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父と娘 タンデルムとヴィオルガ

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 次の日。ヴィオルガは皇帝タンデルムが王宮内の自室にいる事を確認し、その部屋を訪ねた。通常であれば事前の約束が必要だが、娘であるためその辺りの融通は効く。

 火急の要件である事を伝え、部屋へと入る。ちなみに理玖はお留守番だ。さすがに自らの護衛とはいえ、何の約束も無い皇国人を連れて行く事はできない。

「おう、どうしたオルガ! こう見えて俺は今、忙しいぞ!」

 ガハハハッといつもの様に笑いながらタンデルムは答えた。本当に忙しくてもそれを決して顔に出さず、声はいつも意識して元気を装っている事を、ヴィオルガはよく理解している。

「お疲れのところすみません、陛下」
「堅いな。ここは俺の私室、今は二人だけだ。昔の様にパパって呼んでも良いぞ!」
「急ぎお耳に入れたい事がございます、陛下」
「う……うむ……」

 ヴィオルガは皇国で今、取り組まれている事について話し始める。自分で見聞きした内容であり、その話には具体性があった。

「前にも申しておったな。皇国も幻獣大量発生に備えて動いておると。その鍵を握るのは皇国の姫か」
「はい。私もこの目で見聞きし、信じるに足る策だと確信しております。しかし皇国だけでは人的にも資源的にも不足しております。ここは帝国、皇国ともに力を合わせて乗り越えるべきです」
「本当にそれで幻獣の大量発生が恒久的に止められるのなら、それは素晴らしい事だろう。だが皇国の姫はどの様にしてそれを成すというのだ? まさか証拠も無しに、皇国の言う事を鵜呑みにしている訳ではあるまい?」

 ヴィオルガがこれまでタンデルムに具体的な話をしてこなかったのは、この部分の説明が困難だからだ。

 ヴィオルガが万葉に、幻獣の大量発生を止められる可能性があると信じている根拠。それは理玖の存在にある。六王以来となる大精霊の契約者、理玖が明確な根拠を示しているのだ。それ以上の証拠は不要である。

 しかしこの事をタンデルムに告げるにはリスクが大きい。下手に広まれば、帝国という体制を揺るがしかねない。理玖自身、それは望んでいないし、皇国側も望んでいないだろう。

「……いずれ時期がくれば、根拠はお示しいたします。皇国側から情報の共有もございましょう。ですが皇国の取り組みに帝国も関与せねば、将来帝国は難しい立場に立たされる可能性もございます」
「今は話せないが、お前なりの根拠はあるという事か。分かっておろうが、証拠も無しに帝国として動く事はできんぞ」
「わかっています。ですがこれからの展望次第では、証拠があっても動けなくなる可能性もあります」

 タンデルムはヴィオルガが何を言おうとしているのか、その輪郭を感じ取った。このままグライアン、パスカエル政権になれば皇国の策には協力しないであろう事を懸念しているのだ。

「我が国では、幻獣への対策はパスカエルに一任しておる。王族からはグライアンも協力者として関与しておる。当然、帝国としてはパスカエルに協力するのが筋であろう。だからこそ皇国の策を支援するには、具体的な証拠が必要になるのだ。それもパスカエルの提唱する取り組みを上回ると、誰もが理解できる証拠が」
「あの男がどれほど非人道的な研究をしてきたのか、シュド王からの訴えにもあったはずです。陛下も全く気付いていなかった訳ではないでしょう!?」
「……その件にしても証拠はない」
「本気で言っているのですか……!? これまであの男の研究のために、どれだけ多くの人命が失われてきたか! オウス・ヘクセライの調査でも、あの死刃衆と何らかの繋がりがあったのでは、と容疑がかかっております」
「それも証拠はあるまい」
「証拠証拠……! 確かに証拠は大事です! しかし帝国を預かる王族たる者、時にリスクを承知で動かねばならぬ時もあるでしょう!」

 自分の娘は一体皇国で何を見てきたのか。普段と違う娘の態度に、タンデルムは皇国という国に非常に強い興味を覚えた。

 ヴィオルガは帝国内でも指折りの魔術師だ。これまでも自らの才を自覚し、西国魔術協会に所属せずとも強い態度を貫き通してきた。それができる実力は確かにあった。

 しかし皇国から戻ると、当初の皇国の術士を下に見る態度はすっかり見えなくなっていた。それどころか皇国から魔術の才の無い者を、護衛として連れて帰ってきた。

 確かにあの剣士は強いが、それでも以前までのヴィオルガであれば、あり得なかった事だとタンデルムは考える。

(変えたのは皇国の姫か、あの剣士か……。だがオルガは俺に言えない何かを知っている。言えない理由までは分からぬが、俺に言う事によるリスクが、言わない事によるリスクを上回っているからの行動だ。気になるところではあるが、今は父としての信用を取り戻すのが先だな)

