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夜の始まり 不感症の花嫁
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女たちの間に、ひそかに言い伝えられる口伝があった。
悩める乙女は森に征け。
深い森のそのまた奥に、最高神のおわす仮寓がある。
そこで乙女は、女の歓びの一から十までを授かり、そして「女」になることができる。
わけあって意に染まぬ結婚を強いられる者。身を売るより他に生きる術のなくなった者。理不尽な魔手に脅かされる者。
つらい事情をかかえ、絶望の淵に立つ乙女を、神は見捨てたまわぬ。
ただし、そこに至る道は、至難の道。誰にでも開く道ではない。
道が迎え入れるのは、清らかな乙女のみ。そして切実に願う者のみ。
──乙女よ、汝もし絶望せしとき、森の奥深くにあるという「神の館」を訪ぬべし。
*
ある日ひとりの娘が、思いつめた顔で神の館にたどり着いた。
「神よ。偉大なる最高神よ。どうか私をお救いください」
光が集まり、白く輝くひとがたを象った。
「僕を呼ぶのがどういうことか、わかってるよね?」
「はい。神よ。どうか私を、その、お、女にしてくださいませ」
「ふーん」
と、輝きをおさめながら神は娘を見つめた。
中も奥も底も見通すような眼光だった。
「わかった。ただし言っておくけど、君が夫と“できない”のは、君が不感症だからじゃないよ」
「え」
本当にすべてお見通しであることに驚き、驚いたことの不敬さを知られることに慄いた。
そうなのだ。まだ少女と女の間にいるような若い娘ながら、彼女は新婚まもない新妻である。彼女の処女は、愛する夫に捧げられるべきものである。
それがなぜこんなことになっているのか。
こたえは簡単。できなかったのだ。
まったく濡れずに痛がるばかりの花嫁に、新郎は指一本も志半ばで諦めざるを得なかった。それから何夜試みても状況は好転しない。ついに五夜を数えた今朝に至って、おせっかいな義兄達がひそひそととんでもない企みを交わしているのを聞いてしまった。ぞっとして、震える足で家を抜け出した。思いつめた妻は、それならいっそ、と思い定めて、ひそかにこの館をめざして森に入ったのだった。
「どうして……」
それを知っているのか、という驚愕の「どうして」だったが、神はちがうことで応えた。
「まだ花開いていないだけだ」
「え?」
「咲かせてあげるよ。だから、ずっくずくのぐっしょぐしょになる。すぐにね」
そういうと、白い神の姿がゆらめき、次の瞬間そこには、漆黒の髪と瞳をもった長身の男が立っていた。
細身だがひきしまった筋肉は見るからに鋼のようで、浅黒い肌とあいまっていかにも男らしい。ぎらりと熱量を孕ませた眼は鋭いが、きゅっと上がった口角にはやんちゃな悪戯っ子の愛嬌が見え隠れして。
ひとことで言って、絵に描いたような「壮絶な色気を垂れ流す危険な男」だった。
どきんと胸が撃たれた。
(やだ、何これ?!)
人の善い夫には感じたことのない、その感情。
それを世間ではときめきというのだと、女は知らない。
「来い」
片腕で細腰を抱えてすくい上げられ、気づけば寝台に落とされていた。
(えっ、こんなベッドありましたっけ?)
「ここは神の館だ。俺が念ずれば、どんなものでも出てくる」
上から覗き込む男の影にすっぽりとおさまって、また胸がとくんと跳ねた。
跳ねて、そして甘く絞られる。
ぼうっと見上げていると、男の口角がきゅっと上がった。
そうすると少年めいた悪戯気が閃いて、胸の違うところがくすぐられる。
「今から君は、七つの夜を体験する」
七つの夜を、体験する。
なんと甘い響きだろう。
きゅぅんと締め付けられたのは、胸だったか、腹の奥だったか、さらに別のところだったか。
「安心しろ。夕方には帰してやる。ただこの白昼を七夜に引き伸ばすだけだ」
ちょっと言ってる意味がわからないが、とくとくと早まる鼓動が思考を奪う。
「七夜かけて仕込んでやろう。女の歓びを、一から十まで」
(え)
女は困惑した。そして焦った。
神の化けた男が思いもよらないことを言い出したからではない。
とんでもないところに来てしまったのでは、という後悔からでもない。
悪い男そのものの顔でニヤリと笑いながら顎を取られて、体の奥が、じゅわん……と熱くとろけたからだ。
信じたがたいが、これは多分、まちがいない。
(うそ、どゆこと?!)
