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その後のディグマイヤー家
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混乱は続いたが、雷弓真の併合はおおよそ済ませる事ができた。新たに広がった管轄地域や商売を、どういう風に運営していくかはダグドに丸投げだ。
ダグドに関してはつくづく良い拾いものをしたと思う。そして俺に会いたいという商人は増々増え、中には貴族も面会を求めてくる様になった。
この辺りの情報は少ないため、俺はライルズさんを頼る。そうして有益そうな商人や貴族とは会う様にしていた。ライルズさんからはさらに騎士団についての情報をもらう。
「今の騎士団は国内の治安維持に熱心……?」
「はい。皇帝が変わり、騎士団の人事も大きく変わったと聞いています。これまで軍拡路線だったのが、無計画な領土拡大を止め、自国内の治安維持を重視する方針に大きく舵を切りました」
ライルズさんも貴族ではないため、全てを知っている訳ではないと断りを入れてくる。
だがその話によると、これまで騎士団は二つの派閥が大きく台頭しており、互いに競う様に領土を拡大してきたのだとか。
「で、皇帝の人事により派閥の影響力を取り除いたって事ですか」
「完全に取り除くことは難しいと思いますが。現に赤柱の時の訴えに対し、腰が重かったですからね。ですが少なくとも、帝国が他国に戦争を吹っ掛けなくなったのは確かです。騎士団が得意先だった武具商店や鍛冶屋は泣いているのではないでしょうか」
帝都に来たばかりの頃、大剣を手放した時のことを思い出す。あの店も武具屋というか、生活用品の金物を取り扱っている印象だった。不景気で商売の幅を広げたのだろうか。
しかしおおよそ確認したかったことは聞く事ができた。今の騎士団の性格というものを把握しておきたかったのだ。
好戦的というよりは、その軍事力をいかに国内情勢の安定に向けられるかを意識しているのだろう。
「ライルズさん。折り入ってお願いがあるのですが」
「はは。今や大組織のボスとなったヴェルトさんからのお願いですか。緊張しますね」
「そんな大層なものではありませんよ。……騎士団と繋がりの深い貴族に心当たりはありませんか?」
俺はライルズさんに事情の説明を行う。
ガーラッドを通して冥狼の情報を手に入れたのだが、一庶民である俺では持て余している事。騎士団に伝えたいが、個人的な伝手がない事。そして確実に騎士団の上層部に情報を渡したいという希望を伝えた。
「そういう事でしたら、私の得意先に該当する人物がおります」
「本当ですか!」
そして俺はライルズさんに資料を手渡した。あとはこれが騎士団上層部に伝わることを祈るだけだ。
相手の出方次第では面倒なことになるが、上手くいけばここまで大きくなった黒狼会は危険な組織ではないというアピールもできる。
俺たちがいくら強いといっても、それはあくまで暴力面での話。フィールドが変われば権力や金の方が強くなることなど、いくらでもあるのだ。
そして少し前の黒狼会ならいざ知らず、今の黒狼会では多少なりとも権力側と距離を縮めておきたいのは事実。
群狼武風もそうだったが、暴力だけではできる事に限界があるし、武力面だけで大きくなり過ぎると必要以上に周囲に警戒されてしまうのだ。
そしてそれは組織としての立ち回りを難しくする。ローガはこの辺りのバランス感覚が優れていた。群狼武風が大きくなれた要因の一つだろう。
そうしてライルズさんに資料を手渡した次の日。俺はあっと声をあげた。
「そういえばダグドのところに行くのを忘れていた……」
せっかく俺が頼んでいた最後の資料をそろえてくれたのに、雷弓真の対応でこれまで時間が取れていなかった。
俺はまっすぐダグドの屋敷へと向かう。使用人は俺の顔を見ると慌ててダグドを呼びに行った。
「これはヴェルト様! わざわざお越しいただけるとは……!」
「ダグド、今日はお前がそろえてくれた資料を見に来た」
「はい。直ぐに持ってきます!」
案内された部屋にダグドは資料を直接持ってきてくれた。それにしてもダグドの奴。最近さらに忙しくなったはずなのに、顔に疲れは見えないな。
「元気そうだな、ダグド」
「それはもう。何せ黒狼会は冥狼の下部組織だった雷弓真を併合しましたからね。今では冥狼も影狼も目ではないと本気で思っています。黒狼会がどこまで大きくなるか、私自身楽しみなんですよ」
そう言えばダグドは以前、黒狼会でのし上がっていくと息巻いていたっけ。
雷弓真はガーラッドが管轄する風俗系以外の商売はいくつかにまとめ、今では完全に黒狼会の商売になっているからな。
