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2. と、暮らす

58 悪の親玉たるもの

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「お前…それ昼飯?」
「え、別に問題ないでしょ。ソーマが食べるわけじゃないんだから」

 一体どうやってそんなメニューを見つけてくるのか、チョコレートファッジを挟んだガレットに、チョコレートソースをかけたものを食べているネルを横目で確認し、なんだかそれだけで胃がもたれた。
 12時ぴったりになった瞬間に、今の今までいたはずのザカリーさんは風のように一瞬で消えた。驚いたまま固まっていると、「ご飯のために生きてるような人だから」とネルが言っていて、抱いていた印象と違って、意外だなーと思った。近くのカフェに入って、一息つきながら、ガレットを頬張っているネルに尋ねた。

「襲撃予告って、本当にレンツェルだと思うか?」
「さあね。派手なのは好きそうだけど、吸血鬼が予告してるんだとしたら、今まで何百年も生きてて、なんで今年だけ?って感じもあるし」
「あ…やっぱり何百年も生きてるんだ。いつからって知ってるのか?」
「三百年くらいかな」

 三百年…思っていたよりは、最近だった。なんだかベスィに慣れてきたら、その親玉はもっともっと何千年も生きているような、そんな気がしていたのだ。それならベスィと大して変わらないのか、と考えて、じゃあこの国に溢れているベスィは三百年の間に、みんな亡くなった人たちなんだな、とぼんやりと思う。じっと見られているような視線を感じて、ん?と顔をあげたら、どこか暗い色をした目で、ネルが俺に尋ねた。

「……化け物だなって思った?」
「え?いや、……案外、若いんだなって」
「わ、わか??」

 ネルは、鳩が豆鉄砲を食らったような、ってこういう顔だろうなっていうような顔をしていて、逆に何??と、俺は目を瞬かせた。ちょっと待って、とばかりに、手の平を俺に向けたまま、ネルは俯いてしまった。よく見れば、心なしか、ぷるぷると、肩が震えているような気がする。
 そしてハッとする。つい最近、特殊警務課の人間はみんな、吸血鬼を憎んでいるところがあるんじゃないかと思ったばかりだったのに、若いんだな、なんて、呑気な感想を言ってしまった。
 ネルは特に恨みが深いような気がしていたのに、まずい!と思って、慌てて何かフォローをしようと試みる。
 ──が。

「あははっふふ、ちょ、ちょっと、待って。ふふ、はははっ あっはっはっは」
「…………え」
「待って、ねえ、ソーマは、その、何年くらい生きてたら、その、吸血鬼っぽいっていうか…ふふ、あはは!」

 突然、笑い出したネルに、今度は俺が、間違いなく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているに違いなかった。ぽかんと、腹を抱えて笑っているネルを見て、全く理解のできていない頭のまま、さっきの恨み云々はまたすっかり忘れて、ただ、思ったことを口にした。

「え…………四千年くらい」
「よんっ ぶはっ」

 一体何が起きたというんだ。出会ってから、今の今まで、よく考えてみたら、へらへら、にやにやしていたネルが、こんな風に笑うところを、俺は、見たことがなかった。俺も、大概、ネルの前では仏頂面をしていた自信があるが、これは一体何事だろうか。
 混乱した頭で、思う。

(いや、だって、レイナですら百歳。オルガさんも百歳。それであんなに強かったんだから、吸血鬼ってなんかもっと…なあ??)

 何がそんなにツボに入ったのかはわからないが、とにかくネルは、大好きなチョコレートのガレットが冷めるのも気にせずに、しばらく笑い続けた。なんだか、空色の瞳には、涙が滲んでいるようにすら見える。
 でも、その様子を見ていて、なんだろう。なぜか、これが正しい在り方のような、俺が言ったことで、よくネルは笑っていたような、そんな、訳のわからない既視感を感じていた。不思議に思いながら、笑い続けるネルを見ていた。
 だけど、しばらくして、ようやく落ち着いてきたのか、指で涙を拭いながら、ネルがわけのわからないことを言った。

「いや、ソーマには、敵わないなって」
「はー?」

 結局、ネルは不可解で、よくわからない奴だなという感想にまた舞い戻ってきただけだった。でも、あんなに、にやにや、へらへらしてないで、こうやって、ずっと笑っていたらいいのにって、思った。

(変なの…。いや、元から、変な奴だけど)

 そのまま、ネルがもぐもぐぱくぱくと、ガレットを食べるのを見ながら、午後はまた、競馬場の構造を隅々まで把握する作業だなーと、カフェから見える競馬場に目をやった。
 俺たちが一番気を配らなくては行けないのは、当たり前だが貴賓席の辺りだった。女帝陛下はもちろんのこと、貴族や要人に被害があるのが一番まずい。今回の催しは国内の物だから、そこまで外国からの要人は来ないとは思うが、万が一のことがあれば、外交問題に発展してしまう。そして、馬や騎手、一般観客の人たちも、守らなくては行けない人間は、山ほどいた。
 本当にできるのだろうか、と少しだけ心配になる。そう思っていたら、いつの間にか食べ終わったらしいネルに、揶揄われるように言われた。

「大丈夫だよ。まだ三百年程度しか生きてない吸血鬼が相手だから」

 いつもみたいに意地悪な言い方なわりに、ネルの笑顔は、いつもと違って晴れやかに見えた。
 小春日和の青空を後ろに背負ったネルの顔は、相変わらず、舞台俳優みたいに整ってるなあ、と俺は思ったのだった。
 二人で競馬場までの道を歩く。ただの並木道だ。この辺りはイチョウが生えていて、黄色の葉が舞っていて美しいなと思った。その時、グレーの人影が、ぬっとイチョウの木から飛び出してきて、思わず「うわ!」と声を上げた。

「ハミルトンさん、ソーマくん、23秒の遅刻ですよ。自重して下さい」

 そう言った灰色の髪の美貌の男を見て、「は?」と俺は首を傾げた。ソーマくん、と呼ばれたのだから知り合いのはずだった。そして、灰色の髪、灰色の瞳、銀縁メガネ。グレーのコート、グレーのセーター。さっきまで石みたいと思っていたその様相は、すっかりと隈も取れ、こけた頬もぷりんと血色もよく、だけど、明らかに、──。

「え!ザカリーさん!?」
「いかにも、私がザカリーですが?先ほど挨拶しましたけど」
「えっえ?!さ、さっきと印象が違…」
「ご飯、食べた後のザカリーさんだよ」

 ネルの補足説明を聞いて、全く理解ができずに、「はあ?!」と、声を荒げた。
 さっきまで、ほんの一時間前まで、石か、もしくは幽霊か、と思っていた人物が、ちょっとアンニュイな美丈夫に変身していた。そんな人体の不思議みたいなことがあるだろうか、と考えて、俺の相棒は体液で治癒ができるし、チェルシーはドリルのような穴を開けることができるし、課長はカラスだったことを思い出した。
 ネルがさらに補足で「二、三時間後にはさっきの感じに戻るよ」と言うのが聞こえて、俺は、思考を放棄した。

「それにしても、本当にソーマくんは、一体どういう仕組みなんでしょうね」
「ザカリーさん」
「ええ。わかってますよ」

 そんな、わけのわからない会話が聞こえてはいたが、どういう仕組みなのかを教えて欲しいのは、俺の方だと思った。おそらく、特殊警務課には、ありとあらゆる事象に対するツッコミの人間がいないのではないか、という現実に辿り着き、俺は無性に、クラークさんに会いたくなったのだった。

(助けて!)


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