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第二章 NOAH

16 会いたい人

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「あ、ありがと。ミュエリー。夏休み中、また会おうね」

 すこしばかり、ぎこちない帰りの旅路を経て、僕とミュエリーは、王都まで戻ってきた。
 ミュエリーは王都出身で、でも自分の屋敷には戻らないみたいで、夏休み中も、貴族用の寮にいるらしい。
 帰りの道は、こんな言い方するのも変かもしれないけど、なんだか、はじめて好きになった人と、緊張しながら、一緒にいるみたいな気持ちで、不思議だった。それでも、色んな街で、一緒にご飯を食べたり、王都にはないようなものを見たり、やっぱり、楽しかった。ミュエリーは、自分から積極的に話してくることは、あんまりないけど、すこしくらいは、僕に心を開いてくれたんじゃないかな、と思う。

(そうだといいなっていう、ただの願望かも、しれないけど…)

 きらきらした真夏の炎天下の中、ミュエリーのちょっと影のある憂い顔は、その背景と対照的で、とても、儚く見えた。ミュエリーの灰色の髪が、さらっと風に靡いた。ヒューの時みたいに、衝動的に、顔が好きだなあって、そう、思うわけではないけれど、それでも、やっぱり、きれいだなと思う。学園の中庭の木々が揺れ、ミュエリーに、葉が囁くような、影を落とした。
 どきどきしながら見ていたら、早々に僕の願望は打ち砕かれた。

「ごめん、ノア。俺は人と関わりたくないんだ」
「………」

 ちーん、という残念な音が聞こえてきそうだった。
 なんだか一人で盛り上がってしまってたみたいな気になって、いや、実際そうかもしれないけれど。僕は、かああっと頬に熱が集まるのを感じた。そして、じわっと視界が潤む。
 少しくらい仲よくなれたと思ったのにっていう気持ちと、もしかして、僕が変なこと言ったからかなっていう後悔とが、合いまって、僕はわけがわからなくなって、この場から逃げ出したくなった。もうすこし、落ち着いてから、また声をかけようと、とりあえず、ぐるぐる回る頭の中の渦を振りきって、口を開こうとしたとき、ミュエリーに尋ねられた。

「泉の水。飲むのか?」
「へ、あ?あ、あ、うん。今日、飲んでみるつもり」
「そうか。あの魔法陣を見るとなおさら、未解明なところも多いから、勧めない。たかが夢1つのために、不要なリスクを取ることはないと思う。そういうのは、あそこにいたような浮かれた奴らが、娯楽のためにやればいいんだ」

 一言、多い。
 僕のことを、心配してくれてるんだな、ということはわかる。この表面上は、つんつんした、とても遠回りな気遣いが、いつだって、むずかゆい。でも、それでも「関わりたくない」と言われてしまうのだから、それは、ーーー。

(まだ、僕の負けって、こと…多分)

 僕が「まあ、考えてみる」と言ったら、ミュエリーは、なんだか知ったような顔で、嫌そうに、ハアとため息をついてから、「じゃあ」と言って、自分の寮に向かって歩いて行った。僕は、ミュエリーが見えなくなるまで、手を振ったりしながら、そこで、立っていた。

 なんとなく、そのまま部屋に帰る気にならなくて、中庭を散歩してから、帰ることにした。僕のバックパックに入っているはずの、泉の水のことを考える。
 ペットボトルに入れたままの泉の水。魔法研究部のみんなにお土産にしようと思ってるから、僕の分は、2・3回分くらいはありそうだ。アオイくんには渡せなくなってしまったし…、と、そこまで考えて、あれ?と気がついた。

「あれ?アオイくんたち、夢見たって言ってたけど、それ、もう、両想いじゃん」

 ミュエリーはあの魔法陣は『両想い』という限定条件で、その効果を強めてると言ったのだ。ということは、おそらく、アオイくんが自分の気持ちに気がつくまでなのかもしれない。アオイくんに、幸せになって欲しいっていうのも、もちろんある。それに、僕の帰還の時期に関わってくることでもある。アオイくんの様子は、ちゃんと見ておかなくちゃ、と、思うの同時に、僕の心にずーんと、さっきのミュエリーの言葉がのしかかってきた。

(両想い………かたや、関わりたくないとか、言われて…)

 正直に、羨ましいな、と思った。ミュエリーはあんな風に言ってたけど、僕だって、すこしくらいは、浮かれた奴らの仲間でもよかったのに、と、思ってしまう。はじめて話したときの、ミュエリーの言葉をポジティブに捉えるのなら、「僕を巻き込みたくないから」関わりたくないのだ。僕を、というか、まあ、人を。そうやって、遠回しに、人を守ろうとするところ。

(そういう優しいところも、好きだけど……)

 ハア、とため息が出てしまう。ミュエリーに言わせるところの「そいつにがんばらせとけばいいだろ」、とは、どうしても、思えなかった。

 今は、とりあえず、泉の魔法陣をもうちょっと考えて、それから、水を飲んで寝てみよう。ミュエリーは反対みたいだったけど、それでも、なんでも試してみないと、わからないと思うのだ。

