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第2夜 女神のスカートから爆撃
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※7話完結のオムニバスですが、短編としても読めます。
第2夜は【女装俳優×男前副騎士団長】です。
俺は焦っていた。酒場どころか娼館が立ち並ぶ花町の路地裏で。目の前には、こんな汚い路地裏に、絶対存在してはいけない女神が、うずくまって、はあはあと荒い息を吐いていた。
彼女の名前は、ジュリアン・オーブリー。
今をときめくクロスフォード劇場の看板女優である。黒いローブを羽織っているから今は見えないが、絹糸のような銀の髪に、揺蕩う海のような青い瞳。この世界に女神が降臨したとしか思えない容姿の彼女。
自分の上から差した影に、一瞬不安そうに俺を見上げた彼女に、俺はすぐに王国騎士団の紋章を見せた。そしてできるだけ冷静に、紳士的に、言葉を発した。
「ど、どど、どどどうしましたカッ」
第三騎士団、副団長であり、いつもは冷徹だとすら噂されるはずの俺の声が、信じられないほど裏返った。なぜかと問われれば、すぐに答えることができる。
俺は、――ジュリアンのファンだった。どれくらいファンかと問われると、彼女がまだ下積みをしている頃から、常に彼女の出演する劇を見てきた。雨の日も、風の日も、雪の日も。チケットが取れなかったときは、高い金を払って買いとったこともある。そして必ず楽屋には花束を送っていた。それぐらいファンだった。
その彼女が今、目の前で苦しんでいるのだ。
不埒な輩に襲われでもしたら大変だと思っているのに、俺こそが完全に不埒な輩であった。いや、やましいことなどは考えていない。そこは断じて考えていないので、信じてほしい。
ジュリアンは弱々しい声で言った。
「き、騎士様……よ、よかった。あの、く……薬を、もられてしまった、みたいで……」
「な、ナンッなんですって! そ、そそそ、それは……あの、ここここんな俺で、ふ、不安かもしれませんガッ、その、騎士団の駐屯所までお運びします。ご、ご心配はありません! か、必ず、無事にお運びイッいたしますので」
「え……あの、駐屯所……ですか」
紳士的にかっこよく言ったつもりであったが、不審そうな目で見つめられて、ひくっと泣きそうになった。いつもなら冷静に判断できるはずの俺の狼狽え方ったらない。どうかこの不審っぷりは、騎士団の紋章でなんとか、どうにかなっていてほしいと願う。ジュリアンは切れ切れに言葉を続けた。
「お、男の人がたくさんいるところは、怖くて。あの、も、もしよかったら、あなたの家に匿ってもらえませんか?」
「はいいッ……?!」
そ、そんなことができるわけはなかった。ずっと応援してきた舞台女優を、あんな家に招くことなどできるわけはない。それこそがこの世界で一番危険な場所のように思った。この世界で一番危険な場所のはずだ。
そもそも、具合が悪そうなのだから、どう考えても医者に診せるべきだ。俺は騎士として、国を、人民を守る、この国の騎士として、優しく彼女を諭し、保護するべきだった。俺は勇んで口を開こうとした。
だが、ジュリアンの一言で、俺の崇高な意志はすぐに塵と化した。
「ね、お願い? 騎士様」
「あ、はい。承知いたしましタッ!!!」
そして俺は今、とても混乱していた。いつも自分が使っている寝台に、どこから出てきたのか明らかに魔道具である手錠で繋がれ、細布で口を塞がれているのだから。「怖いから」と言われて、されるがままになっていたのは、たしかにまずかった。でもそう言われて、一体どう断ればよかったんだろう。俺に跨っている彼女の後ろには幾多もの彼女の肖像画が飾られているせいか、現実感もない。
そして、――俺の腹の上に乗っている、史上最高に美しい本物の女神が、吐き捨てた。
「あー。マジでちんこ収まんねえ。あんたが来てくれてよかった」
声と顔が合っていないのだ。まったく状況を理解できない俺の頭は、あれ? なんかの劇の練習かな? と、すら思っていた。だから、自分の腹の上に乗った彼女のドレスの中、白いレースの下着を押し上げる巨大ななにかを見ても、首をかしげるだけだった。
そして彼女は、妖艶に笑いながら言った。
「じゃ、一緒に楽しい夜を過ごそっか。おにーさん」
――――え?
∞ ∞ ∞
まるでそれは春の風に揺れる花のように。
彼女がふわりと微笑むだけで、俺の心は震える。
美しい空の下、彼女は地上で光り輝く――マイサンシャイン。
「――なにそれ。ポエム? きもいんですけど」
「おい、フレッド。そんな言い方ないだろ」
うっかり口から出てしまっていたらしい。
オレの名前はマクシミリアン・ランデイル。第三騎士団の副団長をやっている。今、立場をわきまえないツッコミをいれてきた色男は、王都で浮名を流している副団長補佐のフレッド。
散々「いつか刺されるぞ」って忠告していたが、最近、本当におかしな女につき纏われて参ってるようだ。その女が怪しい悪魔の本を持っているところを見かけてしまって、さすがに、まずいんじゃないかって心配してる。
年齢は俺の方が上だが、フレッドとの付き合いはわりと長い。浮ついた雰囲気のフレッドと、黒髪黒目の堅そうな雰囲気の俺が並んで歩いていると、王都の女たちは嬉しそうな顔で挨拶してくる。自分の見た目が悪くないことは知っていたが、正直なところ、フレッドのように色ごとに興味があるわけではなかった。
だから、というわけでもないが、――俺がいつも考えているのは応援している女優であるジュリアン・オーブリーのことばかりだ。だが、ふと嫌なことが頭をよぎりそうになって、早口でその記憶をかき消した。
「ジュリアンは、可憐なんだ。昼は花のようにたおやかで、夜は月のように優しく輝く……」
「えー。副団長って夢見がちですよね。ああいう清楚に見える女ほど、すぐ股開いてると思うけどな」
「フレッド、解雇だ」
「横暴すぎません?」
俺がむっとしているのを見て、解雇と言われたのもまったく気にした様子もなく、フレッドは笑いながらどこかへ行ってしまった。
だが、――しかし。
すぐ股を開いているかどうかはわからないが、もしかするとすぐに腰を振っているという可能性はあるかもしれない。ぽつんと執務室に取り残された俺は、考えたくもない連日連夜のできごとで、また頭がいっぱいになるのを感じていた。
さきほどポエムのようなことをつぶやいていたのは、ただの現実逃避でしかなかった。
先週末のことだった。女神のようだと信じていたジュリアンに、俺は、尻を掘られた。もう一度言おう、――尻を掘られた。城ではない、尻だ。
思い出すと涙がすぐにあふれる。どうして彼女の股間に、あんな立派なものが生えていたのか、どうしてそれが俺の尻に突き立てられたのか、最終的にどうして俺はあんなにもアンアン声をあげていたのか。朝が来るまで快楽という快楽を体に叩きこまれた俺は、最終的に白目を剥いて失神した。
「ひ、昼は花のように……、夜は月のように……」
口から漏れる言葉は、わなわなと震えていた。ついうっかりすると、涙が出そうになるのだ。彼女がそんなことをするわけないという希望と、あの鮮烈なまでの快楽の記憶が交差して、頭の中は大混乱なのだ。だからこの涙は悲しいとか、苦しいとか、そういうんじゃなくて、ただ単純に混乱涙なのだ。
が、――くだんの女神の声がすぐ後ろから聞こえたのはそのときだった。
「なに? ――オレのこと?」
「へ!?」
俺はバッと振り返って身を固くした。
カチャリ……と暗色の扉が音を立てた。騎士団の執務室に舞い降りた天使が、明らかにこの部屋の鍵をかけた音だった。そして長いスカートに隠された白い脚を、一歩、また一歩と進めながら、少しずつ俺に近づいてきた。
「な、なンッで……なんで、ここに!」
「んー? だってほら、先週末、やさしい騎士さんに助けられたからお礼?」
そんなわけはなかった。
本来、彼女が、――ジュリアン・オーブリーがこんなところにお礼をしにきてくれたのなら、歓喜して出迎え、最高級の茶と菓子でもてなし、手を揉みながら、話に花を咲かせるところである。だが、違うのだ。俺と彼女の関係は、――。
思わず後ずさった俺は、執務用の大きな机にガタッとぶつかった。
(し、しまった。退路を断たれた……!)
