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2. と、暮らす

68 好きな人 ※

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「あっ…………ん!?」
「…………ねえ、このタイミングで起きるの、ほんとどうにかなんない?」

 目を覚ましたら、今日は、昨日もそうだったが、ネルの部屋だった。
 俺のすぐ上には、相変わらず冷たい顔をしたままのネルがいて、そう、文句を言われた。
 見覚えのある、落ち着いた雰囲気の天蓋つきベッド。その天蓋を下から見る度に、ここでどうしてそんなものを見上げているのかと、その理由を考えてしまい、うっ、と怯む。ガンガンと頭が痛み、思わず顔を顰めた。今日霊送したベスィの数は、今まで一番多かった。痛みの度合いを中々比べることはできないが、今日の分もかなり厳しい痛みだ。

 でも、――痛みだけではなく、考えなくてはいけない状況が、俺の尻にもあった。
 ふにっと当たっている、熱い存在を感じて、ぎゅっと目を瞑る。そして、はー、と一度息を吐いてから、やっぱりどうしても気になったことを尋ねてしまった。あの場で、立ち聞きしたのがバレてから、ネルは口を聞かないのだから、俺が、何を聞いてしまったのかということは、もう、ネルだってわかっているはずだった。

「…………いいのか? 好きな人、いるのに」
「……………………」

 ずっと無表情だったネルの、俺の脚を支えていた指先が、ぴくっと動いた。
 正確には、「いた」と言うべきだったのかも知れない。
 でも、それでも、ネルは未だに、その人を失った悲しみの中にいて、そして、吸血鬼を、レンツェルを、ベスィを憎んでいるのだ。ならば、たとえ治療をしてくれているのだとしても、やっぱり、その存在は、大切なものなんじゃないかと、思った。
 相変わらず冷たい顔をしたままのネルに、そんな顔になってまで、そんなに無理することはないんだと、伝えたくて、口を開いた。

「俺なら、大丈夫だかr……あっっ?!」
「余裕だね。立ち聞きした情報で、僕のこと、知った気にでもなった?」
「ち、違っ! あっ あ、あ、んんッ」

 だけど、そのまま、ズプッと、熱い楔を進められ、体が跳ねた。
 押し広げられるように、ゆっくり、ゆっくり侵されていくのがわかって、思わずネルの腕にしがみついてしまった。体は、もうすっかり、ネルの形に、ネルの大きさに、ネルの熱さに慣れてしまっていて、歓迎しているかのように、きゅんきゅんと締めつける。自分の体の浅ましさに、かああっと顔が熱くなった。

(そんな、……そんなつもりじゃ……ないのに)

 言われた言葉の冷たさに、ズキッと心臓が痛んだ。確かに、情報自体が正しいかどうかも、確認したわけではない。だから、別に、それだけでネルのことを知ったつもりになったわけでもない。でも、そう尋ねていいような雰囲気も、なかったし、そのまま、こんな状態に雪崩れ込んでしまったのだ。何か言い訳をして、話さなくてはと思うが、ネルがさらに意地悪な言葉を連ねて行く。

「でも、もしそうだとして、ソーマに何ができるの? 慰めて、くれるわけ?」
「そ、そういう意味じゃなくて……その、無理すんなって、ふあっ! そ、こっ だめ」

 ぐりっぐりっと、どうしても声が上がってしまう場所を抉られて、ビクビクと体が跳ねた。
 このまま、この快感に流されてしまえば、と、甘いことを考えたくなる。でも、だめだ。ネルのことは本当によくわからないけど、それでも、俺の仲間で、同居人で、最近、信用も、してる。このまま放っておくことなんてできない。そんな気持ちが、溢れた。快感の波の合間に、叫ぶように伝えた。

「でもっ 好きだったんだろ……!」

 頭の中には、どうしたって、『俺』のことが愛おしくて仕方がないみたいな、『ネル』の笑顔が浮かんだ。
 それが、自分で作り上げた虚像だってことぐらい、俺にもわかってる。でも、もしも、もしもネルに、本当に愛しい人がいたのなら、きっとネルは、あんな風に、笑っていたんじゃないかって、そんな気がしてならなかった。

 よくわからないけど、なんだか感情が昂って、じわっと涙が溢れそうになる。
 きっと、きっと、すごく好きな人だったんだと思う。ネルの吸血鬼に対する憎しみの強さを間近で見てきた俺には、わかる。きっと、夢の中の『ネル』みたいに、ものすごく好きな人だったに違いないのだ。
 ギッと睨むように、ネルのことを見上げた。
 ネルは俯いたまま動きを止めていた。垂れた髪で、顔は、見えない。だけど、……心なしか、漏れる呼吸が大きくなり、肩で息をし出したように見えた。そして、それは、一気に爆発するように、ネルの口から言葉が溢れた。

