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1. と、出会う

07 空から銀時計

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「ああ、届いたんだ。それ。早いね」

 朝の光が差す、シェラント警察署。門番が立っている石造りのアーチの少し前辺りに、壁に寄りかかっている、ネルがいた。どこか、ぼんやりとして、無表情で石畳の道を見ている姿は、まるで舞台のワンシーンのようだな、と思ってしまって、すぐにその考えをパッパッと掻き消した。

(あんな嫌な態度取られといて、何、見惚れてんだ、俺は…)

 そして、口をむっと噤み、不機嫌を隠すことなく、無言で、ネルの前に立った。
 ふと顔を上げたネルは、俺の顔と、手の平の上を見ると、挨拶をすることなどなく、俺にそう言った。
 俺の手の上には、銀時計が、きらっと朝日に輝いていた。
 驚くこともなく、ただ確認するようにそう言ったネルの態度から、多分、この銀時計が俺の手にあるってことは、そんなにおかしなことじゃないと思っているように感じた。
 ───が。
 俺は、内心パニックだった。なんせ、この銀時計は、昨晩、家に向かって道を歩いているときに、俺の下に、飛んできたのだ。そう、
 人通りの少ない路地に入った瞬間だった。空からキラキラと小さな箱が、俺の前に舞い降りて、俺は思わず手の平を差し出してしまった。そして、花びらが散るように箱が消えたかと思うと、中から、銀時計が出てきたのだ。
 俺は驚いて、思わず声を上げてしまい、「え!」という大きな声が、路地に響き渡った。そして、自分の声にさらに驚いて、きょろきょろと辺りを見回し、誰も通行人が近くにいなかったことに、ほっと胸を撫で下ろした。

 そして、闇夜の中、その銀時計に光り輝く ロイヤルクラウンの紋章に、有無を言わせず、特殊警務課の一員として認めましたよ、と言う威圧を感じ、顔が引き攣るのを感じた。もうシェラント警察となんか、二度と関わるか!と息巻いていたのに、銀時計の、その威圧と女帝陛下の後光に負けて、今朝ものこのこ出てきてしまった。
 俺は、はあ、と、ため息をついた。

(あれはもはや、魔じゅ…いや、魔導技術ではなくて、もう、御伽噺の魔法だっただろ…)

 俺は、眉間に皺を寄せながら、それでも、できるだけ、なんとも思ってないよっといった風を装い、「ああ」と、ネルに短く答えた。ネルはきっと、またいつもの憎たらしい顔をしているのだろうと思って、ちらっと覗けば、意外にも、少しほっとしたような顔をしているような気がして、おや?と思う。
 だが、それも束の間、すぐさま、いつものいけすかない顔に戻ると、ネルはニヤニヤしながら、言った。

「怖がりのソーマくんは、ちゃんとおうちに帰れたの?」
「なっなっ……くそ。今日は、なんなんだ!!」
「今日はさ、外回りの予定だったんだけど、課長に別件頼まれちゃって、そっちの確認」

 そう言いながら、ネルはトンッと革靴を鳴らして、寄りかかってた壁から、軽快に立ち上がると、俺の方を振り返りもせず、話しながら、歩き出した。

「昨日とは別件で、ちょっと気になる通報があったらしい。拾得物だってさ」

 その言葉に、それをわざわざ確認しに行くんだろうか?と、俺は首を傾げた。
 シェラント警察署には、俗に『事件』を処理する刑事班と、見回りや小事に対応する巡回班の人間と、分かれているはずだった。拾得物、だなんて、そんな平和な雰囲気のことに、わざわざ?と、思いかけて、「あ」と、思わず小さく呟いてしまった。
 そして、思う。

(そうか…人間離れした事件を扱ってるんだから、した拾得物なんだ…)

 俺の小さな呟きに、ん?と、片眉を上げながら振り返ったネルは、俺が何も言わないことを確認すると、話を続けることにしたようだった。

「それが発見されたのは、昨晩の真夜中。バーヴィエンにある酒場」

 バーヴィエンなら、メアリルボーンから歩いてもそこまでの距離ではないが、警務官だと言うのに、馬車を使ったりしないのか、と思いながら、ネルの少し後ろを歩く。
 腹立たしいが、俺はその酒場の位置がわからないんだから、仕方ない。
 それに、拾得物…と聞いて、俺の中には、なんだかすごく嫌な予感がしていた。昨日見せられた写真を思い出しながら、考える。つるりとした白い表面、硬そうな材質。一見すれば、ただの石膏像にみえるのでは、ないだろうか。

(あれは…発見された時、あれが『人間』だと、人は気がつくんだろうか…)

 それから、酒場か…と、考えた。俺の『このベスィは、憧れの強い女』説は、昨日ネルにあっさりと否定されてしまったけど、それでもだとしたら、酒場って、ちょっとまた女の子が憧れそうな行き先な気がしてしまった。
 何故かはよくわからないけど、ネルは、感情はない、の一点張りだ。なんで教えないといけないんだと凄まれて、俺も、そこをネルにお願いしてまで教えてもらうくらいなら、後でスパロウ課長に聞きたいと思っていたのだ。