側から見れば、相手は俺とは体格の違うたおやかな女性だというのに、俺はその美女がゆっくりと歩いてくる様子を見て、青ざめた。彼女の白魚のような手が前に出され、もはや机に腰かけているような体勢になった俺の股間に、そっと重なった。
老若男女がため息を漏らしてしまうであろう、ふわりと花が綻ぶような笑顔で、彼女は俺に尋ねた。
「なあに、これ」
「ヒッ」
ぎゅっと股間を握られて、俺は震えあがった。だけど、彼女の指がするすると撫でるだけで、浮きあがるその形。決してふにふにした柔らかい触り心地でもないことは、容易に想像がついた。火照る体とは裏腹に、俺の顔はまっ青なままだ。
(な、なんでこんなに期待しちゃってんの……俺)
そのあいだにも、ジュリアンの手はゆっくりとやらしく俺の股間を撫でまわしていた。机とジュリアンに挟まれて、俺は身動きが取れない。いや、正確には身動きは取れるが、動けないのだ。眼前にあるのは、俺が長年愛し、応援してきた推しの顔。しかも、目が潤み、頬は上気して、清純でありながら、まるで悪魔のように妖艶に笑うのだ。
「なあ、コレ。誰かに見られたらどうすんの? ジュリアン・オーブリーを前にこんなに勃たせて」
「ひっ……ち、ちがッ。ちがっ……」
「お前がオレのファンだってことは、みんな知ってるんだろ? いつもお高そうな雰囲気で澄ましてるけどさー」
ジュリアンの言う通りだった。今、現状として、俺のペニスを扱いているのはジュリアンだが、勃たせているのは俺なのだ。騎士団員が、可憐な女性を前にこんなことになっているのなら、状況がどうであれ、完全に俺に非があった。いつの間にかベルトが外され、ぶるんと勢いよくペニスが飛びだした。
「あぁッ」
冷静に考えてみよう。
俺は今、執務室の大きな机に後ろ手に肘をつき、腰を突きだし、なんなら、ペニスを突きだし、そしてそれは完全に天を仰いでいる。そしてだ。目の前には、王都の男性誰もが恋焦がれる女優、――いや、俳優であるジュリアン・オーブリーが、なんらドレスを乱すこともなく、凛と立っているわけだ。
さっきジュリアンが鍵をかけていたような気はするが、もしも、もしもだ。この状況を、鍵を持っている補佐官のフレッドに見られでもしたら、俺はどうなるんだ? というか、今まさににやにや笑いながら俺のペニスを扱いてるジュリアンが悲鳴の一つでもあげれば、誰もが駆けつけるだろう。
そして、扉が開け放たれたとき、そこにいるのは、どう考えても変態の犯罪者でしかなかった。
(あ、だめだ……俺、終わった)
だけど、そんな状況でもまったくへこたれることのない強靭な俺の欲望は、大喜びで涙を流していた。ズボンも下着も抜きとられしまい、上だけしっかり団服を着ているのがまた状況を悪くさせているような気がした。ジュリアンにまさにその赤裸々な状況を指摘された。
「――変態」
「ひッ……んあッ」
「マクシミリアンはさー。本当はこうやって、虐められるの好きだよね。自分の机の上でこんなことして、すごい興奮してんじゃん」
「……ってないッ! してない!」
声ばかりは威勢がいいが、ジュリアンの言った通りだった。下半身丸出しでペニスを勃たせ、美しい指先に撫でられながら、俺はこれ以上ないほど興奮していた。
相手は俺の恋焦がれるジュリアン・オーブリーである。その顔を見ただけで、そばで守ってあげたいと、ずっとそう思ってきた相手だ。そんな人に、こんなことをされて、興奮しない男……いる!? でも素直にそれを伝えることは、俺のプライドが許さないのだ。ぐっと唇を噛みしめながら、恨みがましくジュリアンを見た。
くすくす笑いながら、ジュリアンは、机の上にあった書類と羽ペンを俺に持たせた。
「なッ……なに?」
「本当は、想像してたでしょ? 仕事中に、こんなことされちゃうの」
「し、してない! こんなことさせるお前だって変態だ……って、ん! ああッ」
まさか、この書類と羽ペンは、執務中感を演出するために使われているんじゃないだろうな。
ジュリアンは、あ、バレた? とおかしそうに言うと、そのままぐいっと俺の体を曲げると、一体どこに隠し持っていたのか、香油をこぼし、尻に指をつっこんだ。信じられるだろうか。俺の尻をかき混ぜているのは、美術館に飾ってあったっておかしくない彫刻のような美しい指だ。俺は信じられない。だが、体は正直にその喜びを感受した。
「ひあああんッ」
「あれ? やわらかい。……ま、昨日いっぱいしたもんね」
「……ッッお、おまえ! ま、まさかここで……?!」
「なんで? 期待して震えてるじゃん。ふふ、そのままいい子で、ちゃんとペン持ってるんだよ。バカっぽくてかわいい」
俺の体が震えるのと一緒に、羽ペンの羽が旗のように一緒に震える。右手に持たされているのは、なんと騎士団の風紀が乱れているとの報告書である。その風紀を今まさに乱しまくっているのは副団長である俺であった。
ひやっと背筋が凍る。ただひたすら頭を左右に振って「無理、だめだ」と小声で伝えるが、怯える俺を見て、ジュリアンはそれはそれは嬉しそうに目を細めた。
つぷっと尻に熱いなにかが当たる。そしてそれは、ぐうっと俺の穴を押し広げてきた。いつも思う、――あのスカートの中に、あの繊細なレースに下着の中に、どうやってこんな雄々しいペニスが収まっているんだろうと。ここ数日間で、快楽を叩きこまれた俺の体はその楔を打ちつけてほしくて、ひくひくと震えている。
でも、――!
