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2. と、暮らす

43 不毛な意地の代償

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「……………ど、どうした??お前たち」

 気まずそうに目を瞬かせてるカラス、───こと、スパロウ課長の前で、俺とネルは不機嫌を隠すこともなく、仁王立ちでお互いに反対の方向を見ていた。今日は、夜勤明けだからか、昼過ぎからの半日出勤ということで、昼過ぎから特殊警務課に顔を出していた。
 ネルはどうやら家から馬車で通っているらしく、俺もその恩恵に預からせてもらった。正直、乗合馬車に乗らなくていいのだから、それはとても、ありがたいと思うのだけど、素直に感謝することができなかった。
 何故か馬車は家の前ではなく、裏口から少し歩いたところに待機していた。

「おいおいおい。お前たち、一緒に住むんだろ?仲悪いのは流石に厳しいぞ。仲良く仲良く」
「「………」」

 心配してくれている課長には悪いが、俺はもう、絶対にネルとは仲良くなれないと思っていた。反対方向を向いているネルの表情はわからないが、ネルだって絶対に、そう思っているはずだった。
 別に全部が全部、嫌な奴だってわけじゃないことは、わかるのだ。心配してくれたり、気遣ってくれたりすることもある。だけど、いい奴なのかも…と思った次の瞬間には、ものすごく嫌な気持ちにさせられて、感情がまるでぐねぐねうねうねした回廊を上がったり、下がったりしているような、そんなかんじ。
 しばらく共に行動をし、夜勤で一晩共にし、一緒に住むことにもなったというのに、俺とネルの溝は深まるばかりだった。

(仲良くだなんて……絶対無理だ…)




 ───今日の昼前のことだった。
 見覚えのない、天蓋つきの大きなベッドの上で、俺は目を開けた。なんだか、髪を撫でられていたような、そんな気がして、徐々に意識が浮上した。うつ伏せのまま、ぱちぱちと目を瞬かせながら、段々と、ぼやけた視界が照準を合わせていく。目の前には、手触りの良さそうな白いシャツがあって、その下に、全く日に当たったことがないような肌が覗いていた。よくわからなくて、ぼうっとした頭で、それをただ、見つめた。
 少し上から、聞き知った甘い声が降ってくる。

「おはよう、ソーマ」

 顔を動かさずに、目線だけ、その声の方へと向けると、ここ最近、一番よく見ている男の顔。片肘をついたまま、俺の方を向いて、華やかな笑顔で、まるで、恋人と迎えた朝のような顔をしてるけど、よく見ると、口角がひくっと引き攣っている。
 俺は、頭に浮かんだ疑問を、そのまま口にした。

「………は?」

 ネルがいるのだから、ここはおそらく、ネルの部屋なのだ。
 おそらく、もう日が高いのだろう。窓からの光に、明るく部屋の中が照らされていた。少し、部屋の中を見てみたかったけど、あいにく、俺の視界はネルの胸が目の前にあって、遮られていた。昨日は何をしていて、どうなったんだっけ?と、まだ働かない頭で考えようとして、また眠気に引きずられる。目を閉じようとしたら、ネルに言われた。

「なんか…ごめんね。辛そうだし、良かれと思ってたんだけど。……あんなに気持ちよさそうにしてるくせに、下手くそだと思われてるとは、思わなかったよ」

 引き攣った笑顔のネルだったが、そう言い終わるころには、なんだかやけになってるみたいで、苛立ちがそのまま伝わってきた。それをぼうっと見つめながら、一体なんの話だっけ?と考え、そしてようやく、自分が昨日、ネルに何を言ったのかを思い出した。
 ───途端。
 ぶわわ、と、顔に熱が集まる。いつもなら、まだしばらく頭は働かないはずだったのに、珍しくすぐに体が反応した。自分が気持ちよくて、気持ち良すぎて、苦し紛れに、ネルに悪口を言い放ったことを思い出した。どうしよう、どうしよう、と、ちょっと考えて、やっぱり恥ずかしさのあまり、意地を張ってしまった。

「そう思ったから、そう言っただけだけど」
「………あーそう」

 ベッドに片肘をついて頭を支えながら、引き攣った笑みを浮かべていたネルは、俺の言葉を聞いて、ぷいっと横を向いて口を尖らせた。
 朝起きて、開口一番そう言ってくるネルを見て、もしかして、起きてからずっとイライラしていたんだろうか、と少し思う。でも怒ってるっていうよりは、ネルのそれは、───。

「え。もしかして、拗ねてんの?」

 思ったことをそのまま尋ねてみれば、ネルはきょとんとして、それから、ぷるぷる小刻みに震えながら、嫌そ~~な顔をして、眉間に深い深い皺を寄せた。そして、尋ねた。

「ねえ、なんでそういう考え方になるの?でもさ、あんな、あんとか言って、えろい顔しといて、それはなくない?」
「い、言ってないだろ!そんなこと!」
「ふうん。えろい顔してんのは、認めるんだ。もうこのまま抱いてみたいな顔してるもんね」

 一瞬、言われた意味がわからなくて、動きを止めた。
 だけど、ぶわっと恥ずかしさが、全身に広がった。確かに、確かに気持ちよくなってしまったことは認めよう(言わないけど)。でも、そんな、その気持ちよくなってしまっているという事実が、ネルにまで漏れるほどの、おかしな顔はしていないんはずだった。少しくらいは、赤くなってたかもしれない。でも、でも、───。

「だ、だい?!?!し、してない!絶対にしてない!!あんな下手くそなキスで絶対にないから!!!」
「っっ!」

 驚いたネルの顔を見て、あ、しまった…と思った時には、もう遅かった。
 大きく見開かれていたネルの瞳が、段々と、虚ろな色になり、眉間に深い、深い、皺を寄った。そして、「はーーー」といつもよりも長い、盛大なため息をついた。
 それからネルは、もう、どうでもいい、みたいな呆れ果てた顔をして、顔に書いてあった通りの言葉を口にした。

