Metropolis

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番外編

セクサロイドの悲鳴*

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旧式バイクは空気抵抗を突き破って、僕を前へ前へと走らせる。
それがとても心地よくて、疾走感と飛んでるみたいなその感覚が、僕にスピードを上げさせる。

「カイン!」

エンジン音に邪魔されながら、アベルの声が耳元で聞こえて、アベルの手がハンドルを持つ僕の手にかさなった。

瞬間、

明るい昼から見える宇宙が、僕の視界に突然飛び込んだ。




セクサロイドの悲鳴




ブレーキ音と、地面を滑る摩擦音が辺りに響いた。
宇宙を見たと思ったら、今度は世界が回転して、左下に映る地面の上を、小さな女の子が走っていくのが見えた。
何が起きたか解らずに暫く放心していた僕が、転倒した事に気付くのと、耳元でアベルが囁いたのは同時だった。

「カイン? 平気ですか?」

僕はアベルの腕に抱きとめられている事に気付いて、慌てて飛び起きようとした、けれど。アベルの重い腕にそれを止められる。

「アベル!」
「急に起きては駄目です。ゆっくり」

言われて僕は、ゆっくり身を起こした。僕を抱き締めていたアベルは、一体何がどうなったのか、皮膚がボロボロに剥がれていた。

「アベル!?アベル大丈夫!?」

僕はパニックになりかけながら、アベルの腕を掴んで抱き起こした。といっても、アベルの重い身体は僕の力では簡単には起こせない。アベル自身が身を起こせる程度の損傷だということだ。
アベルの腕や脚の服は擦り切れて、中の皮膚も一緒に破れている。肩や胸の辺りまで同じように損傷していた。
おそらく、人間ならこんな形に傷付かないんだろうけど、アベルは無理な体勢を取って僕を庇いながら地面と攻防したんだろう。

「ごめん、子供…全然見えなかった…」
「ええ、人の目には死角でしたから、当然です。貴方が無事で良かった」
「アベル…ありがとう。僕はおかげで無事だけど、アベルは大丈夫なの? 動ける?」
「ええ。皮膚が損傷しただけです。中身は無傷ですよ」
「…良かった」

僕は思わず溜息を吐いた。良かった。アベルが動けないなんて事になったら、どうしようもない。



 +++


生憎、近くにアベルのような高性能アンドロイドを扱える修理工が無かったので、今日のところは服を着替えてモーテルに部屋を取った。バイクの方は修理に預けてきたけど、こっちも何日か掛かるだろう。

アベルと一緒にシャワーを浴びて、湯気に霞む視界の中で傷ついたアベルの身体を見た。滑らかな皮膚はゴムのように破れて、アベルの本体であるパーツが鈍く光っている。水滴は水に強い特殊金属を濡らし、舐めるように伝い落ちていった。血を持たないアベルが、透明な血を流しているようだった。


 +++


身体がまだ冷えない内に、ベッドに雪崩れ込んだのは、僕がある種の欲情に支配されていたせいだ。その事に、自分で戸惑う。

白いシーツに身を預けるアベルの身体は、まるで未完成だった。完璧に美しい最高級のセクサロイドだったアベルは今、その皮膚を破られて金属作りの骨と臓器を晒している。アベルの造られた"美しさ"は、欠ける事で別の美しさを纏っていた。

傷の無い首筋から唇で降りていく。吸い付くような肌の美しさが、突然途切れるところまで。

「そんなとこ、いいです。やめて下さい、カイン」

破れた皮膚の淵と、剥き出しの金属とを舌で確かめた時、戸惑うようなアベルの声が落ちる。

「どうして? いいじゃない」
「…興醒めでしょう」
「まさか」

僕はアベルの腕を取り、肘から手首の間に出来た傷に唇を押し当てた。擦れて所々金属が見えているその腕は、どうしてだろう。とても、美しくて。その無機質なアベルの腕が、いつも愛情を乗せて僕を抱いている事に、どうしてか煽られた。