 タンデルムは一度杯に入った水に口をつけると、真っ直ぐにヴィオルガを見つめた。

「先ほどパスカエルが来たよ」
「え……」
「自分の研究はとても高度な内容のため、庶民には異常に映るのだろう。心配せずとも研究は順調、このまま進めば幻獣の大量発生に対処できると申しておったわ」

 つまり帝国を将来の脅威から守りたければ、このまま自分の研究を続けさせ、グライアンを次期皇帝に指名しろという事だ。

 パスカエル程の人物がわざわざ王宮に出てきて皇帝に言うという事実は、ヴィオルガを以てしても驚きを禁じ得なかった。

(まさか陛下に直接……! 先手を打たれていたというの!?)

 ヴィオルガの言葉にも影響力はあるが、残念ながらパスカエルと比べると見劣りする部分があるのも事実。理玖はパスカエルの悪逆を直接見た証人ではあるが、それを話す訳にはいかない。もしその話をした後にパスカエルが暗殺されれば、真っ先に動機と実力のある理玖が疑われる事になるからだ。

 やはりグライアンの勝負を受けるべきではなかったか……。そう考えるヴィオルガに、タンデルムは言葉を続けた。

「奴は自らの研究に何ら恥じる事は無いと言ったのでな。それならと、たった今監察官を派遣した」
「それは……!」

 監察官とは主に貴族を対象にした、帝国内部組織の取り締まり許可証を持つ者である。その権力には一定の独立性が保たれており、監察官の立ち入り調査には拒否権がない。

 本来ならばパスカエル相手に動く者達ではないのだが、それをタンデルムは皇帝の権限で動かした。

「複数の監察官がパスカエルの研究室に向かっておる。もし本当に非人道的な研究が行われておるのなら、何かしらの証拠は掴んでくるであろう」
「それでは……!」
「パスカエル次第で政局はまた大きく変わるであろうな」

 ヴィオルガの期待する眼差しに、タンデルムは気を良くする。ヴィオルガとしても監察官の事は考えていたであろうが、基本的に監察官は自らの考えか、あるいは皇帝からの要請を受けなければなかなか動かない。ヴィオルガからタンデルムに頼んで動かしてもらうという形は取る事ができなかった。

「だが監察官まで動かして何も無かった場合。それはそのまま、パスカエルの言う事の信ぴょう性にお墨付きを与える事にもなるぞ」
「証拠はあります。必ず」

 監察官も貴族ではあるが、その職務の性質上、無派閥の者が選ばれる。戦闘能力は低いが、その証言は皇帝であっても無視できるものではない。

 それに調査能力は優秀なのだ、そんな者達が複数で臨めば必ず証拠はでる。ヴィオルガはタンデルムの言う通り、今日をきっかけに政局は新たなステージへと移行すると考えた。それも自分たちにとって優位な方向に。

「結果はお前にも伝えよう。監察官たちもシュド王の訴えは知っておる。自分たちの調査が帝国にとってどれほどの影響力を持つのか、よく理解しているだろう」

 調査結果によっては、あのパスカエルの威信が完全に失墜する事になるのだ。監察官を動かせただけでもシュドからの訴えは大きな意味があったとヴィオルガは考えた。

 重要な情報を確認したタイミングで、ドアからノック音が響く。廊下に立つ文官の「陛下、お時間です」という言葉を聞き、ヴィオルガはここまでね、と胸中で呟いた。

「監察官たちからの報告、楽しみにしております」

 そう言うとヴィオルガは踵を返す。この事はすぐさま、理玖とも情報を共有しなければならない。

(それにしてもまさかパスカエルがここに来ていたなんて。理玖と鉢合わせになっていたら、どうなっていた事やら……)

 王宮内は広く、その構造も慣れていない者からすれば複雑なため、同じ建物に居ても理玖とパスカエルが出会う確率は低い。

 だがもし会っていれば。王宮内は血の惨劇に見舞われていたのではないだろうか。女官たちの悲鳴が聞こえないという事は、パスカエルは五体満足で王宮を出たという事になる。

 ヴィオルガは自室に戻ると、リリレットに頼んで理玖を呼んでもらった。
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