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2. と、暮らす
35 昨晩のはなし
しおりを挟む「…………」
「…………」
ネルが用意してくれた馬車に荷物を詰め込み、今、馬車で揺られている最中だった。
本当ならば、反論したいところだったし、ネルと一緒に住むなんて、絶対に、絶対に嫌だと思っていた。でも、ネルの説明を聞いて、理解はできなかったが、状況を把握した結果だった。
あの後、ひとしきり、わけのわからない問答をし終えた俺たちは、しばらく、二人で頭を抱えていた。だが、その後、「引っ越し??」と、驚く俺に、ネルは諦めたように、口にした。
「チェルシーが、盗聴するための魔導具を仕掛けたんだ」
「えっあ、あのクローゼットに?」
「そ。気づかれるのは時間の問題だとは思うんだよ。でも、昨晩の盗聴分が問題だった」
あんなに切迫した状況だったというのに、流石だな、と思ったのも束の間、ネルはコートのポケットから、録音用の魔導具と見られる、小さな水晶のようなものを取り出し、そして再生した。何やら、チェルシーと俺が見た、あのベスィとレンツェルの会話らしい。ベスィの声を録音することができるのだから、この水晶は、不思議な魔導具であることは間違いなかった。しばらくは、どうでもいい会話が続いていたように思ったが、その後の一言が、『問題』だったことは、すぐにわかった。
──「ねえ。ここで働いてる、ソフィアって呼ばれてたメイドの子。捕まえて、連れてきて」──
だけど、内容は、すぐに理解できずにいた。
ソフィアと呼ばれていたメイドの子…は、俺であることに間違いはなかった。確かに、俺は、昨日、レンツェルと接触をした。そして、それは、わけのわからない接触であったことにも、間違いはなかった。だが、捕まえて、連れてきて?と、言われるほどの、粗相をしたとは思えなかった。
俺は、メイド長に、部屋の掃除とベッドメイキングを頼まれて、それを行っていただけなのだから。確かに、覗いてしまったことは、まずかった。でも、チェルシーはわざわざ穴も、塞いでいたし、なんの痕跡もなく立ち去ったはずだし、吸血鬼が、俺が覗いていたという確証を得られたとは思えなかったのだ。
「は???俺???」
「……吸血鬼に、捕まえられたらさ、ソフィアちゃんはどうすんの?」
「どうって…そんなの…」
捕まったらまずいから、逃げるしかないわけだけど、家まで見つかるほどの大事件なんだろうか。案外、呼ばれて、掃除が不十分だとか、そんな文句を言われるだけ、なんていうことだったりして、と思ったが、そんなわけないか、と思い直した。いくら人間みたいだったとは言え、そんな普通の文句を言うとは思えなかった。
そして、さっきのネルの言葉を思い出した。「一体どうしたらこんなことになんの?」という叫びは、確かに、納得のできる糾弾であるような気がした。俺も思った。
(一体なんで、こんなことになったんだ??)
頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。特殊警務課に関わるようになってから、俺はいつだって、え?とか、あ?とか言ってばかりなのだ。そうか、それで、ネルの家に引っ越し?と思うが、それはスパロウ課長の家とかでは、だめなんだろうか。それも、一緒にチームを組んでいるから、ネルの方が都合がいいっていう、そういうことなんだろうか。
でも、別に俺だって、遭遇したくてレンツェルに遭遇したわけではない。それに、そこまで目立つ真似をしたつもりもないのだ。一言くらい、文句を言わせてほしい。
「でも…嫌だ。一緒に住むなんて、やだ」
ぼそっと呟いた俺の言葉は、もはや、ただの悪態でしかなかった。それでも、俺のことを大嫌いだと言う、俺の大嫌いな男と、一緒に住むなんて、苦行以外の何者でもなかったのだ。拳銃だってある。もしかしたら、自分の身くらいは、自分で守れるかもしれないとも思うのだ。
「あ、そ。じゃあ、捕まって、食べられちゃえばいいんじゃない?そうしたら、ソーマもすぐにベスィになって、永遠に、レンに飼われるんだよ。チェルシーと一緒に見たんじゃないの?体液欲しさに、ひれ伏して、蹴飛ばされて悦んじゃうような変態の仲間入りだよ。おめでとう。ソーマがそんなことされたい変態だなんて知らなかった。ああ、そうだった。そうだった。自分で色目使って、キスされそうだったんだもんね。願ったり、叶ったりか」
ネルの言いようは、ひどいものだった。俺は、腹の中がマグマのようにぐつぐつぐらぐらと、煮えたっているのを感じた。なんでこんな言われ方をしなくてはいけない。そんなことした覚えも、そんなことを望んだ覚えもないのだ。もう少し、何か言い方はないんだろうかと、ギッとネルのことを睨んだ。
でも、ひとつだけ、気になることがあって、眉間に皺を寄せたまま、尋ねた。
「───レンって?」
「ああ。レンツェルって言ってんの、最近だから。吸血鬼の呼び方なんて、どうでもいいけど」
そうなのか、と思う。吸血鬼が一体何年生きているのかはわからないけど、最近の呼び方なのだと知る。
ネルは攻撃的な口調で、続けた。
「あいつに、変態みたいに躾けられたいわけ?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「じゃあ、文句とか言ってないで、早く荷物まとめてよ。それが、特殊警務課の総意」
「そっ」
(……そう言われてしまえば……従う他、ないわけだけど…)
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