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1. と、出会う
26 吸血鬼の根城
しおりを挟むつい先日、ネルに連れられて見に行ったリージェンシーストリート。
その一角に、まるで貴族向けの大商会のような面構えの建物があった。美しい装飾を施された黒い門、その上を仰げば、人を三人重ねても足りないほどの大きなアーチを描く窓が並ぶ。重厚な黒い扉を開けて、中に入れば、まるで舞踏会でも行えそうなほどの、広い広いホール。『フリティラリア』の名の下に、支援している芸術家の作品や、音楽家の定期的な演奏会が行われているらしい。
どうやら、毎月十二日には、ああしてパレードのように練り歩きながら、子供たちに菓子や花を配るというような、パフォーマンスを行っている。表向きは慈善活動をしていると、ネルは言っていた。だが、本質を知っている俺たちからしてみれば、あれは、民を人質にとっているような行為だと、すぐに気がついた。
(女帝陛下が、中々手を下すことができないほどに、強大な敵……)
あんなに大々的に女帝陛下に喧嘩を売る輩だ。おそらくは、貴族や、もしかすると女帝陛下の近くにすら、協賛者や支援者がいるのではないだろうか。ベスィは普通の人の目には見えないのだ。そこまで真っ向から対立している以上、女帝陛下や高貴な人たちの身辺を守るために、ベスィを視ることができる人員が割かれているとも考えられた。
(それに対抗するのが、特殊警務課だけだって言うなら、荷が重すぎる…)
もちろん、地方にだって、ブランチはあるのだろうが、それにしたって、あんな風に練り歩くベスィたちを見てしまった後、流石に、ネルたちの人手不足は、深刻だなと思った。どうなったかはわからないけど、きっと、あのオルガさんの子孫の、ヒビキさんも勧誘されたりしたんじゃないだろうか、と、思った。
昨日見た光景を思い出してしまい、ぶるっと体が震えた。
でも、チェルシーの言う通りなのだ。今はとにかく、潜入に集中しなくては行けない。潜入!潜入!と、どやされて、ここまで来てしまったが、そもそもなんの目的でここに来ているのか、わからない。もはや特殊警務課という存在は、誰にぶち当たっても、こういう忙しない流れの中にあるのではないか、と、疑う。
「チェルシー。今回の潜入の目的は何なの?」
尋ねてみれば、「そういえば!」というような顔で、はっとしたチェルシーが、スッと、神妙な顔つきになった。敵の根城まで潜入するなんていう強行に出るくらいだ。おそらく、何らかの疑いがあって、その証拠を掴む、といったような、重大な目的があるに違いないのだ。
俺だって何かの役に立ちたいと思って、ここまで来たのだ。チェルシーが、押していたカートを止めた。そして、俺に向かって、大きく頷くと、小声で、だけどはっきりとしたような雰囲気で、言った。
「今回の潜入の目的は、───吸血鬼の弱味を握ることよ!」
「………は?」
その言葉の意味を理解するまでに、俺は数秒固まった。そして、理解してから、思った。
(目的が雑すぎる……!)
そんなバカな、と思いながら、考えてみたのだ。
弱味…という言葉の意味について。確かに俺たちは、吸血鬼の弱味を握りたいだろう。それは、そうだ。それは、間違っていない。これだけ強大な力を持つ人間だ。煌びやかに見えても、きっと、どこかに綻びはあるだろう。
例えば、ベスィになりたくなかったのにされてしまった人の中には、もしかしたら政敵がいたかもしれない。あるいは、ベスィになりたくてなった人たちの中に、吸血鬼の言うことを聞かないような者もいるかもしれない。
この建物の中で働いている人間の話。慈善事業の裏で、きっと悪いことの1つや2つ、やっているだろうという気もする。
「ちょっと待て。なんか具体性とか無いのか?側近を割り出すとか、資金源を洗うとか、貴族との癒着とか」
「あー!そうそう、そんな感じよ」
「……え」
まさか本当に無計画で、こんな無謀な作戦を決行しているのだろうか。ネルが焦っていた様子を思い出し、もしかして判断を誤ったかもしれない、と、少し思った。
でも、そんなかんじだと言うのだから、一応、俺が考えた路線で間違ってはいないはずだった。
思ったのは、やっぱり社会的地位を崩すこと。悪事の証拠とか、貴族の癒着みたいなことがわかればいいけど、そんなの、ベッドメイキングしているだけでわかることではないのだ。
その時、ふと思った。物騒な考え方ではあるが、そもそも、吸血鬼っていうのが、この国で一人しかいないんだとすれば、倒してしまったらどうなんだろうか、と。ネルの口ぶりから、早々簡単に行くことではない、ということはわかっていたが、特殊警務課はどんな計画で動いているんだろうか。
「ねえ、そもそも。吸血鬼ってどうやって倒すつもりでいるんだ?心臓を撃ち抜けば死ぬってわけじゃ、ないんだろ?」
