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第二章 NOAH
24 魔法陣
しおりを挟む(あれは、───…あれはもしかして、ヒューだったんじゃないか?!)
僕は、ぜえはあ、と、荒い息を吐き出し、信号が変わるのを今か今かと待ちながら、酸素の足りない頭で考えていた。よくよく思い出してみれば、あの男の人を見たとき、僕は、『王子様みたいだ』と、思わなかっただろうか。
「はあ、はあ、待って…待って…」
あの男の人、すごくびっくりしてた。そう、びっくりして見開かれた瞳は、きれいな薄紫色だったはずだ。それに、───あの植物。倒れてしまった植物。あれは、───…
(あれって、あの時の?!僕が解呪した奴だったんじゃない?!)
ドーナツ、食べようとしてるんだと思った。お皿の上に、きれいな色のドーナツが、並んでた。なんでドーナツがあんなにあったのかは分からないけど、でも、あれって、あれって、───
(ヒューだったんじゃないの?!)
あの魔法陣…僕の血に反応したはずだった。羽里と一緒に描いただけでは、何も起きなかった。僕が、釘に指をひっかけて、それで、血が、あの魔法陣についたんだ。
(ミュエリーが言ってた。血が、最強の限定だって、───)
信号がパッと青に変わる。
神社と、羽里の部屋と、どちらに向かおうかと少し考えて、羽里の部屋だ!と、思い、全速力で家を目指す。肺が、何かに堰き止められているかのように痛む。うまく、酸素を処理できていないような気もする。それでも、僕の足は止まらなかった。
だって、───
「あの本、あの魔法陣の本。僕は、今なら、あの魔法陣に書いてあることが、わかるかもしれない!」
羽里と見た時は、全く理解できない言語だった。でも僕は、いろんな異世界の文字や言葉に触れてきたはずだった。ハアハアと、もう呼吸なのか、惰性なのか、分からないような痛い息を吐きながら、僕は家の中へと転がり込んだ。ちょうど庭にいた母さんが、「乃有くん?!」と驚いた声を上げた。
玄関から僕を覗いた母さんに、羽里の部屋で、すごい古い本を見なかったかと、カスカスの声で尋ねたら、母さんは、「なんか昼寝する時に、枕にちょうどいいとか言って、いつもベッドの横に落ちてるわよ」と、教えてくれた。
(扱い!!!)
と、内心キレながら、僕は、母さんの言った通り、羽里のベッドの横にあの、ボロボロの本が落ちていた。勝手に部屋に入って、きっと怒られると思ったが、あとで謝るしかなかった。僕はその本を片手に、自分の部屋へと戻る。
肩で息をしながら、その本を開く。そして、その中の文字を見た。
「──────…嘘」
ずらりと並んだ、ミミズみたいな文字。あまり綺麗な字ではない。流石に、魔法陣のところはしっかりと、きれいに書いているように見える。だけど、その他の、走り書きのようなところの文字は、全部、全部、───。
「嘘。ヒューの字だ……この本自体が???ヒューの本なの???」
分厚い羊皮紙に書かれているから、まるで辞書みたいにも見える。羽里が枕にするのもわかるくらいの厚み。だけど、これは、別に印刷された物ではないから、別にヒューが出版したわけではないだろう。
魔法陣に目を向ける。僕と羽里が写したのは、確か、最後の方だった。走ったのも相まって、どくんどくんと、すごい勢いで鳴り続ける自分の心臓を感じながら、震える指先でページを捲る。そして、───見つけた。確かこの魔法陣だったはずだ。
「ユクレシアの世界座標、場所座標・時の塔、生体座標・ヒュー・レファイエット、発動条件、──────」
そこに書かれた発動条件の文言に、僕は、涙が溢れるのを抑えられなかった。「ふ」と、湿った息が、口から漏れた。そっと指先で、その文言を撫でる。
信じられない。こんなことがあるだろうか、と、僕の頭の中を、僕の体中を、奇跡にも似た、歓喜のような感覚が、走り抜けた。
限定の文言だった。ミュエリーが教えてくれた。魔法陣を強めるための、限定の文言だったのだ。そこにはこう、書かれていた。
「───…ヒュー・レファイエットの愛する者の血……」
巡り巡った僕の冒険の終着点は、もうすでに『はじまり』の時に分かっていたのだ。僕が、魔法陣を読むことができれば、あの時に、───?
