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貴族院に迫る者

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 その日の異変は、帝都内でとどまらなかった。貴族街でも獣が出現したのだ。中には獣だけではなく、人型の怪物まで出没していた。

 事態は当然、直ぐに中央へと伝わる。クインシュバインは連日現れる帝都の獣に対応していたが、正剣騎士団の全員が対応している訳でもない。

 ディナルドは緊急事態だと判断し、残る騎士団の戦力を割きつつ指揮を執っていた。

(く……! ヴィンチェスターの狙いはおそらく皇位の簒奪……! ここでいたずらに戦力を割きたくはないが……!)

 しかし目の前の危機に対応しない訳にはいかない。一方で、万が一領軍に城を占領されても、皇族が害される事はないだろうとも考えていた。

(本当に皇位の簒奪が目的だったとしても、もし殺して奪ったとなれば、多くの貴族たちはヴィンチェスターを許さない。普通に考えれば、皇位の簒奪など不可能なのだ。それは分かっているはずなのに、どうして行動に移した……!?)

 何か隠し玉があるのか、それとも結社に操られているのか。その真意は掴めないが、いくらか安心できる材料もあった。

 昨日もたらされた報告もあり、今はアルフォース家の剣士が総出で皇族を守護しているのだ。そう簡単に皇帝ウィックリンをどうこうできはしないだろう。懸念があるとすれば。 

(この時間、アデライア様は貴族院におられる……! 敵もその所在は掴んでいるはずだ……!)

