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3. と、はぐれる

72 囚われの実験動物

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 ぱちっと目を覚ませば、そこは、知らない部屋だった。
 天蓋つきのベッド……では、あるが、ネルのものではない。煌びやかな金色の装飾が施されたベッドに、部屋に設られた家具も、全体的に派手で、貴族が好みそうな感じだった。なんでこんなところに寝ているんだっけ?? と、考えるが、それよりも……。

「あれが、――『俺』?」

 俺は確かに『ソーマ』と呼ばれていたと思ったのだ。でも、鏡に映った顔は、今、初めて見た。俺の名前を呼ばれているから、てっきり、容姿も俺なのだと、そうなんだと思っていた。確かに、外見は結構似ていた。でも、髪も目も、なんの変哲もない、茶色だった。俺の髪は、母さんと姉さんと一緒で、この国では珍しい黒だし、瞳は、父さんと姉さんと一緒の、オリーヴ色なのだ。
 あの微妙な似通り方と、微妙な違いに、首を傾げた。
 それにしても、最後のシーンは、一体なんだったんだろう。『ネル』はなんで『俺』のことを殴ったんだ? 今の今まで愛し合って、それで、一緒に逃げようって、約束したのに、と考えて、……つい、一緒に思い出してしまった。
 今回の、濃厚な情事は……なんというか、『俺』の中で感じていた、あの優越感だとか背徳感だとか、変な感覚まで、本当に生々しくて、ドキドキ、と、心臓が速く脈打った。ていうか、――『俺』!

「ほ、奔放~~~」

 はーっと脱力してしまって、その時、コンコンと扉がノックされて、開いた。そこに立っていた人物を見て、凍りつく。丸メガネに白衣の……、墓場で会ったベスィが、何やらカートを押しながら、入ってきた。あの時は、暗くてわからなかったが、ピンクブラウンの長い髪をしていた。
 こんなしょうもない夢の感想を考えている場合では、なかった。

「何が奔放なんや? この状況で、ぼーっとしておれるなんて、思いの外、図太いなぁ」
「な、なんでお前!」
「えぇー? だって、自分攫われて来たんやから。囚われの姫やな」

 攫われて……? そう言われて、ようやくハッとした。そうだ。俺はあの時、レンツェルに会ってしまって、そうだ……!

「ね、ネルは?! エリザベス杯は!?」
「それを教える筋合いはあらへんな」
「……お前たちが、競馬場の襲撃予告を出したのか?」
「どうやろうなあ。僕は馬に興味はないけど」

 別に、この男が馬に興味があるのかどうかってことを、聞いたわけでは、――ない。
 だけど、襲撃予告と聞いて、驚かないのだから、もしかしたら何かあったのかもしれない。ネルは大丈夫だろうか、ネルは無事でいてくれてるだろうか……と、考えて、ハッとする。

(ち、違う……! 陛下が! 陛下が、無事でいてくれてるかってことだからな!)

 だけど、あの強さのネルが動揺してしまったりすれば、守れるものも、守れなかったかもしれない。俺は、頭の中に広がる最悪の想像に身震いした。こんなところでぼーっとしてる場合ではない。
 バッとベッドから立ち上がり、そして、ビンッと足首が引き攣るような感覚があり、そのまま床に倒れた。
 さっき、夢で倒れたばかりだったのに、なんだよと思って、足首を見れば、すごく頑丈そうな足枷がつけられているのが見えた。

「な、……なんのために!?」
「ほんまに、それやんな。なんでか黒百合様が、自分にご執心やからね」
「え。だから、なんで?」
「ま、その顔のせいやろうけどな」

 黒百合様、というのは、レンツェルのことだろうか。髪も白いし、あんまり黒百合感はないな、と思ったが、そういうことではない。黒百合教という存在は、知っている人は知っている、謎の組織なのだから。どこかで、誰かが知っていなければ、病気に悩んでいたオルガさんに、その存在を、不老不死の方法を、囁く人がいるわけがないのだから。
 顔? 顔が、何? と、首を傾げる。だけど、その間も、墓場のベスィは、こちらに見向きもせずに、カチャカチャと、持ってきたカートの上で何やら色々な器具をいじっていて、一体なんなんだろう、と、そろっと目をやる。俺の視線を感じたのか、そのベスィがふと、俺の顔を見て、そして、――顎に手をやり、まじまじと観察しながら、言った。

「ほんま、そっくりやな」
「……誰に?」

 不思議そうにそう尋ねた俺に、墓場のベスィは、「なんも知らへんねんもんな」と、にやにやと笑うだけだった。
 意味はわからなかったけど、そのバカにするような態度に、むっと口をつぐんだ。まだ生きているいうことは、まだ、殺されるわけでは、ないんだろうか。足枷までつけて、逃げないようにされているということは、何か俺にさせる気なんだろうと思う。俺がサーカスだとバレている以上、俺を生かしておくメリットはなんだろうか、と考え、一つだけ、思いついた。

(………………拷問?)