いや、分からない。それでも!と、思い、僕は立ち上がった。確かめなければ、分からないのだ。
僕はその古い本を傍に抱えると、戸惑う母さんに「ごめん」と言って、学生鞄ではなく、バックパックを抱えて、あの神社に向かって走り出した。
よくは分からない。
よくは分からないが、なんとなくあの神社の雰囲気を思い出し、あの場所なら、魔法陣が発動してくれるのではないか、という気がした。家の中で何かあったら、母さんが心配するだろうと思ったことも理由ではある。
もつれる足を、それでも前へ前へと進めながら、見えてきた神社の長い階段を、僕は駆け上った。
息は切れ切れで、肺がひどく重い。一瞬でも気を抜けば、大きく咳き込んでしまいそうだが、それでも、もう痛み始めている太ももを鞭打って、走る。ようやく長い階段の先に、境内が見えてきた。
不安と、焦燥と、それから、期待。いろんな感情が僕の中で渦巻いていた。
(もしかしたら、───もしかしたら、───会えるかもしれない!)
あの時と同じように、社の裏側へと周り、ハアハアと荒い息を吐き出しながら、木の枝で、魔法陣を描き上げていく。複雑な魔法陣だ。それでも、今なら、そのエレメントを理解することができる。こんなところ、誰かに見られたらまずい、とも思うけど、それでも止まることなんて、できなかった。
(すごい。こんな複雑なこと、───ヴェネティアスに行く前なはずなのに、こんなレベルの魔法陣を作ってたんだ……)
天才魔術師の、その天才たる所以を垣間見て、震えが走る。完成した魔法陣を見ながら、いつものバックパック、異空間収納袋から、小刀を取り出し、目をぎゅっと瞑りながら、指先を少しだけ切った。そして、ぽたっと魔法陣に血を垂らした。
(どうか、───どうか、発動しますように!ヒューに会えますように!!!)
そんな願いを込める。魔法陣が、あの時と同じように、青白く光出した。ハッと息をのむ。もしかして、もしかして、と、胸が高鳴る。
だがその時、───
なぜかは分からないが、ふっ、と、邪神の笑う気配が、一瞬したような気がした。
でもそんなことを、気にしてはいられなかった。僕の目の前には、見たことのある、小さなテーブルと椅子が召喚されていたからだ。
「あ、あ、……」
前に見た時のように、ドーナツはなかった。それに、あの触手植物だと思われる、奇妙な鉢植えもなかった。どこか、全体的に、埃をかぶっているような気もした。
だけど、───
そのテーブルに黒いローブを頭からかぶって、突っ伏している人がいた。フードですっぽりと覆われていて、顔が見えない。だが、覗いている長い髪は、見覚えのある薄茶色だった。
どくどく、どくどく、と、心臓がすごい速さで脈打っていた。
魔法陣の中に、僕が入るわけには、行かないのだ。入れば、地球に戻れなくなってしまう可能性は高かった。その人は、ピクリとも動かない。もしかしたら、寝ているのかもしれない。
期待に胸が膨らむ。もし、この人がヒューならば、僕は、その手をつかんで、地球に引き寄せればいいだけだった。『会いたい』というその気持ちだけで、胸がいっぱいだった。
僕は、どきどきしながら、大きな声で叫んだ。
「ヒュー!」
その時だった。
神社の周りの木々がざわめき、一陣の風が、勢いよく吹き抜けた。
その人物のローブの裾がはためき、テーブルに広がっていたローブの布がぶわりと舞い上がった。そして、その下に隠れていたはずの、伏せていた手が、露になった。
それは、白く。硬質な、───人の、骨だった。
僕は呼吸を忘れた。
目を見開き、固まったまま、ただ、風が、ローブをはためかせているのを、凝視するしかなかった。体中から、体温が抜けていった。冷たく、嫌なものが、心臓から漏れ出し、体の中を這い回っていった。そして、ようやく状況を理解した僕は、恐慌状態にあった。
僕は、一歩、二歩、と後退り、そのまま、後ろにつまづいて、倒れた。
「あ、あ、」と、意味をなさない言葉が口から漏れ出る。
そして、叫ぶことしかできなかった。
「ひゅっ………うわああああああああ」
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