7 / 92
1. と、出会う
07 空から銀時計
しおりを挟む「ああ、届いたんだ。それ。早いね」
朝の光が差す、シェラント警察署。門番が立っている石造りのアーチの少し前辺りに、壁に寄りかかっている、ネルがいた。どこか、ぼんやりとして、無表情で石畳の道を見ている姿は、まるで舞台のワンシーンのようだな、と思ってしまって、すぐにその考えをパッパッと掻き消した。
(あんな嫌な態度取られといて、何、見惚れてんだ、俺は…)
そして、口をむっと噤み、不機嫌を隠すことなく、無言で、ネルの前に立った。
ふと顔を上げたネルは、俺の顔と、手の平の上を見ると、挨拶をすることなどなく、俺にそう言った。
俺の手の上には、銀時計が、きらっと朝日に輝いていた。
驚くこともなく、ただ確認するようにそう言ったネルの態度から、多分、この銀時計が俺の手にあるってことは、そんなにおかしなことじゃないと思っているように感じた。
───が。
俺は、内心パニックだった。なんせ、この銀時計は、昨晩、家に向かって道を歩いているときに、俺の下に、飛んできたのだ。そう、飛んできた。
人通りの少ない路地に入った瞬間だった。空からキラキラと小さな箱が、俺の前に舞い降りて、俺は思わず手の平を差し出してしまった。そして、花びらが散るように箱が消えたかと思うと、中から、銀時計が出てきたのだ。
俺は驚いて、思わず声を上げてしまい、「え!」という大きな声が、路地に響き渡った。そして、自分の声にさらに驚いて、きょろきょろと辺りを見回し、誰も通行人が近くにいなかったことに、ほっと胸を撫で下ろした。
そして、闇夜の中、その銀時計に光り輝く ロイヤルクラウンの紋章に、有無を言わせず、特殊警務課の一員として認めましたよ、と言う威圧を感じ、顔が引き攣るのを感じた。もうシェラント警察となんか、二度と関わるか!と息巻いていたのに、銀時計の、その威圧と女帝陛下の後光に負けて、今朝ものこのこ出てきてしまった。
俺は、はあ、と、ため息をついた。
(あれはもはや、魔じゅ…いや、魔導技術ではなくて、もう、御伽噺の魔法だっただろ…)
俺は、眉間に皺を寄せながら、それでも、できるだけ、なんとも思ってないよっといった風を装い、「ああ」と、ネルに短く答えた。ネルはきっと、またいつもの憎たらしい顔をしているのだろうと思って、ちらっと覗けば、意外にも、少しほっとしたような顔をしているような気がして、おや?と思う。
だが、それも束の間、すぐさま、いつものいけすかない顔に戻ると、ネルはニヤニヤしながら、言った。
「怖がりのソーマくんは、ちゃんとおうちに帰れたの?」
「なっなっ……くそ。今日は、なんなんだ!!」
「今日はさ、外回りの予定だったんだけど、課長に別件頼まれちゃって、そっちの確認」
そう言いながら、ネルはトンッと革靴を鳴らして、寄りかかってた壁から、軽快に立ち上がると、俺の方を振り返りもせず、話しながら、歩き出した。
「昨日とは別件で、ちょっと気になる通報があったらしい。拾得物だってさ」
その言葉に、それをわざわざ確認しに行くんだろうか?と、俺は首を傾げた。
シェラント警察署には、俗に『事件』を処理する刑事班と、見回りや小事に対応する巡回班の人間と、分かれているはずだった。拾得物、だなんて、そんな平和な雰囲気のことに、わざわざ?と、思いかけて、「あ」と、思わず小さく呟いてしまった。
そして、思う。
(そうか…人間離れした事件を扱ってるんだから、常識離れした拾得物なんだ…)
俺の小さな呟きに、ん?と、片眉を上げながら振り返ったネルは、俺が何も言わないことを確認すると、話を続けることにしたようだった。
「それが発見されたのは、昨晩の真夜中。バーヴィエンにある酒場」
バーヴィエンなら、メアリルボーンから歩いてもそこまでの距離ではないが、警務官だと言うのに、馬車を使ったりしないのか、と思いながら、ネルの少し後ろを歩く。
腹立たしいが、俺はその酒場の位置がわからないんだから、仕方ない。
それに、拾得物…と聞いて、俺の中には、なんだかすごく嫌な予感がしていた。昨日見せられた写真を思い出しながら、考える。つるりとした白い表面、硬そうな材質。一見すれば、ただの石膏像にみえるのでは、ないだろうか。
(あれは…発見された時、あれが『人間』だと、人は気がつくんだろうか…)
それから、酒場か…と、考えた。俺の『このベスィは、憧れの強い女』説は、昨日ネルにあっさりと否定されてしまったけど、それでもだとしたら、酒場って、ちょっとまた女の子が憧れそうな行き先な気がしてしまった。
何故かはよくわからないけど、ネルは、感情はない、の一点張りだ。なんで教えないといけないんだと凄まれて、俺も、そこをネルにお願いしてまで教えてもらうくらいなら、後でスパロウ課長に聞きたいと思っていたのだ。
(もしかして、こう…決めつけて事件にかかると、良くないってことなのかな…)
とか、いいように考えて、感情がないって、それこそ決めつけみたいな気がして、俺は頭を振った。
