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第二章 NOAH

21 同じ

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 ガシャアアンと、けたたましい音を立てて、窓ガラスが、綺麗に崩れ去った。
 ブーメランは、おそらく、ぶつかった衝撃で、室内の床に、くるくるっと回りながら着地した。
 若干、ほんの一瞬、「ブーメラン戻ってこないじゃん!」というツッコミが頭をよぎったが、明らかに今はそれどころではなかった。ミシェル先輩に、上からぺシュカ教授を落とすかもしれないから、風魔法と、布に準備をしておいて欲しいとお願いして、僕は、ひょいっとぺシュカ教授の研究室の窓枠に、飛び乗った。

 球体は、さっきよりもずっと大きく、今にもミュエリーとぺシュカ教授のことを、今にも飲みこんでしまいそうだった。

「近づくな!」

 さらに弱ったように見えるミュエリーが、震える声で叫んだ。
 ミュエリーの腕に目をやれば、いつもとは違う、青白く光る鎖が、その大きな球に繋がっている。
 ミュエリーの下にある魔法陣は、今、確実に発動中だった。ということは、あれは人体蘇生の魔法陣ではないのかもしれない。ミュエリーの制止は無視して、とにかく、僕の方に近い、ぺシュカ教授を背負うと、窓際の方まで僕は歩いた。気を失っている人間の重さを感じながら、下にいる先輩達に、声をかける。

「ぺシュカ教授、投げても大丈夫ですかー!!」
「大丈夫!任せといて!」

 そう叫ぶミシェル先輩の声が聞こえ、僕は下の様子を見てから、木の隙間から、意識のないぺシュカ教授を下へ落とした。ガサガサッと葉っぱにぶつかりながら、落下した教授が、おそらく、ミシェル先輩の風魔法でふわりと浮かび、先輩達の広げた布の上に着地したのが、木の葉の間から見えた。
 よし、と、思い、そして、本当にまずい方へ近寄っていく。
 その青い稲妻のような光を発しながら、どんどん大きくなっていく球は、今や、部屋の天井までたどりつき、爆発するのは、時間の問題のように見えた。

 もはや、床に這いつくばってしまっているミュエリーの近くに歩いて行く。ミュエリーが焦ったように、また、「来るな!」と叫んだ。ミュエリーが、ヒューが、必死になって、そう叫ぶということは、この状況がまずいということだった。
 ミュエリーの体が、その球体に引き摺られるように、魔法陣の端っこの方まで来ていたのがよかった。魔法陣を踏まないように気をつけながら、僕は迷わず、近寄り、そっと、ミュエリーの鎖に手を伸ばした。

 引き攣ったミュエリーの顔に、悲壮感が浮かぶ。
 はじめて聞く、泣きそうな声でミュエリーが言った。

「違うんだ。ノア。お前が解呪ディスペルしたところで、この身にかけられている闇魔法は解かれるかもしれない。でも、この魔力の塊がどうなるかは分からない。解呪した瞬間に、爆発するかもしれないんだ。頼む。頼むから、逃げてくれ」

 その震える声を聞いて、思う。

(わかってないんだ…本当に、わかってないんだ……)

 どうしたって、自分だけが犠牲になればいいと思う考えに、僕はため息をつく。
 プライドが高い意地っ張りで、天邪鬼。周りくどくて、難解で、面倒くさくて、厄介。扱いにくくて、根暗で、それで、───

 ───優しすぎる、僕の大好きな人。

 僕は、ミュエリーの赤い瞳を見ながら、言った。

「同じだよ、ヒュー」

 今尚、その顔には、困惑と、不安の色が浮かぶ。戸惑いのまま、ミュエリーは、また何かを言いかけた。でも、僕の方が早く、口に出す。

「僕だって、ヒューが辛い思いしたら、嫌だよ。僕だって、守りたいんだ」
「ち、違うっ。お前と俺とじゃ、命の重さが違うんだ!」

 そう、食い下がってくるミュエリーは、を、否定しなかった。僕は、再度伝える。

「同じだよ、ヒュー。ねえ、何度、どうやって、死んできたのかは、知らない。本当に死んじゃったのかとかも、よく分からないけど。でもね、それでも、命の重さが違うなんてことは、ないよ」