「や、やめッ。やめろ!」
「暴れないでよ。誰か来て困るのはそっちでしょ」
「だ、だめだ……頼む。ここじゃ……」
ジュリアンの胸を押し返そうとしたら、「あんッ」とジュリアンが震えた。ビクゥッと俺は全身を硬直させた。そのかわいらしい小鳥のような声をあげた人の、ペニスが、自分の尻に突きささっていることも忘れて、まっ青になった。
「ひどいっマクシミリアン様……ジュリのおっぱいなのに……」
「ひいいいッッ!!! す、すまない。そそそそういうつもりじゃッ」
涙目でそう訴えられ、もう俺にはなす術はなかった。俺が抵抗できないのをいいことに、ゆっくり、ゆっくりと、ペニスが内側を撫でるように進んでいく。ずっしりと感じるその重みに、もう、――俺は抗えなかった。
ビクッビクッと震える体は、もうコレがどれだけの快感をもたらすかを知ってた。期待するように、ジュリアンのペニスを締めつけてしまう。それが伝わってしまったのかもしれない。「大丈夫だよ」と小さくジュリアンがつぶやいた。
顔のすぐ横で、ふわりと百合のような香りが広がる。美しい人が耳元で甘く囁いた。
「――いっぱい、犯してあげるから」
∞ ∞ ∞
「ひアッ……あっ……ひんッ」
「すごいぐちょぐちょ。声も、女の子みたい」
「ふぁッあ……ッちがあぁぁ」
そう言われて、うううと泣きたくもなる。身長差のせいで腰を振りづらかったのか、今はひっくり返されたまま、俺は机に伏せて尻を突きだしている状態にある。まだジュリアンは達してないというのに、俺の机の横側は、もう白濁でどろどろになっていた。乳首が机に擦れる。でもそれが気持ちよくて震える。
(執務室……あぁ……風紀……き、気持ちいい……だ、だめだ……こ、こんなの許されるわけない!)
こんな凶行止めなければならない。こんなのがまかり通っていいはずがない。俺はぐっと唇を噛みしめ、首を振り、そして心をオーガにして口を開いた。そのとき、ジュリアンのペニスが最奥を貫いた。
「ひあぁぁッ! あッ! あッ! 気持ちいい! 気持ちいよォぉぉ」
「あは、風紀はどこいったの? マックス」
「しゅきぃぃ、きもち、きもちいぃぃ」
「……かわいい。ほんと、かわいい」
自分より腰の位置の低いジュリアンに合わせて、ガニ股で高さを調節しているくらい、俺の体は完全にジュリアンに慣らされていた。ジュリアンの腰使いが早くなる。背に伝うのが、長年恋焦がれていた絹糸のような髪の一筋だと思うだけで、もう、だめだった。
汚い喘ぎ声をあげながら、ぽろぽろと涙がこぼれる。ちらっと振りかえってしまって、一瞬で後悔した。はあっと吐き出される熱い息。湿った前髪、情欲に濡れた瞳。至高の美神、――俺の、女神。
首筋を汗が伝い、――そして、髪をかきあげながら、ふっと笑われた。
「なに? オレのこと、好きになっちゃう?」
「――……ッッ」
ぶわわっと顔に熱が集まる。この世の色気を集結させたかのような淫靡な姿に、俺はもう限界だった。好きになっちゃうかなんて、そんなの、そんなの、――聞かれなくたって。最初から、ずっと、見回りに行った、稽古場で見かけた日から、ずっと。
「――好き……」
「……それは、どーも」
「ぇあッ! あっアッ……ああーッ」
なぜか、照れたような顔をしているジュリアンにあっけにとられた次の瞬間、激しく突きあげられ、俺はあっという間に絶頂を迎えた。ビクビクと震えているとき、じわっと尻の中になにか熱いものが広がっていくのを感じた。はあ、と息をつきながら、ジュリアンが悪魔のように笑いながら言った。
「女の子に、されちゃったね」
∞ ∞ ∞
「ババア。今月の寄付」
「あいッまいど!」
「軽い! もっと感謝しろよ。この孤児院の出世頭だぞ」
「うるせえッ! こっちはその出世頭を育ててやったんだよ! とっととチビどもと遊んでやっておくれ」
俺は今、王都のはずれにある孤児院の窓を、庭から覗き見ているところであった。中にはここの孤児院の院長である老婦人とローブを着たジュリアンの姿。老婦人は言葉は悪いが、子どもを好きなことを俺は知っていた。
最近、ジュリアンに関わるようになってから、自分が不審者だの変態だの、ひどいものに成り下がっているような気がするが。今もまさに、不審極まりない行動をとっているところだった。
あのあと、執務用の椅子と、ソファの上でさらに犯されたあと、執務室の匂いは最悪だった。
疲れたと言ってくつろぐジュリアンの横で、俺は「風紀……風紀……」とつぶやきながら、涙目で掃除をした。ジュリアンが着てきたドレスはもうぐちゃぐちゃだったから心配したが、本人はけろりとして、着替えを持ってきてると言ってのけた。それを聞いて、俺は、この犯行が計画的に行われたことを理解して、死んだ魚のような目になった。
しばらくしたあと、稽古場に行く時間だと言って、ジュリアンは立ち上がった。来たときとは違う男物の質素な格好に着替えたあと、ローブのフードを目深にかぶり、そして顔の下半分を覆い隠す仮面を装着した。
(その格好で稽古場に……?)
ジュリアンの性別を稽古場の人たちは知っていたんだろうか。俺が劇場の近くを覗くときは、いつだって女として振るまっていたような? と、俺は首をかしげた。それにしても、先ほどまでの可憐な姿とは違い、硬質な仮面に大半を覆われた姿を見て、思った。
(性別も、顔も、隠して生きてるって……どういうかんじなんだろう……)
そして、どう考えてもこのまま稽古場に向かうとは思えずに、俺はあとをつけることにしたのだ。ジュリアンの向かった先は明らかに劇場とは違う方向で、そうして孤児院にたどりついたのだった。
だが、これは一体どういうことだろう。
今、目の前にいるのは、子どもと全力で遊ぶジュリアンの姿。ここでは性別を隠していないようで、俺の前でそうしているように汚い言葉遣いで、だけど楽しそうに笑っているのだ。子どもたちの遊ぶ姿を木陰から見ている俺は、あいかわらずの変態の不審者極まりなかったが、そこも騎士団の団服がどうにかまかなってくれるといいなと思っている。だが、次第に、はあはあと鼻息が荒くなっていく。
至高の女神が、――子どもと戯れてる光景! 稽古場では見たことのない、太陽が輝くような底抜けの笑顔! 俺は心の中の映像水晶にすべてを記録するために、瞬きをするまいとギンッと目を見ひらいて、その楽園のような光景を凝視した。
「ハア、ハア、ハア、ハア……」
だが、しかし。俺の呼吸はどんどん荒くなり、異変を察知したのか、笑っていたジュリアンと目が合った。そして、ピタリと動きを止めたジュリアンが叫んだ。
