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3. と、はぐれる
69 エリザベス杯
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青白い光が辺りを照らした。ぶわっとザカリーさんの肩まで伸びた灰色の髪が舞い上がった。
競馬場の中の貴賓席とは反対側。全てが見渡せるように設置されている放送席のような席に天幕を張り、その中に、俺たち特殊警務課の面々は集まっていた。ザカリーさんと課長以外は、知らない人だらけだった。
ザカリーさんは、大きな机の上に置かれた競馬場の図面の前に座り、目を瞑って、集中しているようだった。
横には大量の食料が積まれている。
あの、変なベスィを見た夜。その次の日は休みがあって、そして今日は、早朝からの集合だった。
警察署で、たまたま会ったクラークさんと話したところ、前に言っていた犯人がもう逮捕目前だと言っていて、案外、その犯人が、予告を出したのかもしれない。だけど、そうだとしても、女帝陛下がご参加する催しだ。特殊警務課が、出ない道理はなかった。
(どんな形でも、女帝陛下のご尊顔に泥を塗るような真似……)
まだ会場には人が入っているわけではないのだ。今、会場にいるのは大体が警務官と警備の人間、それから、女帝陛下の近衛らしき人たちがあらかじめ派遣されている様子だった。これから、入場が始まる。緊張の一瞬である。
「行くよ」と言われてネルと一緒に天幕を出ると、綺麗に整備されたロイヤルリヴリー競馬場。見渡した限り、ザカリーさんの通蝶が浮いている様子は見られなかった。反対側の観客席で、いつもの厚手の帽子を被ったクラークさんが、大きく手を振って、特殊警務課の天幕を指差し、両手を広げて、肩をすくめた。その動作と一緒に、自分の頭を指差す動作も繰り返していて、言っていることは明らかだった。
(なんだその怪しい天幕! 頭おかしいだろ! ……ってこと?)
思わず、ふふっと笑ってしまう。
隣にネルがいるのは見えてるだろうに、俺だって特殊警務課の一員だと言うのに、本当にクラークさんは開けっ広げで、好きだなあと思うのだ。
確かに、占い師でも中にいそうな、怪しげな天幕が、突然観客席にあるのは、おかしい。
でも、あえて目立つようにすることで、周りに精鋭がしっかり待機しているのだとか。ザカリーさんにもしものことがあれば、この作戦自体がたち行かないわけだけど、でも、そこにベスィが集中してくれるのなら、観客を狙われるよりは、確かにいいのかもしれなかった。
その、あからさまに嫌そうな顔をしているクラークさんの様子に、思わず、くすくす笑っていたら、ネルに言われた。
「またそうやって、男誘ってんの?」
「は、ハア?! なっ、何言ってんの?!」
いや、本当に、何言ってんだ……と、思う。
昨日の、ことがあってから、俺は、恥ずかしくて、恥ずかしくて、まともにネルの顔が見れずにいるのだ。
あの後、――本当に、心も、体も、とろとろに溶かされて、俺は本当に『俺』になったみたいに、最後まで「愛してる」と言われながら、何度目の絶頂なのかわからない快感の中、意識を失った。もちろん、次の日は、水を飲みに行く以外は、部屋から出なかった。
部屋の中でも、布団を頭から被っていた。
体は、信じられないほど、今まで生きていて一番と言っていいほど、爽快感と開放感に溢れ、最高のコンディションではあったが、布団から出なかった。
愛してる、好きだ、と、溢れんばかりの愛の言葉を並べ立てられ、俺は、その愛に溺れ、縋るようにネルの首に腕を回し、全身を揺さぶられ、唇を貪られて、朦朧とした意識の中で、俺も「好き」と、何度か口にしてしまったような気がする。
(え…………俺、ネルのこと、好きだったのか?!)
それは由々しき事態であった。
つい、ほんの数日前まで、大嫌いで、一生分かり合えることなどないと思っていたネルのこと、一体いつ、俺は好きになってしまったんだろうか。夢に引きづられているんだと、そう思っていたのだが、よくよく、よーく考えてみれば、なんだかネルの小さな優しさや心遣いに、絆されしまっているような、そんな気がするのだ。
(なんていうの……? ギャップ?)