 ミュエリーは、眉毛を下げながら、不安そうに僕のことを見る。
 僕は言った。ずっと、ずっと、───思っていたことを。


「ずっと、僕の、───大切な、人だよ」


 僕はミュエリーの鎖の上に置いた手に力をこめ、囁くように唱えた。

解呪ディスペル
「っっ!!!」

 僕の手から、淡い光が溢れ出た。ビクッとミュエリーが体を震わせた。それでも僕は、鎖をしっかり握って、離さなかった。
 僕に触れられた鎖は、やがて、じんわりと柔らかな白い光に包まれ、そして、パラパラと花びらが散りゆくように、空気に溶けて消えた。
 だが、ちらっと後ろを振り返っても、魔力の塊の球は、まだそこにあった。
 とにかく、ようやく鎖から解放された、ぐったりとしたミュエリーをぐいっと引っ張り、魔法陣の上から出すと、肩に担ぎ、窓際へと移動する。下に投げようとしたけど、ミュエリーが僕の腕をしっかり握って、離さなかった。
 その様子を見て、別に僕は死ぬつもりなんて全くないけどな、と、思う。それから、言った。

「一人じゃできないことだって、二人ならできることもある」

 それをわかって欲しい。だけど、ヒューは、僕のことを完全に守る対象だとばかり思っているのだ。
 確かに、僕は、ヒューに出会った時、まだ魔法も何も知らない初心者だったかもしれない。それでも、それなりに経験を積んできた僕は、傷ついたミュエリーが、頼りにできないほど、頼りないわけではないはずだった。
 でも、伝わらないのだ。

「じゃあ、せめて、逃げよう。二人で逃げるのなら、いいだろ!」
「だめだよ。隣の研究室にだって、誰かいるかもしれない。もしかしたら、廊下にも、まだ友達がいるかもしれない。ヒューに教えてもらった防御魔法で、囲ってしまおうと思う」
「お前に、そんなコントロールができるわけないだろ!俺は今、魔力が足りない!逃げるしかないんだ!!」

 僕はその言葉を聞き、ふん、と、鼻を鳴らしながら、僕はミュエリーに向き直った。
 ヒューは全くわかっていない。僕が何年、異世界にいると思ってるんだ。確かに、ヒューはすごい。生まれた時から、天才と言われて育ってきた人間だ。その後も、自分一人の力で、ずっとがんばって歩いてきたのだ。だから、僕みたいなのは、ヒューにとって、いつまでもひよっこで、守らなくちゃいけないと思ってしまうことくらい、わかる。
 それは、わかるのだ。それでも、───

 ヒューが知らないだけで、僕だって、と思う。
 僕は床に転がったブーメランを拾った。まさかこんなに、大活躍することになるなんて、思ってもみなかった。心の中で、父さんに、バナナを取るよりも、ずっとすごい使い道になりそうだよ、と、感謝する。そして、「一体何を?」と、不思議そうな顔をしているミュエリーを置いて、少し下がって、足を開くと、再度振りかぶって、思いっきり、光球に向かって投げつけた。

「あ、おい!!!」

 重力などまるでそこにないかのように、不可思議にそこに存在している青い球体に、ひび割れたような線が走り、青い光がカッと漏れ出した。そこかしこに、レーザービームのように、高圧な魔力の直線が走る。

 だが、ブーメランを投げたと同時に、僕は、部屋の床に手をついていた。
 僕の手を中心にして、幾何学的な模様が床を走り、その模様から発現した蒼白い光が、水が吸い上げられるように、やがて魔力の球の目の前で、盾のようにも見える不可思議な文様を形成した。
 僕は腕でシャボン玉を作るかのようにして、その盾をぐにょんと引き伸ばすと、魔力の球を包み込んだ。透明な幕のようにも見えるその防御壁の中で、今にも割れてしまいそうだった光球が、ブルブルと震えながら、小さく収束していくように見えた。今、まさに爆発寸前と言ったその光を見て、これ以上は開かないだろうと思われたミュエリーの目が更に驚きに見開かれるが、構っている暇はない。僕は、自分の前にも防御壁を作ろうと、床に再び手をつこうとした。