それに、ネルのあの心底嫌そうな態度を思い出し、イラッとしたので、やっぱりネルはただの嫌な奴だから、後で課長に聞こうと思った。もしかして違うことなら答えてくれるだろうか、と、1つ昨日から気になっていたことを尋ねた。
「なあ、あの蛸みたいなベスィは、人を襲ったりしてなかったけど…」
「大体のベスィは昼間はね、襲わないんだよ。普通に過ごしてたでしょ」
「理性がある?」
「違う。眠ってるみたいなものだよ」
そうだったのか、と、驚く。昼間は襲ってこない…でも、ん?そうだっただろうか、と考えていたら、ネルが話を続けて、ベスィには段階があるのだと教えてくれた。全てのベスィに当てはまるわけではないが、はじめは、ただの生き霊のようなものと、そう変わらないのだそうだ。姿形はそれぞれで、だけど、長く生きるに連れ、段々と悪霊として覚醒しまうと、教えてくれた。
(ってことは、あの時、俺が見た蛸のベスィは、昼間で、眠っている状態だったのか…)
自分が働き口を無くしてしまって、正直それどころではなかったし、その後も、怒涛のように押し寄せる出来事に、頭が破裂しそうになっていたのだ。若干、あのベスィに遭遇したこと自体は、俺の記憶の中で、ぼやっとしてしまうほどの出来事になっていたが、記憶の糸を手繰り寄せて、思い出してみた。
目は、開いてた。上半身は、普通の女性だった。だけど、俺が話しかけても、確かにあの人は、反応しなかったな。今までに、俺に話しかけてくるようなベスィにも遭遇したことがあるのだ。それも、段階のせいなのだろうか。
「俺、田舎の方でも、結構ベスィ見てきたんだけど…その、特殊警務課が全部に対処してるのか?」
「………そうだね。人手が足りてないってのもある。視える人、少ないんだよ」
ああ、もしかして、それで、この尋常じゃない速さでの採用になったんだろうか。そんなことをぼんやり考えて、ふとネルを見た俺は、えっ、とびっくりした。昨日から、嫌なことを言ってくるか、ヘラヘラ、ニヤニヤしてるだけなのに、ネルはすごく、真剣な表情で、見えない誰かを睨んでいるかのような顔で、言った。
「それと、───ベスィを、無作為に増やし続けてる奴がいるって、ことだろうね」
増やす…と聞いて、そうか、と思う。スパロウ課長に言われた時、まだ実感としてよくわかっていなかった。ベスィは別に、降って湧いて出るわけではないのだ。ベスィは、元々は被害者なはずだった。
(………そっか。吸血鬼が……)
ベスィは吸血鬼に噛まれたことで、死んだ人がそうなってしまうもの。だとすれば、特殊警務課が目指しているのは、ベスィの殲滅ではなくて、───吸血鬼を退治すること。
ネルは続ける。
「ベスィにとってはさ、人間なんて、道端の石ころみたいなもんで、何をしたって、どうしたって、別になんとも思わない、取るに足らない存在だ」
俺は、ネルが言っていた「ベスィには感情がない」っていう言葉を、少しだけ、思い出していた。わからないけど、もしかしたら、それは、常識でも、経験則でもないのかもしれない、と思った。
「吸血鬼っていうのは、その親玉みたいなもので、一番残酷な、おぞましい存在だよ」
そもそも、吸血鬼がなんなのかってこと、それすらも俺はまだ聞かされてないのだ。俺はネルに聞きたかった。でも、なんだか、ネルの瞳はどんどん剣呑なものになっていき、なんだか口を挟んではいけない雰囲気で、じっとネルの言葉を待つ。
「弄ばれた石ころは、めちゃくちゃに踏み躙られて、どこかでポツンと見つかるんだよ」
俺たちは、いつの間にかバーヴィエンの辺りまで、たどり着いていたらしい。酒場が多く、夜の方が栄えてる区画だ。朝の白い光の中、酒場のゴミ箱にたかる鳥たちだけが、忙しそうに、動き回っていた。ふと、小さな路地に目をやったネルが、ぴたっと動きを止めた。
なんだろう?と、俺もそちらへ目をやり、ギクッと体を強張らせた。
思わず、ハッと息を飲む。
影で真っ暗に見える路地裏。そこには、───写真で見たものそっくりの、等身大の白い石膏像が、一人、佇んでいた。
背に朝日を浴びて、ネルの瞳の空に影が落ちる。
そして、ネルは続けた。
「──────こんな風にね」
20
お気に入りに追加
256
あなたにおすすめの小説

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
【R18+BL】ハデな彼に、躾けられた、地味な僕
hosimure
BL
僕、大祇(たいし)永河(えいが)は自分で自覚するほど、地味で平凡だ。
それは容姿にも性格にも表れていた。
なのに…そんな僕を傍に置いているのは、学校で強いカリスマ性を持つ新真(しんま)紗神(さがみ)。
一年前から強制的に同棲までさせて…彼は僕を躾ける。
僕は彼のことが好きだけど、彼のことを本気で思うのならば別れた方が良いんじゃないだろうか?
★BL&R18です。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる