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3. と、はぐれる
83 確認項目で確認
しおりを挟む「………………もう、やだ」
小さく漏れた言葉は、笑ってしまうほど、震えていた。
訳のわからない一日だった。縋るように訪れた家族の墓で見つけた、姉さんの日記には、さらに、訳のわからないことが綴られていた。
頭はもう、混乱しすぎて、意味がわからなかった。姉さんの日記を抱えたまま、俺は、膝を抱えて、丸くなった。
辺りはもう、暗くなりかかっていて、風邪を引きそうだなと考えて、死んでるのに風引かねーだろ、と思い直した。
(死んでるわって……なんだそれ。生きてんじゃん、俺。どういうこと?)
思い出してみたって、別に、ベスィのように、他の人と話せないわけでも、視えないわけでも、ない。普通に生活していたのだ。だけど、――スパロウさんが、人間だった頃、それがいつなのかは、わからない。でも、シャーロット帝の海戦が終わった直後。それは明らかに、百年ほど昔のことだった。
「そんなの、信じられないって……」
姉さんの日記の、最後に、ご丁寧に『信じられなかった時のための確認項目』というのが書かれていた。本当に弟の全てを把握していて、しかも用意周到な姉だと、思わざるを得ない。ぐぐっと眉間に皺を寄せて、仕方なく、言われるがままに、確認項目をチェックすることになった。
・化け物が視えている
「………………視えてるけど」
・朝、ものすごく眠い。だるい。起きられない。
「…………い、いやでもそれくらい、みんな……」
・記憶が曖昧(友達に最後いつ会いましたか、親が死んだ日付がわかりますか)
「………………」
・食事を取った覚えがない
「………………」
・シェラント歴を確認した覚えがない/普通に年号見なさい
「………………」
→5項目当てはまったら、ソーマは死んでます。残念~!
「いや、ど、どういうことだよ! これ! 残念って!」
薄暗い実家の庭に、俺の虚しい叫びが響き渡った。
家族の墓の前ではしゃいでる人みたいで、恥ずかしくなって、かああっと顔に血が上る。こそこそと、実家のポーチの方へ近づき、そして、窓からそうっと中を見てみた。誰かが住んでいる気配はない。でも、そこは、何故か、俺が去った時から変わっていないような気がして、パンツに付けている鍵を取り出してみれば、普通に扉が開いた。
「うわ、懐かし……」
誰かが、綺麗に保っていてくれているに違いなかった。もしくは、魔法使いじみてきていた姉さんが何かしらの魔術でも、施したんだろうか。誰かはわからないけど、俺は、俺が去った時、おそらくは、百年近く前から、あまり変わっていないような気がした。
リビングの一人がけのロッキングチェアには、父がよく、座っていた。
俺はそこに腰掛けて、ゆらゆらと揺れながら、姉さんの日記を膝の上で撫でた。とにかく、色々なことが起きすぎていた。
(どうしよう……きっと、ネルのこと、傷つけた)
すぐに戻らなくちゃとは思う。それでも、少しだけ、整理させて欲しかった。はー、とため息をつきながら、さっきのことを思い出す。誰もいないから、声に出して言いたかった。それくらい、もう、何がなんだかわからなかった。
「庭師のソーマ。貴族のネル……。前世って、……嘘だろ」
まさか、あの夢が、前世の記憶だったなんて、考えもしなかった。
それから、ネルが、本当に吸血鬼なんだとすれば、ネルは、本当に。『俺』と愛し合っていた『ネル』は、ネルで、――
「三百年……生きてんの?」
もう、何度目かわからない「嘘だろ」が、また口をついて出た。
三百年が短いだなんて、吸血鬼なら四千年くらい生きてるのかと思ったって、俺は、なんてことを言ってしまったんだろう。でも、ネルはなんで、笑ってたんだろう。あの時のネルは、本当に、『ネル』みたいに、おかしそうに笑ってて。
ぎゅっと、手を、握りしめた。
「どんな想いで、そんなに長い時を……」
前世の俺の、最期を、姉さんは書かなかったのだ。二人が一体どんな結末を迎えてしまったのか、わからなかった。その時、ネルに「愛してる」と言われて抱かれたことを思い出して、ぶわっと顔に熱が集まった。愛してるって、好きだって、そんなに思われてる相手が羨ましいって思ったけど、あれはもしかして、――俺のことだった? と、考えて、うわあと、顔に両手を当てた。
(待って。待って。俺は、それを喜んでいいのか? いや、待って、あれは『俺』のことだから、結局だめ?)
