上 下
36 / 92
2. と、暮らす

36 不機嫌な出迎え

しおりを挟む


 ───というわけで、結局、抗えずに、ネルの家に向かっているのだ。
 ガタゴトと揺れる馬車は、まるで死刑台へと向かっているかのようだった。馬車の中の空気は重苦しく、朝だと言うのに、澱んでいるような気すらする。向かい合って座りながらも、お互いに眉間に皺を寄せながら、逆側の窓に視線を向け、会話はない。
 一体どうやって、この状態で、共同生活が成り立つと言うのだろう。
 この状態を見て、これから楽しく幸せな生活が待っている!と期待に胸を膨らませることができる人間がいるのならば、それはもう、頭がおかしいやつでしかなかった。
 嫌で、嫌で、しょうがなかった。だけど、ふと思った。俺のことが大嫌いなはずの、この目の前の男は、どう思っているんだろうかと。

「お前は…、お前は、それでいいのか」

 窓の外を眺めていた、ネルが、ちらっと俺の方に目を向け、そして、「はー」といつものため息をついた。もうそれだけで、答えはわかったようなものだった。というか、俺はなんていう愚かな質問をしてしまったのかと、すぐに後悔した。
 今、まさに今、この状況で、期待に胸を膨らませることができる人間がいるのならば、それは頭がおかしい奴でしかないと、自分で、そう思ったばかりだったというのに、どうしてこんなことを聞いてしまったんだろう。
 ネルは言った。

「クウィンタベリーに泊まるのですら嫌なのに、一緒に暮らすのを僕が喜んでるとでも思ったの?ソーマの頭はお花畑だね」
「……違う!そうじゃなくて、他の人に代わってもらうとか、そういう…」
「こんな厄介ごとを引き受けてくれるような、人手はない。それに、正直なところ、あいつがソーマに興味持ってるなら、都合がいいよ。こんな弱そうな新入り。格好の囮だから」
「そ!そんなの!!まだ戦ったこともないんだから、わかんないだろ!」

 もしかしたら、俺が、凄腕のガンマンだった!のような奇跡が起きる可能性だってあるじゃないか、と思う。だが、思いながら、その想像の限界にも気づく。でも、引き下がれなかった。むっと唇を噛んで、ネルのことを睨む。ネルは、どうでもいいけど、のような顔で、つまらなそうに俺のことを見た。
 一人でカッとなってしまっているのが、恥ずかしくなって、小さく、呟く。

「……それに、俺が特殊警務課の一員だってとこまで、バレたわけじゃないだろ。性別だって」

 あくまでも、レンツェルが探しているのは、ソフィアという名前のメイドなはずだった。あの仕事はチェルシーが見つけてきたものだったけど、当たり前だが、個人情報のようなものは隠匿しているはずなのだから。それに、この広いリズヴェールの街で、田舎から出てきた女ひとりを、探し当てるのは、大変なはずだった。

「バレてないことを、祈ってるけど…」

 その声色に、ん?と目を瞬かせた。
 なんだか、ネルの言い方は、本当に心配している人のそれのような気がして、小さく驚く。でもすぐに、どうせ自分の面倒事の度合いを考えているだけだろうと、その考えを打ち消した。
 馬車はリズヴェールの南側へと、ガタコトと、進んで行った。一緒に住むというのだから、最低限、俺が住んでいたところみたいな狭い部屋でないだろう、とは思っていたが、帝都の南側は、閑静な住宅地が広がっているのだ。この辺りに、フラットがある雰囲気はなく、庭付きの邸宅が並ぶ。馬車は、アーサーストリートと標識のある通りを抜けたところで、ゆっくりと停止した。

 え?と、顔を見上げて、目を見開く。
 そこには邸宅の中身など外からは全く見えないほど、鬱蒼と茂る高木が並んでいたからだ。葉の間からかろうじて見える、錆びついた門には、常緑の冬蔦が絡まり、まるで緑の門だ。ろくに掃除もしていないのか、高木からは紅葉した葉が落ち、壁の周りに積もっていた。午前中の白い光に照らされたその場所は、よく言えば、植物で囲まれた緑豊かな屋敷であったが、その手入れのされていない木々の様子に、おそらく夜にはお化け屋敷のように見えるのではないかと思った。

「………え。ここ?」
「部屋は余ってるから」

 驚いている俺に、ネルは淡々とそう言った。
 リズヴェールの中で、この地区に足を伸ばしたことはなかった。馬車で走ってきた感じを鑑みても、明らかに住宅街である。いや、閑静な住宅街である。よくはわからないけど、貴族ないしは、商人など、そこそこ金持ちの住む地区だと思うのだ。
 そこに現れた、この荒屋…とは、まだ家自体を見ていないから、なんとも言えないが、この荒れた庭木の様子を見る限り、近隣でも異質な邸宅なのではないか、という気がした。

 今の今まで、ネルと一緒に暮らすなんて、嫌で嫌で、しょうがなかったこともすっかり忘れ、何故かごくっと唾を飲み込んだ。
 隣で「はー」という、いつものため息が聞こえ、そして、心底嫌そうな声で、ネルが言った。

「ようこそ。ハミルトン邸へ」

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい
BL
英国の若き青年×職人気質のおっさん塗師。 「カツミさん、アナタはワタシのミューズです!」 「おっさんにミューズはないだろ……っ!」 愛などいらぬ!が信条の中年塗師が英国青年と出会って仲を深めていくコメディBL。男前おっさん×伝統工芸×田舎ライフ物語。 第10回BL小説大賞エントリー作品。よろしくお願い致します!

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。

待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。 父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。 彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。 子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。 ※完結まで毎日更新です。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

処理中です...