「ハアッ?!」
しばらく固まっていたジュリアンだったが、ズカズカと大股で俺に近づいてくる。そして「なにやってんだよ! こんなとこで」とオーガのような顔で俺のことを怒鳴りつけた。その形相に、ウッと固まってしまうが、なにやってるのかと問われると、――。
「俺の女神が、子どもたちと和やかに戯れているこの世の楽園のような光景を、心にしっかりと記録してました……」
「変態じゃねーか」
至極的確な指摘であった。
俺が巡回中に、木陰から子どもたちを覗いて荒い息を吐きだしている男がいたら、間違いなく駐屯所まで連れていくだろう。どうやって言いわけをしたらいいだろうかと考えていると、孤児院の中から、ジュリアンと同じくらいの年頃の男が声をあげるのが聞こえた。
「おい、ジュリアンー! お前の大切なペンダント、直してやったぞ。だからあの水晶のことはもう許してくれ」
「あッ! おい待て! それ今、持ってくんな!」
「はあ?」
近づいてきた黒髪の猫毛の男に、ジュリアンは突然焦ったような声をだした。なにごとかと思って俺が覗くと、その男の手には、古びたチェーンが握られていて、その先には傷のついたロケットがぶら下がっていた。そのロケットには、見覚えがあった。
そしてその中には、俺みたいな男の肖像が描かれているように思った。
(あれって……俺のばーちゃんがくれたやつ、なんじゃ……)
十年ほど前に、街中で孤児を保護したときに、俺があげてしまったはずだったのだ。どうしてジュリアンが持っているんだろう。そして、俺はこのとき、ようやく、気がついた。あのときの孤児は、体もボロボロで、髪も服も汚れていたから、今のジュリアンとは似ても似つかないけど。だけど、――たしかに、あの子は、揺蕩う海のような美しい瞳を、していなかっただろうか……。
俺の顔を見て、あああと、珍しく慌てた様子で青くなるジュリアンを見て、俺は呆然としたままつぶやいた。
「え……お前……あのときの、男の子だったのか」
∞ ∞ ∞
――オレは孤児だった。
孤児の中でも、多分、かなり救いようのない孤児だった。
今なら、孤児院なんていうところがあるってこともわかるけど、そんな常識を教えてくれる大人なんて周りにいなかった。オレは、多分どこかの娼婦の子なんだろう。親の顔は知らない。だけど、どうしてそんな俺が生きてこられたかというと、やたらベタベタと体を触るオッサンが育ててくれたからだった。
民家の部屋から外に出たこともなかった。
今思えば、あの変態のオッサンは、オレの裸を舐めまわすように見ていたけれども、手を出されなかったことは奇跡だった。
物心がつきはじめたある日、ついにあのオッサンはオレに手を出すことに決めたらしい。オレは近くにあったランプでオッサンの頭を殴り、そこから逃げだした。育ててくれた恩もあったけど、やっぱりなんかオカシイと疑っていたのがよかった。
だけど、生きる方法なんて知らないオレは、すぐに街中でゴミクズのような存在になった。ボロボロになって路地裏で凍えているところを、とある男に声をかけられた。
「大丈夫?」
大丈夫なわけねーだろ、と思ったが、声もでなかった。
男は立派な服を着ていて、だけどそのときのオレは、それが騎士団の服だってことも知らなかった。その一見冷たそうにも見えた男の、優しい笑顔を見て、オレは警戒を解いた。
風呂なんてずっと入っていなかったから、ひどい匂いがしていただろうと思うのだ。
だけど、薄汚いガキをおぶって、その男は孤児院まで連れてったのだった。そのあたたかな大きな背中の上で、荒んだオレの心は、安堵というものを生まれてはじめて感じた。馬車や馬はきっとオレが怖がると思ったんだろう。孤児院までの長い道すがら、男はいろんなことを話してくれた。
それから、別れ際にロケットのついたチェーンを渡された。
「今はなにもないと思うかもしれないけど、大切な人はきっとできるよ」
「…………」
「そのとき、この中にその人の肖像を描いてもらうといいよ」
そう言って、笑いながら男は言った。もう十何年も前の話だ。だけどオレの人生を変えた日だった。
それから数年後に、孤児院のババアが「お前は顔がいいから役者になんな! 女役がいいね!」と言いだして、女装させられるようになり、いやいや稽古場に通いはじめた頃、その男、――マクシミリアンが巡回に来る日があるってことに気がついた。
チラチラとオレのことを見てくるマクシミリアンは、オレがあの孤児だって気がついてはいなかったけど、それでも、オレは一生懸命、練習するようになった。
マクシミリアンはオレの顔が好きなのか、なんなのか、熱心にオレのことを応援してくれるようになった。
嬉しかった。
だけどマクシミリアンは、わりと残念めな中身に反して、見目はいいし、副団長なんてやってるし。いつ、こうやって観劇している隣に、綺麗な女性が並ぶ日が来てしまうんだろうと、怯えながら過ごした日々でもあった。
その頃には、もう、オレのペンダントロケットの中には、マクシミリアンの肖像が描かれていた。
マクシミリアンにだけ向けて、演技をしていた。
だけどある日、――騎士団の門で「あの男を出せ!」と騒いでる綺麗な女性を見かけた。その女性をなだめながら、親切に接しているマクシミリアンを見たら、オレだけじゃなくてみんなマクシミリアンのことを好きになってしまうと思った。そして、薬を盛られてしまったらしいあの日、――オレが孤児だったときのように、偶然通りかかったマクシミリアンを見て、オレは路地裏でうずくまっていた自分を助けてくれた、あの優しい手を思い出した。
そしてもう、我慢ができなくなった。そこからは、マクシミリアンが優しいのをいいことに、体から丸めこんでしまおうと必死だった。
今、目の前で、ぽかんとしているマクシミリアンと、同じ孤児院育ちのネイトを見て、オレは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ネイトは普段は書店で働いているのだが、小さい頃からとある水晶を探しているのだ。だからそれっぽい水晶を見つけると、盗みとってしまうという手癖の悪いやつでもあった。
先日オレの舞台中に、観客から水晶を盗んだらしく、劇場では盗まれた女が大騒ぎして大変だったのだ。それを劇場のやつに返してやる代わりに、壊れかかっていたペンダントを直してもらっていたのがよくなかった。
(あんな臭い小汚ねえのがオレだったなんて! 絶対に、――絶対に! バレたくなかったのに!)