(もしかして、こう…決めつけて事件にかかると、良くないってことなのかな…)

 とか、いいように考えて、感情がないって、それこそ決めつけみたいな気がして、俺は頭を振った。
 それに、ネルのあの心底嫌そうな態度を思い出し、イラッとしたので、やっぱりネルはただの嫌な奴だから、後で課長に聞こうと思った。もしかして違うことなら答えてくれるだろうか、と、1つ昨日から気になっていたことを尋ねた。

「なあ、あの蛸みたいなベスィは、人を襲ったりしてなかったけど…」
「大体のベスィは昼間はね、襲わないんだよ。普通に過ごしてたでしょ」
「理性がある?」
「違う。眠ってるみたいなものだよ」

 そうだったのか、と、驚く。昼間は襲ってこない…でも、ん?そうだっただろうか、と考えていたら、ネルが話を続けて、ベスィには段階があるのだと教えてくれた。全てのベスィに当てはまるわけではないが、はじめは、ただの生き霊のようなものと、そう変わらないのだそうだ。姿形はそれぞれで、だけど、長く生きるに連れ、段々と悪霊として覚醒しまうと、教えてくれた。

(ってことは、あの時、俺が見た蛸のベスィは、昼間で、眠っている状態だったのか…)

 自分が働き口を無くしてしまって、正直それどころではなかったし、その後も、怒涛のように押し寄せる出来事に、頭が破裂しそうになっていたのだ。若干、あのベスィに遭遇したこと自体は、俺の記憶の中で、ぼやっとしてしまうほどの出来事になっていたが、記憶の糸を手繰り寄せて、思い出してみた。
 目は、開いてた。上半身は、普通の女性だった。だけど、俺が話しかけても、確かにあの人は、反応しなかったな。今までに、俺に話しかけてくるようなベスィにも遭遇したことがあるのだ。それも、のせいなのだろうか。

「俺、田舎の方でも、結構ベスィ見てきたんだけど…その、特殊警務課が全部に対処してるのか?」
「………そうだね。人手が足りてないってのもある。視える人、少ないんだよ」

 ああ、もしかして、それで、この尋常じゃない速さでの採用になったんだろうか。そんなことをぼんやり考えて、ふとネルを見た俺は、えっ、とびっくりした。昨日から、嫌なことを言ってくるか、ヘラヘラ、ニヤニヤしてるだけなのに、ネルはすごく、真剣な表情で、見えない誰かを睨んでいるかのような顔で、言った。

「それと、───ベスィを、無作為にがいるって、ことだろうね」

 増やす…と聞いて、そうか、と思う。スパロウ課長に言われた時、まだ実感としてよくわかっていなかった。ベスィは別に、降って湧いて出るわけではないのだ。ベスィは、元々は被害者なはずだった。

(………そっか。吸血鬼が……)

 ベスィは吸血鬼に噛まれたことで、死んだ人がそうなってしまうもの。だとすれば、特殊警務課が目指しているのは、ベスィの殲滅ではなくて、───吸血鬼を退治すること。
 ネルは続ける。

ベスィあいつらにとってはさ、人間なんて、道端の石ころみたいなもんで、何をしたって、どうしたって、別になんとも思わない、取るに足らない存在だ」

 俺は、ネルが言っていた「ベスィには感情がない」っていう言葉を、少しだけ、思い出していた。わからないけど、もしかしたら、それは、常識でも、経験則でもないのかもしれない、と思った。

「吸血鬼っていうのは、その親玉みたいなもので、一番残酷な、おぞましい存在だよ」

 そもそも、吸血鬼がなんなのかってこと、それすらも俺はまだ聞かされてないのだ。俺はネルに聞きたかった。でも、なんだか、ネルの瞳はどんどん剣呑なものになっていき、なんだか口を挟んではいけない雰囲気で、じっとネルの言葉を待つ。

「弄ばれた石ころは、めちゃくちゃに踏み躙られて、どこかでポツンと見つかるんだよ」

 俺たちは、いつの間にかバーヴィエンの辺りまで、たどり着いていたらしい。酒場が多く、夜の方が栄えてる区画だ。朝の白い光の中、酒場のゴミ箱にたかる鳥たちだけが、忙しそうに、動き回っていた。ふと、小さな路地に目をやったネルが、ぴたっと動きを止めた。
 なんだろう?と、俺もそちらへ目をやり、ギクッと体を強張らせた。
 思わず、ハッと息を飲む。
 影で真っ暗に見える路地裏。そこには、───写真で見たものそっくりの、等身大の白い石膏像が、一人、佇んでいた。

 背に朝日を浴びて、ネルの瞳の空に影が落ちる。
 そして、ネルは続けた。

「──────こんな風にね」
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