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リスティアーナ女王国編

32 悪役主従と鉄格子

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「……ま……エマ。おい……エマ、起きろ」
「…………んん、え?」

 あたたかな温もりに包まれて目を覚ましたら、僕は床に座ったライナスの胸に頬を擦りつけて眠っていたようだった。
 ライナスの背後に黒い岩肌が見えて、あれ? と僕は首をかしげた。辺りは暗く湿っていて、遠くから魔導灯の灯りが小さく洩れていた。振り返った先には頑丈そうな鉄格子があるのを見て、僕の体にギクリと震えが走った。
 自分がどうやら檻の中にいることに気がついた途端、先ほどまで自分がいた場所を思い出し、すぐにここがどこかピンときてしまった。

「こ、ここ! 洞窟の中なんじゃ……!」
「ああ……そうみたいだ。魔王の根城。魔王に捕まえられたらしい」
「魔王の根城!」

 なんというひどい言い方だと僕は思った。
 まるでここを拠点にケイトが魔王活動に勤しんでいるようではないか。ケイトがしている魔王活動と尋ねられても、魚をちょっと食べ過ぎかなというくらいしか思いつかない。そして、人間を食べているわけではないので、それはもう魔王活動というよりはただの漁業でしかなかった。
 たしかにこの場所では魔王は崇拝され生贄として美少年を捕らえているところに遭遇してしまったが、それは決して――

「別にケイトがやってるわけじゃない!」
「じゃあなんでこの場所のこと知ってるんだよ」
「それは!」

 僕は自分が潜入メンバーの戦力外通告を受けたことを華麗に省きながら、ことのあらましをライナスに伝えることにした。
 だけど僕が話すにつれて、ライナスの表情はどんどん険しいものになっていく。信じてない様子なのは明らかで、胸が痛んだ。だけどライナスのほうを向いて話しているときに、ライナスの上着のポケットにぐったりした妖精王が入れられていることに気がついて、多少ほっこりした。
 ちらっとライナスの緑色のマントの裏を覗いてみれば、僕の縄なんかよりもずっと頑丈そうな鉄の手錠で後ろ手に拘束されていたので、きっと口で衣服を挟んで無理やりそこに入れ込んだのだろう。
 うっかり、優しい……と思いほだされてかかっているとライナスが言った。

「は? 魔王が魔王崇拝を阻止しようとして潜入? なんの話だ」
「だ、だって! ケイトがこの世界になにもしなくたって、こんな組織があったらケイトのせいにされちゃうじゃないか」
「せっかく崇拝してるやつらがいるんだから、そいつら煽動して手足として使えばいいだろ」

 そうきっぱりとライナスが言い切るのを聞いて、僕は思わずバッと口に縛られた手をやった。
 その発言の恐ろしさに僕は青ざめた。そして、震える声で尋ねた。

「ライナスは……魔王なのか?」
「勇者だが」

 そうだった。
 だが、今、その勇者は僕と一緒に鉄格子の中に捕まっている。勇者がこんなところで捕まってしまったら、これもすべてケイトのせいにされてしまうかもしれない。
 そう思ったら、今までケイトと一緒に過ごしてきた楽しい時間が頭をよぎり、またもやじわっと視界が潤んでしまった。弱々しい声が恥ずかしかったが、僕は必死でライナスに伝えようとした。

「ケイトはそんなこと望んでないし、僕の愛してるこの世界を壊すようなことはしない」
「花畑焼いたじゃん」
「き、きっと……害虫がいたんだろう」
「害虫駆除のために暗黒竜で焼き払うやつは、もう魔王だろ」

 たしかに害虫駆除のために暗黒竜を連れてきて焼き払うのはまずいかもしれない。たとえ暗黒竜とケイトが心の底からよかれと思って害虫を駆除しようとしていたとしても、その絵面は魔王のそれでしかなかった。僕はぐっと奥歯を噛みしめ、ムッとした顔でライナスに尋ねた。

「じゃあ害虫駆除を手伝ってくださいって言われたら『勇者』はどうするんだ」
「そりゃまあ、焼き払うんじゃねーの? めんどくせーけど」
「同じではないか」
「まあ、そうだけど。ていうかこれ害虫駆除の話かわかんねーだろ」

 心底嫌そうな顔でライナスがそう答えるのを聞いて、僕は目を瞬いた。
 本当にその通りだと思ったのだ。
 だって、同じことをしているだけなのにライナスはありがたがれるだろうが、ケイトは嫌われるかもしれない。肩書きでイメージを決められてしまっている彼ら二人は、よく似ているような気がした。ライナスにとっては悪いことではないかもしれない。それでも――すべてを善と取られるライナスだって、その善の枠の中で肩身が狭いのはきっとケイトと同じだと僕は気がついた。

「その通りだな、ライナス。魔王ってだけで害虫駆除をしたところで誤解されるだろう。真実を知らずに悪行だとするんじゃなくて、とりあえず真実を知ってみないか」
「…………はあ?」

 訝しむような顔で僕を見ていたライナスに、僕は言葉を続けた。
 こうして捕まってしまったのは大失態だったけれども、それでもなんだかこの場所ならライナスにも言葉が伝わる気がした。だってケイトとライナスはきっと似てる。もしケイトのことを本当に理解できる人がいるとすれば、それは『勇者』に選ばれた人間かもしれないと僕は思った。
 
