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第一章 HUE

16 エミル様の休日

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「わ、わああ、す、すごい!エミル様。実は、いつも食べてみたいと思ってたんです」

 今、僕とエミル様は、二人で街中を歩いていた。
 この『砂漠のトリニティ』の舞台であるこの王都カラバトリは、当たり前だがこの国の中で一番栄えている。
 特に、水の神子であるミズキさんが、現れてからは、枯れたオアシスは復活し、国中が潤い、民の顔にも、絶えず笑顔が浮かんでいるのだ。王都では、お祝いのときにしか使われない噴水までもが、常に潤沢な水で潤され、普段砂っぽい街も、緑が生い茂り、水と喜びに溢れていた。

 ちなみに、僕の第一次脱走計画が失敗に終わってからも、結局僕の日常には、大した変化はなかった。ミミズが嫌いだからと言って、エミル様一人で討伐に行かせるわけにも行かず、僕は同行しているのだ。が、珍しく、今日は行かないとエミル様が言うので、こうして二人で街にいる。

 子供たちが追いかけっこをしながら、僕たちの横を通り過ぎた。
 僕は、エミル様に屋台で買ってもらった、ミントティと一緒に、砂糖のまぶしてある揚げパンを食べていた。確かに食べたかったのは本当なのだ。買い出しに行く度に、ずっと美味しそうだなと思っていたから。

 が、しかし。今、自分がなぜ、この場所で、エミル様に、食べたかったものを買っていただいているのか、それがわからず、怖くて仕方がない。しかもつい先日、僕は奴隷の身分でありながら、脱走をしようとしたのだ。
 怖い。怖すぎる。

 恐怖に駆られた僕は、現実逃避をして、そういえば、以前、ミントチョコレートがついたドーナツを食べたな、と思い出した。ミントは繁殖力が強く、この国では名産なのだとか。それは地球の砂漠でも、同じだな、と、思った。今、ミズキさんがいて、土壌が潤っている間に、ミントを砂漠にたくさん植えて、この国がもっともっと繁栄してくれたらいいな、と思う。

(はあ…今は、国の繁栄うんぬんよりも……)

 表情が豊かになったとはいえ、相変わらずデフォルトは無表情のエミル様を見て、僕は「あ、ありがとうございます」と、びくびくしながら言った。
 実験に、ミミズにと、疲弊する毎日を送っている僕ではあるが、基本的に僕は奴隷なので、給金のようなものはない。お小遣いをもらっているが、それも、エミル様の好意でしていただいていることなのだ。今日はどうしたのか、珍しく、エミル様が一緒に出かけようというので、僕は怯えながらも一緒に街を歩いているわけだけど、先ほどから、どうにも、嫌がらせのかんじはしないのだ。

(なんなんだろう…本当に、息抜きに付き合わされてるだけなのかな)

 僕は、あむっと揚げパンにかじりつきながら、首を傾げた。
 その様子を見たエミル様が「他に何かしたいことはないのか」と、尋ねてくるので、僕はさらに警戒を強めた。一体、何が待ち受けているというのか。明日には、巨大ミミズが群れをなして、攻めてくるのだろうか。
 僕はこっそりエミル様を盗み見るが、エミル様も、今日は、どことなくそわそわとしている気もする。
 僕は反対側に首を傾げた。
 そもそも、魔術師長なんて、多忙の極みであるにも関わらず、せっかく街に来たのに、奴隷のしたいことを尋ねるだなんて、どういう状況だろう、と僕は思った。エミル様が、僕を怖がらせて楽しんでいることは知っているが、今日はやっぱり、そういう気配はないのだ。

