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番外編
人工雨の湿度*
しおりを挟む「なんか、不思議なところだ」
この前まで居た街からまた新しい街へ移ってきた僕等は、見たことのない土地の入口で立ち尽くしていた。
「この街はすこし特殊な管理下にあるんです。他の街よりずっと地球に近い環境を作っています。街外れにはファームもありますよ」
「ファーム?」
「ええ。つまり農場ですね。月の食物は殆どを輸入に頼っていますが、この街では珍しくこの星で作られた食物が採れるんです」
街の中へ歩き始めた僕は、辺りを見回しながらアベルの話を聴いていた。住宅や店の並ぶ街並みはどれも小さく、大きな建物ばかりだった他の街とは随分違っていた。そしてなにより、植木や花が咲いているのだ。
「なんだか、空気が違う」
「そうですね。月ではこの街でしか感じられない大気でしょう」
少し湿ったような、そして澄んでいるような空気だった。水に似た空気。それに、やけに暑い。
緑なんて他の街ではあまり見なかった。花瓶に生けられた花は見たことがあるし、花束を貰ったこともあったけど、切花以外は見たことがない。土だって実際に見たことはない。データや画像でしか知らないことばかりが、この街にはある。そう、地球の話によく似た土地なんだ。
「ファームに行ってみたいな」
なにもかもが珍しくて、僕はそう言った。僕等はモーテルを探して部屋へ荷物を置くと、バイクに跨って街外れのファームへ向かった。
+ + +
「すごいな…」
そう呟くしかないような場所だった。
たくさんの植物の並ぶ中に、大きな木が一本、高く伸び上がっていた。生い茂った緑の葉が風に吹かれてざわめく。深い色の葉も、太い幹も、とても不思議だった。いったいこれはなんだろう。感じたことのない、ぜんぶが…。
「ナス、キュウリ、あれはカボチャですね」
土の中に整列している植物は野菜で、アベルがひとつひとつ教えてくれた。小さな木みたいに生えている植物は、小さい実をぶら下げている。
「これ、大きくなる?」
「ええ。大きくなったものは収穫されてるはずなので、小さいものしか残ってないのでしょう」
僕はしゃがみこんで野菜を覗き込み、木の幹の色に似た茶色の土に触れてみた。掌に一掴み持ち上げると、湿った感触。月の砂とは全然違ってる。さらさら灰みたいに落ちていくあの白い砂とは。乾いた匂いなんてしない。別のものなんだ、これは。これが、命を生む土か。僕が知っている、馴染んでいるものたちは全部、死骸みたいだ。もうずっと前に燃え尽きてしまっているような、そんなものばかりだったんだ。
立ち上がって、畑に沿って歩き出す。畑の向こうには、果樹園があるってアベルが教えてくれた。僕等は果樹園に脚を踏み入れる。今度は芝生ってやつだ。細かい草が一面に生えていて、たくさんの木が並んでる。これはファームの真ん中の大木とは違って、もっと細くて小さいんだけど、見たことのある実をたくさんつけていた。果物はそのままの形で出てくることが多いから、僕も見たことがある。野菜なんかは料理されてるから、原型ってあんまりよく知らないんだよな。
「綺麗だな…」
自然に、言葉が口から漏れた。そう、きれい。なんでかわからない。花が咲き乱れてるわけじゃない。きらびやかな装飾もネオンもない。だけど。ただ緑。そして風。すこし温かい空気。たぶん、生命の匂い。とても綺麗だと思った。不思議な心地だった。
「…?」
と、木から何かが落ちてきた。ぽたりと、頬が濡れる。
「スプリンクラーですね」
アベルが耳慣れない言葉を言って、それから雫がたくさん降ってきた。シャワーみたいな細かい水が、一気に僕等をズブ濡れにした。
「スプリンクラーって、なに」
「いわゆる雨ですね。この街には定期的にこうして水を降らせる装置がドームに搭載されているんです。植物に必要ですから」
木から降っているんじゃなくて、ドームから降っているのか。アベルに促されて木の幹に近付くと、幾分雨は勢いを失った。葉に遮られて雫が少なくなったみたいだ。僕は幹に背を預けて、頭上を見ていた。葉の間から白い光が漏れていて、そこから雫が落ちてきて、やっぱり僕を濡らしたけど、心地良かった。纏いつく服は重いし、髪は肌に張り付いて不快なはずなのに、そんなの全然、気にならない。
