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2. と、暮らす
54 順当な解答
しおりを挟む「───は?」
「あれ…早いね。おはよ」
窓の外から、爽やかな鳥たちの話し声が聞こえてきた。
ちらちらと木漏れ日が差し込み、部屋の中なのに木漏れ日が差し込むところにいたんだっけ、と、思いながら、ゆっくりと、瞼を上げる。いつもよりも、体が重くない。いつもよりも、朝が眩しくない。いつもよりも、頭がぼんやりしない。
きらきらとした朝日の中で、俺は、きらきらとして、目を覚ました。
───が、目の前に広がる肌色。
なんだったっけ?と思いながら、顔を上げたら、片肘をついて頭を支えた華やかな顔。朝日以上の眩しさで、空色の瞳が、薄茶色の長いまつ毛が、俺に向けられていた。
(………うわ、顔面の圧。あれ、なんだっけ、この既視感)
そんなことを考えていたら、挨拶をされた。そして、「え」と思いながら、妙に、自分の体に解放感が溢れていることに、気がつく。ふと、下を見てみれば、俺は、服を着ていなかった。もう十一月になろうとしている頃合いだというのに、間違っても裸で眠ろうとは、しないだろうと思うのだ。
今日は随分と、頭が冴えているような気がするのに、事態が飲み込めない。
「え、待って。何これ」
思わずそう呟いた俺の前で、にやあっと嫌~~~な笑いを浮かべたネルは言った。
「何って………そういうことじゃない?」
「ハア?!」
←↑→↓←↑→
(どういうこと!どういうこと!なあ、どういうこと!?)
俺は、今、自室に逃げ帰ることもできず、ただ、毛布を被って、ネルのベッドの上で丸まっていた。その小さな丸まりの中で、俺の頭の中では、大宇宙をはるかに超える大きさの「どういうこと!?」という疑問が、流れ星のような速さでぐるぐると回り続けていた。
毛布の上から、追い討ちをかけるように、ひどい言葉が降ってきては、ゴンっと頭を巨大な石で殴られているような、そんな感覚。
「あ~やらしかったなー。ソーマ」
「お、お前~!嘘つくなよ!そ、そんなわけなッ」
ネルの言葉に、かああっと、顔に熱が集まる。
状況的には、本当に、何かが何かしてしまったのかもしれないということは間違いなかった。そもそも、俺は昨日、あまりの頭痛に、意識を失ってしまっていて、わからないのだ。だが、今までの例を考えれば、頭を抱えて痛がっている俺を見ると、ネルはなぜかキスをしてくる傾向があり、そして、昨日の朝、確かに、下手くそだから練習させろ的なことを言われたのだ。
それを鑑みるに、ああ、キスしたんだ~。治してくれたんだ~。と、少しの気恥ずかしさと共に、そう、思いたいところではある。あるのだ。
だが、しかし、───!現状はその呑気な感想を許してはくれない。
(キス?!キスすんのに裸にならなくていいだろ!ていうか、ネルも、なんで半裸なんだよ!着とけよ服!着とけよー!!寒いじゃん!!)
まるで、あたかも、俺のことを朝まで抱きしめていましたよ、と言わんばかりの距離感。意味がわからない。だが、ネルの言葉はさらに不可解だ。
「もっと、て。かわいくおねだりしてたのに」
「そ、そんなわけない!!!」
「覚えてないんだから、わからなくない?」
「だからって!そんな!覚えてないような時に、お前、そんな…!」
そう言われてしまえば、会話は終了である。だが、その時、とろっと尻の穴から何かが溢れたような気がして、ギクッと体を固まらせた。
(───何。今の、何……!!!)
よくわからないが、よくわからない形状のものが、尻から垂れたような、そんな気がした。待って、待って、と、毛布の暗闇の中で、誰からも見えないことはわかっていたが、俺は両手で顔を隠した。
(顔……顔が…好きだから…って、できんの??できるもんなのか?!)