 そのための保険として、黒狼会に衛士の話がいっていた。今はその保険が効いている事を祈るしかない。

 そして実際、結社はディナルドが考える様に、アデライアの所在を掴んでいた。情報源は今も帝都に務めるハイラント派閥の貴族だ。

 貴族院へは、結社エル=グナーデの戦闘員5名と、1人の閃罰者。そして七殺星の1人の計7人が向かっていた。

「あれが貴族院ねぇ……。結構大きな建物じゃない。お目当ての姫様を見つけるの、大変じゃない?」

 閃罰者の一人、断壁のリニアスは豊満な胸を揺らしながら、気だるさを隠さずに話す。その胸元には首から下げられた、やや大きめのペンダントが輝いていた。

「その手間を省くため、あらかじめ部下を潜らせてある。……合図だ。どうやら見つかったらしい」

 答えたのは大柄な筋肉質の男。七殺星の1人にして暗殺組織閃刺鉄鷲トップの1人。壊腕のルードだった。

 2人は部下の先導に従い、貴族院の敷地内へと足を踏み入れる。

 貴族街での騒ぎもあり、敷地内を行きかう者は見当たらなかった。おそらくどこかに集め、防衛体制を強化しているのだろう。

 ルードは先導する部下に話しかける。

「アデライアはどこにいるんだ? 他の貴族と同じ場所に避難しているなら、死人が増えることになるが……」

「んまぁ物騒。仮にもゼルダンシア帝国の貴族よ?」

「ふん……この国と我ら閃刺鉄鷲は少し因縁があってな。まぁ大昔の話だが……」

 配下は足を止めずにルードの質問に答える。

「流石に皇族を……それも我らに狙われている自覚のある者を、他の貴族と同じ場所には避難させていません。大聖堂と呼ばれる場所に、幾人かの手練れと共にこもっています」

「大聖堂……?」

「はい。十分な広さがあり、入り口も1箇所のみという場所です。防衛に徹し易いと判断したのでしょう」

 配下は既にその場所を把握しており、迷う事なく目的地に辿り着いた。しかし扉の前には4人の武装した男たちが立っている。

 男たちはルードたちの姿を確認すると、迷う事なく剣を抜いた。

「止まれ。それ以上先に進む事は許さん」

「ほう……貴族院に武装した帝国兵はいないと聞いていたが?」

「兵士はいなくても、警備員くらいはいるでしょ。その割にはちゃんとした武装をしているみたいだけど……」

 ルードとリニアスは特に緊張した様子もなく会話を続ける。目の前の男たちなど、完全に眼中になかった。

「それよりぃ。どうするの、あの扉。結構頑丈そうよぉ?」

「俺の壊腕であれば、鉄製の扉であっても問題ない。……おい。そこの虫どもを片付けろ」

 ルードの合図を受け、5人の戦闘員たちは足を前に進める。
 



 
 大聖堂の中にはアデライアの他、ディアノーラと正剣騎士団の騎士が10名守りを固めていた。その中にはリーンハルトもいる。

 貴族街での騒ぎを聞き、ディナルドは少ない戦力の一部をアデライアの防衛へと回したのだ。

 リーンハルト自身、クインシュバインと黒狼会の橋渡しをしている中で、ある程度の事情を理解していた。彼は決して緊張を緩めることなく、注意深く意識を集中している。

「……ディアノーラ。来ると思うかい?」

 その声色にも緊張が見えたが、ディアノーラは普段と変わらぬ様子で答えた。

「来るであろうな。だがこの騒ぎを黒狼会が捨て置くとも思えぬ。貴族街に入るには手続きもいるが、私は来てくれると信じている」

 黒狼会はこれまで衛士として覇嵐轟はもちろん、アックスたちを含む幹部も派遣していた。だがこの連日は帝都の獣騒動に対処していたため、幹部は誰も来ていなかったのだ。

 リーンハルトはディアノーラの言葉から、黒狼会に対する信頼の念を感じとる。

「……不思議な人たちだよね。強いのももちろんだけど、いつも泰然としているというか、なんと言うか……。連日、帝都に出没する獣の対処もしてくれているし」

「そうだな……」

 返事をしたディアノーラであったが、そういえばリーンハルトはヴェルトが叔父である事を知らなかったのだと思い出す。 

「……たまにヴェルト殿に、剣の稽古をつけてもらっているのだろう?」

「ああ。毎回手加減されているけどね。でもこの間は褒めてもらえたな」

「ほう。私もうかうかしていられないな」

「いや、まだディアノーラには及ばないけど……」

 ちらりと後方に視線を向ける。部屋の中心部では、アデライアが用意された椅子に座っていた。

「……む」

「どうした?」

「扉の前で戦いの気配がする」

「え……」

 ディアノーラの言葉に騎士たちは反応し、腰を落としながら注意深く扉に視線を向ける。

「扉の外には……」

「黒狼会から派遣してもらっている衛士が立っている。彼らもよく鍛えているのが分かるし、決して我らの足手まといではないが……」

 しかし相手がリアデインなど七殺星級であった場合。例え4人がかりでも、苦戦は必須だろう。そう考えた瞬間だった。

「な……!」

 扉が轟音を響かせながら吹き飛ぶ。そこには大柄な男が立っていた。

「ほう。本当に目が赤いな。なるほど、これは分かりやすくて良い」

「どうやら騎士様たちが待っているみたいだけど?」

「ふん……どうということもあるまい」

 部屋に入ってきたのは、ルードとリニアス。それに5人の戦闘員だった。

 扉の奥には4人の衛士たちが血を流しながら倒れているのが見える。

「ばかな……!」

「大聖堂の扉を……!?」

「無礼者め! この様な狼藉、許されると思っているのか!」

 ディアノーラと騎士たちは、アデライアを庇う様に前に出て剣を構える。その様子を見てルードは薄く笑った。

「ふん……そこの女は多少はやりそうだが」

「おそらく資料にあった皇女アデライアの護衛……ディアノーラ・アルフォースでしょう」

「ほう。噂に名高いアルフォース家の剣士か。皇族守護の剣、試したくはあるが……」

 ディアノーラとリーンハルトの2人は、目の前の男女からただ者ではない気配を感じ取っていた。特に男の膂力は異常だ。

 大聖堂の扉は、かなり頑丈な造りをしている。厚みもあるし、大きさもかなりのものだ。

 それにも関わらず、扉を砕いてみせた。しかも男は武器らしきものを持っている様にも見えないのだ。

 もし素手で扉を砕いたのだとすれば、それは人の限界を超えている。

「ルード、あなたは目的を果たしなさいな。アルフォース家の剣士を含めた護衛騎士たちは、私が遊んであげるわ」

「総裁より第一優先でと言われているからな。お前こそ、遅れをとるなよ」

「誰に言ってるの? 私、エル=ダブラスでは獅徒の1人だったんだけど」

 リニアスはどこまでも気だるい様子で話しながらも、腰から鞭を取り出す。その鞭は細かな金属環が編まれた造りになっていた。

「さぁルード。さっさとお姫さまを連れて、総裁の元へと向かいなさい。総裁はもうとっくに目的地に向かっているわよ」

「良かろう」
 



 
 その日。俺がそう動こうと思ったのは、本当にたまたまだった。

「……フィン。俺は今から貴族院に向かう」

「ほぇ? 今日はもう覇嵐轟の4人が向かってるよ?」

「分かっている。だが昨日の獣の発生数が気になってな」

 これまでの獣の出没数と場所はしっかりと記録に残してある。最近ではおおよその傾向も掴めていた。

 そして昨日。帝都に獣が発生する様になってから初めてその数が減少したのだ。考えられる要因でありそうなのは。

「結社に余力がなくなったか、もしくは最後にさらにたくさんの数を投入するため、温存に入ったか。そのあたりじゃないかと疑っているんだ」

「なるほどー。もしかしたら今日にでも仕掛けてくるかも、て思ってるんだ?」

「ああ。……というかフィンもそう考えていただろ?」

「まぁねー」

 僅かではあるが、今日のフィンは少しやる気の雰囲気が出ているからな。朝から得物も磨いていたし。

「敵も黒狼会の本拠地は掴んでいるだろうからな。何かあったらリリアーナと協力してくれ」

「はいはーい。でも貴族街へはどうやって入るつもり?」

「適当にエルヴァールの名でも出すさ。最悪、クインやディナルドが……もっと言えば皇帝が何とかしてくれるだろ」

「いつの間にか偉い人たちを便利に使える様になったねー」

 まったくだ。俺はミュリアに後のことを任せると、装備を整えて屋敷を出る。そうしてまっすぐに貴族街へと向かった。

 異変を感じたのは、まさに貴族街へと続く門の前に着いた時だった。

「な……!?」

 微かにかぎ取れる血の匂い。それに悲鳴の様な声も聞こえる。それも貴族街の方からだ。

「まさか……あいつら、中に……!」

 その可能性も考えていた。何せ過去、冥狼は帝都の地下に広がる空間を利用して、貴族街の中で暴れたという実績があるからだ。クインもディナルドもその事は理解していた。

 貴族街で騒ぎがあった時の対策も考えてはいるだろう。

 だが連日の獣との戦いは貴族街の外で起こっていた事だったし、騎士たちも疲れが出ている。初動が遅れる可能性は僅かではあるが考えられた。

「……仕方ねぇ!」

「あ、おい!」 

 俺は門番が止めるのも聞かず、猛ダッシュで貴族街へと入る。そうして悲鳴の聞こえる方へと足を向けたのだった。
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