細分化された雷弓真が黒狼会の下につくというのは、上流で幹部をしているダグドからすれば心地いいのだろう。
「今や帝都西部の多くは黒狼会の管轄地域です。これから黒狼会の傘下に加わりたいという組織も増えてくるでしょう」
「冥狼や影狼の派閥に入らない……入れない小規模組織の連中か」
だが中には覇乱轟の様な、少人数でも有用な組織もあるからな。あいつらは今、管轄地域の見回りや揉め事の応援、それに商人たちの護衛にと大いに役立っている。
一通り会話を終えると、ダグドは部屋を出て行く。俺は机に置かれた資料に目を通し始めた。
「旧ルングーザ王国貴族に関する記録か……」
資料にはルングーザ王国が帝国に併合される前からの国内情勢、そして一部貴族たちの経緯について記載されていた。
俺が一番知りたかった部分もちゃんと記載されている。時間をかけてくれた分、文句のない内容になっていた。
「やはりローブレイト家はディグマイヤー領を占領したのか……」
今から30年前のあの時。ローブレイト家はディグマイヤー領に侵攻し、戦場で父を討った。そのまま領都に侵攻、王から領主代行を任せられる。
そして翌年、ルングーザ王国は帝国と調印を交わして臣下に降った。
その際、王国内で最も広大な領地を有していたローブレイト家は、国王共々帝国の上位貴族として迎えられる。
旧ルングーザ王国領はさらに細分化され、一部は帝都からやってきた貴族が領主として治める事になった。
「……完全な売国奴だな」
戦えばゼルダンシア帝国に勝てたとは思わないが、ルングーザ王国は地形の助けもあり、長年に渡り帝国の侵攻を食い止めていた王国だった。
やりようによっては、ここまでへりくだらなくても、帝国からもっと譲歩した条件を引き出す事もできたのではと思う。
今やその領地の一部は、ルングーザ王国とは何の関係もない帝国貴族が統治している訳だ。
きっと父の派閥に属していた、徹底抗戦派の貴族たちはその領地が接収されたのだろう。そして帝都にいる貴族に、新たにできた領地として授けた。
「ルングーザの旧王族は、今ではルングーザ地方をまとめる盟主ね……」
あの時の国王は、今でも存命なのだろうか。俺の心に暗い炎が宿り始める。……だが今は大きくなった黒狼会を放って帝都から離れる訳にはいかない。
「しかしそこまでの貴族であれば、この帝都に邸宅を持っていてもおかしくないな。今度調べてもらうか……」
続いて別の資料に目を通す。そこにはディグマイヤー家についての記述があった。
「ローブレイト家に追われたディグマイヤー家は、当主は戦場で死亡。長男は領都に残っており、領都侵攻の際に死亡。次男と長女、それに母は……ローブレイト家の兵士に捕まった、か」
心臓の鼓動がうるさいほど大きく鳴り響く。その先の文字に目を通すのが怖い。
もし一言、捕えられたディグマイヤー家の者は処刑されたと記載されていたら。俺はどうなってしまうか分からない。
「…………」
しばらく両目を閉じる。こういう緊張はいつぶりであろうか。少なくともこの時代に帰ってからは一度もない。
だがいつまでもこうしている訳にもいかない。俺は覚悟を決めると、ゆっくりと両目を開いた。
「捕えられたディグマイヤー家の者たちは……翌年、帝国に引き渡された……?」
予想していなかった文言が記述されており、少し面食らう。どういうことだろうか。ローブレイト家に捕まってから、しばらく生かされていたという事だろうか。
「……思えばディグマイヤー家は徹底抗戦派であり、同時に長く帝国の侵攻を食い止めていた領地の貴族だ。帝国に降る時の土産に、帝国にとって仇敵の貴族を差し出したということか……?」
だとしたらなかなかに醜悪だ。帝国に引き渡されるまで、まともな扱いを受けてこなかっただろう。
それとも帝国自体が、高位貴族として迎え入れる条件にディグマイヤー家の者をさし出せと言ってきたのか。当事者でないからこればかりは分からないな。
「ディグマイヤー家の生き残りは帝都まで連行された。そこで帝国貴族であるアドルナー家が引き取る事になった……?」
そこから先は、本当に想像できていなかった事が書かれていた。
アドルナー家の当主は母を第三夫人として迎え入れ、メルディアナとクインシュバインはアドルナー家の者として、帝国貴族の一員に加わった。
成長したメルディアナは他家へと嫁ぎ、今は北の地で領主をしている貴族と共に過ごしている。そしてクインシュバインは。
「帝国騎士として前線に赴き、そこで多くの武功を挙げる。冴えわたる剣筋から閃光の剣騎士という二つ名で呼ばれるようになる。皇帝はその武功を認め、新たに帝都の治安維持を総括するために立ち上げた騎士団、正剣騎士団の団長に抜擢した……!?」
つまり中央お抱え騎士団の責任者という事だ。大出世じゃないか……!