「おかしい、かも。しれないけど…」

金属の、中身に視線を這わせる。

「ねえ、アベル。君の機械の中身すら、美しくて頭が痺れる」

それは健全な欲求や、偏執的な興奮とも違っていた。もっと昏く、心臓や鳩尾をナイフで逆撫でするような劣情だった。
僕の完璧なアベル。僕の贈った香水の香りしかしない、人の匂いのしないアベル。僕を必ず守る、機械造りの僕の恋人。彼は造り物のやわらかな唇で、僕に毎日愛を囁く。永久に。美しいままで。

「ねえ、例えばだよ。」

アベルの薄い色の細い髪に手を入れて、アベルの硝子の瞳を見つめる。

「もしさ。僕が毎日たくさん食べるとするだろ?」

僕は自分の中の、昏く澱んで醜い、腐臭のする人間という生命に意識を突っ込んで、引き上げる。

「そしたら僕はきっとどんどん太るんだ。醜く膨らんで、男娼の花形なんて見る影もなくなる。美しいままのアベルの隣でね」
「カイン?」

意図を測りかねて、無垢な瞳で僕を見上げる。なんでも知っていて、なんにも知る権利を持たされなかったアベルの瞳は、ただ僕を写してる。

「アベルのすべてには、無駄がない。」
「無駄、とは…?」
「わかりやすいのは今言った贅肉。でもそれだけじゃない。そんなことじゃない。アベルは美しい。必要な機能に殉じて強く美しい。無駄な事も考えたりしない。人は心も体も、無駄ばかり蓄えるから」

そう。無駄だった。僕には、無駄なことばかりが詰まってる。
どうして人なんだろう。目的も存在意義もセクサロイドと変わらないのに、どうして人として造られたんだろう。
人だけど、他人と同じにはなれない。Paradaise Lunaを出てから出会うどんな人とも、僕は同じになれない。この先、同じになることもないんだと、わかる。誰よりアベルと近い。だけど僕はどうして人なんだろう。

「無駄を削ぎ落とした美しい存在なんだよ、君は」

こんな馬鹿な事を考える事もない。そこにあって、ただ美しく居られるアベルのような、僕はセクサロイドではない。

「アベルのこの身体。パーツのひとつひとつ。全部。綺麗だよ。金属の冷たい微かな匂いさえ」

アベルの開かれた胸は、金属の心臓部を曝している。ひとつひとつが機能し、アベルを完璧に動かしている。
唇で触れた、金属の感触。冷たい匂いと裏腹に人を模した仄かな熱が、機械仕掛けの命を僕に伝える。
人なら生傷。そこに舌で触れる。アベルの中身にキスをする。愛撫する。痛覚を持たないアベルの中に、入っていきたくなる。

「僕の体を裂けばきっと、腐りかけの臓腑の臭いがするだけだ」

美しいことへの価値を、誰より植え付けられて知っている自分の目から、涙が頬へ伝うのが解った。
振り切るように、僕はアベルの性器に手を持っていき、そこを擦った。柔らかな愛撫を重ねて、徐々に激しく扱いていけば、アベルのそれは反応していく。角度を持って、先端から滲む滑りが指に纏ついてくる。アベルは感じてるように眼を細めて、息を浅くして僕を見ていた。その瞳が切なそうに見えるのは、愛撫の反応か、それとも別の何かなのか、ただアベルの視線が僕に真っ直ぐに向かっているのを感じてた。僕はこれ以上泣いたりしないように、アベルから目を逸していた。

濡れた自分の指先を後ろに持っていき、内部に侵入させた時、アベルが止めようとした。自分がするからと言うアベルに、首を振って制して自分の中を解していった。アベルの丁寧すぎる愛撫を、待つ気は無かった。何故か気ばかり急いて、それは逃げ出そうとするのに近かったかもしれない。まだ充分に解しきれないそこに、僕はアベルの性器を当てた。