両手で、まっ赤な顔を押さえたまま、うーん、うーん、と悩む。
思い出しただけで、ネルの愛情の深さに、溺れてしまいそうだった。
姉さんは、ネルは俺のことを好きになると思うって言ったけど、あいつは、いつから俺のことを知ってたんだろう。詳しくは書かれてないけど、スパロウ課長にお世話になったなら、ネルにも会ったんだろうか。武器に付与している魔術が姉さんが教えたものなら、少なくとも、ネルは、姉さんのことは知っていると思った。
――「待って」――
そう、ネルに呼び止められた、あの日、――。
ネルは、どこまで、俺のことを、知っていたんだろう。
視えてないかと尋ねられたのだから、ネルはあの時点で、きっと俺が、そう、俺が死んでることに気がついていた、はずだった。
はじめてキスした時は、どうだっただろう。
頭痛に倒れてしまった俺に触れた時、ネルは、目隠しの向こうで、一体どんな顔を、していたんだろう。何も見えていなかった俺のこと、ネルは、どう、思ったんだろう。
自分が死んでるとか、信じられないほどの一大事なのに、それよりもネルのことが気になってしまった。
(もう、俺に、触れないって…………ああ)
ネルは、吸血鬼になってしまったネルは、『俺』に、もう触れることも、できなかったんだろうか。それを思うだけで、胸が張り裂けそうだった。
俺は、前世の自分の最期も、今の自分の最期もよく覚えてなくて、一体何が、どうなって、俺は田舎を点々とすることになったのか、それすらも、思い出せなかった。
(死んだことも思い出せないって、どういうことだよ……)
さっきの姉さんの項目を思い出し、ため息が出た。そうなのだ。ああして指摘されて、改めて、食事のことを思い出してみたら、ネルが甘ったるいものを食べてる様子はすぐに思い出せるのに、自分が何かを食べた記憶はなかった。
(俺……いつから、コーヒーだけで生きてたんだっけ)
レイナがわたあめを食べられたんだから、食べられないというわけではないんだろうけど、自分が何かを食べた記憶がない。それから、レイナや、オルガさんを思い出して、記憶が曖昧なんだなって思ってたのに、自分のことになんて、全く思い至らなかった。
友達に会った覚えもない。どうなったのかも知らない。そして、親の墓石の年号も。
(見ても……不思議に思うだけで、全く気がつかなかった)
でも、それは、――ベスィと同じ状況っていう、ことだろうか。確かに、レイナも、オルガさんも、もしかしたらイーライも、俺と同じように、普通に生きている様子だった。そして、思い出す。イーライは「成功してたのか」みたいなことを言っていた。
きっと姉さんが埋め込んだ何かのせいで、俺は、変な風にねじれたベスィみたいな状況になってるんだろうとは、思う。
でも、人には見えてるのだから、今のところは、保留でいいか、なんて考えていたが、死因くらいは、思い出したい。墓石に書かれている、銀弾に打たれたっていう文句は、姉さんが俺に、銀弾に触れさせるためのものだったと思うのだ。本当に撃たれたわけではない。
(どうやって、――死んだんだ??)
ベスィはみんな、自分がどうやって死んだのか、気がついていないことを思い出した。俺も漏れなく、自分の記憶が曖昧で、思い出せなかった。
でも、墓石にも書いてあるけど、俺の年齢は多分、二十三歳だ。
そこまで考えてハッとする。姉さんが死んだのが三十歳なのだから、姉さんが死んだ年に、きっと、死んだんだ。
「あー……だめだ! わっけわかんねー。そもそも俺はなんだ? 死体なのか? ベスィなのか?」
だって、もしもベスィなんだとすれば、俺は、ネルかレンツェルか、どちらかの体液に触れたはずだった。いつ? どこで? と、考えてみる。そして、思い出したあの記憶。地下室みたいなところで、血だらけの姉さんが倒れている映像。そして、その横には、――
「そうだ……ネルが。いや、レンツェル? でもあの剣は」
地下室。思い出せ。どこの地下室だ?
目を閉じ、どうしてもぼやぼやっとしてしまう記憶を辿る。そこまで広くはない空間。本棚。どうして魔導灯がついてないんだろう。蒼白いネルの剣の光と、それから、窓から差し込む月明かりだけ。姉さんは倒れていて、俺は、それを見て、なんで駆け寄らなかったんだ? どうして、その場から離れて、何事もなかったかのように、田舎へ移住しようと思ったんだった?
荷物は? 少ないながらも、今ほどじゃないけど、鍵も昆虫図鑑も、着替えだって、流石に持って行ったはずだ。どうして、倒れている姉さんを置き去りにすることができたんだろう。
だけど、――思い出した記憶の中の片隅に、父さんの、コーヒー用のサイフォンが山積みになっているのが見えた。あれは、母さんに黙って、父さんが買い集めていたサイフォンに違いない。下手の横好きで、父さんの淹れるコーヒーはものすごく苦くて、母さんはその趣味をあまりよく思っていなくて、まとめて地下室に、――って。
「え、――実家?」
←↑→↓←↑→
「流石に……埃っぽいな」
小さな魔導ランプを手に、階段を下に下りていく。
もう外も暗く、なんだか、記憶の中の地下室そのもののようで、冷たいものが、背筋を張っているような感覚。薄魔導ランプがあって、この暗さだ。よっぽど暗さに目が慣れてなかったら、あんな風には見えないんじゃないか? と、首を傾げる。でも、暗い部屋に、父さんのサイフォンの山を見つけ、そして、記憶の中と同じように、自分が立っていた位置に、立ってみる。
庭に繋がっている、天窓のような入り口の辺りだった。
(視線が、高いな……なんだろう。俺も、倒れてた?)
確か、俺は、あの天窓から、外に駆け出して、その時には、なぜか荷物も手にしていた気がする。そのまま、隣街まで馬車に乗って、それから、田舎を転々としていたのだ。
目線を合わせようと思って、少し、しゃがんで見れば、記憶と同じような目線になったような気がする。だけど、その位置から、改めて地下室を見回してみて、ハッとする。
自分に迫り来る手。優しい、柔らかな手だった。笑いかけられた。そうだ、ネルに、――。
その瞬間、――。
「あ あ あ あ あ」
怒涛のように、記憶が蘇る。
滝壺の底で、上から降ってくる滝にもみくちゃにされているみたいな感覚。溺れてしまいそうで、立っていられなくなって、そして、膝をついた。両手を床につけば、ぶわっと埃が舞って、げほげほむせてしまって、さらに苦しくなった。
しばらく、口に手の甲をつけて、涙目で咳を続けた後、ようやく、落ち着いた。
そして、思い出した。百年前のあの日のこと、――。
「そうだ……そうだ。あの時、――ネルは……俺と、姉さんを」
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