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4. と、俺。
90 吸血鬼一匹
しおりを挟む「一体、何が、どうなって……」
ザザッと特殊警務課の人たちが動き、叫び声をあげる二人を捕縛していくのが見えた。チェルシーが「現行犯逮捕。ついに、ついにやったわ」と言いながら、僕とソーマのところまで歩いてきた。
「おつかれ!」
「……チェルシー……皇女……殿下?」
「あはは、いいわよ別に。上手くいってよかったわね、ソーマ。大方、あなたのお姉さまの筋書き通りよ」
眉間に皺を寄せたソーマが、思わず殿下と言うと、チェルシーは笑いながら、話を続けた。
「ソーマ、あなたのことはネルがいなくなった時点で、課長に聞いたわ。ネルがフリティラリアに捕まることは、あなたのお姉様、ソフィア・オルディスの計画通りだった。ネル、悪いわね。その計画、あなたにだけは秘密だったみたいよ。あなたがそれを知ってると、厄介なことになるからって」
「どういうことなんだ……?」
「あの魔術陣は、ソフィアが用意した『吸血鬼を人間に戻す』ための魔術陣だったのよ。そのためにネルは捕まる必要があった。呪いも含め、全てのレンツェルの力を剥ぎ取って、ネルに移すためにね」
「え、待ってチェルシー。それじゃあ、ネルはやっぱり呪われたままだし、あ、ネルも人間に戻したらいいんじゃ……」
チェルシーは、ふるふると首を振って、それから、妙にキラキラと目を輝かせながら、妙に鼻息荒く、ソーマと僕の顔を交互に見ながら、高笑いをしながら、まるで悪役かのように言った。
「ほっほっほっ! 残念だったわね! さっきフリティラリアが言ってたけど、その通りよ。ネルがいなければ、呪いごと力を全部剥がすことなんてできなかった。あなたはこれで正真正銘、この国で唯一の吸血鬼よ!」
「え……何でそんな嬉しそうなのチェルシー。ていうかそれ、大声で言ったらまずい奴だろ」
「これ、そのことについて書いてあるソフィア・オルディスからの手紙。私も、あなたのお姉様には、大賛成♡ とにかく、大丈夫よ。多分、あなたたちなら、ハッピーエンドだから! とりあえずフリティラリアの方どうにかしてから、ネルの沙汰は、その後で通達するわ。じゃね」
「意味わかんないんだけど……」
ソーマが眉間に皺を寄せながら、チェルシーに楯突いているけど、僕はその横で、まだ、呆然としていた。
レンが、人間に戻った……それは、人間として、これから処罰を受けるという、ことなんだろうか。それから僕は、未だに吸血鬼のままで、それで何がどうなって、ハッピーエンドを迎えることができると言うのだろう。
色んなことが起きすぎて、頭がついて行かなかった。だけど、隣から、愛しい人の声が聞こえて、ふと、横を見た。
「他のベスィたちも、一緒にいなくなってしまったんだな……」
その呟きに、その通りだと思った。さっきの魔術陣から、レンの体内の力を呪いと一緒に吸い取った後、霧のようにふわっと消えて無くなってしまった。もしかしたら、レンが呪った全ての人たちの魂が、消えてしまったんだろうか、と思い、ギクッと体を強張らせた。
「そ、ソーマは! 体は! なんともないの!?」
ガシッとソーマの肩を掴み、そこに存在することを確認して、ほっとした。だけど、まだ怯えながら、それでも、一体、一体どういう仕組みで、ソーマはここに存在しているんだろうかと、思考を巡らせた。
「ああ、なんかその反応で、全部わかったって感じだ。やっぱり、この俺を殺したのも、レンツェルなんだな?」
「!!!」
「いや、いいって。わかってたから。姉さんが殺された時、俺も、多分、死んだんだろうなって、なんとなく」
ソーマがなんとも言えない表情で、「前世も今世も気づいたら死んでるとか、なんだかなー」と言って、なんでそんな風に笑ってられるんだろうとか、僕のことが怖くないんだろうかとか、色んな疑問が巡る。だけど、ソーマがここにいてくれることが、自分の中ではすごい奇跡で、未だにレンが捕縛されたっていうのが信じられない頭で、ただ、ソーマのことを見た。
「結局、ネルは吸血鬼のままだってさ……どうなんだ? 気分は」
「ソーマ……僕は……」
「でも、大丈夫だろ。姉さんが、それでいいと思って、そうしたんだから」