 でも、拷問をするにしては、この、客間みたいな部屋は……どうなんだろうか。
 墓場のベスィは、見た目は、普通の人間に見える。受け答えも、普通だ。もしも、尋ねれば、答えてくれることもあるだろうか……と、そう思い、恐る恐る口にした。

「お、俺は、これから……何を?」
「それ教えてもらおうとしてるん? 怯えて、震えといてや」
「そ、それ何」
「えー? これは、おっきな注射器やな」

 何。大きな注射が、何? 俺、これから何されるの? と、本当に怯えて震えそうになって、止まる。まずは、状況を把握しなくてはいけないと、思う。見回した感じ、チェルシーと一緒に掃除をしていた、客間の、どれかだ。この部屋の作りの雰囲気から、おそらくは、リージェンシーストリートの建物の中なのではないかと思う。
 だとすれば、掃除したかいがあって、少しは建物の内部に明るい。この墓場のベスィは、どんな奴なのか、まだよくわからないが、話が通じないわけではないような気がするのだ。でも、そんな甘いことを考えていたら、釘を刺された。

「逃げようとしても、無駄やで。怖いお化けがようさんおるからね」
「……お前が、お化けだろ」
「そうやな」

 そう言いながらも、墓場のベスィは特に俺のことなんて興味がないようで、元の作業に戻ってしまった。手元のバットの上には、言われた通り、大きな注射器のようなものがあったり、変な液体の入った瓶があったりして、これから、一体何をされるのか、恐ろしい。
 顔のせいで、レンツェルが俺のことを探していた? そう聞いて、思い出したことが一つ。そういえば、レンツェルと遭遇してしまった時に、本人も「どこかで見た」と言っていた。よく考えてみれば、オルガさんも「どこかで見た」と言っていたけど、俺の顔は、そんなにたくさんいるような顔だったかな、と考えてみるが、この国では珍しい黒髪な時点で、かなりそれは難しいように思った。

(でも、顔と言ってるんだから……髪とかは、関係ないのかな)

 俺は、どこかでレンツェルに会ったことがあるんだろうか。最近、リズヴェールに出てきたばかりなのだ。会うとすれば、幼い時、まだ家族で住んでた頃か、あるいは、田舎で出会ったかどちらかだった。だが、田舎の生活の中で、あんな目隠しをした人間に出会っていれば、それを忘れてしまうことはないだろう、と、思う。
 とにかく今は、このベスィから情報を聞き出し、どうにか逃げ出さないと……と、思う。
 そして、とりあえず、尋ねてみた。

「あの、名前は? なんて言うんだ?」
「――――――は?」
「え? お前の、名前は?」

 丸メガネのベスィは、そのメガネの丸さと同じくらい、目を丸くして、しばらく固まっていたが、小さくぼそっと呟いた。

「イーライやけど……」
「そっか。イーライ。お前は、いつからベスィになったんだ?」
「……それ聞いてどないするんや」
「え。ただ、単純に……興味っていうか。はじめてレンツェルの仲間のベスィに会ったから」

 怪訝そうにこちらを見ていたイーライは、俺がそう答えるのを聞いて、顔を引き攣らせた。

「俺は、まだ百年くらい。長い奴はもっといてるけど、でも……黒百合様に『仲間』なんていうものはおらへんよ」
「は? お前だって仲間だから協力してんだろ」
「他の奴のことは知らへんけど、僕は研究するためにおるだけやね。ここにあるのは、『崇拝』と『狂気』だけやで」

 崇拝……と、小さくつぶやいた。
 レンツェルは、吸血鬼ではあるけど、ここでは崇拝されているのか、と、気がついた。レンツェルは黒百合教の教祖なのだ。その宗教の何たるかはわからないし、教徒がどれほどいるのかはわからないが、仕切っているのがレンツェルである以上、よく考えてみれば、当たり前のことだった。
 イーライだって、こうして、おそらくは命令に従って、俺の前にいるであろうに、それを『仲間』だからやっているとは、思っていないのだ。自らベスィになった人間は、皆が一様にレンツェルの仲間なんだとばかり思っていたが、そうではないらしい。
 ふと、チェルシーと一緒に見た、あのベスィを思い出した。確かに、あれは仲間と呼べるような関係ではなさそうだ……と、思う。イーライも、崇拝や狂気を内に秘めているんだろうか。でも、もしも、レンツェルのことを崇拝していないのであれば、もしかして、――。