(そういえば、誰の夢をって…聞かれたな…)

 僕は、中庭のベンチに腰をおろした。今は夏休みで、残っている生徒は少ない。中庭にも、僕以外には、一人二人、歩いているのが見えるくらいだった。
 そして、ゆっくりと、考えてみた。
 夢に見るなら、誰かって、それは、会いたい人は、一人しか、いないのだけど。誰がいいかって考える相手は、多分全員、だとは思っているんだけど。
 その中でも、誰の夢を見ようかと、考えたのだ。

 この魔法陣には、特に明確に『魂の座標』だとか『歴史』だとか、あるいは、『世界座標』『生体座標』すらも、含まれていない。
 それは、本当に、すごい。
 ミュエリーは古代の魔法陣はそれ自体が強力だと言っていたけど、そういう指定すらもなく、夢という、まだあまり解明されてないらしい媒体を使って、ただ『想う人に夢で会える』というものなのだ。
 厳密に言うと、『想い人の夢の中に、自分の夢の中の意識を転送することができる』ということ。ただその一点。
 だから逆に、どこまで効力があるのかがわからない。ユクレシアが遠くても、届くのか、あるいは、この世界から近い、砂漠の国やモフーン王国の方が、効力が大きいのか。だとしたら、ーーー。

 まずはじめに思ったのは、ユノさんだった。

 ヒューには申し訳ないけど、というのも、また変な話だけど、僕は話すことができなるなら、まずはユノさんに、と思った。だけど、想像すればするほど、僕がユノさんに夢の中で何を言ったところで、起きたユノさんの苦しみが、増すような気がしてならなかった。だって、夢の中で、僕が何を言ったところで、目が覚めれば、落胆させてしまうような気がしたのだ。
 じゃあどうしよう、と考えたら、次に思い浮かんだのは、エミル様だった。

(エミル様だったら…たとえば、僕と出会ったばっかりのエミル様で、その後、僕がまだ四年は一緒にいられるっていう状態だったら、すこしは、夢の意味もあるかなあ…)

 別れた時のユノさんも。出会った時のエミル様も。二人とも、とても、とても、悲しい目をしていたのを思い出す。
 ふーっと息を吐き出しながら、ベンチに寄りかかって、空を仰ぐ。
 七月の強い日差しが、木の葉の間から、僕に、降り注いでいた。

(僕に何が…できるだろう…)



 ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→



「あれ?。お前、帰省してないの……?」

 夜、寮の自分の部屋で、泉の魔法陣をもう一度見直していた。
 昼間にも思ったけど、エレメント自体は、誰のとか、どこの世界のとか、魂の位置とか、歴史とか、何にも書かれていないのだ。ミュエリーの言うとおりなんだとすれば、古代の魔法陣は、そのものの魔力が強いっていうこと、それから、夢はまだ解明されていないことが多い媒体だってこと。

(こんなんで本当に、届くのかな……怪しい)

 そう、思って首をひねっていた時だった。カタンと、窓の方で音がして、振り返ると、そこには、猫のヒューが、窓枠のところに、ちょこんと座っていた。
 僕が話しかけると、僕がノートに書き写した魔法陣を見て、嫌そうな顔をして、ぷいっと横を向いた。そして、僕はに気がついた。アオイくんが教えてくれたことが、頭を過ったのだ。

「…………あ!」

 動きを止めた僕を見て、ヒューは不思議そうな顔をしたけど、僕は、「あ、えっと」と、すこし焦って、それから、何事もなかったかのように、ヒューに話しかけた。

「今から、この泉の水を飲んでみようかなって思ってたところなんだよ」

 ヒューは、鼻をふんと鳴らしてから、トンッと僕のベッドに飛び降りると、こないだそうしていたように、僕のベッドの上で、丸くなった。

「一緒に飲む?」

 一応、尋ねてみたら、一瞬、僕の方に目をやって、それから、ヒューは目を閉じて、前足に顔をのせた。その仕草がすごくかわいくて、僕は、ヒューの隣に、ころんと横になった。もとより、今から泉の水を飲んで、寝ようと思っていたところだったのだ。
 そのタイミングを見計らったかのように、ヒューが現れたから、驚いた。でも、隣に猫でもヒューがいてくれるっていうのは、なんだか、心強いような気がした。
 隣で丸くなっていたヒューを、そのまま抱っこして、こないだみたいに、僕の胸の上に乗せた。急に脇に手を入れたのに、ヒューは嫌がらないで、僕に寝そべった。
 僕の胸からお腹に、ぺたっとヒューのお腹がくっついて、優しい気持ちになる。

(………かわいい……あったかい…)

