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1. と、出会う
03 ようこそ、奇人変人の巣窟
しおりを挟む「あれは、───悪霊。吸血鬼に噛まれた人間のなれ果てだ」
年を重ねた男の色気を感じる、低い、渋い声。その眼光は鋭く、幾多の事件を解決してきた、ベテランの刑事のようだ。そして、神妙な顔つき、で、机の上に乗ったそのカラスは、俺に、そう言った。
「………」
ちなみに、今、俺の頭の中には、チーン、という残念な雰囲気の音が聞こえている。
今の俺の心境をお分かりだろうか。目の前で、カラスが喋りだし、悪霊について説明しはじめ、そして、吸血鬼のことを語ったのだ。へー、吸血鬼の?それは、めちゃくちゃ大変な話ですね!と、相槌が打てる人がいるというのなら、是非とも、今の俺と、中身を入れ替えて欲しい。中身だけとも言わず、俺自体と入れ替わってくれてもいい。
もはや、どこからツッコミを入れたらいいのかわからない状況に、内心、恐慌状態に陥った俺は、そもそも何故、俺はこんな奇妙な場所に連れてこられてしまったのか、ということを、思い出していた。
数刻前、───。
強引なネルに連れてこられたのは、シェラント女帝国の、帝都であるリズヴェール、つまり『初代エリザベス帝のヴェール』という名の大都市を守る、最大の組織であるリズヴェール警察署であった。
エリザベス帝から代々受け継がれる、戴冠の時に使われるヴェールは、悪しき者から、この国を守るという魔除けの意味を持っている。国を、民を守るという、エリザベス帝の清きお心から、リズヴェールという名前がつけられたのだと、聞いたことがあった。
歴史ある、重厚な石造りのアーチ。そして昔の名残りで、檻のような黒い柵のついた門の前には、武装した門番が立っている。門番の服装が、まるで騎士のような格好なのも、リズヴェール警察の慣習で、女帝陛下と、この女帝国を守るための前組織・リズヴェール騎士団から引き継いでいる。
警察署の面構えは、いつだって、女帝を守る騎士であるという誇りに満ち、歴史を笠に着て、威圧的だ。
そこの門番に軽く手を上げたネルは、警務官専用の脇の入り口に向かうと、俺を連れて、その石造りの壁の中へと入っていった。
メアリルボーンの目と鼻の先でありながら、シェラント警察署に足を踏み入れたのは、はじめてだった。警察署に厄介になることなど、何かの事件に巻き込まれない限りは、ないと思っていたのだ。姉を亡くした事件の時には、───…と、考えはじめたとき、ネルが言った。
「特殊警務課は、地下にあるんだ」
地下?と、首を傾げる。『特殊』というのだから、何かしらの特殊な案件を扱う警務課であることは予想されたが、地下が職場というのも、なかなか気が滅入りそうだな、と思ったのだ。
ふと、リフトのようなものが目に入り、そこに向かうのかと思いきや、ネルは廊下の角を曲がり、薄暗く、人気のない方へと歩いていった。さらに角を曲がれば、廊下は行き止まりになっており、その先にぽつん、と、小さなリフトが見えた。
半分に割った時計のような装飾が、リフトの上にあり、そこには、地上という表記、それから、地下という表記しかなく、首を傾げた。
それにしても、この建物には、リフトがあるどころか、リフトが必要な地下までも、存在するというのか、と、今まで知ることもなかったシェラント警察署の、最新の設備に驚く。リフトなんて、人生で一度も乗ったことがなかった。どきどき、と、心臓が早くなっていった。
ガラガラと音を立て、リフトの薄汚れた黄金色の柵を開け、そして、ネルと一緒に、少々の期待と共に、乗り込んだ。二人か三人くらいしか乗れないであろう狭い空間に、上、そして、下、と書かれたレバーだけがついていた。
ネルがそのレバーを下に下ろすと、ガタガタと音を立てて、リフトが下へ、下へと下がって行った。その揺れの激しさに、思わず、壁に手をついた。
その様子を見たネルが、やらしい笑みを浮かべながら、小馬鹿にするように言った。
「……手でも握ってあげようか」
「よ、余計なお世話だ!」
チーンという鐘の音が響き、リフトは動きを止め、ネルが、ガラッと柵を避けると、もうそこには、いくつもの書類まみれの机が並んだ、特殊警務課の仕事場だった。黒い壁に、武器と思わしき銀色の銃や弾、それから、剣のようなものから、斧や鎖鎌のようなものまで、様々なものが掛けられていた。
ぽつぽつ、と、机の上を照らしているのは、最近開発されたという噂の、永久燭台のように見える。様々な技術が発展していくリズヴェールでも、魔術のようなものを使った発明は、未だ根強く残っていて、色んなことの基盤となってる。全体的に、黒い家具でまとめられたこの部屋、きちんと整列した机は、どこか儀式めいているようにさえ、見えた。
(黒い!なんでこんなに黒いんだ!なんか…悪魔召喚とか、やってそうな感じだ…)
シェラント警察署という、正義の味方の総本山、と言った場所にありながら、なんだかその闇を一手に抱えたかのような、その部屋に、俺は若干、怯んだ。