嫌な奴の小さな優しさって、なんか好きな人の小さな優しさよりも大きく見えてしまう的な?! と、それが敗因なのではないかと、昨日、布団の中で、その結論に達した。ヘラヘラニヤニヤしていた奴が、理由はわからないけど、何やらその行動の裏には何かあるみたいで、突然ミステリアス醸し出してきたこととかもね……と、思っている。
しかし、問題はそこではない。
百歩譲って、自分が本当にネルに惹かれているのだとして、もしもそうなのだとすると、浮上するのが、『これから俺はどうしたいのか』問題である。
もしも、本当に俺がネルのことを好きなんだとすれば(自信はまだない)、正直、姉さんの恋愛小説のヒロインの思考からすれば、おそらく、「好きな人と、ど、同棲?! しょ、職場でもずっと一緒なのに、そんなの……!」みたいな状態である。これから、職場では見れない家でのリラックス姿にときめいたり、風呂場で素っ裸で遭遇したり、するのだ。そして、過去の女が、ふふんみたいな感じで出てきて、衝撃を受けて、自信をなくして、逃げ出してしまったりするに違いないのだ。
もしかして、相手のことを好きなのかもって自覚した瞬間、別の誰かの代わりに抱かれる……というシチュエーションの恋愛小説の話は、姉さんから聞いたことがない。当たり前だ。そんな男、最低だ。誰も付き合いたくない。
(じゃあ、それでいいじゃん……俺だって、付き合いたくねーよ)
付き合えるかどうか、という現実をまるっと無視すれば、その結論で正解なはずだった。
だと言うのに、――――!
「何。今日、足引っ張るのだけは、ほんと、勘弁してよ」
ぱちっと目が合ったら、それだけで、心臓がドキッと跳ねる。
こんなひどいことを言われているというのに、だというのに、それにも関わらず、俺は、昨日の甘い声で囁かれた「愛してるよ」を思い出してしまって、どっどっどっど、と心臓の音が速くなっていくのだ。嘘だって、わかってるのに。最低だって、思うのに。それでも、体の反応は顕著で、止めることができない。恋愛に対する免疫がないから、余計に、そうなんじゃないかと思うのだ。
別に気にしてない、というように、ふいっと横をむきながら、答える。
でも、きっと、顔はまっ赤になってるだろうと、思う。
「そ、そんなこと……しない、けど」
「………………あ、そ」
ぎゅっと拳を握りしめる。
ネルがそんな俺を見て、どんな顔をしているのかはわからないけど、朝からの態度を見ている限り、あんなことがあったというのに、ネルは全く気にした素振りを見せないのだ。
でも、やっぱり一つだけ気になることがある。それはやっぱり、――。
(嫌いでいて……って、わざわざ言う……? なんだそれ)
都合よく、いつでも自分の家にいて、顔も好みで、治療っていう免罪符もある、――俺。好きな人がいるってこともバレたし、そういうことをするのには、非常に都合のいい存在、――俺。
そんな都合のいい奴に、自分のことを好きになられたら、面倒だから、という意味なのかなとも、思うのだ。だけど、あの言い方は、あの、苦しくて仕方がないみたいな言い方は、どこか、ただ、漏れてしまっただけのような、そんな気がする。
(どういうことなんだろ……)
前を歩くネルの背中を見ながら、「はあ」と、小さくため息をついた。
どちらにしろ、今は何ができるわけでもない。今日のことに集中しないといけない、と思う。
チェルシーとザカリーさんくらいしか知らなかったけど、特殊警務課の人員は、やっぱりもっとたくさんいて、今日は、各自持ち場を決めて、二人一組で連携しながら、ベスィの霊送を行う。ザカリーさんから聞いたところによると、ベスィはこういう人がたくさん集まる場所に、自然と引き寄せられてしまうらしい。
昼間のベスィはぼーっとして立っているだけなことも多いし、無害だから、レンツェルの配下のベスィでない限りは、そこまで大変なことにはならないはずだった。
犯行予告については、それがレンツェルからだという確証が得られないまま、当日を迎えてしまった。
貴族の出席者リストの中に、レンツェルの名前はなかった。そして、レンツェルの屋敷や、リージェンシーストリートの建物にも、動きはないのだと、それが今、現状としてわかっていることだ。
ぎゅっと一度目を瞑って、気持ちを切り替える。
これから何度も、こんなことが起きるんだ。女帝陛下のためにも、失敗は許されない。
俺は、胸の内ポケットに入っている銀時計を握って、改めて、気合を入れた。
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