ハシャドゥーラの蓮

noiz

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休みの朝に俺を起こしたのはスマホのアラームではなく、通話の着信だった。
画面なんか見なくても用件は解る。

「おい、俺は今日休みだぜ! 無理に決まってんだろ!」

ベッドに転がったまま通話に出て、開口一番そう告げると、チームのメンバーは縋るように言った。

『頼むぜカミロ! お前がいればすぐに片付く仕事なんだ。特別手当が弾むぜ!』 
「どうしてもっていうなら明日にしてくれ」
『そんなラフな殺しがあるかよぉ』
「だったらお断りだ。健闘を祈るぜ。生きて返ってこいよ」
『あっ、おい! カミロ!』

通話を切って、ついでに電波を遮断してやる。

実行部隊は誰がどの仕事を担当に持っていようが、腕のある奴と見れば無遠慮に連絡してくる。
俺は元々、実行部隊で精鋭に就いていたから特に呼び出しが多い。
出れば稼げるが、そういつも都合を合わせてはいられない。今日の用が済むまでは二度と出るものか。

「おはよう、なんか緊急か?」

ノックの後に扉から顔を出したシグラが、俺の様子を伺っている。ここは壁が薄くて結構、音が筒抜けだ。

「いや。もう済んだ」

既に身綺麗に整っているシグラが、ベッドに座って首を傾げた。

「行かなくていいのか?」
「今日は休みだからな!」

窓の無い部屋の薄暗い朝の中で、シグラが俺の髪に触れながら、目を細めて微笑んだ。

「鶏みたいだぞ」
「うるせえ」

赤髪の寝癖の事か、早朝の叫びの事かは判らないが、俺はばさりとシグラ目掛けてキルトケットを放って起き上がった。
シグラが笑いながらベッドを立ち、部屋を出る時に振り返った。

「朝、作るからゆっくりしてろよ」

白いシャツを着たシグラの幻みたいな影が消えて、俺はもう一度ベッドに倒れた。

「一生働きたくない……」




ベッドで暫く時間をかけて脳の起床を行うと、俺は部屋を出て洗面所に入った。顔を洗って鏡を見ると、なるほど鶏だなと納得しながら髪を直した。

キッチンへ行くとシグラが丁度カフェ・コン・レイテを注ぎ終わった所だった。

焼けたパンと珈琲の匂いがしている。

「カミロ、遅い!」

ノエは既にチーズとハムが挟まったパンを食べ始めていた。俺も偶にはゆっくり寝たいんだよ、と思いながら乱暴にノエの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「良かったなぁ、俺が遅いおかげで大好きなシグラの朝飯が食えて」

ノエは嬉しそうに笑いながら、両手で俺の手を阻止しようとする。いつも元気そうで何よりだ。

「悪いなシグラ、ありがとう」
「大したもんじゃないだろ」
「パンの焼き加減が最高だよ」
「無理やり褒めなくたって機嫌を損ねたりしないぜ」
「シグラのカフェ・コン・レンテが一番おいしいよ!」
「ほらな。俺はノエを良い男に育てる義務があるんだ」
「良い男のお手本なわけか、カミロが……」
「言いたいことがあるならはっきり言えよな」