「───ああ、そう。僕もさ、ずっと考えてたら、もう、………どうでも良くなっちゃって」
「は?」
「もう、後悔しても、知らないからね」

 未だ、寝転がったままの俺の前に、ずいっとネルの華やかな顔が近づく。なんだ?と思っていたら、そのまま。ふにっと唇に、身に覚えのある感覚。目の前には、伏せられた長いまつ毛。
 思わず、ぽかっと口を開けて呆然としていたら、熱いぬるっとしたものが滑りこんできた。ビクッと体が震えた。抵抗しようとした両手は、いつの間にか絡め取られて、仰向けに、シーツに縫いつけられる。押さえつけられるように覆い被さられて「んぅ?!」と、声をあげた。

「ん、ん!んー!!」

 混乱した頭で、必死に抵抗する。
 それでも、俺がもがいても、びくともしない体。ぎゅっと絡まった指を、余計に強く握られた。身動きひとつ取れないまま、唇を、舌を食まれ、ちゅく、くちゅと、濡れた音がし始める。絡み合う度に、ここ最近で知った、自分の口内の気持ちのいいところばかりにネルの舌が当たり、思わず、ひくっと震える。官能が呼び覚まされていく。

(あ……まずい……)

 ネルとキスをすると、とろっと蕩けるみたいに思考を奪われる。それから、我慢のしようがない、まるで強制されてるみたいに強い、それでいて、ひどく甘い、溢れるような快感が広がっていくのだ。
 ゆらっと腰が揺らめいてしまう。
 ふぅんっと鼻から甘えたような声が抜けた。どき、どき、と心臓が鳴り響く。朝なことも、ある。中心に熱が集まっていく気配があって、焦る。きっと顔はまっ赤だと思った。
 ちゅ、と最後にもうひとつ、小さな濡れた音が響いた。俺の口を蹂躙していた熱が離れる時には、俺はもう、涙目だった。俺のことを見下ろすネルの髪の一筋が、さらっと垂れた。滲む視界で、一生懸命、ネルのことを睨んだ。

「これからずっと、申し訳ないからさ。練習させてよ。!」
「───は??」

 口を開いた瞬間に、濡れた唇から、たりっとよだれが溢れそうになって、慌てて口を閉じた。練習…と、ネルは言ったんだろうか。なんの練習だと考えて、それが昨日と、それと、今、自分が苦し紛れに「下手くそ」と文句を言ったことに起因していることに気がついた。驚いた顔のまま、固まる。やっぱり意地を張ると、いいことなんて起こらないのだ。
 そして、最後に、意地悪そうなネルの顔が、また近づいてきたかと思うと、耳元でそっと、囁かれた。

「ソーマ、───下見て」
「………は?」

 何?と首を傾げていたら、ちらっと目線を下に流された。視線で示された先は、俺の下穿きの辺りで。そして目をやってみて、下穿きの布を押し上げている熱に、やっと気がついた。俺は、かああああ、と、全身の体温が一気に上昇するのを感じた。それだけでも、羞恥の限界を超えていたのに、意地悪そうな顔をしたネルが、膝をぐりっと俺の股に押しつけた。

「あっ」

 自分の声に驚いて、思わず手で口を塞ごうと思った。でも、手はがっちり握りしめられていて、ぐぐっと精一杯首を横にして、顔を隠そうとした。恥ずかしすぎて涙が溢れそうだった。ネルの顔が近づいてくる気配があった。差し出すような形になってる、耳元で、意地悪そうな声で、一番聞きたくない事実を囁かれた。

「勃っちゃったね」

 はくはくと、口を動かすけど、何も言葉が出てこない。今の今まで、意地を張るといいことなんてないと思ってたのに、絞り出した言葉は、精一杯の虚勢だった。

「し、死ね!変態!」



 ───そして今。

「おいおい、本当に大丈夫なんだろうな」
「別に、なんともないですから」
「お気遣いなく」

 スパロウ課長は、おおう、と、引いたような声を出していたが、でもいつまでもこの話をしていても仕方ないと思ったのか、こほんと一つ咳をして、それから、机の上から一枚の写真を取った。
 そして、いつもよりも、さらに少し低い声で、言った。

「今回の被害者の写真はこれだ」
「え、これって、………くま」

 思わず、そう言葉が漏れた。
 見せられた写真には、大きな茶色いくまのぬいぐるみが写っていた。大きな、という言葉から想像するくまのぬいぐるみの大きさを超え、辺りに写っているベンチや噴水の大きさからも、男性がすっぽりと入ってしまいそうなほどの大きさの、くまだった。
 これが被害者だと課長が言ったのだから、これは被害者なのだ。
 本当にベスィの被害者の形状は、通常の犯罪の想像を超える。今回は、このベスィの調査か…と、思っていると、隣から、驚いたような声が上がった。

「課長!このくま!」
「───まだ、わからない。確認してきて欲しい」
「……課長が、行かないんですか?」
「ネル。頼む。確認してきてくれ」

 その会話を聞いて、どういうことなんだろう?と、不思議に思った。俺は気がつくことができなかったけど、このくまの写真に、ネルが驚愕するような事実が隠されていたんだろうかと、目を凝らす。
 でも、課長も、ネルも、なんだかこれ以上この場で話を続ける気はないようだった。ネルはすぐに踵を返して、自分の席でコートを引っ掴むと、足早にリフトの方へと歩いて行った。
 よくわからないけれど、俺もぺこっと会釈をしてから、慌てて、ネルを追いかけた。

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