確かに、クウィンタベリーで、ペニスを触られたことはあった。でも、あれは、やっぱり処理みたいなもので、俺もよくわかってなかったけど、多分、処理みたいなものだったと、思うのだ。だけど、性交……とまで行くと、やっぱり次元が違うように思うのだ。
丸まったまま、そっと、自分の指を、恐る恐る、いまだかつて触れたことがないような場所へと伸ばしてみた。怖い。だけど、そのまま、不安げな指でなぞると、とろっとした感触。それから、ぷにっと、柔らかい、尻の穴の感触。
「んぅっ」
「え? ソーマ。なんかしてる??」
「してない!してない!あくび!」
記憶は全くない。全くないのだが、──徐々に、自分の体から漂ってくる事後感に、泣きたくなった。体は妙に軽いから、もしかしたら、ネルがからかっているだけなんじゃないかとも思うのだ。でも、こんなところから何かの液体っぽいものが出てくることはない。毛布をほんの少しだけ開けて、ちらっとベッドのサイドテーブルを見る。見覚えのない、量の減った香油の存在を確認し、ひくっと顔が引き攣った。
(あ~~~俺、俺、なんか、したっぽい。よくわかんないけど、なんか、事後っぽい)
俺は全く記憶のない中、ネルと治療という名目の元、どうやら、おそらく、致してしまったようだった。
俺は毛布の中で、深い深いため息をついた。
ネルがからかってくる態度は、よくわからない。何をしようとしているのかと考えてみれば、多分、俺に嫌な顔をされたいとしか思えない。もしかして、ネルは、人に嫌そうに見られるのが好きなんだろうか。そういう性癖の人もいなくはない、という話を聞いたことがある。
嫌だなと思われたいのであれば、ネルの行動は正解であった。だが、───。
「あれ、出てきた」
のそのそと毛布から顔を出した俺を見て、にこにこしながらネルにそう言った。俺は、はー、っといつものネルのように、再びため息をついた。「何、まだ疑ってる?」と、尋ねられ、尻から得体の知れない液体が出てきたのだから、もう疑う余地がないということは、伝えない。仕方がない、と、腹をくくる。俺も男だ。起きてしまったことは、仕方がない。
まっ赤になりながら、できるだけ、ネルの顔を見ないように、言った。
「…………そう。まあ、ありがと」
「───は?」
「そうしなくちゃいけないほど、俺、なんか、やばかったんだろ」
別に、ネルのことが好きとか、そういうことはないけど。
でも、多分、意味のないことはしない奴だってことは、流石に、もうわかってる。理解はできていない。でも、マフラーだって、コーヒーだって、きっと、優しさでやってくれてる。レイナを送る時だって、俺が傷つかないように、多分、ネルが傷を作った。
理解はしてない。多分、理解できることもない。
でも、信用は少しだけ、していた。
俺の言葉を聞いて、呆然としていたネルが、慌てた様子で言った。
「え。待って、待って。それでいいの?!ソーマ、知らない間にされちゃったかもしれないんだよ?!」
さっきまでの余裕は一体どこへ言ったと言うのだろう。
まるで立場が逆転してしまったようだった。ネルはなんだか慌てた様子で、俺の肩を掴んだ。
「そ、ソーマ。ちょっと待って。待ってよ。まさか、頭痛が治るよって言われたら、誰かに抱かれてもいいと思ってんの?!」
「───ハア?!お、思ってるわけないだろ。バカ!」
「……え。でも、物分かりが良すぎない?わかってんの?!抱かれたんだよ?!」
「いや、そりゃ……その、恥ずかしいけど、でも、よくわかんねーけど、お前がそう判断したんだろ」
さっきまで、「されたかもしれない」などと濁していたくせに、ガッツリ「抱かれた」と言われて、うっと体を強張らせた。なぜか言ってしまったことにも気がついてないほど、慌てているらしいネルは、何故か、やっぱり俺に嫌がっていて欲しいようだったけど、俺は意味がわからなくて、首を傾げた。
ていうか、そもそも、───。
「ていうか、『誰か』じゃなくて、お前にだろ」
「!?」
「別に、誰かの話とか、してない」
信じられないものを見るような顔で、俺のことを見てくるネルのことを見ていたら、なんとなく、俺の方が優位に立っているんじゃないかっていう気がしてきた。少し、気が大きくなった俺は、にやあっとネルの笑顔の真似をしながら、尋ねた。
「それとも何。お前、俺のこと抱きたくて、抱いちゃったの?」
「!?」
「あれー?顔、赤くない?」
「そ、そんなわけないから。本当に、やめて。効率が良かっただけだから」
赤くなったまま、こっちを見ないでとばかりに、両手を俺に向けながら、ネルがそう言った。
効率……なんだかその言葉は、クウィンタベリーであんなことがあったときに、うっかり考えてしまったことがあったが、効率で、できるもんなんだろうか。だけど、なぜか赤くなって慌てている様子のネルのことを見ていたら、あ……俺の顔が好きなんだったと、思い出した。吸血鬼が両刀なくらいだ。そういう趣向が珍しいっていうわけでもない。まあ、好きな顔がついてれば、抱けなくもないのかもしれないなあ、などと思う。
珍しくも、ようやく訪れたこの優位を、どう楽しんでやろうかなーと、やめておけばいいのに、むくむくと悪戯心が沸き起こった。
「俺のこと、好きだったりして」
「ありえないから」
即答で、そう言われて、ふと、なんとなく思った。
別に何かの記憶があるわけじゃないけど、もし、俺のことを好きなんだとしたら、こう尋ねれば、逆に、断るんじゃないかと思ったのだ。ほんの少しだけ、好きな子に意地悪をしてしまうような子供を、頭に浮かべながら、まさかそんなことはないかと思いながらも、つい、尋ねてしまった。
「じゃ、効率がいいなら、次からはキスじゃなくて、そうする?」
驚愕の表情のまま、ネルが固まった。だけど、ふつふつと怒りが沸き起こってきたのか、虚ろな瞳になると、ネルは俺のちょっと期待をこめた予想とは、真逆のことを言った。ていうか、俺がどうしてだか、ネルが俺のことを好きだったりして、なんてとち狂ったことを考えさえしなければ、顔が好きな奴との処理的な意味では、もしかすると、おそらくは順当な回答ではあった。
だが、俺にとっては全く順当ではなかった。
「別に、いいけど!」
──────ん?
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