 途端。

 中心に収束した光点から、光の渦が咆哮をあげたのは、一瞬だった。
 ドガーーンとも、バリバリとも、聞こえるような、とにかく轟音が響き渡った。
 ミュエリーが咄嗟に、僕の頭を胸の中に抱え、おそらく、ほんの僅かの魔力で、無理矢理、防御魔法を展開したようだった。
 僕たちの視界は白濁した。突風がビュワッとすごい勢いで吹き抜けた。
 室内の物が吹き飛ばされ、そこかしこから物がぶつかる音がする。
 思わずぎゅっと瞑った目を開けたときには、魔力の球を囲っていた方の防御壁から、漏れ出た光が、周りにあった、あらゆるものを巻きこみ、破壊の限りを尽くした後だった。
 そして、ズタズタになった室内を無数に青い炎のような線が、走っていた。
 ミュエリーの横でくたりと寝そべると、僕は安堵の息を吐いた。危なかった。

「あーびっくりしたー!」
「───…おーまーえーはー……」

 これ以上ないほどに、深い深い眉間の皺を刻んだミュエリーが、そう言いながら、僕のことを恨みがましい目で見ていた。だけど、そのちょっと癖のある灰色の髪が、突風でいろんな方向に跳ねていて、あまり迫力は感じられなかった。
 きっと僕の頭も、すごいことになってるんだろうな、と、怒っているミュエリーを見ながら思う。
 でも、───

「助かったじゃん」
「………」
「助けてくれてありがとうって、言ってくれてもいいんだけど?」

 ミュエリーが僕のことを守ってくれたことを棚にあげて、僕は、そう、言い放った。
 でも、これくらい、コテンパンに言わないと、世界最大の意地っ張り魔術師は、きっと、いつも「助ける」側でしかなかったヒューは、きっと、「助けられる」ことを理解できないんじゃないか、と思ったのだ。
 ふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべている僕に、ミュエリーは、一瞬ぽかんとして、困ったように笑うと、それから、おそらく、の中で、はじめて、そう、口にしたのだった。

「助けてくれて、───ありがとう」

 その言葉を聞いて、僕は満面の笑みで答えた。

「どういたしまして!」

 僕は、はじめてヒューに頼ってもらえたことを、心の底から嬉しく思った。そして、僕は、ミュエリーの体を、再び肩に担ぐと、下で「大丈夫!?」と慌てている、先輩たちに「大丈夫です!ミュエリーも投げます!」と言った。
 慌てて、動かない体で必死に抵抗するミュエリーを、渾身の力で抱えこみながら、「後で話したいこと、いっぱいあるよ」と言った。

 ───が、その時、ふと、僕の目に、中庭を歩く、アオイくんとエヴァンス騎士団長が映った。
 二人は、見つめ合って、キスをし、そして、嬉しそうに笑いあったのだ。
 ───その瞬間。

「時間だな」

 前にも聞いたことのある台詞だ、と、僕は思った。
 邪神の姿は見えない。もしかしたら、声すらも、僕にしか聞こえていないのかもしれない。だけど、僕は驚いて、そのままミュエリーの体を下に落としてしまった。「お、おい!」と、叫びながら、ミュエリーが落下して行く。ガサガサガサッと音を立て、ぺシュカ教授と同様に、着地したようだった。
 だけど、このままでは、調査に来た人間に、闇魔法の痕跡が見つかってしまう!と、僕は思った。あの魔法陣だけでも、解呪でかき消しておかなければいけない。
 実際に使った痕跡さえ残らなければ、なんとでも言い逃れができると、思った。
 僕は、窓際で、ミュエリーの様子を確認しながら、慌てて、邪神に向かって叫んだ。

