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リスティアーナ女王国編

31 悪役主従の算段・後

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(まずい……その通りだ!)

 僕は勇者を懐柔して魔王を見逃してもらおうとしていた。
 これが僕とクルトと村長であったのならと僕はクッと拳を握りしめた。これが僕とクルトと村長の話であれば「ちょっとケンカしたから仲直りするために鍋でもつつくか」という平和的な日常の一幕になるだけであるはずだった。だがしかし、登場人物に勇者と魔王を挟むだけで、その平和的な鍋の一幕は「勇者を懐柔して魔王を見逃してもらおうとする悪の手下の算段」に早変わりである。
 僕は自分の顔がゴブリンになっていないかを再び確認しなくてはならない事態に陥っていた。ペタペタと顔の造形を確認し、とりあえず形だけはまだ自分のままな気がすると思いながら、じわっと涙が視界を滲ませていくのを感じていた。

「勇者とか、魔王とかじゃなくて……なんでただのライナスとケイトでいられないんだろう……」
「…………」
「ケイトだってライナスだって、そんな肩書きの前に、ただの人間なのに」

 鍋を……鍋に誘うこともできないだなんて。
 ライナスはびっくりしたような顔をして僕を見つめていた。

「ライナスが勇者だから、ケイトが魔王だから、だから鍋も……一緒に食べることができないなんて」
「鍋を……」
「ピーマンが嫌なら、嫌って言えばいいだけなのに!」

 ぽかんとしたライナスを前に、さっきまでの疲れもあいまった僕はそう叫びながら走り出した。
 今はとにかく状況が悪かった。ライナスが薬を使ったというのであれば、一刻も早く妖精王をこの場から引き離して回復させなくてはいけない。苔に気をつけながら何歩か走り出したとき、この身に再び前世の呪いが降りかかる。僕の足がずるりと苔を踏み抜いてしまったことを感じた途端、視界が傾いていく。
 まずい、妖精王だけは揺らさないようにしないとと掌をお椀型にしっかりとくっつけたまま、僕はぎゅっと目をつぶった。
 が、――力強い腕が腹にまわってることに気がつき、僕は恐る恐る後ろを振り返った。
 
「エマ。俺から逃げるのは無理だよ」
「ライナス……あ、あの、あ、ありがとう」

 くるっと抱くように起こされたまま、なぜか僕の腰を引き寄せるライナスを腕の中から見上げた。
 じっと僕のことを見下ろしてくるライナスの瞳がなぜか落ち着きがない気がして不思議に思う。だけど、腰にまわった手はびくともしなくて、僕は目を瞬かせた。ライナスが低い声でつぶやいた。

「魔王とは仲よくできない。エマと別れてからの魔王の所業だって、許せることじゃない」
「魔王の所業? ケイトがなにかしたのか」
「エマなに言ってるんだ。あれからもう一週間も経ってるのに、情報聞いてないの?」
「へ???」

 ライナスが言ってることの意味がまったく入ってこない。
 ケイトと別れてからたった数時間しか経っていないと思っていたのに、一週間もの時間が流れているだなんて思わなかった。あの泉はだったから、そんなことが起きていても不思議ではない気はした。
 どうしてライナスが砂漠からこの森に転移したかのような速さで現れるんだろうと思っていたがそういうことだったのか……って、え!

(い、一週間!?)

 ケイトをそんなにも長い時間一人にしてしまったことに僕は青ざめた。だけど、それよりもさらに聞き逃せないことがあった。
 魔王の所業……その不穏な言葉に僕は凍りついた。ケイトがひどいことをするわけはなかった。きっと、それこそ、鍋にピーマンを入れるくらいのことに違いないと思いながら、僕はライナスの言葉を待った。

「その間に、魔王は……ペリタン山脈の花畑を焼いたんだ」
「…………え?」

 リスティアーナ女王国のペリタン山脈は、サザランド連邦との国境にそびえる北方の山脈だ。
 その山脈は険しく、そのおかげでサザランド連邦はリスティアーナ女王国に攻め入ることができずにいるのだ。僕はもちろん、その山に訪れたことはない。
 だけど、脳裏にケイトと一緒に見たペルケ王国の山間やまあいの花畑が頭をよぎった。
 どくどくと心臓の音が激しくなっていく。僕はその音をかき消すように、大きな声を上げた。

「そ、そんなわけない! ケイトがそんなことをするはずない!」
「…………エマ。好きなやつを信じたい気持ちはわかる。だけど、現にペリタン山脈の花畑は焼け爛れてる。俺が国境を越えたときには美しい百合が咲いていたのに……それも全部だ」
「そんな……嘘だ。ケイトが花を焼くだなんてこと……」
「暗黒竜に乗った魔王のしわざだ。俺がお世話になった人からの手紙に書いてあった」

 暗黒竜に乗ったケイトの仕業……? まさかあの暗黒竜の神殿から、行動を共にしているのだろうか。
 僕の頭に妖精王の言っていた言葉がズンと胸に重くのしかかってきた。

 ――ついてくやつが悪ければ、悪いわよ――

 ケイトについていくのであれば、暗黒竜と呼ばれる強大な存在も怖くないとばかり思っていた。
 空を飛び、わざわざ花畑を焼くために、ケイトが? 僕は信じられない気持ちでいっぱいだった。

「エマ、お前のことは捕まえさせてもらう。その妖精も」
「…………ら、ライナス」
「エマの身になにかすることはないから。逃げないように、縛らせて」

 僕の腰を抱いていたライナスの手がしっかりと僕の手首を握った。
 手のひらの中に妖精王を包み込んでいる僕はなすすべもなく、そのまま両手首をライナスに差し出すしかなかった。
 ケイトにきっとなにかあったに違いなかった。ケイトのことが心配で心配で、僕の目からぽろっと涙がこぼれた。それを見たライナスの硬い指が、僕の頬を拭う。ライナスの優しい気持ちが伝わってきて、つらかった。ケイトもライナスもその肩書きさえなければ、こんなにも面倒なことにはならないはずだった。
 ライナスが優しくても、その手の拘束を解いてくれるわけではない。
 
「エマ、魔王じゃなくて俺と一緒にいたらいいよ」

 ぽつりとライナスがつぶやくのが聞こえて、僕は顔をあげた。
 そこには今まで見たこともない切なそうな顔をしたライナスがいて、僕は目を瞬かせた。僕がぽかんと見つめていると、ライナスは恥ずかしかったようで、不機嫌そうに言葉を続けた。

「俺のこと、好きになったらいいじゃん」

 ライナスが言っている意味がよくわからなくて、僕は尋ねようと口をひらいた。
 ぐらりとライナスが僕に向かって倒れてきたのはそのときだった。

「え! わッ! ら、ライナス!?」
 
 だが、手を縛られた状態の僕は重いライナスを支えることもできず、そのまま近くの木の幹をずるずると滑るように二人で地面へと崩れ落ちた。
 そして、僕の胸に倒れているライナスが眠っているらしいということに気がついた瞬間、なぜか僕を急激な眠気が襲ってきた。
 瞼が信じられないほど重く、頭は殴られたみたいに思考が停止した。
 妖精王だけではなく、ライナスと僕までもがその場で眠りだしてしまった。しんと静まりかえった霧深い森に、三人の寝息だけが響いていたのだった。
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