そうか、どういう訳か母上が帝国貴族と再婚したため、クインたちも帝国貴族として身を立てることができたんだな……!
確かに母上も、まだ年齢は30代前半だった。しかも。
「クインは一度、団長職を辞退している。代わりにディグマイヤー家の再興を願いでたと。皇帝はそんなクインにディグマイヤー家の復興を認め、その上で正剣騎士団の団長に任命した、か……」
そこでクインはアドルナー家から独立し、新たに帝都でディグマイヤー家を興すことにしたのか。
確かにクインは小さい頃から真面目で、剣の授業もしっかりと受けていた。才能もあったのだろう。
激動の幼少期を乗り越え、剣一本で今の地位を確立した。そんなクインの辿ってきた30年は、俺の想像を絶するものだろう。
「…………」
クインたちが生きてくれていて嬉しい。いろいろあったが、帝国貴族として地位を築けているのも歓迎すべきことだろう。
今もこの帝都のどこかにいる。そう思うと一目見てみたい気持ちもあったが、積極的に探し出す気にはなれなかった。
「……クインたちが一番苦しい時に、俺は何もしてやれなかった。今さら兄貴面して姿を見せるのは格好悪いよな……」
それに違法行為はなるべくしていないとはいえ、今の俺は黒狼会なんていう暴力を是とする組織のボスだ。帝都の治安を守るクインとは互いに難しい立場だろう。
俺にできる事といえば、これからも積極的に騎士団に冥狼や影狼の情報を流し、帝都の治安維持に協力してやるくらいか。
「……まぁ元気でやってくれている事が分かったなら、それで十分だ。ここまで調べてくれたダグドには感謝だな」
しかしさすがだな、クイン。まぁあいつには才覚があったし、ディグマイヤー家というバックグラウンドがなくとも、一人で身を立てられるくらいの実力はあった。今はクインの成功が、兄として純粋に嬉しく思う。
一通り資料に目を通し終えたタイミングで、ダグドが部屋に入ってきた。
「ヴェルト様。たった今、報告が入ってまいりまして……」
「うん?」
「明日、フェルグレッド聖王国の奴隷が帝都圏内に入るようです」
「ああ、そうだ。その問題もあったな……」
ダグドには常々、奴隷を帝都に入れさせない様に指示をだしていた。誰に見られるとも分からないし、場合によっては今の黒狼会の急所になりかねないからだ。
黒狼会が割り切って違法行為に手を出す組織なら良かったのだが、クインの事もある。今後も黒狼会はなるべく真っ当に商売をしていきたい。偶に死体が出てくるのはご愛敬だ。
「予定通り、人目が付かない様に規模の小さい村に滞在させろ。俺が直接会いに行く」
「ヴェルト様自らですか……!?」
「決して対応を誤ることができない案件だからな」
それに水迅断がフェルグレッド聖王国民の奴隷を仕入れるという話は、一部の貴族や組織にも知られていた。
水迅断を黒狼会が乗っ取った今、それを横取りしようという連中もいるかもしれない。
「一緒に行くのはダグド、それと覇乱轟から5人。あとは最高幹部の中から暇そうな奴がいたら連れていく」
今、屋敷ではガーラッドを匿っている。ロイには何かあった時の備えとして、常に屋敷に詰めてもらっていた。暇そうなのはアックスかガードン辺りかな……。
「わ、私もですか!?」
「そうだ。そもそもお前の部下だろう、お前がいないと奴隷を連れてきた奴らに誰が俺たちの説明をするんだ。忙しいなら今日中に急ぎの仕事は終わらせて、適当な後任に投げておけ」
「は、はいぃ……」
覇乱轟を連れていくのは、奴隷の帰り道の護衛だ。長い旅になるが、やってもらうしかない。
基本的には奴隷に金を握らせ、そのまま真っ直ぐお帰りいただく方針だ。
「馬車の手配はこちらでしておく。明日は日が昇る前に出るぞ」
昨日までの俺なら、余計な仕事だと面倒に感じていただろう。だが良いニュースが得られたこともあり、俺は上機嫌だった。
ダグドに関してはつくづく良い拾いものをしたと思う。そして俺に会いたいという商人は増々増え、中には貴族も面会を求めてくる様になった。
この辺りの情報は少ないため、俺はライルズさんを頼る。そうして有益そうな商人や貴族とは会う様にしていた。ライルズさんからはさらに騎士団についての情報をもらう。
「今の騎士団は国内の治安維持に熱心……?」
「はい。皇帝が変わり、騎士団の人事も大きく変わったと聞いています。これまで軍拡路線だったのが、無計画な領土拡大を止め、自国内の治安維持を重視する方針に大きく舵を切りました」
ライルズさんも貴族ではないため、全てを知っている訳ではないと断りを入れてくる。
だがその話によると、これまで騎士団は二つの派閥が大きく台頭しており、互いに競う様に領土を拡大してきたのだとか。
「で、皇帝の人事により派閥の影響力を取り除いたって事ですか」
「完全に取り除くことは難しいと思いますが。現に赤柱の時の訴えに対し、腰が重かったですからね。ですが少なくとも、帝国が他国に戦争を吹っ掛けなくなったのは確かです。騎士団が得意先だった武具商店や鍛冶屋は泣いているのではないでしょうか」
帝都に来たばかりの頃、大剣を手放した時のことを思い出す。あの店も武具屋というか、生活用品の金物を取り扱っている印象だった。不景気で商売の幅を広げたのだろうか。
しかしおおよそ確認したかったことは聞く事ができた。今の騎士団の性格というものを把握しておきたかったのだ。
好戦的というよりは、その軍事力をいかに国内情勢の安定に向けられるかを意識しているのだろう。
「ライルズさん。折り入ってお願いがあるのですが」
「はは。今や大組織のボスとなったヴェルトさんからのお願いですか。緊張しますね」
「そんな大層なものではありませんよ。……騎士団と繋がりの深い貴族に心当たりはありませんか?」
俺はライルズさんに事情の説明を行う。
ガーラッドを通して冥狼の情報を手に入れたのだが、一庶民である俺では持て余している事。騎士団に伝えたいが、個人的な伝手がない事。そして確実に騎士団の上層部に情報を渡したいという希望を伝えた。
「そういう事でしたら、私の得意先に該当する人物がおります」
「本当ですか!」
そして俺はライルズさんに資料を手渡した。あとはこれが騎士団上層部に伝わることを祈るだけだ。
相手の出方次第では面倒なことになるが、上手くいけばここまで大きくなった黒狼会は危険な組織ではないというアピールもできる。
俺たちがいくら強いといっても、それはあくまで暴力面での話。フィールドが変われば権力や金の方が強くなることなど、いくらでもあるのだ。
そして少し前の黒狼会ならいざ知らず、今の黒狼会では多少なりとも権力側と距離を縮めておきたいのは事実。
群狼武風もそうだったが、暴力だけではできる事に限界があるし、武力面だけで大きくなり過ぎると必要以上に周囲に警戒されてしまうのだ。
そしてそれは組織としての立ち回りを難しくする。ローガはこの辺りのバランス感覚が優れていた。群狼武風が大きくなれた要因の一つだろう。
そうしてライルズさんに資料を手渡した次の日。俺はあっと声をあげた。
「そういえばダグドのところに行くのを忘れていた……」
せっかく俺が頼んでいた最後の資料をそろえてくれたのに、雷弓真の対応でこれまで時間が取れていなかった。
俺はまっすぐダグドの屋敷へと向かう。使用人は俺の顔を見ると慌ててダグドを呼びに行った。
「これはヴェルト様! わざわざお越しいただけるとは……!」
「ダグド、今日はお前がそろえてくれた資料を見に来た」
「はい。直ぐに持ってきます!」
案内された部屋にダグドは資料を直接持ってきてくれた。それにしてもダグドの奴。最近さらに忙しくなったはずなのに、顔に疲れは見えないな。
「元気そうだな、ダグド」
「それはもう。何せ黒狼会は冥狼の下部組織だった雷弓真を併合しましたからね。今では冥狼も影狼も目ではないと本気で思っています。黒狼会がどこまで大きくなるか、私自身楽しみなんですよ」
そう言えばダグドは以前、黒狼会でのし上がっていくと息巻いていたっけ。
雷弓真はガーラッドが管轄する風俗系以外の商売はいくつかにまとめ、今では完全に黒狼会の商売になっているからな。
細分化された雷弓真が黒狼会の下につくというのは、上流で幹部をしているダグドからすれば心地いいのだろう。