オレは今まっ赤になっているだろう。大切な人の肖像が入ってるっていう最悪なオマケつきだ。鈍そうなマクシミリアンでも、さすがに気がついただろう。
「嘘――……大切な人、俺?」
「うるせえッ!」
「ああ、この人がそうなのか。お前、もうちょっと素直になれば? 十年越しの片思いなんだから」
「殺す。お前、殺す」
くそ、覚えていやがったか。オレの顔は覚えてないくせに! と、内心悪態をつきながら、ネイトが最悪な情報を重ねてきたので、もう殺そうと誓った。
マクシミリアンはポカンとしたまま、「じゅ、じゅうねん……」とつぶやいた。そして、マクシミリアンの目がうるうると揺れはじめ、すぐにドバッと涙が溢れだした。オレは、もはや死んだ魚のような目になった。最悪なバレ方だった。そして、ぎゅうっと背骨が折れそうなほど、強く抱きしめられた。
「痛い」
「そうか……ジュリアン。そうだったのか。こんなオッサンでいいのかわからないけど、うれしいよ。うれしいよおお」
こんなときばっかり、なんでこんなポジティブに受けいれてくるんだ。オレは天下のジュリアン・オーブリーだぞ? もっと躊躇しろよと思う。
だけど、オレの顔を見たネイトが「はは、幸せそうな顔しちゃって」と笑ったので、ネイトが変態かなんかに捕まって、信じられないほど最低な目にあいますようにとオレは祈った。
オレはさっきカバンのポケットに入れた水晶を、泣き続けているマクシミリアンに手渡した。そして、怒鳴るように言いつけたのだった。
「騎士だろ。お前が返しておけよ! それ!」
マクシミリアンの体が、完全にオレに染まるまでは、言わないつもりでいたのに! と、オレはドスドスと大股で建物に向かって歩いていった。だけど、そのオレの後ろで、マクシミリアンが幸せそうに笑っているのも、オレがその歩き方に反して、顔が緩んでしまっているのも、気がつかなかった。
次の舞台は、王子も観にくるっていう話なのだ。しっかりやらないといけない。
一番観てほしい相手も、きっと、いつもみたいに大きな花束を持って観にくるだろう。
オレはふっと笑みをこぼした。
それはきっとマクシミリアンが、天上の女神のようだと泣いて喜ぶような、最高に幸せな笑顔かもしれなかった。
第2夜は【女装俳優×男前副騎士団長】です。
俺は焦っていた。酒場どころか娼館が立ち並ぶ花町の路地裏で。目の前には、こんな汚い路地裏に、絶対存在してはいけない女神が、うずくまって、はあはあと荒い息を吐いていた。
彼女の名前は、ジュリアン・オーブリー。
今をときめくクロスフォード劇場の看板女優である。黒いローブを羽織っているから今は見えないが、絹糸のような銀の髪に、揺蕩う海のような青い瞳。この世界に女神が降臨したとしか思えない容姿の彼女。
自分の上から差した影に、一瞬不安そうに俺を見上げた彼女に、俺はすぐに王国騎士団の紋章を見せた。そしてできるだけ冷静に、紳士的に、言葉を発した。
「ど、どど、どどどうしましたカッ」
第三騎士団、副団長であり、いつもは冷徹だとすら噂されるはずの俺の声が、信じられないほど裏返った。なぜかと問われれば、すぐに答えることができる。
俺は、――ジュリアンのファンだった。どれくらいファンかと問われると、彼女がまだ下積みをしている頃から、常に彼女の出演する劇を見てきた。雨の日も、風の日も、雪の日も。チケットが取れなかったときは、高い金を払って買いとったこともある。そして必ず楽屋には花束を送っていた。それぐらいファンだった。
その彼女が今、目の前で苦しんでいるのだ。
不埒な輩に襲われでもしたら大変だと思っているのに、俺こそが完全に不埒な輩であった。いや、やましいことなどは考えていない。そこは断じて考えていないので、信じてほしい。
ジュリアンは弱々しい声で言った。
「き、騎士様……よ、よかった。あの、く……薬を、もられてしまった、みたいで……」
「な、ナンッなんですって! そ、そそそ、それは……あの、ここここんな俺で、ふ、不安かもしれませんガッ、その、騎士団の駐屯所までお運びします。ご、ご心配はありません! か、必ず、無事にお運びイッいたしますので」
「え……あの、駐屯所……ですか」
紳士的にかっこよく言ったつもりであったが、不審そうな目で見つめられて、ひくっと泣きそうになった。いつもなら冷静に判断できるはずの俺の狼狽え方ったらない。どうかこの不審っぷりは、騎士団の紋章でなんとか、どうにかなっていてほしいと願う。ジュリアンは切れ切れに言葉を続けた。
「お、男の人がたくさんいるところは、怖くて。あの、も、もしよかったら、あなたの家に匿ってもらえませんか?」
「はいいッ……?!」
そ、そんなことができるわけはなかった。ずっと応援してきた舞台女優を、あんな家に招くことなどできるわけはない。それこそがこの世界で一番危険な場所のように思った。この世界で一番危険な場所のはずだ。
そもそも、具合が悪そうなのだから、どう考えても医者に診せるべきだ。俺は騎士として、国を、人民を守る、この国の騎士として、優しく彼女を諭し、保護するべきだった。俺は勇んで口を開こうとした。
だが、ジュリアンの一言で、俺の崇高な意志はすぐに塵と化した。
「ね、お願い? 騎士様」
「あ、はい。承知いたしましタッ!!!」
そして俺は今、とても混乱していた。いつも自分が使っている寝台に、どこから出てきたのか明らかに魔道具である手錠で繋がれ、細布で口を塞がれているのだから。「怖いから」と言われて、されるがままになっていたのは、たしかにまずかった。でもそう言われて、一体どう断ればよかったんだろう。俺に跨っている彼女の後ろには幾多もの彼女の肖像画が飾られているせいか、現実感もない。
そして、――俺の腹の上に乗っている、史上最高に美しい本物の女神が、吐き捨てた。
「あー。マジでちんこ収まんねえ。あんたが来てくれてよかった」
声と顔が合っていないのだ。まったく状況を理解できない俺の頭は、あれ? なんかの劇の練習かな? と、すら思っていた。だから、自分の腹の上に乗った彼女のドレスの中、白いレースの下着を押し上げる巨大ななにかを見ても、首をかしげるだけだった。
そして彼女は、妖艶に笑いながら言った。
「じゃ、一緒に楽しい夜を過ごそっか。おにーさん」
――――え?
∞ ∞ ∞
まるでそれは春の風に揺れる花のように。
彼女がふわりと微笑むだけで、俺の心は震える。
美しい空の下、彼女は地上で光り輝く――マイサンシャイン。
「――なにそれ。ポエム? きもいんですけど」
「おい、フレッド。そんな言い方ないだろ」
うっかり口から出てしまっていたらしい。
オレの名前はマクシミリアン・ランデイル。第三騎士団の副団長をやっている。今、立場をわきまえないツッコミをいれてきた色男は、王都で浮名を流している副団長補佐のフレッド。
散々「いつか刺されるぞ」って忠告していたが、最近、本当におかしな女につき纏われて参ってるようだ。その女が怪しい悪魔の本を持っているところを見かけてしまって、さすがに、まずいんじゃないかって心配してる。
年齢は俺の方が上だが、フレッドとの付き合いはわりと長い。浮ついた雰囲気のフレッドと、黒髪黒目の堅そうな雰囲気の俺が並んで歩いていると、王都の女たちは嬉しそうな顔で挨拶してくる。自分の見た目が悪くないことは知っていたが、正直なところ、フレッドのように色ごとに興味があるわけではなかった。
だから、というわけでもないが、――俺がいつも考えているのは応援している女優であるジュリアン・オーブリーのことばかりだ。だが、ふと嫌なことが頭をよぎりそうになって、早口でその記憶をかき消した。
「ジュリアンは、可憐なんだ。昼は花のようにたおやかで、夜は月のように優しく輝く……」
「えー。副団長って夢見がちですよね。ああいう清楚に見える女ほど、すぐ股開いてると思うけどな」
「フレッド、解雇だ」
「横暴すぎません?」
俺がむっとしているのを見て、解雇と言われたのもまったく気にした様子もなく、フレッドは笑いながらどこかへ行ってしまった。
だが、――しかし。
すぐ股を開いているかどうかはわからないが、もしかするとすぐに腰を振っているという可能性はあるかもしれない。ぽつんと執務室に取り残された俺は、考えたくもない連日連夜のできごとで、また頭がいっぱいになるのを感じていた。
さきほどポエムのようなことをつぶやいていたのは、ただの現実逃避でしかなかった。
先週末のことだった。女神のようだと信じていたジュリアンに、俺は、尻を掘られた。もう一度言おう、――尻を掘られた。城ではない、尻だ。
思い出すと涙がすぐにあふれる。どうして彼女の股間に、あんな立派なものが生えていたのか、どうしてそれが俺の尻に突き立てられたのか、最終的にどうして俺はあんなにもアンアン声をあげていたのか。朝が来るまで快楽という快楽を体に叩きこまれた俺は、最終的に白目を剥いて失神した。
「ひ、昼は花のように……、夜は月のように……」
口から漏れる言葉は、わなわなと震えていた。ついうっかりすると、涙が出そうになるのだ。彼女がそんなことをするわけないという希望と、あの鮮烈なまでの快楽の記憶が交差して、頭の中は大混乱なのだ。だからこの涙は悲しいとか、苦しいとか、そういうんじゃなくて、ただ単純に混乱涙なのだ。
が、――くだんの女神の声がすぐ後ろから聞こえたのはそのときだった。
「なに? ――オレのこと?」
「へ!?」
俺はバッと振り返って身を固くした。
カチャリ……と暗色の扉が音を立てた。騎士団の執務室に舞い降りた天使が、明らかにこの部屋の鍵をかけた音だった。そして長いスカートに隠された白い脚を、一歩、また一歩と進めながら、少しずつ俺に近づいてきた。
「な、なンッで……なんで、ここに!」
「んー? だってほら、先週末、やさしい騎士さんに助けられたからお礼?」
そんなわけはなかった。
本来、彼女が、――ジュリアン・オーブリーがこんなところにお礼をしにきてくれたのなら、歓喜して出迎え、最高級の茶と菓子でもてなし、手を揉みながら、話に花を咲かせるところである。だが、違うのだ。俺と彼女の関係は、――。
思わず後ずさった俺は、執務用の大きな机にガタッとぶつかった。
(し、しまった。退路を断たれた……!)