軽口を叩きながら、俺達は朝食を取った。朝に弱い母親はまだベッドにいるので、シグラが盆を持って行ってある。
慣れた朝の風景だ。

小さな窓から、風が入っていた。あの窓を開けたのも、シグラだろう。

掃除や洗濯の家事を終えると、身支度を整え、ノエに留守番を頼んで家を出た。





鶏や猫が同居する路地を抜け、階段を上がる。晴れた午後の日射しに突き刺されたり、日陰に呑まれたりしながら、俺達はコントラストの強い路を進んだ。

広い路地に出ると、いくつかの小さな店が並んでいる。日用品を売る店や、駄菓子や飲み物を売る店を通り過ぎ、俺達は花屋の前で脚を止めた。

並ぶ様々な形をした極彩の中からシグラが白い花を選び、二人でそれを買ってまた斜面を歩いた。

純白の花を持ったシグラと急な階段を登り、小さな広場に出る。
 



木々の生茂る日陰の一角は、湿った土と緑の匂いがしていた。住宅地から少し外れたこの場所に子供達の姿は無く、風と葉音ばかりが響いていた。

静かな広場の隅に、シグラは花を手向ける。


三年前、この場所で殺されたのは俺達の兄貴のような人だった。

エリは近くの家に住んでいた、歳上の友人だった。俺達より二つ上で、組織で売人をしていた。だけどxDKのメンバーに薬を奪われて、処分された。

原因はエリのミスではなく、薬の取引場所と持ち出しのタイミングを把握されていた事にあったはずだ。

不祥事をエリ一人のせいにする為に、一部のメンバーからの圧力が掛かっていたのは明白だった。

それでも、誰かがエリを助ける事は無かった。


エリは首を切り落とされて、心臓を取り出されて死んだ。


実行部隊に配属されていた俺達は、遠巻きにそれを見ていた。

エリの処分は不当だと訴えて、俺は随分と殴られた。拘束されて髪を掴まれ、エリが死ぬ所を見せられた。

あの時、シグラは何も言わなかった。俺は殴られないと、その理由が解らなかった。

暴れたって現実はどうにもならないって単純な事を、俺はあの時に思い知ったのだ。

銃さえあれば人は殺せると思っていた。けど、銃を与える組織から逃げられる事はない。

シグラはずっと前からそんな事は知っていたみたいだった。

エリが殺されるのを目も逸らさず見つめていたシグラの、全ての感情を凍結させた横顔と、抵抗することも無く、俺に一度だけ別れの視線を投げて殺されたエリの瞳に残る感情は、言葉なく俺を打ちのめした。



シグラが処刑の仕事に異動希望を出したのはその後だった。俺は実行部隊を気に入っていたし、人殺しの腕も評価されていた。

今でも必要な時に呼び出しを食うのはそのせいだ。それでもシグラが俺の知らない所で死んだりしないように、俺も処刑仕事へ異動を希望した。

処刑人の仕事は本当の後始末だ。エリのように組織の圧力で殺される人間も稀に居るが、大半はミスや揉め事を起こしたり、裏切った奴を片付ける。

遺体処理は別の担当だから、俺たちは捕まえて殺すだけだ。

正直いって、一番嫌な仕事だ。
顔馴染みを殺す事が殆どだからだ。 

配属希望者がいないので、戦力として当てにされていたはずの俺達も簡単に異動が叶った。

けどシグラは、エリがあんな死に方をしたから、必要以上のり方をする人間より、自分がやったほうがマシだと考えたんだろう。

俺は処刑に回る理由をシグラに訊かなかったが、シグラが処刑人としての実権を握り始めた時に、それが分かった。

俺とシグラ二人だけの単独でこの仕事をやれるようになるには、それなりの実績が必要だった。

それなりと言っても、シンプルな実績だ。
逃がさないこと。それに尽きる。

処刑人は俺達二人だけではなく、何班かに分かれている。シフトとその時の対象との距離で配置が決まる。


組織の中で、俺達の噂が拡がるのにそう時間は掛からなかった。

シグラは決して処刑対象を逃がさないが、必要以上の痛みは与えない。

たったそれだけの事で、シグラが救済者と呼ばれるのは、無駄な拷問や処刑のパフォーマンスが行われている事実があるからだ。

それはディスペルソに限った事ではない。どの組織でも起こっている事だ。たとえ刑務所の中でも。


シグラは、やさしい。


なるべく即死させる為に細心の注意を払う。そして懺悔を聞く。死んでいく人間の最期の願いを聞き届ける。

それは煙草や薬だったり酒だったりするけど、多いのは伝言だ。

預かった最期の言葉を、生きている誰かへ届けに行った事は、もう何度あったか覚えていない。

組織は拡大し続け、子供は産まれ続ける。行政の清掃対象から外れ続けているこのスラムには、流れ者も多い。俺達の仕事は、無くなる気配が無い。


人を殺す度に、シグラは神格化されていく。


シグラは間違いなく根が優しい。
けれど銃を持つシグラを優しいと言ってしまうのは、シグラの奥底にあるものを踏み荒らすような野蛮な言葉なのかもしれない。

このスラムでシグラが銃を持たなければならない現実が、その生身の優しさを傷付け続ける事そのものだと、俺は思っている。


あの日にエリの首筋に立てられたナイフは、きっと今もシグラの心に突き刺さったままなのだ。

見せしめになったエリの遺体は、腐り始めに火を付けて燃やされた。


この小さな広場が、墓地の代わりだ。


花を買う前から、俺達は何も言葉を交わしていない。

虫唾の走るラストのせいで、エリとの記憶は懐かしいと言えるほど穏やかなものではなくなってしまった。

エリについて語る言葉は、あの日に全て死んだのだ。

祈る無意味さを知っているから、祈る事も無い。

俺達は今の仕事の原点となったこの日に、ここへ来て言葉を使わずエリの事を思い出す。

それが弔いにならなくても、銃を持つ俺達は忘れるわけにはいかないからだ。





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