそうな声でそう言って、俺にすり寄る。また目を閉じて、俺のことを抱きしめながら、眠りと現実の間をたゆたっているみたいだった。
「お姫さま、なんて。アッシュみたいなこと言うんだね」
「らしくないでしょ? 俺もあいつみたいに、口説き文句が上手だったらよかったね」
 そんな。昨日さんざん甘い台詞で俺を悶絶させた人の言うこととは思えない。
「フェイは口説き文句、上手だよ?」
「そう? ならよかった」
 抱きついてくるフェイからはほんのりと石鹸の香りがした。
「傷、今日も痛む?」
 外はずっと雨だ。いつやむのかも、わからない。俺は一番間近にあった二の腕の裂傷痕にそっと触れた。これも古い傷のはずなのにくっきりと痕が残っている。相当深く切ったのだろう。
「ちょっとうずくかな。でも、これからは大丈夫。だってソラが一緒に寝てくれるから。痛みなんて、忘れちゃうね」
 安心したように笑いを含んだ声で言って、フェイはぎゅっと俺に抱きついた。

 毎日雨降りでも、ミジチ滞在は楽しかった。アマミさまに伴われて、あちこちの神殿を訪れたり、岩肌に蔓が生い茂り、清涼な水が降り注ぐ滝壺を見に行ったりする。ひさしぶりに訪れた休暇みたいだった。
「ミジチはうつくしいところですね」
「そうね」
 俺がすなおな感想を述べると、アマミさまは誇らしげにほほえんだ。ほほえんだあとで言った。
「でも、この景色をあと何年見ることができるか。ミジチの水は涸れてしまうから」
「水が涸れる? どうしてです?」
 これほど清浄な水に満たされた場所なのに。いまもまだ雨が降り続いているのに。潤沢な水が涸れてしまうなんて信じがたい。
「ミジチの都市機能が壊れているせい。砂地が広がっている」
「それって、マスターシステムのエラーのせいですか」
 アマミさまがうなずく。
 ミジチはマスターシステムの不具合とは無縁の土地だと思っていた。でも、ここも例外ではない。このさき到来する苦難に思いを馳せているのか、アマミさまの顔つきが険しくなる。
「ミジチの人たちはどうなるんですか。ここを、離れないといけなくなりますか……?」
 水に満たされたうつくしい故郷を去らなければならないかもしれない。アマミさまは険しい表情を元に戻して、うなずく。
「砂地が広がり続ければ、そうなる。でも、そうならないようにするため、あなたが来た。都市機能を正常に戻すため」
 シュニャ。そうつぶやいて、アマミさまはその場で膝をつき俺に頭を垂れた。
 昼はアマミさまに伴われてミジチ観光。夜はプチ宴会のような豪華な夕食。お湯に浸かって、やわらかな布団で眠る。こんなにくつろいでいいのかと恐縮するほど、俺たちは羽根を伸ばしに伸ばした。眠るのは当然、フェイに抱かれたあとだ。直前までは、「さすがに今晩はことわろう」と考えているんだけれど、飼い主に体をすり寄せる猫みたいにフェイが甘えてくるので、ついほだされてしまう。俺の決意はなし崩しにさんざんあえがされて、疲れたころに自然に眠る。自堕落極まれりだ。
 ある朝目覚めると、さきに起きだしたフェイが机でなにか作業をしていた。はだけた肌に軽くシャツを羽織り、下はミジチ伝統衣装のゆったりとしたズボンを穿いているところが、なにかの職人みたいだった。
「フェイ、なにしてるの?」
 俺も着替えて机に近づく。フェイは黒くて丸い、楕円形をしたものにビスを留めている最中だった。フェイが顔を上げる。
「ソラへの贈り物。もうすぐ完成だから、待ってて」
 フェイはカメオのような小型の物体をつまみ上げて、俺に見せた。
 それは俺への、愛の証。
「フェイ、ありがと」
 俺はフェイの頬に唇を寄せて、口づけをした。
 ミジチでのゆるんだ生活で精神的にリラックスできたのがよかったのか。毎晩のように夢を見た。夢の内容に一貫性はなく、ひと晩に何度か場面が切り替わることもある。