「…………ったよ……好きだったよ!!!当たり前だろ!はじめて、はじめて好きになった人だよ。愛してた。僕の、僕の全てをかけて、愛してた。愛しくて、愛しくて、眩しくて。僕は……僕の、何を失ったってよかった。何を失ったってよかったよ!!!」
「……ね、ネル……」
「ずっと隣にいてくれるものだと、そう思ってた。そのためならなんでもできると思ってた。たとえ形式として結ばれなくても、たとえ認められなかったとしても、僕は、離す気なんて、全然なかった!!!なんだって……なんだって!してあげたいと思ってたよ!!!でも!!!」

 はっと息を飲む。吐き出されたのは、悲痛な叫びだった。
 それは、多分、俺がはじめて聞く、ネルの本音だと思った。ヘラヘラと、ニヤニヤと、ずっとそんな笑顔を貼りつけていたネルの、本当。さっき、馬車に乗った時から、あの冷たい顔していたネルは、今、俺の前で叫んでるネルは、きっと――

(これが本当の、ネルなんだ……)

 泣きそうに歪んだ顔。ぎゅっと寄せられた眉も、噛みしめている震える唇も、硬く縋るように俺の手を掴む指先も。
 苦しい、苦しい、という気持ちが、ネルから、そのまま溢れていた。
 俺もむっと唇を噛みしめて、つられるように込み上げてしまった気持ちを、押し込めようとする。
 震える声のまま、小さく小さくネルが呟いた。

「……僕の代わりに、奪われたのは彼の方だった。そして、……奪われ続けてる。これから、何度だって、これからも、何度だって……」

 その、悲しみに。その、嘆きに。胸が、ぎゅうっと締めつけられた。
 俺は、まっすぐにネルのことを見上げた。
 ネルの言ってることの意味が、全部わかったわけではなかった。でも、なんだか、今、俺の目の前にいるネルは、夢の中で、なんだか危ういと感じていた『ネル』にも似ているように思った。失ってしまった人は、失ったことは、こんなにもネルのことを苦しめているんだと、知る。当たり前のことだった。
 さっき、よくわからない感情で、ほっとしたり、がっかりしてしまった自分を、恥じた。
 ネルは続ける。

「……もう、諦めたんだ。僕が、諦めさえすれば、……きっと、もう」

 どういうことなんだろう、と、不思議に思う。もう、失ってしまった人のことを、ネルが諦めたところで、するべきことも、ネルが感じることも、何も、変わらないような気がした。ネルは、ぶつぶつと、独り言のように続ける。

「僕には……敵がいる。倒さなくちゃいけない敵が」

 敵は、レンツェルだ。それは、俺にだってわかる。
 泣きそうな声で、震えるほどの怒りで、そう、呟いている様子のネルを見て、なんて声をかければいいのかなんて、思いつくわけはなかった。ネルのさらっとした薄茶色の前髪で、顔が隠れて、まるで目隠しをしているようだと思った。

 まるで、吸血鬼のこと以外、復讐すること以外、何も、見えてないような、そんな、気がした。

 吸血鬼の話をするときの、憎しみに満ちたネルの瞳を思い出す。実際、そうなのかもしれない。ネルは、そのためだけに、生きているのかもしれない。
 何もできずに、……でも、ネルのことを、抱きしめたいと、思った。掴まれていない方の手を、そっとネルに伸ばそうとした。でも、その手も絡め取られ、ベッドに縫いつけられるように、押さえられてしまった。結局、俺は、為す術もなく、ネルのことを見上げるしかなくて、伝わってくるネルの悲しみに、苦しみに、辛さに、ただ、俺も涙を堪えた。
 俺が、泣いてはいけないと思って、ぐっと堪えた。
 でも、その時、思いも寄らない言葉が、上から降ってきた。

「……慰めてよ」
「え?」
「優しいソーマは、同情してくれてるんでしょ。それなら、慰めてよ」

 どういうことだろう、と、目を瞬かせた。でも、俺にできることがあるのなら、してあげたいと、そう思った。だけど、――

「……好きな人の代わりに、抱かせて」
「は?」
「気持ちよくなって、全部忘れたいんだ。思い出させたのは、ソーマなんだから、責任……とってよ」

 どういう思考回路なのか、全く理解できる気はしなかった。
 だけど、その宣言通りに、ズッと、内壁を押しあげられ、思わず「あっ」と、声が漏れた。まさか、本当に? と、焦る。どうして、今の今まで、好きな人の話をしていて、すごく好きだと、そう聞いたばかりだと言うのに、こんなことになるんだよ! と、俺は目を瞬かせた。でも、――

(それで、俺は、ネルの好きな人の代わりに抱かれるってこと……なのか?)

