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2. と、暮らす
39 静かな朝
しおりを挟む「今日は、夜から出勤」
「え?あ、そうなのか」
次の日の朝だった。
朝起きて、コーヒーを淹れようと思って、階段を降りて行った俺に、ソファで新聞を読んでいたネルがそう言った。夜から出勤なんていうことも、確かにこんな仕事内容であれば、当たり前か、と思うのと同時に、もうひとつ思った。
(……あ。新聞、届くんだ…)
外から見たら、人が住んでるだなんて思わないような気がしたけど、届けてくれる人間がいるんだなあ、と、知る。
ネルの家に来るまでは、居候というのは、肩身が狭いだろうなと思っていた。でも、思っていたよりも広い家で、それに、ネルも別に干渉してくるわけでもないのだ。二階には、浴室がついていて、そこは確かに、ネルも使うらしいけど、それ以外は、物音すらも聞こえなかった。
(静かな家……)
この静けさを思えば、俺が昨日、魔導ノコギリを振り回していた音は、きっと、ものすごい騒音だっただろうな、という気がした。慌てて家から出てきたネルを思い出し、ふっと小さく笑う。
高木で外界と遮断されてしまったようなこの家は、きっと、外から見たら、おどろおどろしいお化け屋敷に見えるに違いなかったけど、お化け屋敷の中の住み心地は、そんなに悪くなさそなのだ。庭以外は手入れされている。
ただ、庭師が来ていないのだとすると、雨樋がどうなってるかは気になるので、そこだけは確認して掃除したいところだ。今の季節はいいけど、夏はきっとまずいことになってるはずだった。
ちらっとネルの方に目を向けたら、新聞の横に、食べかけのチョコレートが置いてあるのが見えた。あれが朝ごはんなのかと少し思って、いや、まさかなと思い直す。きっとデザートみたいなものだろう。
ネルはゆったりした大きめのカーディガンを着て、くつろいでいる様子だった。俺はコポコポとコーヒーを入れながら、ソファの後ろにある、ダイニングチェアに腰掛けた。
本当は、同じ空間には、あまりいたくなかったけど、居候させてもらってるのに避けるような真似は悪いだろうか、と思いながら、念の為留まる。ギッと椅子が音を立てたのが聞こえたのか、ネルが振り返った。
「こっち、座れば?」
「え"っ」
「………嫌なら別にいいけど。ちょっと話すことがあるから…し・ご・と・の・こ・と・で!」
思わず、嫌そうな声を出してしまい、ネルの声がずんっと、低く沈んだものへと変わる。
一瞬、どうしよう、と迷ったけど、俺は立ち上がって、ちらっと食器棚を見た。棚からひとつ、コーヒーカップを取り出すと、軽く濯いでから、余っていた分のコーヒーをカップに入れて、それも一緒に持って、ソファの方へと移動した。
これが、一緒に住んでいるということだよなあ、と、内心ため息をつく。大嫌いである前に、ネルは俺の先輩…もしかすると、上司に当たるわけだ。朝から話すことなんて、どうせ仕事のことに決まっているのだ。正直、コーヒーの一杯くらい、ぼうっとしながら飲みたかったな、と思う。
大きなソファに座っているネルの横、一人用のソファに腰掛け、ずっとコーヒーを啜る。白い湯気が、むわっと顔にかかる。挽きたての香ばしい匂いが広がって、ほっと一息ついた。朝弱いソーマは、起きてからこうしていつもの一杯を飲む時間を、楽しみにしているのだ。少しずつ、頭が覚醒していく感覚を、伏し目のまま、感じる。
緑の多いネルの家には、きっと、たくさんの鳥が住んでいるのだろう。朝、随分と早い時間から、チチッピピッと、明るい話し声が聞こえていた。リビングの古いガラス戸の先には、荒れ放題の庭の緑が、紅葉が透けて、きらきらとサンルームに木漏れ日が落ちていた。
昨日、雑草を刈り取ったおかげで、少しだけ庭は見やすくなったけど、その分、設置されてされていた、おどろおどろしい呪物たちの全容が明らかになった。雨ざらしになった神々の…いや、神かどうかは知らないけれども、その置物は、壊れているものや、崩れてしまっているものもあって、ヒッと小さく悲鳴をあげた。どうにかかわいくできないだろうかと頭を捻った結果、庭にドワーフの人形を飾っていたおばあさんを思い出しながら、後で鉢植えでも買ってこようかと考えていた。
ずずっとコーヒーを啜る。
(不思議だ…あんな呪われた庭だっていうのに、朝がきれいだ…)
今までだってこうして、何度も朝を迎えてきたのに、何故か、穏やかな気持ちが広がっていくのを感じた。小鳥の声と、ぺらりと、ネルが新聞をめくる音。それだけが、この家に響いていた。ふと、ネルがいつもの「はー」というため息をつき、それから言った。
「──教えて、あげよっか」
「は?」
「じゅー」
「え、できんの?」
あんなに剣術が得意なネルのことだ。俺はてっきり、ネルはもう剣特化の人間なんだとばかり、思っていたのだ。どうしてネルが、そんな優しいことを言い出したのかは、わからなかった。「一応」と、ぶっきらぼうに答えるネルを見ながら、それでも、俺の喜びはそんな疑問を通り越し、素直に、ありがたい!という気持ちでいっぱいだった。なんせ、人生ではじめて触る銃なのだ。誰かに教えてもらった方がいいに決まっていた。
「嘘、ほんとに?いいの?」
「……え、あ、ああ。だって、困るだろ。早く準備してきて」
ネルがなぜか少し戸惑っているような気がして、ネルの気が変わらないうちに、準備するに越したことはないと思い、俺は勢いよく立ち上がった。残りのコーヒーを飲み干し、キッチンで急いで濯ぐと、そこにあった水切りの上に置かせてもらった。
それから、ぱたぱたと階下に上がろうとして、扉のところで、あっ、と足を止めた。大嫌いだと言ったのに、現金かな、と思いながらも、振り返って、ネルの気がかわらないように、一言言っておくことにした。
「ありがとう、───ネル!」
表情に、喜びが溢れてしまったような気がする、と思いながら、少し恥ずかしくて、急いで階下へと上って行った。的も用意しなくてはいけないなと思い、鳥たちが驚かないといいけどなあ、とも忙しなく思考を巡らせていた俺は、ソファに沈んだネルが、顔を赤くしていることなんて、全く知らなかった。
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