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1. と、出会う

13 あいつ

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「───って誰?」

 休日明けのことだった。
 俺とネルは郊外に向かう馬車に、向かい合って座っていた。

 いつも通り、シェラント警察署の壁で待っていたネルと一緒に、地下の特殊警務課まで行った。どうやら、あのリフトには仕掛けがあるらしくて、俺はまだ、ネルと一緒じゃないと、地下へと辿りつくこともできないのだ。そして、リフトの扉を開ければ、渋い顔をしたスパロウ課長が開口一番、「変死体だ」と、言った。
 それは、週の一番はじめ、爽やかな朝に、おそらく一番聞きたくない内容だな、と、俺は思った。そして、その後、課長は言ったのだ。

「ヴィクトリアグローブ。要請があったから、ソーマと一緒に泊まりで見てきてくれ」
「「と、泊まりで?!」」

 ヴィクトリアグローブは、リズヴェールから馬車で二時間ほど行った先にある、川沿いの歴史ある円形劇場だ。
 初代エリザベス帝に並ぶほどの、賢帝だったと名高いヴィクトリア帝が、演劇を愛していたことから、避暑地に作られた劇場で、老朽化していたが、最近、改修され、実際に舞台にも使われていると聞く。

「ソーマと二人で泊まりなんて嫌です」
「………俺も、嫌です…」
「お前たち、仲が悪いのか??」
「はい。ソーマと泊まるくらいなら、一人で行きます。足手纏いなんで」

 はっきりとそう断言され、ぴくっとこめかみに力が入った。
 先週も思ったことだ。確かに!俺は!まだ実践もしたことのない、新入りだが、それでも、本人を目の前にして、そんな言い方をする必要ないと思うのだ。でも、俺も、ネルと二人で避暑地に…もう秋ではあるが、観光地のような場所に行くのは、断りたいと思った。なので仕方なく、黙っていた。流れ的には、悪くないのだ。
 ───が、俺の胃の奮闘も虚しく、課長が言った一言で、ネルの態度は一変した。

「今回はもしかしたら、が関わってるかもしれない」
「!」
「だから、お前を一人で行かせるわけには行かない。たとえ新入りだろうと、最低限、お前が暴走するのを止めるやつがいないと」

 その課長の言葉を皮切りに、ネルはもう反論しなかった。俺は、暴走?と首を傾げながらも、性格上、反対意見を声高々と言えるようなわけではなく、渋々上司の命令に従わざるを得なかったのだ。



 ───そして、今。
 ネルと一緒にヴィクトリアグローブに向かいながら、ネルに俺は尋ねた。『あいつ』が関わってるとなんなのか、そもそも誰なのか、俺は何も知らない。
 いつもの「はー」というデフォルトのため息をつき、馬車の向かいの席に座っていたネルは、つまらなそうに吐き捨てた。

「きゅーけつき」
「……吸血鬼」

 そのいつも通りすぎるネルの様子に、内心、うっと怯む。
 実は、朝会った時から、ネルは、俺の様子になんて全く興味なんてないという態度なのだ。突然「あー!」とか「うー!」とか叫び出し、悶絶する週末を過ごした俺の心臓は、ばくばく鳴り響いていたが、一人だけ気にしてるのは、さらに自分を辱める行為だと悟った俺は、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、断腸の思いで、平静を装っていた。

 まさか、ベスィの元凶である吸血鬼が、直接関わっているということだろうか、と、俺は驚いた。ちゃんとした自我を持ったベスィにすら、先週、はじめて遭遇したのだ。そして、待てよ?と思う。彼女は、あのベスィには、吸血鬼が直接関わってなかったのか?ん?『直接』ってなんだ?と、首を傾げた。
 その疑問が顔に出てたのか、ネルは嫌そうな顔をしたまま続けた。

「ベスィはみんな、吸血鬼に噛まれた人間がそうなる。だけど、ベスィになるとわかっていて、永遠にベスィとして吸血鬼に従いたいという人間もいる」
「…………えっ。そ、そんなことがあるのか」

 だとすれば、先週のベスィは、意図せずベスィにされてしまった被害者で、今日の事件は、もしかすると、意志を持って悪事を働いていると、そういう可能性があるということだろうか。
 死んだことに気がつかないで、ベスィとして過ごすことも恐ろしいと思ったが、死ぬとわかっていて、自らベスィになろうという人間がいるということも、恐ろしかった。だって、それはある意味、人間に敵意を持つ、見えない超能力者を生み出すような行為だ。そんなベスィが世界に溢れれば、この国は、世界は、いずれ滅びてしまう。
 このベスィの事件は、吸血鬼という存在は、そんな大きな規模の存在だったのか、と、俺は震え上がった。今まで、関わってはいけない『お化け』のように思い、目を背け続けてきたことが、そんな次元の話だったとは、夢にも思わなかった。