すぐ近くに立っているアベルに、ふと視線を落とした。色素の薄いアベルは、雨水に濡れた頬や髪に白い光を反射してた。硝子球みたいな瞳が、いつもより際立って無機質に見えた。僕は手を伸ばして、アベルを抱き寄せた。肩口にアベルの頭が馴染んで、僕はアベルの背を抱いて、視界に広がる深い緑をぼんやり眺めていた。
「違う世界に居るみたい」
「…そうですね」
少しだけ身を離して、アベルが僕の頬にはりついた髪を耳にかけてくれた。優しく微笑いかけてくれるアベルは、いつもの街中で見るより何処か神秘的な存在に見えた。たぶん僕からなんだろう――でも、どちらからか判らないくらい自然に、唇を重ねた。目蓋を閉じて優しいキスをすれば、仄かに漂う土の匂い。そして、甘く香る果実の匂い。
舌を絡めているうちに、緩やかに熱を持つ身体。僕はキスを中断して、アベルに悪戯に笑った。
「風邪ひくなんて言わないで。今日はこのまましてよ」
「カイン、」
「誰もいない」
もう一度深いキスをして、粘膜を混ぜあった。アベルの手を取って脇腹の辺りへ持っていくと、観念したみたいにアベルが僕の身体を辿り上げた。その感覚に、肌が粟立つ。脇腹に触れていくアベルの手が、熱を上げていく。もう片方の手でベルトを外されて、ファスナーを降ろされた。性器に触れるアベルの手で、熱が熟れていく。擦られて、捏ねられると堪らなくて。腰が震えた。馴染みのない空気に抱かれながら、僕はアベルに身を任せていた。呼吸するたび身体を循環する空気が、心地良い。なにかの儀式みたいに。アベルにされるひとつひとつのことが、不思議ととても大切なことみたいに思えた。
「あ、あぁ…ん…はぁ、あ…」
そのうち身体を裏返されて、僕は幹に手をついて、アベルのものを受け入れた。融けてしまいそうな熱の摩擦がひどく心地良くて、甘い溜息を吐いた。肌を滑る感覚が、いつもより生々しく感じる。静かに打ち付けられるアベルの熱が、快楽を染み込ませていく。腰から上がってくる悦楽に、意識がとろけだした。
「あ、んんッ…あっ、あぁっ…」
背筋を伝う冷たい雫の感覚。濡れた肌を辿るアベルの指先。白んだ景色の中。湿った空気に包まれて。快楽が、降ってくる。
「あぁ、あ――アベ、ル…ぅ、んッ…はぁ、あ…」
「カイン、」
優しく響く、アベルの声。雨音と混ざって、肌を震わせる。耳元や首筋に触れる、柔らかな唇。
「あ、そこ…あ、あぁ…ん、あッ…あぁぁ…!」
なかを掻き混ぜて、感じるところを先端で捏ねられる。指先で転がされる性器。僕は艶かしく動いてしまう腰を振って感じていた。
「あぁぁ…んぅ…きもち、い…アベル…」
「私もです、カイン」
全部が濡れていた。アベルが何度も小刻みに悦いところを突いてくれる。高められる熱が、外へ出たがりはじめた。駆け上る快楽に、力なく首を振ると、アベルの優しいキスの雨。
「ふ、うぁッ…あ、あ、あぁ、んッ…あぁぁ―ぁ――!」
強く突き込まれて、熱が弾ける。解放された熱が散って、緩慢な心地良さに溜息を吐く。アベルに向き直って、抱き締めあった。濡れた感触を抱いて、知らない大気を胸いっぱいに吸い込む。
「ずっとここに居られたら、いいのに…」
整わない呼吸で溜息みたいにそう呟いた。アベルの掌が、僕の頭を撫でてくれているのが、ひどく心地良くて。このまま眠ってしまいたくなった。そして土になって、大気に還るんだ。
「でも僕等、"自然"じゃ、ないな…」
還る場所なんかない。試験管造り、機械造りの僕等なんて。廃棄される先は見えてる。
「行き場がなくても。私は貴方と共に朽ちます」
いつか錆び付いた時の先に、僕等が月の砂に化わったら。灰になって、それでひとつ。混ざり合えたら、いい。アベルと。
「行き着くところまで。きっと一緒だよ?アベル」
「ええ。貴方の傍に」
揺れる緑。降りしきる雨。涙によく似た雫。月の夢幻。
どれもぜんぶ。自然の、真似事。
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