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1. と、出会う
28 傘の中
しおりを挟むそう言ったネルの表情が、なんだか、憂いを帯びていて、雨のせいかもしれないけど、なんだか色っぽく見えて、どきっと心臓が跳ねた。そして、言われた言葉の意味を、頭が理解して、かああっと顔に熱が集まる。
そのまま固まっていたら、そっと頬に手を当てられ、ぐっと手を引き寄せられた。思わず、俺の傘が後ろに転がる。人通りの少ない場所にある停留所の近くだ。細い路地を通ってるところだったし、周りに、人はいなかった。
あっという間に、ネルの傘の中に隠されて、気づけば、すぐ目の前に、ネルの華やかな顔があった。その流れるような仕草に、驚いて、でもどうにかして止めなくちゃと思って、叫んだ。
「ちょ、ちょっと!いいって!」
「……どうして?」
肩に傘をかけたネルが、頬に当てた手の親指で、俺の頬を擦った。反対の手は、ぎゅっと握られ、いつの間にか、指が絡まっていた。どっどっどっど、と、心臓が、爆音で鳴り響いていた。そのネルの仕草は、まるで、誘ってるみたいで、一体なんで、こんなことになってしまってるんだ?!と、俺の頭の中も、心の音も、楽隊の演奏並の大騒ぎだった。
ネルがいつも通りのにやにやした顔で尋ねた。
「もしかして、気持ちよくなっちゃうから?」
「っっそ、そんなわけないだろ!」
そう叫んで、どうにかネルから距離を取ろうと、ぐいぐい胸を押すけど、ネルはびくともしなかった。この前も思ったけど、一体どうしてこんなに力が強いんだ、と思う。必死に抵抗してたのに、耳元に近づいてきたネルが、いつものちょっと鼻にかかった甘い声で言う。
「どうかな。この前は、随分と…気持ちよさそうだったから」
「~~~っっ」
耳に、ネルの息がかかって、びくっと体が震えてしまう。いつの間にか、掴まれてた手ごと、腰を引き寄せられ、それは、否応なしに、前回こんなことになってしまった時の、俺の記憶を呼び起こした。自分が、この前、どんなことになってしまったのかを思い出し、恥ずかしくて、恥ずかしくて、どこかに逃げ出してしまいたい。またあんなことになってしまったら、きっと、もっとネルに揶揄われてしまうに違いなかった。
───でも。
何故か、突然、ぎゅうっと抱きしめられた。そして、───
「ソーマ…」
耳元で、そっと、名前を呼ばれた。
なんでだろう。なんでかはわからないけど、でも、何故か、切ない声だと、そう、思った。
まるで、もう離したくないみたいに、ぎゅうっと強く抱きしめられて、意味がわからなくて、混乱した。こんな時間に、酒が入ってるわけはないだろうし、この前の俺みたいに、寝ぼけてるなんてこともないはずだし、女の格好してるから、間違えてるって言うほど、おかしなことはないだろう。というか、現に俺の名前を呼んでいるのだ。おかしなことを考えているのは、どちらかと言うと、俺の方だった。
(───え?え??)
ふわっとネルの爽やかな香りが広がって、どうしたって、この前のことを思い出してしまって、ネルの胸を押していたはずの指が、不安げに震えた。随分、長い間抱きしめられていたような気がしたけど、俺は混乱してたから、もしかしたら、一瞬だったのかもしれない。ネルの手が緩んだかと思うと、目の前にある、空色の瞳。そして、───。
「あっ まッ」
待って、と言おうとした言葉ごと、ネルに飲み込まれてしまった。ん!と、思わず口にした俺に構わず、ゆっくりと、口の中を蹂躙された。舌先で優しく撫でられ、上顎を擦られ、熱い息が漏れた。や、やだ!また揶揄われる、と、焦っているのに、まるで、体は、ネルのことを待ち望んでいたような、喜んでいるような、変な感覚。
力が抜け、だんだんと、思考も、体も、ネルに支配されていく。
「んっ っは…」
濡れた声が、雨の音と混じって、耳に届いて、震えた。
とろっとしてしまった目で、ネルのことを見たら、また、片手で目隠しをされてしまった。
(また…目隠し…)
ぼうっとしてきた頭で、なんとなく、視界を奪われると、余計に、ネルの舌を生々しく感じてしまう気がした。じゅっと舌を吸われれて、びくっと体が跳ねた。このまま、もっと、もっと絡まったら、どうなるんだろう、なんて、そんなことを考え始めた時、───視界が開けて、ネルの体が離れた。うっかり、また気持ちよくなりかかっていたことに気がつき、ハッとする。
もはや涙目ではあったが、とにかく精一杯の文句を口にした。
「な、なんでこんな…!」
「頭痛いって言ってたからだよ。治ったでしょ」
「だ、だからって!そもそも!お前のその能力は一体なんなんだよ!治癒なのか?!こんな、こんなこと…し、しなくていい!」
「……ソーマは、すぐ気持ちよくなっちゃうもんね」
にやにや笑いながら、図星を指されて、ぐっと唇を噛みしめた。
だって、だって、と、心の中で言い訳をする。ネルの能力のなんたるかは、俺の知るところではないのだ。だけど、だけど、たとえ治療だとして、それでも、あんな風に、口の中を舐められたら、誰だって…!と、思うのだ。
「違う!治療だって言うなら、こんな風にする必要なんてないだろ!よくわかんないけど、唾液でどうにかなるって言うなら、そ、それだけ渡してくれても!唾液が治癒の効果があるのか?!」
言いながら、それはそれで、おかしいということは、わかっていた。頭痛がして、はいどうぞ、と、ネルに唾液を渡されて、それを舐める自分を想像したら、なんだか違う気がした。でも、だからと言って、どうしたらいいかなんて、想像もつかなかった。
ネルは言った。
「唾液っていうか…まあ、体液だけど、血とかは飲みたくないでしょ?それに、ほら、雰囲気作りって大事かなって。女の子って、そういう自分だけが愛されてるみたいなの、好きだから。って、あー…ソーマはそんなこと知らないか」
「なっ!なっ?!う、うるさい!!余計なお世話だ!」
この細い道を抜ければ、もう停留所なのだ。俺は、傘を拾って、ネルから逃げるように、停留所に向かって走り出した。最寄りの停留所は、家のすぐ目の前だから、乗る前に傘を返さなくちゃと思っていたことなんて、すっかり忘れていた。そのまま、ちょうど向こうから来た乗合馬車に乗って、俺は、その場を後にした。
乗合馬車の窓から、ちらっと一度だけ振り返ったら、いつも通りのヘラヘラした笑顔で、ネルが手を振っているのが見えて、すぐに顔を背けた。そして、思う。
(もう…なんっ!ほんとに、何なんだよ!!)
しばらく悶々として、それから、呆然として、自分の最寄りの停留所が近くなった頃、ようやく、気がついたのだった。
「───あっ!傘。これ……」
返すのを忘れた。
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