「今や帝都西部の多くは黒狼会の管轄地域です。これから黒狼会の傘下に加わりたいという組織も増えてくるでしょう」
「冥狼や影狼の派閥に入らない……入れない小規模組織の連中か」
だが中には覇乱轟の様な、少人数でも有用な組織もあるからな。あいつらは今、管轄地域の見回りや揉め事の応援、それに商人たちの護衛にと大いに役立っている。
一通り会話を終えると、ダグドは部屋を出て行く。俺は机に置かれた資料に目を通し始めた。
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そして翌年、ルングーザ王国は帝国と調印を交わして臣下に降った。
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「……完全な売国奴だな」
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やりようによっては、ここまでへりくだらなくても、帝国からもっと譲歩した条件を引き出す事もできたのではと思う。
今やその領地の一部は、ルングーザ王国とは何の関係もない帝国貴族が統治している訳だ。
きっと父の派閥に属していた、徹底抗戦派の貴族たちはその領地が接収されたのだろう。そして帝都にいる貴族に、新たにできた領地として授けた。
「ルングーザの旧王族は、今ではルングーザ地方をまとめる盟主ね……」
あの時の国王は、今でも存命なのだろうか。俺の心に暗い炎が宿り始める。……だが今は大きくなった黒狼会を放って帝都から離れる訳にはいかない。
「しかしそこまでの貴族であれば、この帝都に邸宅を持っていてもおかしくないな。今度調べてもらうか……」
続いて別の資料に目を通す。そこにはディグマイヤー家についての記述があった。
「ローブレイト家に追われたディグマイヤー家は、当主は戦場で死亡。長男は領都に残っており、領都侵攻の際に死亡。次男と長女、それに母は……ローブレイト家の兵士に捕まった、か」
心臓の鼓動がうるさいほど大きく鳴り響く。その先の文字に目を通すのが怖い。
もし一言、捕えられたディグマイヤー家の者は処刑されたと記載されていたら。俺はどうなってしまうか分からない。
「…………」
しばらく両目を閉じる。こういう緊張はいつぶりであろうか。少なくともこの時代に帰ってからは一度もない。
だがいつまでもこうしている訳にもいかない。俺は覚悟を決めると、ゆっくりと両目を開いた。
「捕えられたディグマイヤー家の者たちは……翌年、帝国に引き渡された……?」
予想していなかった文言が記述されており、少し面食らう。どういうことだろうか。ローブレイト家に捕まってから、しばらく生かされていたという事だろうか。
「……思えばディグマイヤー家は徹底抗戦派であり、同時に長く帝国の侵攻を食い止めていた領地の貴族だ。帝国に降る時の土産に、帝国にとって仇敵の貴族を差し出したということか……?」
だとしたらなかなかに醜悪だ。帝国に引き渡されるまで、まともな扱いを受けてこなかっただろう。
それとも帝国自体が、高位貴族として迎え入れる条件にディグマイヤー家の者をさし出せと言ってきたのか。当事者でないからこればかりは分からないな。
「ディグマイヤー家の生き残りは帝都まで連行された。そこで帝国貴族であるアドルナー家が引き取る事になった……?」
そこから先は、本当に想像できていなかった事が書かれていた。
アドルナー家の当主は母を第三夫人として迎え入れ、メルディアナとクインシュバインはアドルナー家の者として、帝国貴族の一員に加わった。
成長したメルディアナは他家へと嫁ぎ、今は北の地で領主をしている貴族と共に過ごしている。そしてクインシュバインは。
「帝国騎士として前線に赴き、そこで多くの武功を挙げる。冴えわたる剣筋から閃光の剣騎士という二つ名で呼ばれるようになる。皇帝はその武功を認め、新たに帝都の治安維持を総括するために立ち上げた騎士団、正剣騎士団の団長に抜擢した……!?」
つまり中央お抱え騎士団の責任者という事だ。大出世じゃないか……!
