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3. と、はぐれる
76 逃亡
しおりを挟む――「ソーマ! ソーマ! だ、大丈夫!?」
――「ね、……姉さん。姉さん?」
――「ごめーん。ちょっとやり過ぎちゃったみたい。頭痛くなったりしてない? 大丈夫?」
ぐらっとした頭に、変な記憶が過ぎる。姉さんが、生きていた時の、記憶。断片的に、コマ送りのように頭に流れるその膨大な量の情報に、ふらふらした。俺は、今、どこにいるんだっけ? と、辺りを見回し、ハッとする。
(そうだ、――俺は今、レンツェルの建物から、落ちて……ここは? 中庭だろうか)
身体を起こしながら、庭の出口を探さなくてはと、ゆっくりと立ち上がった。
どうして自分が助かったのか、よくわからないが、どうやら、どこも怪我をしていないようで、他のベスィが来る前にと、徐々に、足は速くなった。とにかく、塀にぶち当たれば、外に出ることができるはずだ。
フラフラと歩きながら、だけど、なんだか記憶が混乱していて、姉さんの声が頭に響く。
これは一体いつの記憶だっけ? と、首を傾げる。なんだか姉さんの服が、妙に古臭い気がした。でもきっと、両親が死んでしまった後だ。姉さんが、あのショッキングピンクの本を持ち歩いてる。
ふふっと笑った姉さんが言う。
――「大丈夫。ソーマには、素敵な王子様が現れるんだから」
――「また恋愛小説の話? ていうか、王子って何。姫だろ」
――「そこは譲れないなー。ソーマには、空色の瞳の王子様が、現れるんだよ」
またおかしなことを言って、と思いながら、その断片的な記憶を辿っていて、そして、ハッと青ざめた。
自分が、落下する直前に、脳裏に過った凄惨な映像を、思い出したのだ。
胸から血を流している姉。その横に立っていたのは、蒼白い剣を持った――
「…………………………ネル?」
その時、ガサガサッと植え込みが揺れ、そこから、見知った顔が現れたのだ。
なんでそんな風にしたんだって思う、雑に結ばれた薄茶色の髪。それから、空色の瞳。いつもと同じ、ベージュのトレンチコートに、タイはゆるく、だらしなく。だけど、――泣きそうに歪んだ顔で、ネルが言った。
「ソーマ! よかった! …………よかった……」
涙が溢れるのを堪えるように、唇を噛み締めて、そして、俺の肩を掴んだ。
だけど、変な映像を思い出していた俺は、反射的にビクウッと大きく震え、つい、ネルの手を振り払ってしまった。無意識に、ガタガタと震える体を包むように、自分で体を抱きしめた。
混乱していた。
レンツェルの、顔にも。それから、吸血鬼が二人いるっていう姉の情報にも。姉が亡くなった場面の記憶が、突然戻ったことにも。
混乱していた。
ネルが驚いた顔で、固まっているのが見える。それでも、手を伸ばせなかった。
(だって、だって、吸血鬼が二人いるなら、もしも、吸血鬼が二人いるなら、レンツェルとネルの顔が同じって、それって、それって……)
どくん、どくん、と、心臓が大きく鳴った。
わからないことだらけだった。
でも、俺は、――つい、尋ねてしまったのだ。本当は、もしかすると、聞いてはいけないことだったのかも、しれなかった。
口の中が、乾く。カチカチと、震えた歯が、小さく音を立てた。
「お前、――――吸血鬼、なの?」
その瞬間、――ネルの顔が、真っ青になり、凍りついた。
それが全ての答えだと、俺は思った。
ネルがレンツェルと違うことなんて、わかっていた。たとえそうだとして、何か理由があるって言うことも、だけど。だけど、ただ、姉さんの亡くなった場面の記憶が、鮮烈すぎて、俺は狼狽えた。ついさっきまで、好きだと、そう思っていたのに、ただ、怖くて。怖くて、逃げ出して、しまったのだ。
目の前から、走り去る俺のことを見て、ネルがどう思ったのかは知らない。
だけど、俺は、ただ、立ち尽くすネルから、逃げ出して、――しまったのだった。
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