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2. と、暮らす
57 ザカリーさん
しおりを挟む「こんにちは、ザカリーです」
「え?」
どこからともなく、静かな男の人の声が聞こえた。そして、振り返って見るが、誰もいない。
俺たちはもうロイヤルリヴリー競馬場に到着していた。普段はレースをしている競馬場も、これから二週間はエリザベス杯の準備で、休場している。ほぼ誰もいない競馬場で、クラークさんと別れ、ネルと一緒に会場調査をしているときだった。俺は首を傾げながら、ちらっとネルの方を見たら、ネルは苦笑いだった。
ということは、今の声は別に幻聴ではないのかな?と、きょろきょろと辺りを見回す。すると、──
「当日は通蝶で、ベスィの場所を連絡します」
「え?」
また違う方向から声が聞こえて振り返る。だが、誰もいない。ネルは苦笑い。そして、──
「ベスィの上に通蝶を飛ばして位置を特定しますので、とにかく素早く斬りかかって下さい」
「え!」
「大きな声は出さないで下さい」
また違う方向から声が聞こえて振り返るが、やっぱり誰もいない。ネルは苦笑いのままだ。だけど、伝えられている内容は、とても大事なことで、一体どうなってるんだ?と頭の中に疑問符を浮かべた。ベスィの位置を特定できるというのなら、当日大勢の人間がいる中でも、とても心強いことだと思った。
「そもそも、襲撃予告の有無に関わらず、私たちは出動せざるを得ませんから」
「あ、あのっ一体どこに?」
「ザカリーさん一人で、この競馬場全体をカバーするんですか?」
見えないというのに、そのまま会話をはじめたネルを、思わず二度見する。というか、ザカリーさんって経理してくれてる人なはずじゃ…と思いつつ、でも、特殊警務課で働いてるくらいなんだから、やっぱりベスィに対して、何かしらの能力を持っているのか…とも思った。
基本的には、チェルシーもそうだけど、多分、特殊警務課の人たちは、霊力のようなものが強くて、ベスィが視える。ネルの能力も変だけど、ザカリーさんはベスィを特定して、通蝶をつけることができるということだ。それもすごい能力だなあ…と思う。ふと、カラスになってしまった課長もかなりやばいな、と思い出したが、今は関係ないことだから、頭の中からカラスを追い出した。また、後ろから声が聞こえる。
「こんな時しか、役に立ちませんので」
「そんなことありませんよ。うちの課にザカリーさんがいなかったら、成り立ちませんからね」
「す、すごい!ハミルトンさんに、そ、そんなことを言われる日が来るなんて。信じられない。このソーマという男は、一体何者なんです?よっぽど大切な…んがっ」
「え??」
捲し立てるようなすごい早口が聞こえたと思って、振り返った次の瞬間、ネルに足を踏まれた男の人がそこにいた。肩まで伸びっぱなしの灰色の髪に、銀縁のメガネをかけた猫背の人。年頃はネルよりは上な気がした。目の下にひどい隈があって、頬がこけていて、マッドサイエンティストってこんな感じじゃないかな、と、思うような、雰囲気。でも、コートも髪もグレーで、下に着ているセーターもグレーで、なんというか…
(ちょっと…石みたいだ…)
そんな失礼なことを考えていたら、ザカリーさんが、踏まれた足を何事もなかったかのようにそっとネルの足の下から退けながら、こほんと咳をして、俺に向かって言った。
「失礼、取り乱しました。領収書の滞納以外でこんなに感情が制御不能になるだなんて、私としたことが。初めまして、謎の新人・ソーマくん。ザカリーです。少々人見知りなもので、君のキラキラした瞳に晒されるのが怖くて、避けておりました。が、もう大丈夫です。足が痛いですが、もう大丈夫です。足は痛いですがね。後、領収書の滞納には気をつけて下さい。月末締めで提出していただけないと、私、我を忘れてしまうのですよ」
「へ、あ…はい。はじめまして、ソーマです」
「ええ。そうでしょうね、君がソーマくんなことは重々承知しておりますよ。以前も、石膏の際に、近くで見ておりました。自ら石膏の腕の中に入り実演する姿、とても愛らしく思っておりました」
「えっ」
愛らしく??と首を傾げるが、ネルは嫌そうな顔をしたままだ。よくわからないが、とにかく、この人がザカリーさんなのか…と、ようやく会えた他の特殊警務課の人に、ほっと安堵の息が漏れた。そしてちょっと、クラークさんの嫌そうな顔も思い出して、ちょっとだけ、笑ってしまった。
(変な奴ばっかりだし…って)
ザカリーさんが、通蝶で知らせてくれるのであれば、俺たちが当日することは、かなりわかりやすかった。とにかく、あの光る蝶が舞っている人物を、ベスィを、手当たり次第に、瞬時に掃討すること。1つでも、被害を出してはいけないのだ。
これは、わかりやすい、スピード勝負ということだった。
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