そんなことって、と女は混乱した。
愛する夫と、あんなに頑張ってもだめだったのに。
だが、下腹部が切なく意識されて動機が早まるこの熱い感覚は、きっとまちがいない。
こんなふうになるのは初めてだが、でもわかる。
そう、これが「濡れる」というやつだ。
「まずは一夜目」
顎を捉えていた指が、顎から頬へと輪郭をなぞって、耳に至る。
「今夜は、首から上だけだ。それしか触れない。ひと晩かけて、まずは君をぐずぐずにほぐしてやる」
その声が。言葉が。
身体の内側に染み渡っていく。
再びじゅわりと、そしてとろとろと、今度は明らかに甘くとろけた自身の反応に、女は陶然としながら、混乱していた。
「さあ、はじめよう」
そう言って、男はひらりと手をひとふりした。
悩める乙女は森に征け。
深い森のそのまた奥に、最高神のおわす仮寓がある。
そこで乙女は、女の歓びの一から十までを授かり、そして「女」になることができる。
わけあって意に染まぬ結婚を強いられる者。身を売るより他に生きる術のなくなった者。理不尽な魔手に脅かされる者。
つらい事情をかかえ、絶望の淵に立つ乙女を、神は見捨てたまわぬ。
ただし、そこに至る道は、至難の道。誰にでも開く道ではない。
道が迎え入れるのは、清らかな乙女のみ。そして切実に願う者のみ。
──乙女よ、汝もし絶望せしとき、森の奥深くにあるという「神の館」を訪ぬべし。
*
ある日ひとりの娘が、思いつめた顔で神の館にたどり着いた。
「神よ。偉大なる最高神よ。どうか私をお救いください」
光が集まり、白く輝くひとがたを象った。
「僕を呼ぶのがどういうことか、わかってるよね?」
「はい。神よ。どうか私を、その、お、女にしてくださいませ」
「ふーん」
と、輝きをおさめながら神は娘を見つめた。
中も奥も底も見通すような眼光だった。
「わかった。ただし言っておくけど、君が夫と“できない”のは、君が不感症だからじゃないよ」
「え」
本当にすべてお見通しであることに驚き、驚いたことの不敬さを知られることに慄いた。
そうなのだ。まだ少女と女の間にいるような若い娘ながら、彼女は新婚まもない新妻である。彼女の処女は、愛する夫に捧げられるべきものである。
それがなぜこんなことになっているのか。
こたえは簡単。できなかったのだ。
まったく濡れずに痛がるばかりの花嫁に、新郎は指一本も志半ばで諦めざるを得なかった。それから何夜試みても状況は好転しない。ついに五夜を数えた今朝に至って、おせっかいな義兄達がひそひそととんでもない企みを交わしているのを聞いてしまった。ぞっとして、震える足で家を抜け出した。思いつめた妻は、それならいっそ、と思い定めて、ひそかにこの館をめざして森に入ったのだった。
「どうして……」
それを知っているのか、という驚愕の「どうして」だったが、神はちがうことで応えた。
「まだ花開いていないだけだ」
「え?」
「咲かせてあげるよ。だから、ずっくずくのぐっしょぐしょになる。すぐにね」
そういうと、白い神の姿がゆらめき、次の瞬間そこには、漆黒の髪と瞳をもった長身の男が立っていた。
細身だがひきしまった筋肉は見るからに鋼のようで、浅黒い肌とあいまっていかにも男らしい。ぎらりと熱量を孕ませた眼は鋭いが、きゅっと上がった口角にはやんちゃな悪戯っ子の愛嬌が見え隠れして。
ひとことで言って、絵に描いたような「壮絶な色気を垂れ流す危険な男」だった。
どきんと胸が撃たれた。
(やだ、何これ?!)
人の善い夫には感じたことのない、その感情。
それを世間ではときめきというのだと、女は知らない。
「来い」
片腕で細腰を抱えてすくい上げられ、気づけば寝台に落とされていた。
(えっ、こんなベッドありましたっけ?)
「ここは神の館だ。俺が念ずれば、どんなものでも出てくる」
上から覗き込む男の影にすっぽりとおさまって、また胸がとくんと跳ねた。
跳ねて、そして甘く絞られる。
ぼうっと見上げていると、男の口角がきゅっと上がった。
そうすると少年めいた悪戯気が閃いて、胸の違うところがくすぐられる。
「今から君は、七つの夜を体験する」
七つの夜を、体験する。
なんと甘い響きだろう。
きゅぅんと締め付けられたのは、胸だったか、腹の奥だったか、さらに別のところだったか。
「安心しろ。夕方には帰してやる。ただこの白昼を七夜に引き伸ばすだけだ」
ちょっと言ってる意味がわからないが、とくとくと早まる鼓動が思考を奪う。
「七夜かけて仕込んでやろう。女の歓びを、一から十まで」
(え)
女は困惑した。そして焦った。
神の化けた男が思いもよらないことを言い出したからではない。
とんでもないところに来てしまったのでは、という後悔からでもない。
悪い男そのものの顔でニヤリと笑いながら顎を取られて、体の奥が、じゅわん……と熱くとろけたからだ。
信じたがたいが、これは多分、まちがいない。
(うそ、どゆこと?!)
そんなことって、と女は混乱した。
愛する夫と、あんなに頑張ってもだめだったのに。
だが、下腹部が切なく意識されて動機が早まるこの熱い感覚は、きっとまちがいない。
こんなふうになるのは初めてだが、でもわかる。
そう、これが「濡れる」というやつだ。
「まずは一夜目」
顎を捉えていた指が、顎から頬へと輪郭をなぞって、耳に至る。
「今夜は、首から上だけだ。それしか触れない。ひと晩かけて、まずは君をぐずぐずにほぐしてやる」
その声が。言葉が。
身体の内側に染み渡っていく。
再びじゅわりと、そしてとろとろと、今度は明らかに甘くとろけた自身の反応に、女は陶然としながら、混乱していた。
「さあ、はじめよう」
そう言って、男はひらりと手をひとふりした。
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