側から見れば、相手は俺とは体格の違うたおやかな女性だというのに、俺はその美女がゆっくりと歩いてくる様子を見て、青ざめた。彼女の白魚のような手が前に出され、もはや机に腰かけているような体勢になった俺の股間に、そっと重なった。
老若男女がため息を漏らしてしまうであろう、ふわりと花が綻ぶような笑顔で、彼女は俺に尋ねた。
「なあに、これ」
「ヒッ」
ぎゅっと股間を握られて、俺は震えあがった。だけど、彼女の指がするすると撫でるだけで、浮きあがるその形。決してふにふにした柔らかい触り心地でもないことは、容易に想像がついた。火照る体とは裏腹に、俺の顔はまっ青なままだ。
(な、なんでこんなに期待しちゃってんの……俺)
そのあいだにも、ジュリアンの手はゆっくりとやらしく俺の股間を撫でまわしていた。机とジュリアンに挟まれて、俺は身動きが取れない。いや、正確には身動きは取れるが、動けないのだ。眼前にあるのは、俺が長年愛し、応援してきた推しの顔。しかも、目が潤み、頬は上気して、清純でありながら、まるで悪魔のように妖艶に笑うのだ。
「なあ、コレ。誰かに見られたらどうすんの? ジュリアン・オーブリーを前にこんなに勃たせて」
「ひっ……ち、ちがッ。ちがっ……」
「お前がオレのファンだってことは、みんな知ってるんだろ? いつもお高そうな雰囲気で澄ましてるけどさー」
ジュリアンの言う通りだった。今、現状として、俺のペニスを扱いているのはジュリアンだが、勃たせているのは俺なのだ。騎士団員が、可憐な女性を前にこんなことになっているのなら、状況がどうであれ、完全に俺に非があった。いつの間にかベルトが外され、ぶるんと勢いよくペニスが飛びだした。
「あぁッ」
冷静に考えてみよう。
俺は今、執務室の大きな机に後ろ手に肘をつき、腰を突きだし、なんなら、ペニスを突きだし、そしてそれは完全に天を仰いでいる。そしてだ。目の前には、王都の男性誰もが恋焦がれる女優、――いや、俳優であるジュリアン・オーブリーが、なんらドレスを乱すこともなく、凛と立っているわけだ。
さっきジュリアンが鍵をかけていたような気はするが、もしも、もしもだ。この状況を、鍵を持っている補佐官のフレッドに見られでもしたら、俺はどうなるんだ? というか、今まさににやにや笑いながら俺のペニスを扱いてるジュリアンが悲鳴の一つでもあげれば、誰もが駆けつけるだろう。
そして、扉が開け放たれたとき、そこにいるのは、どう考えても変態の犯罪者でしかなかった。
(あ、だめだ……俺、終わった)
だけど、そんな状況でもまったくへこたれることのない強靭な俺の欲望は、大喜びで涙を流していた。ズボンも下着も抜きとられしまい、上だけしっかり団服を着ているのがまた状況を悪くさせているような気がした。ジュリアンにまさにその赤裸々な状況を指摘された。
「――変態」
「ひッ……んあッ」
「マクシミリアンはさー。本当はこうやって、虐められるの好きだよね。自分の机の上でこんなことして、すごい興奮してんじゃん」
「……ってないッ! してない!」
声ばかりは威勢がいいが、ジュリアンの言った通りだった。下半身丸出しでペニスを勃たせ、美しい指先に撫でられながら、俺はこれ以上ないほど興奮していた。
相手は俺の恋焦がれるジュリアン・オーブリーである。その顔を見ただけで、そばで守ってあげたいと、ずっとそう思ってきた相手だ。そんな人に、こんなことをされて、興奮しない男……いる!? でも素直にそれを伝えることは、俺のプライドが許さないのだ。ぐっと唇を噛みしめながら、恨みがましくジュリアンを見た。
くすくす笑いながら、ジュリアンは、机の上にあった書類と羽ペンを俺に持たせた。
「なッ……なに?」
「本当は、想像してたでしょ? 仕事中に、こんなことされちゃうの」
「し、してない! こんなことさせるお前だって変態だ……って、ん! ああッ」
まさか、この書類と羽ペンは、執務中感を演出するために使われているんじゃないだろうな。
ジュリアンは、あ、バレた? とおかしそうに言うと、そのままぐいっと俺の体を曲げると、一体どこに隠し持っていたのか、香油をこぼし、尻に指をつっこんだ。信じられるだろうか。俺の尻をかき混ぜているのは、美術館に飾ってあったっておかしくない彫刻のような美しい指だ。俺は信じられない。だが、体は正直にその喜びを感受した。
「ひあああんッ」
「あれ? やわらかい。……ま、昨日いっぱいしたもんね」
「……ッッお、おまえ! ま、まさかここで……?!」
「なんで? 期待して震えてるじゃん。ふふ、そのままいい子で、ちゃんとペン持ってるんだよ。バカっぽくてかわいい」
俺の体が震えるのと一緒に、羽ペンの羽が旗のように一緒に震える。右手に持たされているのは、なんと騎士団の風紀が乱れているとの報告書である。その風紀を今まさに乱しまくっているのは副団長である俺であった。
ひやっと背筋が凍る。ただひたすら頭を左右に振って「無理、だめだ」と小声で伝えるが、怯える俺を見て、ジュリアンはそれはそれは嬉しそうに目を細めた。
つぷっと尻に熱いなにかが当たる。そしてそれは、ぐうっと俺の穴を押し広げてきた。いつも思う、――あのスカートの中に、あの繊細なレースに下着の中に、どうやってこんな雄々しいペニスが収まっているんだろうと。ここ数日間で、快楽を叩きこまれた俺の体はその楔を打ちつけてほしくて、ひくひくと震えている。
でも、――!