安心させるように、そう言ってくれるソーマは、まるで、僕の知ってる前世のソーマのようで、少し震えてしまう。僕は、どうしたら、いいだろう。どうするべきなんだろうって、頭の中で、考える。
当初の計画では、レンの吸血鬼としての証拠を集め、女帝陛下側が貴族同士の汚い金の流れを洗い、それを理由に捕縛した後に、レンの吸血鬼としての呪いを試し、おそらくは半永久的に牢獄に入れられる事になるはずだったのだ。レンは女帝陛下の側にまでベスィを放っていた。そしてそれこそが、女帝陛下が迂闊に動けない理由だったはずだ。見えない敵にたくさんの人質を取られていて、捕まえることができなかったはずだった。
そんな、人間に戻すだなんていう方法、いつ、わかったんだろうか。
ただ呆然としている僕のことを、ちらっと見たソーマは、チェルシーに渡された古い手紙をちょっと上げながら、言った。
「とりあえず、読むか。これになんかしらのことが、書いてあんだろ」
ソーマは、僕の手を引き、出窓のところまで行き、腰掛けた。僕も隣に座り、その手紙に目を落とした。
だけど、――もう、その書き出しの数行で、僕は、死にたい気持ちになった。
課長へ
すっごくいいこと思いつきました。
もう、この際、ネルを吸血鬼に捧げちゃって、不老不死とか治癒とか、全部の力を呪いと一緒に、ネルに移しましょう。そしたら、この国で吸血鬼はネル一匹になって、安全だわ。
「完全に悪い奴の手紙じゃねーか!」
「一匹……単位、一匹なんだ……」
キレ出すソーマと一緒に、若干もう読みたくない気持ちを必死で押さえながら、先に目をやる。昔会った時から、ソフィア・オルディスという女性には、いつもドキドキさせられていたことを思い出し、虚ろな気持ちになった。
ていうか、ソーマの胸の中に、ネルたちを吸血鬼にした魔術陣を、反転させたものを埋め込みました。
様子見てると、どうもレンツェルは、ネルへの執着が強そうなので、いつかソーマに辿りつく気がしていて。その時、ソーマがまた死んじゃったら、ネルが狂うと、安全な吸血鬼でいられるか分からないので、保険です。
「安全な吸血鬼……お前、なんか手の平の上だな」
「ていうかさ……なんでソフィアはソーマと僕のこと知ってたの? それ、すごい不思議なんだけど」
「ああ、なんか催眠術で、俺の前世の記憶掘り起こしちゃったらしいよ」
「え……」
オルガ・ストラヴィに埋めたものは、死んだ後につけたのでどうなるかはわかりませんが、他の、レンツェルの庇護下にないベスィたちのように、衝動的に行動していないので、理性を保てるものと考えていいと思います。作ったその反転の魔導具は、研究室にもうひとつ残してあります。
もしほんとに、ネルに呪いを移す方向でやることになったら、女帝陛下の周辺のことにも、ちゃんと目処つけてからの方がいいと思うので、すぐに……というわけにはいかないだろうけど。レンツェルのところにいるイーライは、悪い奴ではないので、もしこの研究を見つけたら、協力してくれるとは思います(ただ、家族を養ってるので、数十年は待った方がいいかも)。レンツェルが、力を剥ぎ取られたら、おそらく、ベスィたちは全部、消滅します。ただ、ネルだけが呪われたままですけどね。あはは
「わざわざ、あははって書いてあるぞ」
「………………」
で、呪いを移した後のことです。
この呪いは、とても強固で、何千、もしかしたら何万もの呪いが重なってできています。現状、その呪いを昇華させるためには、一つ一つ、霊送の時に一緒に昇華させる方法を取ってます。なので、ネルのことを何万回か、剣で突き刺せば、呪いはなくなります。
それでもまあ、いいんですけど。多分、結構痛いんで。
「……お前、なんか嫌われてたの?」
「なんか人間だと思われてなかったってことが、よく伝わってくるね。まあ……そう、なんだけど……」
だから、ソーマを置いてきます。
体液と一緒に呪いが人間を殺すわけです。つまり、人を噛むごとに、吸血鬼の中の呪いは多分、減っています。これは当たり前だけど、レンツェルには言っていません。これ以上被害者が出ても困るので。
だけど、ネルの場合。ネルの体液に混じった呪いは、ソーマの体を呪い、ソーマの体の中で浄化されるので、だから、ソーマがいれば、被害は出ないな、という結論に達しました。そしてですね、驚きの事実なんですけど、なんとうちのソーマ。前世で、ネルの恋人なんですよ!
身分違いの! 秘められた! 男同士の! 恋人なんですよ!!!