「怖い?」
「怖いね」

 レンツェルが、というのを聞き忘れたけど、イーライには伝わったらしい。
 そう言いながら、注射器を腕に当てられ「血ぃ抜くで」と言われた。どうして俺の血液が必要なのかはわからないが、血を抜くくらいなら、そんなに恐ろしいわけではなかった。ちくっと痛みが広がり、小さな注射器に自分の赤い血がとぷっと溜まっていくのが見える。
 久しぶりに見た、血の色に、ふと、姉さんの最期を思い出しそうになり、ぎゅっと目を瞑った。

「赤いな」
「…………は?」

 当たり前のことを伝えられて、一瞬、意味がわからなくて首を傾げた。だけど、よく考えてみたら、今まで出会ってきたベスィは血を流しているところを見ていなかった。はじめて出会った石膏のベスィの時に、白い液体が漏れていたような気がしただけだった。
 もしかしたら、イーライには、赤い血が流れていないのかもしれないと思い、内臓がきゅうっと縮こまるような感覚がした。
 別に俺は、ネルのように、特別な能力があるわけではないのだ。体液を採取されたところで、イーライたちに何か情報が渡るとは思えなかった。
 もしかして、ネルの能力と混同しているんだろうか、と、思い、尋ねる。

「ねー。俺、ほんとなんで連れて来られたの? 殺されるわけじゃ、ないのか? 俺、何も特別なことないよ」
「さあね。黒百合様の前では、大人しくしときや」

 イーライは全てに答えてくれるわけではないらしい。
 大人しくしていれば、殺されないのだろうか、と考えて、そんなわけないかと、すぐに思い直した。どうにかして、鎖を外さなければ、この部屋から出ることもできない。

「血液は、問題なさそうやね。後は、精液やな」
「せ?! はあ?? …………なあ、それ、ネルと勘違いしてない??」
「へえ。ネル・ハミルトンの精液には、なんか特別なことあるって、知ってるんや? やらしいなぁ」
「そ、そういうことは言ってない!」

 ぶ、わ、わ、と、顔に熱が集まった。
 つい自分で言ってしまったことだったが、イーライがネルの体液のことを知っている風なことを言ったことに、内心驚いていた。でも確かに、言われてみれば、精液の話をしていて、うっかりネルのことを言ってしまった俺は、確かに、ネルの精液の効果を知っているように伝わってしまったかもしれなかった。
 でも、まさか治癒のことを知っているだなんて、思わなかった。墓場で遭遇した時も、ネルのことを知ってたみたいだし、ネルのことはレンツェルも警戒しているってことなのかもしれない。
 イーライは続けた。

「僕に採取してもらう? それとも、――黒百合様にしてもらう?」
「ハア?」
「めっちゃ上手いらしいで。死ぬほど気持ちええ、至上の快楽やって」
「………………死んでるだろそれ」

 あはは、とイーライは大声で笑っていたが、ベスィの性事情とか、知りたくなかった。ていうか、そういう感覚とか、あるんだ……と、思って、そういえばあの執事みたいな格好のベスィも……そっか、と思い直した。かああ、と、赤くなりながら、このわけのわからない状況から、どうやったら脱却できるだろうかと考える。
 ふと、イーライの来ていた白衣に、黒百合の紋章が入っているのを見つけて、目を止めた。
 初めて見た時から、どうも、どこかで見たことがあるような気がしているそのマーク。おそらくは教徒である人たちが、黒装束を着ているからか、紫色で刺繍されているのだ。イーライの白衣にも、紫色の百合が、胸元に刺繍されていた。

「なあ……黒百合教って、いつから」
「結構古いらしいで。聞いた話やけど、五百年とも、千年とも」
「そ、そんなに?!」

 この黒百合のマークは、一体どこで見たんだろう。確かに、あの夢の中にも、黒装束の怪しげな人間は出てくるが、あれは俺の妄想が作り出したものだから、違う。もっと近くで、もっと、高い頻度で、見ていた気がするのだ。
 あの黒い魔術師のようなローブは、ビロードでできていて、陰干しに時間がかかりそうだ。夏場は、シルクでできていて、それもまた手入れが面倒だった……と、考えて、おかしなことに気がついた。

(なんで俺、素材まで知ってるんだ。洗濯……って、黒百合教徒かよ)

 まるで自分で手入れをしたことがあるような考えが浮かんでしまい、首を傾げた。
 この記憶は、なんだ? なんだった……? そう、思った時、頭の中に、ふと、姉の姿が過った。どうして思い出したのかは、わからない。亡き父や、母と同じように、研究者を志していた姉さんは、途中から、王都の機関ではないところで働くことになったと、そう、言っていたのを思い出した。俺には、詳しいことを話さなかった。
 だけど、思い出の中の姉さんは……途中から、いつも、黒い服を着ていなかっただろうか。
 そして、その胸元には、紫の、――――百合の刺繍。

「姉さん……?」


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