「や、やめッ。やめろ!」
「暴れないでよ。誰か来て困るのはそっちでしょ」
「だ、だめだ……頼む。ここじゃ……」
ジュリアンの胸を押し返そうとしたら、「あんッ」とジュリアンが震えた。ビクゥッと俺は全身を硬直させた。そのかわいらしい小鳥のような声をあげた人の、ペニスが、自分の尻に突きささっていることも忘れて、まっ青になった。
「ひどいっマクシミリアン様……ジュリのおっぱいなのに……」
「ひいいいッッ!!! す、すまない。そそそそういうつもりじゃッ」
涙目でそう訴えられ、もう俺にはなす術はなかった。俺が抵抗できないのをいいことに、ゆっくり、ゆっくりと、ペニスが内側を撫でるように進んでいく。ずっしりと感じるその重みに、もう、――俺は抗えなかった。
ビクッビクッと震える体は、もうコレがどれだけの快感をもたらすかを知ってた。期待するように、ジュリアンのペニスを締めつけてしまう。それが伝わってしまったのかもしれない。「大丈夫だよ」と小さくジュリアンがつぶやいた。
顔のすぐ横で、ふわりと百合のような香りが広がる。美しい人が耳元で甘く囁いた。
「――いっぱい、犯してあげるから」
∞ ∞ ∞
「ひアッ……あっ……ひんッ」
「すごいぐちょぐちょ。声も、女の子みたい」
「ふぁッあ……ッちがあぁぁ」
そう言われて、うううと泣きたくもなる。身長差のせいで腰を振りづらかったのか、今はひっくり返されたまま、俺は机に伏せて尻を突きだしている状態にある。まだジュリアンは達してないというのに、俺の机の横側は、もう白濁でどろどろになっていた。乳首が机に擦れる。でもそれが気持ちよくて震える。
(執務室……あぁ……風紀……き、気持ちいい……だ、だめだ……こ、こんなの許されるわけない!)
こんな凶行止めなければならない。こんなのがまかり通っていいはずがない。俺はぐっと唇を噛みしめ、首を振り、そして心をオーガにして口を開いた。そのとき、ジュリアンのペニスが最奥を貫いた。
「ひあぁぁッ! あッ! あッ! 気持ちいい! 気持ちいよォぉぉ」
「あは、風紀はどこいったの? マックス」
「しゅきぃぃ、きもち、きもちいぃぃ」
「……かわいい。ほんと、かわいい」
自分より腰の位置の低いジュリアンに合わせて、ガニ股で高さを調節しているくらい、俺の体は完全にジュリアンに慣らされていた。ジュリアンの腰使いが早くなる。背に伝うのが、長年恋焦がれていた絹糸のような髪の一筋だと思うだけで、もう、だめだった。
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首筋を汗が伝い、――そして、髪をかきあげながら、ふっと笑われた。
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「……それは、どーも」
「ぇあッ! あっアッ……ああーッ」
なぜか、照れたような顔をしているジュリアンにあっけにとられた次の瞬間、激しく突きあげられ、俺はあっという間に絶頂を迎えた。ビクビクと震えているとき、じわっと尻の中になにか熱いものが広がっていくのを感じた。はあ、と息をつきながら、ジュリアンが悪魔のように笑いながら言った。
「女の子に、されちゃったね」
∞ ∞ ∞
「ババア。今月の寄付」
「あいッまいど!」
「軽い! もっと感謝しろよ。この孤児院の出世頭だぞ」
「うるせえッ! こっちはその出世頭を育ててやったんだよ! とっととチビどもと遊んでやっておくれ」
俺は今、王都のはずれにある孤児院の窓を、庭から覗き見ているところであった。中にはここの孤児院の院長である老婦人とローブを着たジュリアンの姿。老婦人は言葉は悪いが、子どもを好きなことを俺は知っていた。
最近、ジュリアンに関わるようになってから、自分が不審者だの変態だの、ひどいものに成り下がっているような気がするが。今もまさに、不審極まりない行動をとっているところだった。
あのあと、執務用の椅子と、ソファの上でさらに犯されたあと、執務室の匂いは最悪だった。
疲れたと言ってくつろぐジュリアンの横で、俺は「風紀……風紀……」とつぶやきながら、涙目で掃除をした。ジュリアンが着てきたドレスはもうぐちゃぐちゃだったから心配したが、本人はけろりとして、着替えを持ってきてると言ってのけた。それを聞いて、俺は、この犯行が計画的に行われたことを理解して、死んだ魚のような目になった。
しばらくしたあと、稽古場に行く時間だと言って、ジュリアンは立ち上がった。来たときとは違う男物の質素な格好に着替えたあと、ローブのフードを目深にかぶり、そして顔の下半分を覆い隠す仮面を装着した。
(その格好で稽古場に……?)
ジュリアンの性別を稽古場の人たちは知っていたんだろうか。俺が劇場の近くを覗くときは、いつだって女として振るまっていたような? と、俺は首をかしげた。それにしても、先ほどまでの可憐な姿とは違い、硬質な仮面に大半を覆われた姿を見て、思った。
(性別も、顔も、隠して生きてるって……どういうかんじなんだろう……)
そして、どう考えてもこのまま稽古場に向かうとは思えずに、俺はあとをつけることにしたのだ。ジュリアンの向かった先は明らかに劇場とは違う方向で、そうして孤児院にたどりついたのだった。
だが、これは一体どういうことだろう。
今、目の前にいるのは、子どもと全力で遊ぶジュリアンの姿。ここでは性別を隠していないようで、俺の前でそうしているように汚い言葉遣いで、だけど楽しそうに笑っているのだ。子どもたちの遊ぶ姿を木陰から見ている俺は、あいかわらずの変態の不審者極まりなかったが、そこも騎士団の団服がどうにかまかなってくれるといいなと思っている。だが、次第に、はあはあと鼻息が荒くなっていく。
至高の女神が、――子どもと戯れてる光景! 稽古場では見たことのない、太陽が輝くような底抜けの笑顔! 俺は心の中の映像水晶にすべてを記録するために、瞬きをするまいとギンッと目を見ひらいて、その楽園のような光景を凝視した。
「ハア、ハア、ハア、ハア……」
だが、しかし。俺の呼吸はどんどん荒くなり、異変を察知したのか、笑っていたジュリアンと目が合った。そして、ピタリと動きを止めたジュリアンが叫んだ。
「ハアッ?!」
しばらく固まっていたジュリアンだったが、ズカズカと大股で俺に近づいてくる。そして「なにやってんだよ! こんなとこで」とオーガのような顔で俺のことを怒鳴りつけた。その形相に、ウッと固まってしまうが、なにやってるのかと問われると、――。
「俺の女神が、子どもたちと和やかに戯れているこの世の楽園のような光景を、心にしっかりと記録してました……」
「変態じゃねーか」
至極的確な指摘であった。
俺が巡回中に、木陰から子どもたちを覗いて荒い息を吐きだしている男がいたら、間違いなく駐屯所まで連れていくだろう。どうやって言いわけをしたらいいだろうかと考えていると、孤児院の中から、ジュリアンと同じくらいの年頃の男が声をあげるのが聞こえた。
「おい、ジュリアンー! お前の大切なペンダント、直してやったぞ。だからあの水晶のことはもう許してくれ」
「あッ! おい待て! それ今、持ってくんな!」
「はあ?」
近づいてきた黒髪の猫毛の男に、ジュリアンは突然焦ったような声をだした。なにごとかと思って俺が覗くと、その男の手には、古びたチェーンが握られていて、その先には傷のついたロケットがぶら下がっていた。そのロケットには、見覚えがあった。
そしてその中には、俺みたいな男の肖像が描かれているように思った。
