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2. と、暮らす

49 行き倒れのカラス

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「そ、遭遇した…?話したのか?!ソーマは」
「はい。お父さんとサリーという友達を探してると言っていたので、迷子かと思って一緒に」

 そう言った瞬間、───カラスがその黒いつぶらな瞳を見開いた。
 今の報告に、そんなに驚くようなことがあったかな、と、考え、さっきネルもすごく驚いていたなと思った。


 ───流しの馬車を捕まえて、大急ぎで特殊警務課まで戻ってきた後だった。
 相変わらずの山積みの本と書類の間から覗くと、課長のデスクの上で、カラスが一羽、行き倒れていた。本当に、行き倒れていた、と言った様子で、その、こてん、と、羽を閉じた状態で転がっている様子を見て、ネルが言った。

「ついに死んだか…」
「………は?」
「死んでないわ!!!阿呆」

 そう、勢いよく叫ぶ、渋い声が響き、行き倒れていたカラス、──こと、スパロウ課長は息を吹き返した。いや、別に死んでいたわけではないけど。だけど、───

「目が…課長、目が…すごいことに…」
「あ、ああ…ちょっと、寝てなくてな」

 いつも黒目しか見えてないはずの課長の目は、ギンッと見開いていて、黒目しかないというのに、人間が充血した時みたいな、赤い線が走っていた。それを見て思った。

(疲れてても、カラスかわいい…)

 すっかり喋るカラスを見慣れてきた俺が、そんなことを考えてほっこりしてしまった。そしてハッとする。カラスに癒されている場合ではなかった。というか、課長だった。ネルが淡々と課長に報告をしたら、課長は目をさらに大きく見開いて、そして、俺にそう尋ねたのだった。だけど、俺が答えた次の瞬間、───カラスの目から、だばっと滝のように涙が溢れ出した。

「ふぐぶぇえええああああ」
「うわあっ!?え?え?!」
「………」

 おそらく、はじめの「ふぐ」の部分は、涙を堪えようとしたんじゃないかと思うのだ。だけど、止まらなかった様子で、課長はおいおいと泣き始めた。俺はびっくりして、思わず助けを求めるように、ネルの方を振り返ってしまったが、ネルは白い目をしているだけだった。
 今朝見た課長はキリッとした顔で、「ネル。頼む」と言っていたような気がしたのに、一体何が起こったんだろう。現状を把握できているのは、きっとネルしかいないので、俺はおずおずと、ネルの様子を窺った。
 ネルはちらちら見ている俺に気がついたのか、はー、と、いつものため息をつくと、言った。

「涙もろいカラスだと思ってればいいよ。子供が大好きで、子供の案件だとこうなるとでも」
「………いや、でも、流石にこれは…」
「お"ぅっ お"う う”お"ぅ」

 見た目は泣いているカラスだが、声が渋い中年男性のそれで、複雑な気持ちになった。
 その俺の横で、相変わらず冷ややかな眼差しで、課長のことを見ていたネルが、バンバンと積んである本を叩きながら、言った。

「とにかく、当時の住所を教えて下さい。レイナは、家でお留守番していると言ったんです」
「う"ぼあ、あ"あああ、だ、だが、フラムは今はもう、う"う、小教区の名残で、大半が墓地になってるんだ」
「え!」

 それは俺も知らなかった。てっきりフラムは、教会のある美しい住宅街だと思っていたけど、いつの間にそんなに大きな墓地ができたんだろう。確かに、田舎で過ごしていた間に、リズヴェールは随分と変わったもんなあ、と思う。そう思うのと同時に、ひやりと嫌な汗が背中を伝った。

(だとしたら、いや、でもまさか…レイナは一人で墓地に…??)

 ネルの顔にも、若干の焦りが見える。
 いや、でも、おそらくはずっとそこにいるっていうことはないだろう。いくら記憶がおかしくなってるからって、自我があるというのなら、ずっと墓地にいれば、おかしいと思うはずだった。オルガさんはどこで生活してたんだろう。でも百年後の、俺が出会ったオルガさんは、記憶の混同がありながらも、あのヴィクトリアグローヴで働いているような雰囲気でいたから、きっとレイナも、似たような家に帰るなり、なんなり、辻褄を合わせているはずだ…と、思う。

 おいおい泣きながら、課長が、器用に羽根でペンを持ち、住所を書いた紙を渡してきた。ネルは、その様子を、じっと見ていた。そして、そのメモを受け取り、そして、妙に、低い声で尋ねた。

