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第一章 HUE
45 ドーナツ論
しおりを挟む「どどどどどどーしよ。ノアさん。最近、近くのカフェがドーナツ売り出したみたいなんですよ」
主人公が働いているカフェは、まだ二週間目だというのに、どうやら軌道に乗ったようで、随分と客足が伸びているらしい。そして最近、ドーナツも売り出したんだとか。うちも、もっと色んなケーキとか売り出した方がいいんじゃないか、と、先ほどから、ジョナサンさんと一緒に、トゥリモは頭を抱えているのだ。
確かに、主人公のカフェは、ゲーム内でも、初期の段階で、ドーナツを売り出していたように思う。異世界の技術を使って、まずは「ふわとろパンケーキ」のような、スフレパンケーキからはじまって、パフェやケーキなど、地球では当たり前のスイーツを販売して、その珍しさに、カフェは大繁盛するのだ。
どうやら、今回転移したあの女性も、うまくやっているようだった。
見たかんじ大学生くらいだったように思うけど、料理が得意だったのかもしれないなあ、なんて、僕はぼんやりと考えていた。
が、一応、そのライバル店にあたる、このドーナツ屋『ジョナサンズドーナツ』の二人は、真っ青になって、頭を抱えているのである。二人は「他のケーキも売り出すべきか」などと話し合っているのだ。
僕は考えてみた。
僕がこの店で働くようになってから、お客さんの数に、ほぼ変化はない。おそらく、二人は、実際に売れた数を、あんまり確認していないのではないかと思う。
それに、当たり前のことだが、日本なんて、もっとたくさんの店がひしめいている中で、例えばだけど、ドーナツだけとって考えてみても、大手、インスタ映え系、昔ながらの手作りほっこり系、健康を意識した系など、様々なニーズに合わせて、細分化されているものである。
その上で、ケーキ業界、焼き菓子業界、パイ、シュークリーム、などなど、更なる幾多の種類のスイーツ店が競合する中、それでもドーナツ屋は潰れない。なぜなら、ドーナツとショートケーキは違うからだ。当たり前だが、ドーナツとシュークリームも違う。
僕のように、ドーナツドーナツと狂ったように食べている人間は、早々いないにしても、僕は知っていた。
人間には、ドーナツを食べたい日があるのだ。
そして、あのドーナツ屋のショーケースを見たときの、あのテンション。それは、みんなが知っているだろう。あの、「えーどれにしよう!2個までならいいかな…いや、3個」と、迷いながら、きらきらした目でショーケースを見つめ、「これにしよう」と、今日、食べたいドーナツを見つけて、店員さんに「これください」と言う瞬間。
友達の誕生日や差し入れの際、低価格、かつ、美味しく、見栄えのするドーナツを、ダース買いにする時にだけ許される、爆買いの楽しみ。
あの僕に食べられるために、かわいく並んでくれているドーナツのまるっとした姿。それを思い出すだけで、幸せな気持ちになる。
だから僕は知っていた。
「絶対、大丈夫」
「「え?」」
「いいですか。下手に、他のケーキやら何やらに、絶対に手を出してはいけません」
ドーナツ好きの、ドーナツ好きによる、ドーナツ屋のための、僕のドーナツ談義が、今、はじまろうとしていた。エミル様に、恋愛論を語らなくてはいけなかった時とは違う。僕は、自信を持って、胸を張って、ドーナツについて語ることができる。
「よく聞いてください。ドーナツの需要は、ケーキとは違います。低価格、かつ、美味しく、見栄えもするスイーツです。高級感や満足感、ゆっくりと食べる贅沢、を楽しむケーキとは需要が違うんです。そして、ジョナサンさんのドーナツは、このドーナツ好きの僕が、この僕が、太鼓判を押すほど、魔法のように美味しいドーナツです。この薄く、均一につけられたグレーズは、もはや芸術品です。だと言うのにもかかわらず、さらに、色をつけた種類を販売するなど、見た目にも楽しい作りになっていて、こだわっています。このグレーズの薄さは、口にした時位はパリッとした食感を一瞬与えると言うのに、ほろりと口の中で、雪がほどけるように溶けだし、その甘さが絶妙です。そして、そのグレーズと一緒に、口の中に広がる、もっちりとしたドーナツ本体の生地がすごいです。パサパサしていても、油っぽくても、テンションの下がるドーナツ本体ですが、ジョナサンさんのドーナツは、しっとり、もっちり、それでいて、じゅわっとほんのり滲み出た油が、口の中に広がるのです。しかも、その油へのこだわりを僕は感じます。安い油ではなく、最高級の低温で圧搾したバージンムーンナッツオイルを使っているので、健康のことも考えられており、多く含まれる中鎖脂肪酸はドーナツという一見ジャンクなスイーツにも関わらず、消化を助けるために一躍買っています。そして、さらに、チョコレートドーナツをとっても素晴らしいです。チョコレートの種類も上につけるトッピングですらも、見るものを惑わせ、何個でも買ってしまえと思わせるほどの魅力を持っています。まずは、ここまでが、ジョナサンズドーナツの魅力です」