 身近な人物だからか、夢にはフェイとアッシュがよく登場した。それも、まえに学校を舞台にした夢を見たときみたいに、その時々のシチュエーションで意外な登場の仕方をする。なかでも傑作だったのは俺が館の主人で、二人が俺にかしづく執事たちだった夢だ。日頃から気にかけてもらっている延長でそんな夢を見たんだろう。
 それから、元の世界のことも夢に見た。
 俺はスーツを着ていた。どうやら会社帰りらしい。オフィスから自宅アパートまでの道のりを歩いている。手には炭酸水を入れたビニール袋を提げていた。
 ああ、そうか。炭酸水でぴんと来た。これは入社式の帰りか。新人たちとの飲み会あとで気分をすっきりさせたくて、途中のコンビニで買ったのだ。
 夢のなかのはずなのに。頬をなでる春の夕方のすこし冷えた風の感触や、靴で地面を踏みしめたときの感触がやけにリアルだ。過去に舞い戻ったんだと錯覚をしてしまいそうになる。
 あの角を折れてしばらく進むと、俺の住んでいたアパートが見えてくる。元の世界のことで最後に覚えているのはここまでだ。夢のなかの俺はまだ帰路を歩み続けている。まるでそのさきに、なにかたしかめなければいけないことでもあるみたいに。
 夢のなかの出来事が自分の意のままになる。こういうのって、明晰夢って呼ぶんだっけ。このままアパートへの道を歩めば、俺がどうしてニルヤに飛ばされたのか、夢が教えてくれるのかもしれない。
 アパートが見えた。俺が住んでいたのは二階の真んなかの部屋だ。階段を上がる。
 部屋のまえには人がいた。その人はゆっくりと、俺に顔を向ける。
 おどろいた俺は、手に提げていたビニール袋を取り落とした。
「……っ!」
 フェイの腕のなかで、俺は目を覚ました。体が痙攣して、目が覚めてしまったのだ。
「……どうしたの……?」
 俺の動きにつられてフェイも起きてしまったみたいだ。寝起き特有のかすれた声で俺を気遣う。
「……なんでもない。ごめん、起こしちゃって」
「いいよ。もうすこしだけ、寝よ?」
 フェイは俺を安心させるように、右腕で包み込む。背中に感じるフェイの体温で、すこしリラックスすることができた。外はまだ薄暗く、夜が明けきらない。雨はまだ降り続いている。でも数日まえに比べると、雨音が格段に優しくなった。雨上がりも近いのだろう。

 十日間、降り続いた雨がようやく上がった。とうとう、占いができるのだ。
 朝から邸宅まえに、牛車の迎えがやってきた。俺はフェイ、アッシュとともに荷台に乗り込む。三人とも、借り物のミジチの伝統衣装を着ている。ミジチの服は天然素材で織られていて、身ごろもたっぷりとられて、とても着心地がいい。滞在仲につい手が伸びてしまうのだ。
 アマミさまの執務室につながる、洞穴まえで下車した。
「ソラ、待っていた」
 占いをするときの正装に身を包んだアマミさまが、水辺で俺たちを出迎えてくれた。傍らにはフェイの妹さんもいる。必要なときに通訳してくれるのだろう。
「では、座って」
 敷物を敷いた上にあぐらで座る。小机を挟み、アマミさまが反対側に座った。フェイとアッシュは左右から俺を挟んで座る。
 アマミさまは植物の根っこのようなものに熱した金属棒の先端を押しつける。
「熱したときの割れ方で占うのよ」
 アマミさまの集中をさまたげないように、カオヤンが小声で解説をしてくれた。
 木の根の割れ具合をしばらく見つめていたアマミさまは、今度は絵柄の描かれたカードをめくって、出た手札の意味を読み解いたり、色つきの石を不思議な図柄の描かれたテーブルクロスの上に放って、転がった位置を真剣にながめたりしている。
 複数の占いを組み合わせて、ひとつひとつ、結果を吟味していたアマミさま。無言の時間がしばらく続いたあとで言った。
「結果が出た」
 入学試験の合格発表は、いまと同じくらい緊張するんだろうか。いよいよ俺が、シュニャかどうか確定する。俺だけじゃなくて、フェイとアッシュもごくりと唾を飲み込んだ気配がした。