「カイン。まだ、」
「ううん。いい。アベルは、そのまま…」

囁くように言って、アベルの首に腕を回した。抱き締めたまま、中に収めていく。アベルの首筋に頬を擦り寄せて、アベルの柔らかい髪が肌に触れるのを、泣きたくなるような気持ちで感じてた。

収めきって息を吐くと、アベルを押し倒して、僕はアベルに跨ったまま、アベルを見下ろした。シーツに広がる薄色のアベルの髪の美しさと、白い肌と、剥き出しの機械造り。指先で金属に触れる。アベルの精巧な、美しい内臓。時計の中のような、無機質な造形美。

「アベル…きれいだよ。」

アベルが口を開くのが解ったけど、その唇が耳障りの良い言葉を返す前に、僕は腰を動かした。
中に収めたアベルの熱が、絡みつく淫らな僕の粘膜を溶かしていく。摩擦で熱は加速して、焼け爛れて甘く腐り落ちそうだ。
気持ちがいい。腰を大きく動かして、掻き回すと堪らない。水音を響かせて、浮かせた腰を下ろせば強い快楽に意識が白く霞む。

アベルが快楽に溶けた瞳をして僕を見てる。視線で僕を抱いてる。アベルは僕を濡れた瞳で愛撫する。微かに漏れる声が、吐息が、僕の意識を攪拌する。快楽に爪を立てても、アベルの金属の心臓部は、傷一つ付かない。アベルの心臓を掴むことはできない。硬く閉ざされて守られてる、アベルの核。そこに心臓と呼べるものが入っているかも、僕は知らない。

「アベル、アベルッ…」

頭がぐちゃぐちゃで何かかもが解らなくなっていく。哀しいのか寂しいのか、嬉しいのか気持ちいいのか、解らない。涙が出る。止まらなくなる。嬌声と嗚咽の差も判らない。

「あっあぁっ…ぅ、んんッ…アベル…!」

快楽に震える身体では、動くのに限界がある。もどかしい刺激に身悶えて、悲鳴混じりにアベルを呼ぶ。いつものように激しく突いて欲しくて、訴えるようにアベルを呼んだ。

「カイン、」

アベルは身を起こすと、僕をその腕に抱き締めた。体内に突き刺さったままの、アベルの造り物の性器を締め付けて、僕はアベルの胸に顔を埋めた。頬に触れる、金属の質感。硬くて無機質な、アベルの中身。

「カイン。同じことを、貴方に思う」

硬いボディと裏腹に、優しく甘い、アベルの声が、僕の鼓膜に降る。意識に、降り注ぐ。
アベルは僕の顔に触れて、上向かせた。覗き込むように僕を見るアベルと、目が合った。

「機械の私には得られない美しさを持つ人間である貴方が、私は愛しい」

アベルの指が僕の唇を撫でて、硝子玉とは思えない優しい瞳で僕を見る。

「血の匂いも、臓腑の香りも。貴方が纏うというのなら。薔薇よりも芳しい」

香りひとつも、センサーの反応だっていうのに。アベルはそんな風に言う。

「ねえ、カイン。貴方だから私は愛しい」

僕にはアベルの言葉が、セクサロイドのプログラムと区別が付かない。

「貴方がもし、サイボーグに身体を替えても、同じことです。だって、貴方は美しい」

付かない、というのは。嘘だ。理性がそう言っても、僕はアベルの愛を感じてる。勘違いでも構いやしないけれど。

「貴方は機械の私を愛してくれる。可笑しいです。そんなこと、あるべきではないはずなんです。だけど、」

アベルが困ったように、僕に微笑み掛けるのは、綺麗で。とても、綺麗で。
僕はただ、汚くて。生まれつきに、汚くて。綺麗になりたかった。綺麗じゃなきゃならなかった。綺麗で在り続けて、汚されなきゃならなかった。汚いものに塗れた夜を、重ねすぎたから僕は、自分が何者だか、わからなくなってしまった。