「そ、その…吸血鬼っていうのは、一体、どれくらいの数存在するものなんだ…」
「ああ、他の国のことは知らないけど。でも、この国で、僕たちが『吸血鬼』として追ってるのは、一人だけだよ」
「え、一人だけ?」
「うん。この国で追ってるのはね。他の国はわかんない。名前は、───レンツェル・フリティラリア」

 名前もわかっているのか…と、俺は目を瞬かせた。
 そして、どこかで聞いたことがあるような気がして、なんとなく「レンツェル・フリティラリア」と、俯きながら、小さく繰り返した。
 でも、ネルが俺のことをじっと見ていることに気がついて、顔を向けた。

「…怖い?ソーマは怖がりだよね」
「………なあ、それ、よく言ってるけど、なんでだよ…!」
「え?先週も怖がって震えてたし、体調も、悪くなっちゃったもんね」
「そ、それは違っ違う!」

 でも確かに、あの時、俺は怖がっていただろうし、多分、ベスィを見たせいではないと思うが、体調も悪くなったことは本当で、俺はなんて否定したらいいのか、わからなかった。う、と、言い淀んでいると、にやあっと笑ったネルが、俺が一番触れられたくないことを、遠慮なく口にした。

「ただの治療だったのに、キスだけで、あんなになっちゃって」
「~~~っっ」

 俺は多分、耳まで真っ赤になってるだろう。でも、それでも、やっぱりそれは事実でしかなくて、否定することができなかったのだ。心なしか、じわっと視界が潤んでしまいそうになり、必死でその水分を引っこめた。
 思い出さないように、思い出さないようにと、休日からずっと言い聞かせてたのに!と、恨めしい気持ちでいっぱいだった。ぎゅっと唇を噛みしめ、何か言い返さなくてはと思っていたら、追い討ちをかけられてしまった。

「もっと、って言ってたもんね」
「!!!……ち、違うから…」

 今の今まで、ネルに怒っていたのに、そう、言われた瞬間に、すごく情けない気持ちでいっぱいになった。眉毛がしゅんと下がってしまうのがわかる。でも別に、ネルが、嘘をついているわけでもなんでもなくて、それが、すごく恥ずかしかった。
 だけど、俺が黙ってしまったのを見て、何故か一瞬、ネルが焦ったように見えた。でも一瞬だったから、気のせいかもしれない。

「と、とにかく、レンツェルっていう奴が、吸血鬼だから」

 ネルに突然、話題を戻されて、「あ、ああ」と、曖昧な返事をしてしまった。でも俺も、どうにか思考を戻そうと思った。いつまでも恥ずかしがってても、仕方ないのだ。

 御伽噺では、吸血鬼っていうのは、黒いマントを着て、牙があって、女性の血を吸う…そういうイメージだった。でも実際にこうして名前を聞くと、なんだか、普通の人間のようで、なんだかすぐ近くにいる人に、心臓を握られてるみたいなおぞましさを感じた。
 一体どんな人…人?かはよくわからないけど、どんなものなんだろう。ベスィのような異様な能力があるんだろうか。聞きたいことは山ほどあった。でも、とりあえず、俺たちが事件現場に向かっていることを考えれば、それよりも先に、聞かなくてはならないことが、あった。

「吸血鬼が直接関わってると、他の事件と、どう違うんだ」
「被害者の様相が全然違う。昨日みたいな、生優しい内容じゃない。命を弄んでいるのがわかる。狂気の沙汰だ」

 自分にとってみれば、昨日のベスィの事件だって、かなり狂気に塗れていたと思うのだ。でも確かに、家に帰ってから、あの女の子は…と、考え、悲しい気持ちになったことを思い出し、そうか、と思った。おそらく、そういうことにはならないような、相手なのか、と、気持ちをぎゅっと引き締めた。
 ネルは続けた。

「派手、目立ちたがり、そんな雰囲気のする事件には、大体関わってる。それから、───」

 ああ、この顔のネルを、俺は見たことがあると思った。
 被害者の石膏像を路地裏で発見したときのネルの顔だ。あの時、見据えていたのは、───レンツェル・フリティラリアという吸血鬼だったのか、という確信があった。ネルは続けた。

「───明確な悪意がある」
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