「エミル様は、どこか行きたいところないんですか?」
「ノアに聞いているんだよ」

 なんだか、こんなやりとりを、昔ヒューともしたような気がするな、と、僕は思い出した。なんだかヒューの時のように、そのうちエミル様がへそを曲げるような気がして、僕は素直に、行きたいところを考えることにした。
 そして、少し考えてから「魔道具が見たいです」と言ったら、エミル様は、なんだか納得したように「ああ」と言って、僕を古い魔道具の店に連れて行った。僕がいつも買い出しに行くときに通るところとは違い、少し高級な店の並ぶところだった。

 風に靡いて、鉄製の看板がキイキイ鳴っている。店構えはそこまで大きくはないが、なんだか老舗感ただよう、重厚な造りだった。
 焦茶色の扉を開けて、中に入ると、そこには所狭しと商品が並べられていた。
 魔法の杖みたいなわかりやすいのもあれば、日本でいうところの『便利グッズ』のような、どうやって使うのかがわかならないものもあれば、オブジェのようなものもある。僕は一つ一つ手に取りながら、目をキラキラと輝かせた。

 僕は、ユクレシアにいたときから、魔道具屋が好きなのだ。

 でも、ユクレシアにいたときは、魔王を倒さなくてはいけないという使命があったから、こんなに悠長に買い物をしたりする暇は、ほぼなかった。
 たまに少しの時間を見つけては、ヒューと一緒に見て回っていたくらいで。それでも、日本には、地球にはない、異世界のものを見るのは、とても面白いのだ。

 僕の前には、変な黒い骨みたいなのがあって、「悪魔の骨」と書かれていて、僕は邪神を思い出して、ちょっと嫌な気持ちになった。
 エミル様も「そんな気持ち悪いものを見ないように」と、ものすごく嫌そうな顔をしていた。が、効能のところに「砕いて、飲ませると恋愛が成就する」と書いてあって、エミル様が一瞬動きを止めていた。その場から、なんとかエミル様を引き離しながら、僕は思った。

 砕いた悪魔の骨を飲まされて、成就した恋愛に、未来など絶対にない。

 邪神ですら、心の闇を糧にしているくらいだ。悪魔は必ず魂的なものを要求してくるはずだ。僕の意見には、実感がこもっていた。

「なんの魔道具を探しているんだ?」
「うーん、これと言ってないんですけど、いつも、通信具みたいなのを探してしまいますね」
「通信?離れた相手を話すための道具ということか」
「はい。僕は会いたい人がいるんですけど、会えなくても、話すとか、手紙とか出せたらなあ、とか思いませんか?」

 ヒューのことが、どうしても頭に浮かぶ。
 ぼんやりと、商品をなでたりしながら、見ていると、エミル様が「会いたい人と通信…」と、呟くのが聞こえた。まずい、と僕は思った。先ほどの「悪魔の骨」のこともある。エミル様は、想い人のことをまた思い出しているのかもしれない。
 余計なことを言ってしまった、と僕はサアアと青ざめた。

 困った僕は、逃げるが勝ちとばかりに、魔道具屋を見るのをやめて、屋台が並んでいるところに行こうとエミル様に提案した。
 そう、この王都カラバトリには、すごく大きなマーケットがあるのだ。
 外の空気は、からっとしてはいるが、今日は晴天なのだ。自分のうっかりのせいではあったが、薄暗い魔道具屋にいるより、エミル様の気分も晴れるだろうと思った。
 エミル様の手を引いて、僕はどんどん歩いた。
 その途中、エミル様がぽつりと言った。

「そうか、通信なんていう発想がなかった。すごいね、ノアは」
「え?」

 なんだか心なしか、エミル様の目がきらきらと輝いているように見えた。さっきまで眉間に皺が寄ってたから、てっきり想い人を思い出してしまったのかと思った。

(あれ?もしかして、エミル様の好きな人、どこか遠くにいるのかな…)

 と、考えて、「も」ってなんだよ、と自分でつっこんだ。それはまるで、僕の好きな人「も」どこか遠くにいるようだった。なぜか頭の中で、ふんと鼻で笑うヒューが浮かんで、こんな時まで、ヒューにばかにされている映像が浮かぶとは…と、僕は、そのヒューを振り払うように、首をふった。


 ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→


「ノア、近くのオアシスまで行ってもいい?」

 そう、エミル様に言われて、僕は近くの小さなオアシスに来ていた。
 正直、ついに来たか、と思った。おそらく、これから大量のミミズ討伐に連れて行かれるに違いない、と僕は思った。が、何事もなく、そのオアシスまで辿りついた。ラウマでゆっくり揺られてきたので、着いたときにはもう夕暮れになっていた。

 栄えているところとは違って、本当に何もないただのオアシスであるそこは、僕とエミル様以外、誰もいなかった。その近くに集落もない。
 エミル様が異空間収納袋から、敷き布を取り出して、椰子の木陰に敷いてくれた。その上に座っていたら、夕ご飯用なのか、ピタサンドみたいなものが出てきた。
 僕は、思わず尋ねた。

「エミル様、今日はなんなんですか?ピクニック?」
「うん、もう少し付き合って欲しい」

 超絶美形のエミル様の顔が、ふわっと緩み、僕は、ほうっと見惚れてしまった。
 ヒューもきれいな顔立ちだったけど、幼さがあるせいか、猫目なせいか、感情が激しいせいか、『超絶美形』みたいには思ったことはなかった。
 エミル様はどちらかというと、シルヴァンに似ていて、大人っぽい彫りの深い顔に、美しい瞳がついていて、なんていうか、女神様のようなのだ。だから、見ていると、本当に芸術品でも見ているような気になる。

 そして「ピクニック」と言われて、僕は、もしかして、今日は本当に息抜きだったのかもしれないと、ようやく気がついた。そうだとするなら、びくびくしてしまって、申し訳なかったな、と思った。
 反省した僕は、素直に伝えることにした。

「今日、ありがとうございました。すごく楽しかったです」
「そうか、よかった」

 僕は差し出された、ピタサンドをもぐもぐと食べながら、お礼を言った。
 僕の手首には、エミル様にもらった美しい組紐がついているのだ。
 薄紫色と水色で編まれていて、なんだかヒューとエミル様を足して混ぜ合わせたみたいな色だった。少し、女の子っぽいかなと思ったけど、太いものではなく、本当に紐っぽかったので、多分、そこまで目立たない。砂漠の国では、常に、長袖の麻シャツを着ているので、袖をまくらなければ、見えもしないだろう。
 買う際に、なぜかエミル様が不思議そうな顔をして、「前にも同じようなものを持っていたか?」と聞かれたけど、そんな覚えはなかったので、知らないと首を振った。

「ノアが誕生日だったからね」

 そう言われて、僕は「あ」と、はじめて気がついた。
 ユクレシアも、この砂漠の国も、呼び方は違うけど、日本の暦と数え方が一緒なのだ。確かに、セバスさんには誕生日を伝えた気がするけど、エミル様にまで知られているとは思わなかった。この国は、ずっと夏のように暑いけれども、今日は、地球だと、十一月だった。
 僕は驚いて、目をぱちぱちとさせ、しばらく止まってしまい、慌てて「あ、ありがとうございます」と言った。まさか、多忙なエミル様が、僕の誕生日のために、貴重な一日を使ってくれるだなんて、思ってもみなかった。

「………」

 僕はだんだん気がついていた。
 そう、『邪神の仕組み』がだんだんわかってきた僕は、気づいていた。
 異世界転移をするとき、僕は羽里が心配で、地球に帰りたいという闇を持ちながら、それと同時に、異世界で出会った人たちとの別れに怯えているのだ。早く結末になってくれ、と思いながら、もう少し続けばいいと願っている。
 こうしてせっかく、また、エミル様やセバスさんに出会っても、僕はいつか、彼らに別れを告げる日が来る。そう思うと、つきんと胸が傷んだ。