「だってライナスが花畑を焼いたら、ただむしゃくしゃしただけだったとしても、みんなが善行だと思うのときっと同じだ」
「!」

 最近、神託が降ったのだと妖精王は言っていたのだ。
 だとすれば、ライナスはつい最近までは普通の人間として生きてきたはずだった。それは僕の恋人が少し前までは普通の人間として生きてきたことと同じだった。ライナスだってたくさんの違和感を感じたはずだ。今までは孤児上がりの冒険者だったライナスにとって、周りの人たちの態度だって劇的に変わっただろう。
 きっとわかってもらえるという確信を持ちながら、僕がにこにことライナスを見ていたら、ライナスの顔が引き攣った。
 だけどむむっと唇を引き結び、不機嫌そうな顔になるとぶっきらぼうに答えた。

「じゃあ、保留」
「保留!」

 ぱああと世界が輝いたような気がした。今まで完全に敵だと思っていた魔王に対して、勇者からの『保留』はかなり大きな前進だった。
 ライナスは僕を見て目を瞬かせると、ぷいっと横に顔を背けながら言った。
 
「嬉しそうな顔すんな。ムカつくから」
「花畑を焼くのか」
「焼かねーよ!」

 ライナスが本当に怒っていて、僕はくすくすと笑ってしまった。
 だが、なぜか照れたような顔をしているライナスに和んでいる場合ではなかった。僕はここがケイトが用意した生贄用の牢であれば、きっと外に続く抜け道が用意されているはずだと思い、きょろきょろと辺りを見渡した。
 しかし、ライナスにもわけを話し、一緒に探してみたがそれらしい穴はどこにもない。鉄格子は新しくつけられたように見えるのに、もしかしたら違う場所に捉えられているのかもしれないと思いながら、僕はため息をついた。

「妖精王が元気だったらこんなところすぐに抜けられるのにな……」

 思わず僕はちらっとライナスのほうへと顔を向けた。ライナスは気まずそうに、ムッと口を引き結んだ。
 
「あー妖精王がこんなにぐったりさえしてなければ」
 
 そう洩らしながら僕はちらっとライナスのほうへと顔を向けた。ライナスの眉間の皺がぎゅっと深くなった。だんだん言っているうちに、妖精王にこんなことをしたライナスに腹が立って、僕はさらに言葉を重ねた。
 
「こんなかわいらしい存在にこんな仕打ちをするだなんて……悪魔の所業だ」
「悪かったなあああ! 強えーんだよ! その妖精。ていうかえッその妖精、妖精王なのか!」

 妖精王の存在をうっかり言ってしまって、あ……と僕は動きを止めた。しかし、相手は勇者なんだから大丈夫だろうという気になった。でもそれは同時に、もし魔王が相手だったら「しまった……!」となってしまいそうな気がしたので、やっぱり勇者はずるいなと僕は思った。
 なのでもう一針ほど勇者を刺しておくことにした。

「いろいろあってちょうど疲れてるところを狙われたんだ……勇者に」
「…………悪かった」
「そうだな。本人が起きたら謝ってくれ。おばあさんなんだ」
「そ、そうか……」

 しゅんと縮こまってしまったライナスを見ながら、やっぱり悪いやつではないなと僕は思った。
 ここからなんとかして脱出することができれば、本当にケイトと一緒に鍋をつついてくれそうな気もした。そうして今度こそ本当にほっと胸を撫で下ろしたら、一つの疑問が浮上した。
 
「そういえばどうしてライナスはこの洞窟のことを知ってたんだ? アントンは?」
「ああそれは……」

 ライナスがそう口をひらきかけたときだった。
 鉄格子の向こう側から誰かが歩いてくる気配がして、ライナスがぐいっと僕をかばうように前に出た。ライナスの背中からこっそり前を覗けば、相変わらず口布をつけて顔もよくわからない黒装束の男たちがずらりと並んでいるのが見えて、僕はビクッと体を震わせた。
 ライナスを『勇者』だとわかって捕まえたのだろうか、それとも、ただ洞窟の辺りをうろついていたから捕まったのかはわからない。魔王の生贄をして捧げられていたのは美少年だったけど、ライナスだって男前である。ここにケイトがいるわけではないが、魔王の生贄として勇者が捧げられるという事態は、世界的にかなりの危機感がある……と僕が青ざめていると、先頭に立っていた黒装束の男が言った。

「おい、金髪の男だけ出ろ」

 僕のほうだった――!
 男の声には聞き覚えがあり、おそらく前にここにいる人たちを煽動していた初老の男だろうと僕は思った。だが、顔は影になってしまっていて全然見えない。きっとこの男こそがケイトが追っていた男であるはずなのに、ど、どうしようと焦りながらもぞもぞ動いていると、ライナスが不自由な態勢のまま立ち上がろうとした。だが。

「動くな。動いたら、その男をこの場で殺す」
「…………!」
「ら、ライナス。僕なら大丈夫だ……」
 
 相手がライナスを勇者だとわかっているのかは定かではない。だが、その背の高い初老の男は口布が気になるのか、何度も指先で布を上げながら恐ろしいことを言った。ライナスが驚愕に目を見開き、ぐっと唇を噛みしめながら動きを止めたのを見て、僕はなけなしの虚勢を口にした。
 これからなにが起きるのかわからないし、怖くて体が震える。

(ケイト……)
 
 もう一週間も僕は不在だったし、ひどいことを言って逃げたのは僕のほうだった。ケイトが僕を探してくれているという保証もない。もし、もしも、もうケイトに会えなかったらどうしよう……と思うと心が折れてしまいそうだった。
 いつもの間伸びしたような声色ではなく、凛としたライナスの声が洞窟に響く。

「こいつをどうする気だ」
「どうって――……そりゃあ」

 口布で隠された彼らの顔は、深く被られたローブのフードの影も相まってよくは見えない。でも下卑た笑い声がそこかしこから洩れるのを聞けば、いいことが待っているわけはなかった。
 誰かがくすくす笑いながら言った。

「魔王様の生贄になるんでしょ?」

 ――――あれ!
 
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