 胸の上の柔らかな愛おしい生き物を、ぎゅうっと抱きしめた。そして、尋ねる。別に何か答えを期待しているわけではないけれど。

「ねえ、こんな魔法陣で、違う世界まで、届くと思う…?」

 ヒューは呆れたような顔になると、知るか、とでも言わんばかりに、ふい、と視線を逸らせた。本当に、ヒューならそう言いそうな気がして、ふ、と笑ってしまう。
 そして、僕のすぐ上に乗ってる猫の鼻先に、ちゅ、と唇を落とした。

「!」

 猫のヒューは、すっごくびっくりした顔をして、体全体で、びくっと震えた。僕は、それがおかしくて、おかしくて、ふふっと笑い出したら、余計におかしくなってしまって、そのまま、ふっふ、と、笑いが止まらなくなった。そうしたら、僕のその、ふっふ、と笑ってしまうのに合わせて、胸の上のヒューが、一緒に揺れるものだから、もう堪えきれなくなって、そのまま、あはは!と、笑ってしまった。
 猫は、一体何がそんなにおかしいんだ、と言わんばかりに、スンと、無表情で、それがおかしくておかしくて、たまらなかった。
 すくっとヒューが立ち上がって、僕の頬を、この前みたいに、ぎゅうっと踏んだ。もう、なかなか止まれなくなってしまった僕は、まだ、くすくすと笑いながら、困ったような顔で、言った。

「ちゅーくらい、許してよ」

 そうしたら、もう一度、ぎゅうっと踏まれた。でも、僕は、猫のヒューよりも、ずっと、ずっと、大きいのだ。力は僕の方が強い。
 そのまま抱きしめると、その柔らかな頬に、唇を寄せ、自分の頬を擦り寄せた。ちょっとヒューは暴れて、焦ったような雰囲気だったけど、僕は、そのまま話しかけた。

「ていうかさ、時間はどうなるんだろ。それも、思いのままなのかな」

 花火の魔法陣でも、通信具の魔法陣でも、一番難しいんじゃないかと思っている、時間の指定。それが、思っただけでできるんだとしたら、それは、本当にすごいことだ。魂の歴史を読むでもなく、ただ思った相手の夢の中へ。
 多分、あの泉に行く人たちは、わざわざ時間なんて考えはしないだろう。多分、『今』の好きな人の夢の中に行きたいと願いながら、寝るのだから。

(まあ、試してみないとわからない。もし、『今』の僕の好きな人の夢に行ってしまうのだとしたら、それは、それで…。というか、『今』の僕の好きな人と、両想いである保証はないけど…)

 そう思いながら、僕は、じとっと、猫ヒューを恨みがましい目で見た。それから、ヒューを僕の横におろした。手を伸ばす。机に置いてある泉の水を一口分、小さな器に取って、飲み干した。猫のヒューは、ちょっと慌てた様子だった。心の中で「ごめんね」と思いながらも、僕は試さずにはいられなかった。
 横になり、自分に薄手の毛布をかけながら、考える。
 もしもエミル様を思い浮かべて、その時間を指定できるというのなら、ーーー。

(僕が行ってから数日後くらいかなあ…エミル様がもしもヒューじゃなかった場合とか、エミル様の中のヒューが僕を諦めてしまっていたら、届かないのかもしれないけど。でも、目標は高く!と、なると…)

 エミル様が、開き直る前。辛そうにしていたときに、行きたい、と思った。
 そっと、思い浮かべる。あの時の、悲しそうなエミル様を。何かを諦めてしまったように見えた、誰も寄せつけないように暮らしていた、エミル様を思い浮かべた。僕と再会した数日後。僕と再会した数日後。

(エミル様……僕に、何ができるかは、わからないけど…)

 僕は、僕を見守るように、僕の隣にある、あたたかな存在を感じながら、そっと、目を閉じた。
 この猫ヒューが、ってことは、本当のところは、わからない。
 でも、アオイくんは、僕の耳元で囁いた。きっと、すこし、仲よくなった僕に、小さな助け舟を、出してくれたんじゃないかな、と、思うのだ。アオイくんがくれた、『ミュエリー』攻略の、ヒント。


 ーー「そいつ、固有魔法がある。夜だけ、変身できるよ」ーー


 だからって、って思ってるわけじゃ、ないんだ。ただやっぱり、僕は、たとえ猫だって、きっと見つけ出せるような、気がしたから。とてもあたたかな気持ちが、僕の中に広がる。間違ってたって、よかった。それでも僕には、泉の水を飲む僕が、変なことにならないように、近くで見守るために、来てくれたような気がしてならなかった。
 だんだんと、眠りの中へ、落ちていく。
 届くといいな。


「エミル様に……会えますように……」


 ぴくっと猫が動いた気がして、ん?と、薄く目を開けた。僕の横で丸まっていた猫ヒューが、目を見開いて、すごく、すごく驚いた顔をしているような気がして、僕は、寝ぼけた頭で「ああ」と思った。僕は、寝る前に、もうわかったような、気がした。

(ああ……この夢は…届いたんだ……)

(エミル様に…)

(…その中の、僕の大好きな人に…)




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