 好きな人の、――代わりに。
 ネルが、あんな風に憤るほど、何を失ってもいいと、そう思うほどの、大好きな人の、――代わりに。

 ズキッと信じられないほどの痛みを、頭ではなくて、胸に感じた。
 俺は、どうしていいのか、わからなかった。
 だけど、そんな思考の合間すらも与えないとばかりに、ネルは強く腰を打ちつけた。

「あっ!」

 だと言うのに、ネルのペニスに慣れてしまった俺の体は、いとも簡単に、悦びに溢れる。あの熱くて、硬いモノで擦られたら、それがどれだけの快感をもたらすのか、ネルの熱い体液を吐き出されたら、どれだけ気持ちがいいか、俺はもう、知ってしまっていた。
 頭が、じんと痺れる。俺のはしたない体は、ネルが与えてくれる快感を、期待してしまっているのだ。

「ま、待って んんっ」

 そう、口にしながらも、本当は、欲しくて、欲しくて、もっと奥まで繋がりたくて、仕方なかった。
 いつものようにまた、意地悪なことを言われるのだろうと、身構える。きっと、自分の浅ましさを指摘され、恥ずかしい言葉を口にさせられ、意識が朦朧とするまで、いじめられるんだろうなと、じわっと涙が滲みそうになる。
 それでも欲しくて、ネルと繋がりたくて、たまらないのだ。そんな浅ましい自分を、全部、見透かされているのだと、ぎゅっと目を瞑った。
 だけど、――



「…………愛してる……」



 こぼれるように、俺の上から降ってきた言葉に、ぱちっと目を開けた。


「愛してる。この世界の、誰よりも。……好きだよ。ずっと――、ずっと、」


 呼吸が、止まる。

 苦しそうな、顔。この前、見た。切なくて、愛が、溢れちゃったみたいな、ネルの顔。
 そのまま、動けないでいる俺の唇に、そっと、ネルの唇が触れた。薄い唇が、ちゅ、ちゅ、と、まるで慈しむみたいに、愛おしさが溢れたみたいに、俺の唇に重なって、それで、じっと見つめたまま、また言われた。


「好きだよ、」


 息が、かかる距離。
 その言葉と共に、熱いネルの息が、唇にふわりと触れた。
 優しい顔。本当に、愛されているんじゃないかって、思ってしまって、それで、すぐに、かき消した。

(代わりに、――抱かれてるんだ)


 ネルが、全てを捧げてもいいと思うほど、好きな人の、――代わりに。


 ぎゅうっと圧迫されたみたいに、胸が痛んだ。
 何か、言えない言葉があるみたいに、喉の奥が、痺れるように痛む。
 ぐっと深く深くまで繋がって、「あああっ」と、自分の口から甘い声が漏れた。指を絡め、その手ごと上でまとめられ、頭すらも、掻き抱くように、深く、深く、抱かれる。戸惑いに漏れた呼吸は、それごと舌と一緒に飲みこまれる。全身が絡まりあって、交わり合って、もう、二度と、離れることなんて、できないみたいに。1ミリだって、離れてるところが嫌みたいに、ぺたっとくっついたネルにぎゅっと押されて、自分の濡れたペニスが、ネルのお腹に当たってしまうほどに。
 深いキスの合間に、言われるのだ。

「好き。好きだよ、……愛してる」
「ああっ んんッ や、それっ やめっ」
「……好きだ」
「だめっ やっ んん!」

 勘違い、――してしまう。
 愛されてるのだと。『ネル』に抱かれているときの『俺』みたいに、喜びが、溢れてしまう。どうしよう、どうしようと焦る思考は、そのまま、すぐに快感に流されて、慈しむように抱かれて、頭が、頭がおかしくなってしまう。

「愛してる。……好き、好きだよ」

 耳元に吹き込まれる、愛の言葉に、頭がじんと痺れた。
 だめだと思うのに、じわっと涙で視界が滲む。流されて、しまいたい。この言葉を、一昨日の俺のように、今朝見た女の人みたいに、信じて、愛されていると信じて、流されて、しまいたい。
 愛してると、好きだと、そう言われながら、こんなにも激しく抱かれたら、俺はもう、信じてしまう……! そう、思った。
 手を繋いだまま、その甲に、唇を寄せられる。
 そして、その唇が、小さく「そ」「ま」と、動いたような、気がした。それだけで、――
 それだけで、俺の心臓は、ぎゅっと握りしめられたように、きつく、きつく、締めつけられた。そして、気がついた。
 そんなこと、思いつきもしなかった。それは『俺』に引き摺られてるだけなんだって、そう、思っていた。
 でも、――


(ああ、――俺、ネルのこと……)


 強い快感の中で感じたそれが、本当に正しい気持ちなのかってことは、まだ、わからなかった。でも、泣きそうな顔で、俺のことを抱いているネルを見て、――思わず、言葉がもう、溢れてしまいそうだった。

(…………俺も。好き……)

 俺の顔見た、ネルの頬に朱が差した。

「……ソーマ…………愛してる。愛してるから……だから、」

 名前を、呼ばれるだけで、体が震えた。
 好き、という気持ちが、心の中に、体中に、満ちていく。騙されたってよかった。もう、これが今、この場限りの夢のような睦言でも、もう、それでいいと、そう思った。
 だけど、続いたネルの言葉の意味が、意味がわからなすぎて、俺は、もう、そこで思考を、放棄して、しまったのだった。



「どうか、どうか僕のこと…………嫌いで……いて…」



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