「「………」」
「そして、ここから先は、ジョナサンさんが、他のスイーツを手広くやろうとした際の、恐ろしさについて語ります。まず、ドーナツ屋の素晴らしいところは、小麦粉と油、そして砂糖、というこの低コストな主要三つの材料だけで、これだけのありとあらゆる種類のドーナツを作ることができることです。使う材料はそれだけだというのに、これだけのバリエーションを作れるスイーツは、他に、僕が思いつく限りでは、カップケーキくらいかと思います。なので、あえて敵がいるとすれば、ドーナツの敵はカップケーキだけです。カフェではありません。ジョナサンさんが、もしも、他の、ショートケーキやモンブランなど、なんでもいいですけど、ケーキを作り出したとして、それは、ジョナサンさんのドーナツ制作にかける時間を減らし、クオリティを下げ、なおかつ、ストレスを与えるでしょう。そして、クオリティの低下と並んで、一番の恐ろしい問題は、どの飲食店もが頭を悩ませる『在庫管理』です。適正在庫の見極めまでは、在庫の予測精度が整うまでは、おそらく半年ほどの期間を有するでしょう。いつもとは違う食材の買い出し、量の見極め、それから、在庫・廃棄食材の処分方法、今までぶち当たることのなかった、未知なる問題が多発し、その都度、ジョナサンさんたちは頭を抱えることになります。そして、その間の赤字経営は覚悟しておいた方がいいですよ。というか、正直、そのカフェの方こそ、手広くやりすぎて首を絞めてしまわないように、気をつけた方がいいくらいです。そもそも、先ほども言いましたが、ドーナツ屋とカフェは違います。通常の飲食店のように、余った材料を次の日にも回せるわけではありません。ケーキなど、足が早いものは、その日中に処分となるでしょう。この店は、僕が入ってからの経営を見る限り、ほぼ、毎日完売に近い状態になっていて、ジョナサンさんの予測精度はかなり高いとみて間違いありません。たまに、売り切れになってしまう日は、機会損失とも捉えられなくはありませんが、それはスイーツ店に限り、「特別感」や「限定感」のようなものを演出するため、損失したと考えられる機会は、次の日へ機会が先延ばしになっている、というプラスに考えても問題ないと思います。以上の理由で、この店が心配することは何もありません。そして、もし心配なことがあるようでしたら、ドーナツにアイシングでメッセージや名前を書くサービスを提案します。誕生日に、子供や友達の名前入りのドーナツが欲しい人は山ほどいると思います。わかりましたか?」
「「………はい」」
僕は満足した。
若干、ジョナサンさんとトゥリモが引いているような気もしたが、それは仕方がなかった。僕のドーナツに対する愛情は、一入。ここだけは譲れない。
このほぼ完璧とも言える、僕の理想のドーナツ屋の片隅に、ショートケーキが並んだ際には、僕は絶望するだろう。
そして、そのとき、後ろから涼やかな声が聞こえた。
「フィリーニ・クレーティ御用達、も、つけとく?」
「え!いいんすか?!有名人のお墨付きはありがたいですけど、クレーティさん、ドーナツ好きなんですか?ファンからの差し入れとか、ドーナツだらけになっちゃいますよ」
(うわ、ファンからの差し入れとかあるんだ。アイドルだなあ…)
今のを聞かれてたのか、という恥ずかしさと、フィリが今日も迎えに来てくれたという恥ずかしさと、手伝ってくれようとしているのかなという恥ずかしさで、僕は、恥ずかしさの三重苦の中にいた。が、更なる苦行が僕へとのしかかってきた。顎を指先で掬われたかと思ったら、目の前に、首を傾けたフィリの顔があって、流し目で言われた。
「ノアが、全部食べてくれるなら、いいよ」
「!!!!!」
「うわあ、ノアさんやばい…まっ赤ですよ…」
「だ、だめ。だめだからな。トゥリモ。フィリがドーナツ好きじゃないんだから、だめだよ。詐称だからな!それ」
「あー……そっすね。それはダメですね。そんなに食べたら、ノアさんきっと、ドーナツみたいにまんまるになっちゃいますしね」
後ろから、ぼんやり眺めていたジョナサンさんが、「え、何ー?ノアくんって、フィリーニ・クレーティと付き合ってんの~?」と、呑気なことを言っていて、フィリが迷いなく即答で「はい」と答えているのが、聞こえたような気がしたけど、僕はもう何も聞こえなかったことにした。
エプロンをそっとおいて、いつものように、フィリが僕にひとつドーナツを買ってくれて、僕はまたきゅんきゅんしてしまって、それどころではなかった。
(誰か、だれか、僕の心臓をどうにかして……)
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※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました!
※12/14 どうしてもIF話書きたくなったので、書きました!これにて本当にお終いにします。ありがとうございました!
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