「あらやだ。あなた何も聞いてないのね。吸血鬼は死なないわ」
「───は?」
「吸血鬼は、死なないのよ。老いもしなければ、死ぬこともないわ。完全なる不老不死よ」
不老不死…と、思わず小さくつぶやいた。
不老不死?ということは、どうやっても倒せないっていうことなんだろうか。一生出られないところに、閉じ込める、みたいなことになるんだろうか。
チェルシーは続けた。
「だからどうしても、捕獲・捕縛という形を取らないといけない。それが問題なのよ。仮に、殺害の現行犯で逮捕しようにも、やってることは首筋を噛むだけで、実証はできない。社会的地位も信用もあるフリティラリア卿を拘束しようものなら、悪者にされるのは、こっちだわ。よくわかってるのよ。大衆心理とその掌握を」
「…そう、なのか。そうか、それで…」
あんな地位を築くことができているのか。
フリティラリア卿と、今チェルシーが呼んだのだから、貴族なんだろうが、それはおそらく、女帝陛下がまだその危険性に気づく前に、その爵位を渡してしまったことを意味していた。そして、その後、爵位を剥奪されるほどの事件を起こさず、水面下で力をつけ、民の人気を集めている、ということだ。
(賢い……)
それに、あれだけ堂々と女帝陛下に喧嘩を売っているのだ。捕縛する罪としては、確実に国家転覆罪。でも、それは目に見えないものたちを使い、目に見えない能力で行われている。そこが、難しいのだ。
チェルシーは続けた。
「実は、先週あなたたちが霊送したベスィが、ずいぶん昔のことなんだけど、彫刻家を目指してて、フリティラリアに支援を頼みに来てたことがわかったのよ」
「あのベスィが?」
「そそ。表向きは行方不明で処理されちゃったみたいね。大体の無自覚のベスィはそうだけどね。もしかしたら、身近な同僚で不審な辞め方をした人がいるかもしれない。目撃者がいたりすれば、少しでも弱味にはなる」
彫刻家と聞いて、そうだったのか、と思った。
だとすれば彼女は、ただ支援を求めてきただけだったのに、殺されてしまったということだ。表向きは、若き才能の支援を謳っているというのに、それはひどい裏切りだった。
でも、待てよ、と思った。そんな風に、本当に無作為に、ベスィにされているんだろうか…と、思いながら、隣を歩くチェルシーを見た。つやつやの肌、気の強そうな宝石のような瞳、ぷるんとした唇。ブロンドの流れるような髪は、今は、まとめて編み込まれているけど、それでも、───
「チェルシー。やっぱり潜入は危ない。チェルシーみたいなかわいい子、目をつけられてベスィにされちゃったら大変だよ。俺だけ残るよ」
「………………へ?!」
「吸血鬼は、男だろ。その気持ちはよくわからないけど、きっと、かわいい女の子の血を飲みたいと思うよ」
「あ、あなた……な、なんて、なんて…」
チェルシーは足を止め、わなわなと震え始めた。そして、改めて、まじまじと俺の顔を、体を、頭の先から、爪先まで凝視すると、言った。
「かわいい!!!!!えーやだー!かわいい!かっこいい!こんなかわいいのに、男前!!」
「……え」
「大丈夫よ!私、すっごく強いから!!それに……吸血鬼、両刀だから!リスクは半分ずつよ!」
「りょ、りょッ?!」
なんだろう。重要な情報は、あんまりないのに、両刀とかは、警務課にバレてるんだ…と、白い目になった。今まで大事な話をしていたというのに、頭の中を、なぜか両方に刀のついた短剣みたい映像が、ぐるぐると回った。言葉の力というか。
俺がその言葉の圧に、くらくらしていると、チェルシーが続けた。
「あと、私は、───探してる人がいるのよ」
「えっ 黒百合教の中に?」
「ええ。できれば、ただの、私の勘違いであって欲しいと思ってるんだけど…」
「そう、なのか…俺も探す?」
そう尋ねた俺に、チェルシーは、ふっと優しそうな微笑みを浮かべると、「ううん」と小さく首を振った。
なんだか事情がありそうだから、俺はそれ以上、尋ねなかった。
潜入捜査なんて、自分にこなせるのかはわからなかったけど、でも、できることをやろうと思った。
(それに……)
ネルが「俺も行く」と言って、女装をしてみた姿を思い出し、ふふっと笑ってしまう。
ネルなんて、顔立ちも綺麗だし、あんなに舞台俳優みたいな顔だから、てっきり絶世の美女になるんだとばかり思っていたら、チェルシーが言っていた通り、本当に『骨格』というのは大事みたいで、メイド服を着てみたら、ただの女の服を着た男でしかなかったのだ。
つい思い出し笑いをしてしまったが、違う違う、と考え直す。
「チェルシー。お互いに、気をつけよう」
「うん。がんばろ!」
俺だって、───。
(……ネルの俺に対する評価を、変えさせてやる!)
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