私も、どうやったら、ただの人間のソーマと、吸血鬼のネルの恋を成就させられるかって、それはもう、レンツェルのところで働き始めてから、ずっとそれが研究テーマだったんですけど、どう考えても、現状、ソーマが死ぬ以外に方法がなくて、これはもう、レンツェルのことを利用してやろうかと思って。ソーマは、半分ベスィ、半分人間みたいな状態で、呪いの侵攻を止める感じなので、化け物になっちゃうんですけど、まあ、私の弟なので、多分大丈夫です。
だからもし、もしも、ソーマに、レンツェルの手が及ぶようなことがあった時は、この計画に切り替えてお願いします。一応、魔術陣のことは課長にも教えておきますが、どうにかして、レンツェルの手に、この、呪いだけを取るっていう偽物の魔術陣と、ネルの身柄が、手に入るように、なんとかして下さい。ソーマが元気に生きてたら、ネルには悪いけど、内密に。あーかわいそうだけど。んーでも、仕方ない。
ソーマが半ベスィになってたら、後は、飽きるまで、交わりたいだけ、交わらせたらいいから。その辺も、よろしく。
「ま、まじわ……は!?」
「…………ソーマだって、完全に手の平の上だよ」
「お前、顔、にやけてんだよ」
「だって、何これ。飽きるまで、交わりたいだけ、交わっていいって書いてある」
こんな、バカみたいなことある? て、思って、信じられないけど、おかしいっていう気持ちが込み上げてきて、ふっ、と、笑いが漏れたと思った。だけど、――それは、笑ってるんだと思ったそれは、なんだか違う風に、僕の肺を動かして、変な感じに、過呼吸みたいに、息を吸い込ませた。
ん? と、僕の顔を覗いたソーマの目が、ハッと大きく見開かれて、そして、僕の手をぐいっと掴んで、そして、ぎゅうっと抱きしめられた。ソーマの肩が、小刻みに震えていて、それから、少し湿った声で、言われた。
「すごいな……ネルは。すごいよ……」
何がっていう言葉が出てこなくて、でも、少しだけ、ソーマの温もりを感じていたくて、それで、僕も、おずおずと、ソーマの背中に手を回した。ひくっひくっと、横隔膜が痙攣していて、まだ、呼吸がおかしい。
ソーマが、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえた。
だけど、ソーマが、続けた言葉で、僕は、――。
「ネルが、生きててくれて、よかった。また、俺と出会ってくれて、ありがとう」
はあっと、自分が大きく息を飲む、音が聞こえた。
次の瞬間には、目の奥がじわっと、潤んだ。鼻の奥がつんと痛んで、喉の奥が熱くなった。ソーマの背中に回していた指先が震え、ぶわっと全身が粟立つ。ど、どっど、どっどっど、と、心臓の音が速くなり、それでも、何も言えなくて、ただ、目の前の愛しい存在を掻き抱いた。
ソーマの手が、ぽん、と、僕の頭の上に乗せられる。
「ネル……ありがとう……泣いて、いいんだ。その涙で、俺は、死なない」
「……ま、そーま、、」
何も言葉が出てこなくて。
でも、言葉の代わりに、自分の目から、涙が溢れていることに、気がついた。
溢れる涙は、きっと、三百年分の、涙みたいで、泣き方なんて忘れてしまったと思っていたのに、止まらなくて、僕が、濁った音を出しながら、そのまま、ずっと、ずっと、涙を流した。
あの日、――ソフィアを霊送した日。駆けつけた僕は、ソーマが、ソフィアが、レンツェルに噛まれたってことは、すぐにわかった。
だけど、倒れているソーマを見た瞬間、僕は、出会うこともなく、また失ってしまったのかと、驚いて、だけど、そこにいたベスィになったソフィアが「大丈夫だから」と言って、呆然としている僕の横で、いそいそと荷物を用意して、気を失っているソーマに、催眠術をかけた。
それは、目を覚ましたら、直ちに田舎に行って住むこと、それから、一つの場所には長く留まらないってこと。
それから、「ソーマにキスとかしても、死なないよー。それ以上も全然OK!」と、意地悪そうに僕に言って、レンツェルに見つかる前に霊送してって、頼んだ。あの時は、意味が分からなかったけど、後で課長から、さっきの手紙の十分の一もない情報を与えられて、それからは、ソーマのことを見守っていた。
(また失ってしまったことよりも、また触れられることを、少し喜んでしまった僕を、許して欲しい……)
僕はなんて、愚かなんだろうと、思った。触れる資格なんて、本当はない。
今だって、僕のことを抱きしめてくれている手が、その温かさを持っていることに、その温もりを抱きしめることができることが、幸せで、仕方ないのだ。でも、だけど、って、色んなことが頭に浮かんでは、今だけはって、思う。
きっとこれから、不自然な形でこの世界に残ってしまっているソーマのことも、結局まだ吸血鬼な僕のことも、どうにかしなくては、いけなくなるんだろう。いつかソーマだって、死にたいと思う日が来るはずだった。
「今だけ、今だけだから……」
口から漏れた言葉は、本当にか細く、頼りない声で。
本当は離れたくないのが、丸わかりすぎて、かっこ悪すぎだった。でも、ソーマの声が降ってくる。
「馬鹿だな。喜べよ。飽きるまで、交わりたい放題で、呪いもなくなるのに?」
「……そ、そうだけど僕は、――」
「呪いがなくなったら、不老不死の治癒の能力を持つ神だろ? なんでもできそうだな。そんなことしたくないだろうけど」
「だ、だからソーマのことも含めて、どうにかしないと……」
そこには、おかしそうに笑ってるソーマがいて、そんな風に、普通に笑っている姿を久しぶりに、本当に久しぶりに見た僕の心臓が、ドクッと大きく跳ねた。
「でもさ、まずは……」と続けたソーマが、満面の笑みを浮かべて、僕に、言った。
「帰ろっか!」
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