「私も貴方を愛してしまった。貴方が私を壊したんです。私も…可笑しい。」

僕の頬を伝う涙が、何に反応して流れていくのか、解らない。解らないんだよ、アベル。

「貴方を守りたいのに、貴方と壊れてしまいたい…」

私のプログラムは、エラーだらけですね、と。
ぽつりと呟いたアベルを、強く強く抱き締める。背中に回した手で、縋り付いて。

「アベル、、僕」

無駄な思考と過去の記憶に振り回されて。どうしたらいいかわからなくなる。満たされているのに怖くなる。やり方がわからない、生き方がわからない。街行く人の人生や主観に触れるたび。優しくされればされただけ。自分が何だかわからなくなる。僕はどうしてどこに行くべきか。人がどう考えてどう思うのが正しいのか。僕にはなにひとつ。わからなくて、

「アベル…」

呼んだ名前が僕の全て。可能性と未来を抱いた、愛しさの向かう場所。

「壊して、ぜんぶ。壊してしまって、僕のこと」

綺麗なアベルは、僕の目元に触れるだけのキスをした。涙を受け止めるような、キスだった。

「あっ…く、ふぅ、んッ…アベ、ル…は、あぁッ…!」

アベルが僕を押し倒して、片足を持ち上げて深く付き込んだ。貫かれる衝撃が、身体を裂いて意識を突き抜けていく。何度も何度も奥まで突いて、中を掻き回して、前立腺を強く責めた。

「あっあっアベル、んっあぁぁっ…」
「カイン…」

愛しさの滲む声で、アベルが僕を呼んでくれる。カインという名で、呼んでくれる。綺麗な声で、僕の名前を。忘れないように。

「アベ、ル…僕っ…僕は…君がいないと、生きて、いられない…」

涙声で必死に紡いだ言葉が、アベルに届くのを見た。眉を寄せて、目を細めたアベルの切なげな顔が、泣き出しそうに見えた。

ねえ、アベル。僕がもしも。もしも強くて。なんでもできて。君みたいに、なんだって一人で出来たって。そうだとしたって駄目なんだ。アベルが僕を綺麗だって、愛してるっていう。セクサロイドのアベル。僕と同じで違うアベル。あの摩天楼の底で出逢った。このアベルじゃないと。僕を知っているアベルが、僕を好きだって、つなぎ止めていてくれないと、生きていられない。命も自由も力も。それだけじゃきっと駄目なんだ。僕は破綻してる。僕は、はじめから、人間を間違えて生きてる。毎日、生きれば生きるほど、それが解る。同じにはなれない。僕は、街の人たちと同じにはなれない。この先ずっと、それは変えられない。

「アベル、僕は、人にもセクサロイドにも、なれない…」

アベルが、強く抱きしめてくれる。この腕が無ければ、アベルがいなかったら。自由なんて言葉を食い潰して。僕はきっと駄目になるだけだ。僕は気付いてなかったんだ。それぞれの生命体に与えられた権利に。

「試験管で育ったのに、空なんか、飛べない…」

アベルが僕の首筋に、顔を埋める。抱き締めてくれる。それだけで。僕はしあわせなのに。アベルを困らせてる。

「カイン。全て私に伝えて。そうして眠って。貴方が眠っている間に、貴方の抱えるものすべて、私が処理しておきます」

まるで魔法の言葉だった。
なんでも解決してきてくれたアベルだけが唱えられる、やさしい呪文。
なんとかなるような、許されるような、アベルさえ居てくれたなら。
きっとアベルも、エラーで立ち止まってる。

「私に任せて。眠って下さい。行きたいところへ行きましょう。二人で、夢の中で」

僕は弱くて無駄ばかりで。きっと何度でも同じ不安にかられるけれど。
アベルは何度でも、僕に触れて言葉をくれる。
本当に壊れてしまうまで、夢物語を綴ろう。僕等の為に用意された聖書は、この世界には無いから。

「カイン…」

溶けて消えてしまいそうなほどやさしい声で僕を呼んで、アベルが律動を再開した。僕を強い快楽へ突き落として、何も考えられなくしてくれる。白く、なっていく。登りつめていく、その激しい動きは、悲鳴に似ていると思った。



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