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2. と、暮らす
45 優しいおまわりさん
しおりを挟む「お兄ちゃん。お兄ちゃん。そんなところで、何してるの?」
「え?」
広場の隅のベンチの、背もたれに寄りかかって天を仰いでいた俺は、その鈴が鳴るようなきれいな声に、体を起こした。
ネルと別れてから、早一時間。オルガさんたちの時のように、一人や二人を相手に話す時とは違う。不特定多数を相手に、「すみません」と声をかけるのは、自分としては、ものすごく難易度が高い話だったということに、もう気がついていた。よく考えてみれば、いつもあの華やかな笑顔で人を丸めこみ、さくさくと情報を聞き出していたのは、全部ネルだった。
人たらしと言うのだろうか、相手に共感し、同調しながら、様々な情報を引き出していくネルは、正直、俺とは違って、確かにコミュニケーション能力が、ものすごく高い。それに、一緒に行動している時に、少し黙っていれば、俺に声はかけなくても、ちらっと様子を確認して、「そろそろ休憩したいなー」などと、流れるようにカフェへと誘導される。そして、ほっと一息ついている俺には、声をかけてこない。まるで、一人で息をつきたいことを知ってるみたいに。
はじめて、自分で聞き込み調査をすることになってしまって、少しだけ、心細さを感じている自分を、認めたくなくて、ぐうっと奥歯を噛みしめた。
(いや…俺でもできるはず。ぎ、銀時計だってあるんだし…)
そうして、俺はたくさんの人に声をかけようとして「あっ」とか「あのっ」とか言いながらも、誰にも振り返ってもらえず、広場の隅っこにあるベンチで、天を仰いで、ため息をついていたのだった。
そのきれいな声に目を向けてれば、ベルベットのかわいい帽子を被った女の子が一人。五歳くらいだろうかと思いながら、何よりもまず先に、必要なことを尋ねた。
「お母さんは?」
「お母さんは、いないの」
「え。じゃあお父さん?」
「そう。お父さんが迷子になっちゃったみたいで、探してるんだけど。見当たらないのよ」
お父さんが迷子、という言いように、ちょっと笑ってしまいそうになった。五歳の子が、出かけた最中に、一人きりになってしまったら、きっと泣いてしまうと思うのだが、その子はしっかりした口調でそう言って、口を尖らせた。
きっとお父さんと一緒に、この移動遊園地に来たんだろう。平日だって言うのに、この人混みだ。はぐれてしまったに違いなかった。
女の子は続けた。
「それに、サリーもいないのよ。私の親友なの」
そうか、と思う。友達も一緒なんだとしたら、きっとお父さんは今、その友達も片手に、ものすごく慌てて、この子のことを探しているだろう。移動遊園地に、迷子を管理するようなシステムはないだろうし、目立つところに立っているのがいいだろうか、と、考えていると、女の子が、じっと、何かを見つめていることに気がついた。
視線の先にある、小さな屋台のベンダー。
「わたあめ、食べたいの?」
「え!あー…でも、だめなの。子供だからだと思うんだけど、売ってくれないの」
そうなのか、と思う。知らないおじさんに買ってもらうのは、ダメだろうかと思いながらも、その場で買えば大丈夫だろうか…と、考え、ハッとした。よく考えてみたら、俺は警務官なんだった。知らないおじさんと自ら考えてしまったが、迷子を預かる人間としては、おそらく一番信用できるであろう職業だった、ということに気がついた。
そして、気が大きくなった。警務官がやることなら、多分、許されるはずだった。
「買う?」
「ほんと?!」
俺はその子と手を繋ぎ、わたあめ屋の前まで歩いて行った。くるくる、くるくると、おじさんが棒を回すのを見ながら、だんだん大きくなるピンク色のわたあめを見ながら、その女の子は目をキラキラと輝かせた。
そしてお金を払い、一緒に歩き出す。自分の手にわたあめの棒が渡されるまで、女の子は、不思議そうに俺のことを見ていた。知らないおじさんだもんな、と思いながら、女の子には言っておくべきかと思って、伝える。
「ねえ、名前は?俺、警務官なんだ。だから、安心して。お父さん、一緒に探そう」
「レイナ!えーほんと?私のお父さんも、警務官なんだよ!」
俺は念の為と、ちゃんと銀時計を見せた。
その子の緑色の瞳を見て、もしかしてクラークさんのお嬢さんだったりして、と、少し思った。だけど、そうか、と安心した。お父さんが警務官だと言うのなら、万が一、ここで見つからなかったとしても、シェラント警察署に連れて行けばいいのだ。どうしてレイナが、俺に話しかけて来たのかはわからないが、変なおじさんではなくて、俺に話しかけてくれてよかった。
レイナがわたあめを食べている間、噴水の縁に立って、しばらく、辺りに慌てている男の人がいないかと、目を凝らしていたが、見当たらない。諦めて、ストンと、レイナの横に腰を下ろした。
「お兄ちゃん、これ、すごく美味しいよ!ありがとう!」
お父さんがいないっていうのに、寂しがっている素振りすらなく、これはこれでまずいんじゃないかな、と感じながら、でも、その満面の笑顔を見て、思った。
(かわいい……)
そして、自分が、まずいおじさんになりかかっていることに気がつき、ハッと青ざめた。「どうしたしまして」と苦笑いを浮かべながら言い、もし見つからなかったら、警察署に連れってもいいかと聞いたら、レイナは少しだけ寂しそうな顔をした。
「どうかした?」
「あーうん。せっかくの移動遊園地だったのに…お父さんったら、すぐ迷子になっちゃうんだからって」
その残念そうに、しゅんっと下がる眉を見て、俺の眉も、釣られるように下がった。
まだ働き始めて、大した時間も経っていないが、わかる。警務官っていうのは、結構忙しい。他の課のことをよく知っているわけではないが、お母さんがいないというのなら、きっとレイナは寂しい思いをすることも多いんだろうな、と思った。
せっかく移動遊園地に来たのに、迷子って…。うーんうーん、と、頭を悩ませたが、十三時になるまでは、どちらにしろネルに会えないし、ネルがいないと特殊警務課にたどりつけないことを考えると、ここにはいないといけない。探す、という行為としても、数えられなくはない、と、自分に言い訳をしながら、結局、口にしてしまった。
「お兄ちゃん、今日、すごく嫌なことがあって、ちょっとここで遊びたいんだけど、お父さん探しながら少し付き合ってよ」
「!ほ、ほんと!?そ、そう。そうなの。そうなのね?……わかったわ!レイナ、お父さん探しながら、お兄ちゃんに、付き合ってあげる!」
うれしそうに笑ってるレイナを見て、自分が本当にすべきことも忘れて、ほっこりしてしまった。
そして、俺とレイナは、チケットカウンターで、チケットの束を買い、移動遊園地を楽しむために、足を踏み出したのだった。
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