「待って!!少しだけでいいんだ!」

 その時だった。芝生に着地したはずのミュエリーが、驚愕に目を見開き、信じられないと言った顔で、何かを呟いた。

「───、だと…?」

 小さな声だった。でも、そう、言ったような気がした。
 その様子が、なんだか放っておいてはいけないような雰囲気だったが、僕には時間がなかった。邪神が待ってくれるかどうかは分からなかったが、やれることはやらなくてはいけない。
 焦っていた僕は「チッ バレたか」と、邪神が舌打ちをしたことにも、気がつかなかった。
 僕は、急いで室内に引き返すと、僕は解呪でその魔法陣の痕跡を消した。先ほどの鎖と同様に、魔法陣は、その形のまま、パラパラと光の粒子になって、散りさった。
 僕は、それを確認し、もう一度だけ、もう少しだけ、ミュエリーと話したいと思い、そのまま、二階の窓から、飛び降りようとした。

「そこまでの時間はやれないな」

 そう、また耳元で声がした。だけど、「待って。本当に一言だけなんだ」と、もう一度、邪神に言い、僕は、窓から大声で叫んだ。

「ヒュー!!!時間がないんだ。でも、どうしても!どうしても伝えたいことがある。ねえ、ヒュー!ねえ、僕は!!!怒ってるんだからな!!!」

 『ヒュー』という言葉を聞いて、ミシェル先輩以外の魔法研究部員の仲間たちは、みんな首を傾げた。でも、僕はどうしても、伝えなくてはいけなかった。

「僕のこと!守ってくれてるのは知ってる!!!ヒューが優しいことも、ちゃんとわかってる!!それでも!!!!」

 僕の体が、白く光はじめた。まずい、と、内心思うが、できる限り、声を張り上げる。

「それでも!!!ヒューを愛したことは、───僕の!!!だ!!!僕の!大切な記憶なんだ!!!」

 そう。どうしても、ヒューに伝えたかった。わかっているのだ。ヒューだって、そうしたくてしたわけじゃないってことくらい。僕がいけなかった。それはわかる。僕が、帰るだなんて言い出さなければ、おそらく、こんなことにはならなかったのだ。
 ヒューがどれだけ優しい人なのか。どんな想いで、僕の記憶を奪ったのか。想像して、涙した。だけど、どうしても、どうしてもこの怒りは、収まらなかったのだ。

 辛い思いをしたってよかった。

 ヒューのことを、あんなに愛した人がいたことを、忘れてしまうより、その方がずっとよかった。僕は、永遠に、ヒューのことを忘れてしまったかも知れなかったのだ。もしも、のことは分からない。それでも、そんなことは、僕は望んでいなかった。
 ヒューはきっと、辛い思いをしただろう。でも、ユノさんを、エミル様を見て、思うのだ。あんなに苦しんでまで、僕の笑顔を守ってくれなくったって、僕は、───。

「ずっと、ずっと好きでいたかった。辛い思いをしたとして、悲しい気持ちになったって、それだって、僕の愛した人との、ヒューとの繋がりなんだよ!!!」

 涙がぶわっと溢れた。あの頑固な天邪鬼に、伝わるかもわからない。それでも、僕は必死で続けた。

「もう、これ以上───、これ以上、僕の記憶になんかしたら、もう、絶対に!許さないから!!!これから、また、どこかで出会っても、絶対に!!!絶対に!!!もう、しないで!!!僕が、───僕が絶対に!!!」

 最後の方は、もう、金切り声だった。声は掠れ、裏返っていた。
 それでも、伝われ、伝われと思いながら、力の限り、叫んだ。


「また、見つけ出すから!!!!!!」


 僕の体を白い光が包みこみ、もう辺りの景色が見えないほどだった。
 だけど、最後に、一つだけ、ミュエリーの声が聞こえた。それは、僕の問いかけへの答えでもなんでもなく、それでも、未来へと繋いでくれる、ヒューからの助言だった。

「ノア!!!通信具!!!一番強い限定は、───血だ!」

 その声が届いたとき、───。
 僕は、もう、その場には、いなかった。

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