「課長が行かないんですか」

 今朝も聞いた質問だった。うるうると目に涙を溜めていた課長が、ビクッと体を震わせた。
 流石に、何かあるんだ…と、俺は思った。課長はぽろっと涙を流し、そして、小さな声で言った。

「どんな顔して、、レイナに合わせる顔なんて、ないよ……手を離してしまったのは、私なのに」

 その言葉を聞いて、まさか…と、俺は目を見開いた。でも、いや、まさか…と、再度思い直す。レイナが失踪してしまったのは、百年前だ。考えられる線としては、課長がベスィのレイナを前に見つけて、霊送しようとした時に、失敗してしまった…とかだろうか。そして、そのまま、レイナは見当たらなくなってしまったのかもしれない。

(まさか…まさか、課長がお父さんだなんてことは…ないよな…)

 百年前のことなのだ。もしも、スパロウ課長が、レイナのお父さんなんだとしたら、スパロウ課長も百年間生きていることになる。そんなことができるなんて、それこそ、不老不死である吸血鬼じゃなくちゃ無理なはずだった。でも、なんだろう、と、ぐっと拳を握りしめた。何かが引っかかる。何が?そして、いろんな考えが巡る。
 フラムの家の住所を、何も調べずにメモを渡せるほど、課長はこの案件を調べていたんだろうか。あのネルが、わざわざ二回も、自分が行かないのかと確認する様子。そして、今、ベスィとして人を殺めてしまった彼女を、ネルと一緒に霊送しに行くところだ。
 でも、───と思う。

(ネルは、課長が行くべきだと思ってるんだ…)

 正直、別に何かがわかってるっていうわけではなかった。行き倒れたカラスも、目が血走ったカラスも、泣き崩れているカラスも、はじめて見た。でも、こんなにも、課長が、気にかけている案件だと言うのなら、やっぱり俺も、行った方がいいんじゃないかって、そんな気がした。レイナのことを、こんなに気にしているのなら、情報も知りたいだろうと思った。
 俺は口を開いた。

「わたあめと、キャラメルりんごを一緒に食べました。ボール投げをして、それから、お父さんとカルーセルに乗るのを、ずっと楽しみにしてたって。たてがみに薔薇のたくさんついた白馬に乗って、嬉しそうにしてました。でもきっと、レイナはお父さんと一緒に、行きたかったと思います。それから、お父さんは悪い奴を倒すのに忙しいけど、すごくかっこいいお父さんなんだって、だから留守番も我慢できるんだって、胸を張ってました」

 突然、ペラペラと喋り出した俺を見て、ネルが隣で、驚いたような顔をしていた。課長は、ぴくぴくと震えながらそれを聞き、そして、「レ"イ"な"ああああ」と、涙の池に戻って行った。でも、俺は続けた。

「レイナのこと。一秒でも早く、迷子ではなくしてあげたいので、俺とネルはもう行きます。その住所の辺りを探してみます」
「!」
「行こう」

 課長の状況は、正直俺にはわからなかった。でも、今、俺がしなくては行けないことは、明確だった。ネルと一緒にシェラント警察署の外に出る。辺りはすっかり夜になっていた。びゅっと冷たい風が吹き抜けた。待機していた馬車に乗り、パタンと扉が閉じた。
 目の前に座ったネルが俺のことを呼んだ。

「ソーマ」

 ん?と顔を向けながら、言葉を待つ。

「ひとつだけ言っておきたい。どんなに普通の人間に見えたとしても、それが誰であろうとも、ベスィになってしまった人間は、ベスィでしかない。悪意ひとつ、苛立ちひとつで、人間を殺すことのできる、呪われてしまった魂だ。救うことはできない。できるのは、これ以上、手を汚させないために、送ることだけ」

 ああ、と思った。ネルが言いたいことは、伝わってきた。オルガさんの時のように、美しい終わり方をすることを、望んでいたわけではなかった。でも、どこかで、レイナのことを救いたいと、助けたいと、そう、思ってしまっている自分の甘さを指摘され、ぎゅっと胃が痛んだ。絞り出すように、口にした言葉は、震えていた。

「………わかってるよ」

 じっと俺の目を見ていたネルは、俺の言葉を聞いて、そっと目を伏せた。
 そして言った。

「ベスィは倒すべき、悪霊だ」

ネルの声は厳しかった。そして、その声のまま、続けた。

「それから……辛いことは、恨みは、全て吸血鬼に」

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