机と机の間の、真ん中の通路を進み、最後のつきあたった大きなウォルナットの机の前で、ネルは止まった。そして、誰もそこには座っていないというのに、ネルは口を開いた。
「課長!こちら、ソーマ・オルディス。視えるようなので、連れてきました」
道中に尋ねられた名前を、突然報告されて、俺はビクッと震えた。
長年、慣れ親しんだ名前ではあったが、この状況を全く理解できていない俺は、生まれて初めて、今、自分の名前がソーマ・オルディスじゃなければいいのに、と思った。
え?課長?と、目を瞬かせて、きょろきょろしていたが、課長らしき人影は見えなかった。机の上には、向こう側が見えないほどの、山積みになった書類と本、その隙間から、新聞が広げられているのが見える。椅子もないようだし、どうなってるんだろうと思っていると、その本の隙間から、不機嫌そうな、寝起きの中年男性のような声がした。
「オルディス~?」
「はい。ソーマ・オルディスです」
そう、ネルが答えた瞬間、俺の目の前には、カラスがいた。
正確には、俺の目の前に山積みになっていた本の上に、カラスが、先ほど新聞が置いてあった辺りから、突然、舞い上がって、着地したのだ。
もう一度言おう、カラスだ。
そして、俺のことをじろりと見ながら、妙に渋い声で、言った。
「お前か」
「え、あっ え?!」
「シェラント警察・リズヴェールブランチ、特殊警務課長の、───アーノルド・スパロウだ」
「え………雀……って」
俺は、自分の言葉にハッとして固まった。
他にもたくさんツッコミを入れるべきところがあったというのに、一番どうでもいいところに反応してしまった。だが、この訳のわからない状態が、訳わからなすぎて、俺は、とりあえず、最低限、おそらく人間だと思われる、ネルの方を、縋るようにちらっと見てしまった。
ネルは、ふふん、と鼻で笑うだけで、何も助けてはくれなかった。いや、助けろよ!と、内心若干の尖る心を感じながら、渋々、カラスに視線を戻した。
「名前のことは、触れないでおいてもらおう。強いて言うのならば、羊の皮を被った狼とでも、思ってくれれば構わない。可愛らしい見た目で油断を誘い、ガブリと噛みつくハンターだと思っていてくれたまえ」
妙に強気な姿勢で、羽根で胸を指し示しながら、誇らしげにカラスはそう言った。いや、見た目がカラスじゃん、というツッコミが、口から出かかったが、なんだかこの、意味のわからない空間で、頭のおかしな状況の中、カラスにツッコミを入れてしまったら、もう、戻れないような気がしたので、やめた。
そして、カラス、───ではなく、スパロウさんは、あまりの状況に、もはや固まったまま身動きの取れなくなっている僕に、言い放った。
「君は何がなんだかわからないだろうから、一から説明してやろう」
まず、カラスの存在自体が、何がなんだかわからなかったが、とにかくカラスはあの【オカシナモノ】についての説明をはじめた。
「君が視えるという【オカシナモノ】、あれは、───悪霊。吸血鬼に噛まれた人間のなれ果てだ」
「…………」
「君が驚くのは無理もない。だが、では、君は、アレらが、なんだと思っていた?幻覚とでも思っていたかい?君に話しかけてくる者だっていただろう」
そう言われて、ドキリとする。
そう、あの【オカシナモノ】、スパロウさんが言うには、ベスィと呼ばれる奴らは、たまに僕に気づき、すり寄ってきたりするのだ。あれは本当に恐ろしい。極力、目を合わさないように、気づいているのだと、気がつかれないように、細心の注意を払い、関わらないように、関わらないようにと、怯えながら生きてきた。
正直、幻覚だと思いたかった。
でも違うのだ。奴らは実際に、物に触れたり、それこそ、俺に触れたりすることすらできる。他の人には見えないというのに、実態がないわけではないのだ。それが恐ろしくて恐ろしくて、仕方がなかった。
(いつか殺されてしまうんじゃないかと、思って…)
「その反応を見ればわかる。君はあれが、幻覚じゃないとわかっていたね。でも、吸血鬼なんてそんなばかな、と思ってるのかい?」
その通りだった。実際に、スパロウさんが言う『ベスィ』に怯える生活を送ってきたが、それが、さらに荒唐無稽な、吸血鬼の仕業である、と言われても、俺には想像もつかなかった。だが、このカラスのスパロウさんの、言うことを信じざるを得ないようなことを、スパロウさんは続けた。
「我々は、吸血鬼、そして、ベスィに関わる見えない案件を解決するようにと設立された、女帝陛下直属の警務課だ」
「へ、陛下直属の…!?」
「そう。吸血鬼、そしてベスィの事件は、陛下もご存知だ。だから、君が疑う必要などない。ネルの銀時計は本物だ。もちろん、私のものな」
そう言いながら、カラスのスパロウさんは、ふさあっと黒い羽根を広げ、その羽の中から、その体のサイズに見合った、小さな銀時計を、胸の前に掲げて、俺に見せた。その胸を張るカラスを見て、銀時計よりも何よりも、まず思った。
(す、すごい。誇らしげ!)