 ところが。まえのめりになった俺たち三人に足払いを食らわせて裏切るかのように。アマミさまは予想もしなかった答えを口にした。
「結果は……わからない」
「わからない……?」
 占いの結果を確認するために、ずっと目を伏せていたアマミさまがはじめて顔を上げた。大きな二つの双眸が俺を見つめる。
「占いでは、あなたはシュニャかもしれないし、そうではないかもしれないと出た。ただ、あなたの話を聞く限り、あなたはシュニャで間違いない」
 もうすこし詳細を付け加える必要があると思ったのだろう。ここでアマミさまはカオヤンにミジチ語で話しかけた。アマミさまの話を聞き取ったカオヤンが通訳をしてくれる。
「聞き取りによる判断と占いの結果が一致しないんですって。この結果をどう解釈したらいいのか、アマミさま自身も判断がつかないみたい」
「じゃあ、もう一度占ってもらうのはどうでしょう。だめですか?」
 カオヤンはふう、とため息をついて首を振る。
「アマミさまは、すでに何回か占いをやりなおしたあとなのよ。それでも、結果が変わらなかったんですって」
「そんな……」
 シュニャではないと否定されるのも落胆するけれど、わからないと言われるのも似たようながっかり感がある。がっかり感というよりは、ここまで待ったのにはっきりしないのに焦れる感じか。
「たぶん……あなたに迷いがあるから」
 アマミさまがニルヤ語で話しはじめる。
「シュニャの存在は揺らいでいる。あなたが、自分はシュニャなのだと決めないといけない。あなたの心に迷いがある。だから占いの結果が定まらない」
 俺がまだ、シュニャになる覚悟ができていないから。だから占いでは、俺がシュニャだと確定しない。
「俺は……」
 まったく迷いがないかと言われると、自信を持ってうなずけない。でも、逃げ出したいほどの重圧を感じているかと訊かれると、そこまでじゃないと否定できる。
「この世界の神さまになって……都市の命運を変えるんだと考えたら……それなりに重圧はあります。でも、俺がシュニャであることで救われる人たちがいるのなら、使命をまっとうしたいと思うんです」
 フェイとアッシュの心のしこりを解消する手伝いができたように、今度は都市を正常化しようとするジャヒバル市長の役に立てるかもしれない。なんらかの方法で砂地にいる人たちが都市に戻れるように諮っていくことも、シュニャである俺にならできるかもしれない。
「そういう気持ちではまだ、シュニャになるための覚悟としては足りないんでしょうか」
 アマミさまは大きな双眸でじっと俺の目を見つめる。まるで俺の瞳のなかに、答えが書いてあるかのように。
「……あなたの気持ちはわかった。覚悟はじゅうぶん。問題は迷い。揺らぐのは、迷いがあるから。どうしてシュニャであることを迷うのか。原因を見つけて。答えはあなたのなかにしかない」
「俺のなか……」
 アマミさまは確信を持ち、俺の心を見透かすようなことを言う。俺は所在なげに視線を逸らした。アマミさまの大きな目からは逃れられても、俺自身が本当におそれていることからは、逃げられるわけじゃないのに。
 覚悟ができていると言ったのは嘘じゃない。でも、その覚悟をもってしても振り切れない迷いをまた抱えている。俺はこの世界の神になることを迷っている。元の世界で、やり残してきたことがあるからだ。
 ニルヤにやって来られて、もう大丈夫だと思った。でも、これまで見て見ぬふりをしてきただけだ。俺はやっぱり、俺を苦しめるある事柄からは逃れられない。だからあんな夢を見たんだ。夢に見るまで、俺はあの日、あのとき、あの場所で、その人と会ったことさえ忘れていたのに。
 アマミさまの指摘に心当たりがあった俺は、きゅっと唇を噛みしめた。
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