(あれって……俺のばーちゃんがくれたやつ、なんじゃ……)
十年ほど前に、街中で孤児を保護したときに、俺があげてしまったはずだったのだ。どうしてジュリアンが持っているんだろう。そして、俺はこのとき、ようやく、気がついた。あのときの孤児は、体もボロボロで、髪も服も汚れていたから、今のジュリアンとは似ても似つかないけど。だけど、――たしかに、あの子は、揺蕩う海のような美しい瞳を、していなかっただろうか……。
俺の顔を見て、あああと、珍しく慌てた様子で青くなるジュリアンを見て、俺は呆然としたままつぶやいた。
「え……お前……あのときの、男の子だったのか」
∞ ∞ ∞
――オレは孤児だった。
孤児の中でも、多分、かなり救いようのない孤児だった。
今なら、孤児院なんていうところがあるってこともわかるけど、そんな常識を教えてくれる大人なんて周りにいなかった。オレは、多分どこかの娼婦の子なんだろう。親の顔は知らない。だけど、どうしてそんな俺が生きてこられたかというと、やたらベタベタと体を触るオッサンが育ててくれたからだった。
民家の部屋から外に出たこともなかった。
今思えば、あの変態のオッサンは、オレの裸を舐めまわすように見ていたけれども、手を出されなかったことは奇跡だった。
物心がつきはじめたある日、ついにあのオッサンはオレに手を出すことに決めたらしい。オレは近くにあったランプでオッサンの頭を殴り、そこから逃げだした。育ててくれた恩もあったけど、やっぱりなんかオカシイと疑っていたのがよかった。
だけど、生きる方法なんて知らないオレは、すぐに街中でゴミクズのような存在になった。ボロボロになって路地裏で凍えているところを、とある男に声をかけられた。
「大丈夫?」
大丈夫なわけねーだろ、と思ったが、声もでなかった。
男は立派な服を着ていて、だけどそのときのオレは、それが騎士団の服だってことも知らなかった。その一見冷たそうにも見えた男の、優しい笑顔を見て、オレは警戒を解いた。
風呂なんてずっと入っていなかったから、ひどい匂いがしていただろうと思うのだ。
だけど、薄汚いガキをおぶって、その男は孤児院まで連れてったのだった。そのあたたかな大きな背中の上で、荒んだオレの心は、安堵というものを生まれてはじめて感じた。馬車や馬はきっとオレが怖がると思ったんだろう。孤児院までの長い道すがら、男はいろんなことを話してくれた。
それから、別れ際にロケットのついたチェーンを渡された。
「今はなにもないと思うかもしれないけど、大切な人はきっとできるよ」
「…………」
「そのとき、この中にその人の肖像を描いてもらうといいよ」
そう言って、笑いながら男は言った。もう十何年も前の話だ。だけどオレの人生を変えた日だった。
それから数年後に、孤児院のババアが「お前は顔がいいから役者になんな! 女役がいいね!」と言いだして、女装させられるようになり、いやいや稽古場に通いはじめた頃、その男、――マクシミリアンが巡回に来る日があるってことに気がついた。
チラチラとオレのことを見てくるマクシミリアンは、オレがあの孤児だって気がついてはいなかったけど、それでも、オレは一生懸命、練習するようになった。
マクシミリアンはオレの顔が好きなのか、なんなのか、熱心にオレのことを応援してくれるようになった。
嬉しかった。
だけどマクシミリアンは、わりと残念めな中身に反して、見目はいいし、副団長なんてやってるし。いつ、こうやって観劇している隣に、綺麗な女性が並ぶ日が来てしまうんだろうと、怯えながら過ごした日々でもあった。
その頃には、もう、オレのペンダントロケットの中には、マクシミリアンの肖像が描かれていた。
マクシミリアンにだけ向けて、演技をしていた。
だけどある日、――騎士団の門で「あの男を出せ!」と騒いでる綺麗な女性を見かけた。その女性をなだめながら、親切に接しているマクシミリアンを見たら、オレだけじゃなくてみんなマクシミリアンのことを好きになってしまうと思った。そして、薬を盛られてしまったらしいあの日、――オレが孤児だったときのように、偶然通りかかったマクシミリアンを見て、オレは路地裏でうずくまっていた自分を助けてくれた、あの優しい手を思い出した。
そしてもう、我慢ができなくなった。そこからは、マクシミリアンが優しいのをいいことに、体から丸めこんでしまおうと必死だった。
今、目の前で、ぽかんとしているマクシミリアンと、同じ孤児院育ちのネイトを見て、オレは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ネイトは普段は書店で働いているのだが、小さい頃からとある水晶を探しているのだ。だからそれっぽい水晶を見つけると、盗みとってしまうという手癖の悪いやつでもあった。
先日オレの舞台中に、観客から水晶を盗んだらしく、劇場では盗まれた女が大騒ぎして大変だったのだ。それを劇場のやつに返してやる代わりに、壊れかかっていたペンダントを直してもらっていたのがよくなかった。
(あんな臭い小汚ねえのがオレだったなんて! 絶対に、――絶対に! バレたくなかったのに!)
オレは今まっ赤になっているだろう。大切な人の肖像が入ってるっていう最悪なオマケつきだ。鈍そうなマクシミリアンでも、さすがに気がついただろう。
「嘘――……大切な人、俺?」
「うるせえッ!」
「ああ、この人がそうなのか。お前、もうちょっと素直になれば? 十年越しの片思いなんだから」
「殺す。お前、殺す」
くそ、覚えていやがったか。オレの顔は覚えてないくせに! と、内心悪態をつきながら、ネイトが最悪な情報を重ねてきたので、もう殺そうと誓った。
マクシミリアンはポカンとしたまま、「じゅ、じゅうねん……」とつぶやいた。そして、マクシミリアンの目がうるうると揺れはじめ、すぐにドバッと涙が溢れだした。オレは、もはや死んだ魚のような目になった。最悪なバレ方だった。そして、ぎゅうっと背骨が折れそうなほど、強く抱きしめられた。
「痛い」
「そうか……ジュリアン。そうだったのか。こんなオッサンでいいのかわからないけど、うれしいよ。うれしいよおお」
こんなときばっかり、なんでこんなポジティブに受けいれてくるんだ。オレは天下のジュリアン・オーブリーだぞ? もっと躊躇しろよと思う。
だけど、オレの顔を見たネイトが「はは、幸せそうな顔しちゃって」と笑ったので、ネイトが変態かなんかに捕まって、信じられないほど最低な目にあいますようにとオレは祈った。
オレはさっきカバンのポケットに入れた水晶を、泣き続けているマクシミリアンに手渡した。そして、怒鳴るように言いつけたのだった。
「騎士だろ。お前が返しておけよ! それ!」
マクシミリアンの体が、完全にオレに染まるまでは、言わないつもりでいたのに! と、オレはドスドスと大股で建物に向かって歩いていった。だけど、そのオレの後ろで、マクシミリアンが幸せそうに笑っているのも、オレがその歩き方に反して、顔が緩んでしまっているのも、気がつかなかった。
次の舞台は、王子も観にくるっていう話なのだ。しっかりやらないといけない。
一番観てほしい相手も、きっと、いつもみたいに大きな花束を持って観にくるだろう。
オレはふっと笑みをこぼした。
それはきっとマクシミリアンが、天上の女神のようだと泣いて喜ぶような、最高に幸せな笑顔かもしれなかった。
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