そうか、どういう訳か母上が帝国貴族と再婚したため、クインたちも帝国貴族として身を立てることができたんだな……!
確かに母上も、まだ年齢は30代前半だった。しかも。
「クインは一度、団長職を辞退している。代わりにディグマイヤー家の再興を願いでたと。皇帝はそんなクインにディグマイヤー家の復興を認め、その上で正剣騎士団の団長に任命した、か……」
そこでクインはアドルナー家から独立し、新たに帝都でディグマイヤー家を興すことにしたのか。
確かにクインは小さい頃から真面目で、剣の授業もしっかりと受けていた。才能もあったのだろう。
激動の幼少期を乗り越え、剣一本で今の地位を確立した。そんなクインの辿ってきた30年は、俺の想像を絶するものだろう。
「…………」
クインたちが生きてくれていて嬉しい。いろいろあったが、帝国貴族として地位を築けているのも歓迎すべきことだろう。
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「……クインたちが一番苦しい時に、俺は何もしてやれなかった。今さら兄貴面して姿を見せるのは格好悪いよな……」
それに違法行為はなるべくしていないとはいえ、今の俺は黒狼会なんていう暴力を是とする組織のボスだ。帝都の治安を守るクインとは互いに難しい立場だろう。
俺にできる事といえば、これからも積極的に騎士団に冥狼や影狼の情報を流し、帝都の治安維持に協力してやるくらいか。
「……まぁ元気でやってくれている事が分かったなら、それで十分だ。ここまで調べてくれたダグドには感謝だな」
しかしさすがだな、クイン。まぁあいつには才覚があったし、ディグマイヤー家というバックグラウンドがなくとも、一人で身を立てられるくらいの実力はあった。今はクインの成功が、兄として純粋に嬉しく思う。
一通り資料に目を通し終えたタイミングで、ダグドが部屋に入ってきた。
「ヴェルト様。たった今、報告が入ってまいりまして……」
「うん?」
「明日、フェルグレッド聖王国の奴隷が帝都圏内に入るようです」
「ああ、そうだ。その問題もあったな……」
ダグドには常々、奴隷を帝都に入れさせない様に指示をだしていた。誰に見られるとも分からないし、場合によっては今の黒狼会の急所になりかねないからだ。
黒狼会が割り切って違法行為に手を出す組織なら良かったのだが、クインの事もある。今後も黒狼会はなるべく真っ当に商売をしていきたい。偶に死体が出てくるのはご愛敬だ。
「予定通り、人目が付かない様に規模の小さい村に滞在させろ。俺が直接会いに行く」
「ヴェルト様自らですか……!?」
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「一緒に行くのはダグド、それと覇乱轟から5人。あとは最高幹部の中から暇そうな奴がいたら連れていく」
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「そうだ。そもそもお前の部下だろう、お前がいないと奴隷を連れてきた奴らに誰が俺たちの説明をするんだ。忙しいなら今日中に急ぎの仕事は終わらせて、適当な後任に投げておけ」
「は、はいぃ……」
覇乱轟を連れていくのは、奴隷の帰り道の護衛だ。長い旅になるが、やってもらうしかない。
基本的には奴隷に金を握らせ、そのまま真っ直ぐお帰りいただく方針だ。
「馬車の手配はこちらでしておく。明日は日が昇る前に出るぞ」
昨日までの俺なら、余計な仕事だと面倒に感じていただろう。だが良いニュースが得られたこともあり、俺は上機嫌だった。
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一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。
どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。
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