「なんか浮かない顔だね」
「えっあ!す、すみません!」

 せっかくお祝いしてもらっていたのに、僕はなんて顔してんだ、と思い、エミル様の方を見た。もうエミル様はピタサンドを食べ終わってしまっていて、水筒から水をこくこくと飲んでいた。

 僕は、「今は今だ」と気持ちを切り替えて、素直に、今、嬉しい気持ちを噛みしめておこうと思った。あのエミル様がこんなことをしてくれるだなんて、本当にすごいことだと、僕は思う。

 なんだかこの、全然派手ではない、いつもの日を、ちょっと特別にしてくれるような祝い方をするエミル様が、僕はすごく好きだなと思った。いつも買い出しをする街も、いつも討伐に行く砂漠も、一緒に食べるピタサンドだって、いつもとあんまり変わらないのに、今日はとても、特別だった。

(不思議だ…なんだか僕は、エミル様を、ずっと知っているような気がする)

 僕もピタサンドを食べ終わって、しばらく、そのまま二人でぼうっとしていた。
 この国でどうやって祝うのが、普通なのかはわからない。でも、誕生日ケーキとかを用意されていたら、なんだか恥ずかしくなってしまうから、エミル様がそうやって静かにお祝いしてしてくれてよかった、と僕は思った。
 そして、しばらく経ったとき、エミル様が「目つむって」と僕に言い、僕は首を傾げた。どういうことだろう、と固まっていると、見かねたエミル様の、きれいな両手が僕の後ろからまわってきて、僕は結局、強制的に視界を塞がれてしまった。「え、わ、」と意味を成さない言葉を続けていたけど、耳元でエミル様が言った。

「ノア。私はやっぱり、ノアに会えてよかった」

 何が「やっぱり」なのかは、よくわからなかった。
 いつもは、そんな耳元で囁かれると、僕はまっ赤になってしまうけど、エミル様の、その思いのほか真剣な声色に、僕はしゅぴっと姿勢を正した。

「追いかけている人のこと、そのままでいいんだって思ったら、すごく楽になったよ。君が言った通り、それは全部、私の大切な思い出でもあった」

 そうか、と僕は思った。おじいちゃんちの柴犬ベースの、陰キャぼくの拙い意見でしかなかったけど、役に立ったのなら、よかった。
 あれから半年経って、エミル様の恋愛が、その後どうなったのかは、僕は知らない。でも、エミル様が、こんなにも生き生きして、楽しそうに毎日を過ごしているのだから、きっと、何かしらいい方向に行ったのかも、しれなかった。
 が、よかったな、と思いながら、僕はとある一つの疑問にぶち当たった。

(僕はなぜ、目隠しをされているんだろう…)

 うーん、と考えて、もしかして、エミル様は恥ずかしいからかもしれない、と思いかけて、いや、エミル様のことだ。もしかしたら、目隠しを外されたときには、やっぱり最終的に、目の前に巨大ミミズがいるかもしれない、と体を震わせた。そうしたら、エミル様が「なんで怯えてんの」と、呆れたように笑う声がして、そして、ぱっと目隠しを外された。

 僕は、思わず息を呑んだ。
 街の中で見るそれはとは違う、信じられないほど鮮明な、その夢のような光景は、ユクレシアでヒューと見たのと、そっくりだった。
 僕が目を丸くして固まるのを、横で見ていたらしいエミル様が、言った。

「好きだろ。星」

 なんだかその言い方が、いつものエミル様と違って、すごくヒューみたいだなと思った。
 そう、僕は、異世界に来てからずっと。僕が埋もれてしまいそうなほどの、無数の星が、空に広がっているのを見るのが好きだ。
 カラバトリは、栄えている街だから、いつも明るくて、ここまでの光景を見たのは、この世界に来てからは、はじめてだった。
 それから、エミル様が言った。

「誕生日、おめでとうノア」

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