誇らしげなカラスを見て、ぶわっと温かな気持ちが広がったが、そうだ…銀時計の話だった、と思い直す。
本物かどうかは、よくわからない。だが、実際に、この場所はシェラント警察の中にあるのだ。なぜか本体とは隔離された場所にあるように思うが、本当に、仕事内容が、今、スパロウさんが言ったこと通りなのであれば、それは、隔離されて然るべきかと思った。それに、この国の人間は、女帝陛下のことで嘘はつかない。
そして、スパロウさんは、ふと、どこか悲しげな瞳になると、呟くように、そっと口にした。
「あれらは、吸血鬼事件の被害者の成れの果てなのだ。別に、本人が望まずにそうなってしまったことも多い。誰かが処理してやらねばなるまい」
「そう…ですか。それで、あの……」
まだ理解がついて来なくて、スパロウさんの悲しそうな瞳も、そのベスィの背景についても、まだ実感がなかった。そもそも、どうして、僕はこんなところに連れてこられて、悲しげな、ものすごく渋い声のカラスの話を、聞いているんだったかな?と、首を傾げながら、ネルを見た。
この男は、何故僕をこんなところに連れてきたんだろう、と考えていると、ネルは、ん?と、こちらを見て、それから、言った。
「無職になっちゃったみたいだったし、ここで働きたいかと思って。世渡りも上手くなさそうだし、ここなら、根暗でコミュ障な、ソーマでも、安心でしょ」
その言葉の意味を理解するのに、俺は数秒を要した。
何故、ほぼ初対面だというのに、無理矢理警察に連れてきた挙句、世渡りが上手くなさそうだの、根暗そうだの、コミュ障だの、散々なことを言われないといけないのか。俺は、苛立ち、頭に血が上った。
そして、ようやく理解できた時には、俺は裏返った声で、もう叫んでいた。
「よ、余計なお世話だ!!放っておいてくれ!」
そう言い捨てると、俺は、スパロウさんに会釈をして、その場を後にしようと踵を返した。が、スパロウさんに引き止められた。
「ここの存在を知った以上は、関わってもらうことになるよ」
そう、渋い声で、背後から言われ、な、なんだって!?と、俺は驚愕に動きを止めた。俺はギギギと音がしそうなほど、ぎこちなく後ろを振り返った。
そんなの、ここに連れてこられた時点で、拒否権はなかったということではないか、と、その詐欺まがいの手口に、憤慨した。
ニヤニヤと笑うネルが、俺に言った。
「結構、いい職場だよ。カラスもいるくらいだから、コミュ障なんて些細なこと、誰も気にしないし」
「おい、聞こえてるぞ。ネル。カラスではない。スパロウ課長と呼べ」
「はいはい」
「ソーマ・オルディス。銀時計は、すぐに支給されるだろう。新しい仲間を、歓迎するよ」
有無を言わせぬスパロウさんの言い方に、俺は何も言い返すことができず、ただ、口をぱくぱくと開閉させていた。そうこうしているうちに、スパロウさんは、ひどく男らしい、渋い声で、言った。
「ようこそ、───特殊警務課へ、ソーマ」
そして、何故か、誰もいないと思っていた辺りから、パチパチ、パラパラ、と、まばらなやる気のない拍手も聞こえてくる。
ネルが意地悪そうに目を細めて、俺のことを見ていた。はじめ声をかけてきた時は爽やかそうな好青年に見えたというのに、どうしてこんなに高圧的に、俺につっかかってくるのかは、よくわからない。ギッ、と、ネルのことを睨むと、また、にやにやとした嫌な感じの笑みを浮かべ、ネルは言った。
「よろしくね。ソーマ」
「たとえここで働くことになったとして、お前と、よろしくする筋合いはない!」
「えー?連れてきてあげたのに。感じ悪。ま、俺もその方が、楽だけど」
そんなことを、ボソボソ言い合っていると、スパロウさんが恐ろしいことを宣った。
「ああ、お前たち。わかってると思うが、しばらくは、そこ二人で組んで、行動してもらうからな」
「「───ハア?」」
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