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しおりを挟む丘に建てられたハシャドゥーラの街は、蟻塚に似たスラムだ。バラックを頑丈にしただけの、継ぎ接ぎの歪な住居。
崩れそうな壁の間に、光も碌に届かない狭く暗い路地が蜘蛛の巣のように広がる。
大通りでも車が窮屈そうにカーブを曲がり、気儘なバイクがその間を走り抜けていく。
携帯を義務付けられている無線機に入った要請に応え、路地から小さな広場へ出た。
夏の日差しは強く、明暗差に眩む。銃のトリガーに指を掛け、ホルスターから取り出しながら瞬きをした。
「カミロ、」
人影の顔が見えず銃口を向けたが、俺の名を呼ぶ声でチームの仲間だと判る。
もう一度瞬きした時には、見知ったその顔がディエゴだと認識できた。
派手なグラフィティの壁に囲まれた広場には、武装したDispersoの中枢が集まっている。
「ディエゴ、なにがあった?」
「俺もまだ聞いてない。無線じゃ話せない用らしいな」
ディエゴと話しながらメンバー達の所へ行こうとすると、別の路からシグラが姿を現した。
「シグラ」
「カミロ。緊急らしい。弾は減ってないな?補充しておけよ」
「ああ。問題ない」
合流したシグラが忙しない様子で脚を止めずに言う。俺達の姿に気付いた中枢メンバーは、手短に要点を説明した。
「xDKと通じてる奴が居る。八番地の拠点から武器とチャイナホワイトを持っていかれた」
「目星はついてるって事か」
「主犯はイラリオだが、単独かどうかは判らない」
イラリオは馴染みのあるメンバーだ。
意外に思わないでもないが、こういう事は起こる。
イラリオは最近、八番地で薬の管理を任されていた為、顔も合わせなくなっていた。イラリオにどんな心境の変化や切欠があったのかを知る機会もない。
「被害は」
「八番地で三人殺られた。残りの二人が報告に来た」
「イラリオは何処へ逃げた?」
「十番地に目撃情報がある。もう二班が行っているから俺達も向かう」
「了解」
俺達は状況を確認しながら既に十番地の方へ脚を向けていた。実行部隊が回り込んでいるなら、俺達もそこへ向かえば挟み込む形になるはずだ。
最もこのスラムの路地は狭いが本数が多すぎる。建て付けの悪い扉に割れた窓の空き家も多く、逃げ隠れしやすい。スマホがあっても無線が使えなければ連携も手間取る。
しかし当然、イラリオも俺達の無線を持っているはずだ。組織に裏切り者が居る可能性のあるこの状況で、無線のチャンネルを変えてもイラリオに漏れない保証は無いだろう。
狭い路地は一人ずつしか通れない。互いに目で合図し、それぞれの路地へ散って十番地へ入っていく。どの路で出会すかは判らないが、銃声がその答えになるはずだ。
路地を進むと、見晴らしの良い階段の踊り場へ出た。前方には青空と海の青が、左手にはハシャドゥーラの街並みが広がる。その時、住宅のベランダから降りる男を視界に見つけた。
俺は持っていた拳銃をホルスターに仕舞うと、肩へ掛けていたライフルに持ち換えた。
スコープ越しに見える男の横顔はイラリオだ。目標がこんな所に居たのではメンバーで挟み撃ちなんてのは見当違いだ。
距離はそう遠くない。即死は避けられる。
そう判断すると、階段の壁へ銃身を固定し、照準を合わせ、腰の辺りへ向けて発砲した。
イラリオはベランダの手摺を乗り越え、ぶら下っていたところだった。銃弾を受けてイラリオの身体が跳ね、落ちる。下は隣家の屋根だ。
路地で俺達に遭遇するよりは逃げられると考えたのだろうが、あんな現場を見つかるとは運の無い男だ。あれでは良い的にしかならない。
発砲音を聞きつけて、隣の路地に居たシグラが空き家の中を突っ切って俺の元へ駆け付けた。
「イラリオか?」
「ああ。あそこに蹲ってる」
「連絡を入れる。目を離すなよ」
俺がスコープで見張っている内に、シグラが指揮系統を纏める幹部へスマホから連絡を入れる。
イラリオは腿の辺りを抑えて苦しんでいるようだ。周囲に仲間は見えないが、スマホを操作しようとしている。
「カミロ、俺達が一番近い位置にいるみたいだ。向かおう。ディエゴ達もすぐに来る」
「ああ。急ごう。xDKの連中より早く着かないとな」
俺達は話しながらイラリオの居る場所へ向かう。移民の多いスラムだが、生まれた時からここで育った俺達は最短ルートを取る事が出来る。
空き家になっている家の扉や窓を抜けて、子供の頃からしていた連携で、家と家の段差や隙間を補助し合って進んでいく。
「居たな。まだ誰も来てない」
イラリオが助けを呼んだ所で、縄張りの違うxDKが容易にこの地区を動き回れはしない。xDKにとって、そんな危険を犯すほどの価値がイラリオにあるはずもなかった。
ベランダの下の暗がりに転がっているイラリオを確認し、俺はそこへ飛び降りる。壊れそうなトタンの屋根が悲鳴を上げた。
「イラリオ、こんな所でどうしたんだ? 怪我してるのか?」
「カミロ……」
無造作に持った拳銃を遊ばせながら笑いかけると、イラリオは悪魔に出遭ったような顔で俺を見ていた。
「なんだよその顔。傷付くぜ。一緒にやってきた仲間に向ける目とは思えないな?」
座り込んで銃口を向け、その銃身で顎を上向かせると、イラリオは一層怯えた瞳で俺を見た。
「すまない、カミロ……見逃してくれ」
「あ? 聞こえねえな。見逃すって言ったか?」
その時、背後に物音がした。シグラが降り立った音だと確認しなくても解る。
「あまり虐めてやるなよカミロ。充分痛そうだろ」
「シグラ!」
どいつもこいつも、シグラを見ると神の助けとばかりに縋り付く。全く傷付くよな。俺なんか歩く銃ぐらいにしか思ってない。
「シグラ、頼む。事情があったんだ」
「どんな」
イラリオの側まで歩いたシグラが、その言葉に立ち止まって見下ろす。
「俺には家族がいる! 年寄りの親と、一人息子と、」
「それは知ってる」
「もっと良い仕事があると……」
「へえ……」
シグラは、話をする。
これから死ぬ人間の事情を聞く。
だから裏切り者達は皆、申し開きをするのだ。シグラに最後の審判を求めて。
けど、実際それは見当違いだ。シグラは誰も裁いたりしない。ただ、話を聞くだけだ。現状が覆る事は無い。
「でもそれには、こっちの情報を売る必要があったんだ!」
「寝返った証として?」
「寝返りたかったわけじゃない……」
海風が強く吹き抜けた。
肌に馴染み過ぎた潮の匂いと柔らかい感触。風に靡くシグラの色素の薄い金髪は、日差しを反射して太陽のように白く輝き、俺の目に強く映った。
幻のように、視界に残る。
「イラリオ。お前の巻き添えで三人死んでるな」
「……誰も殺さないと、約束されてた……」
それがどれだけ無意味な約束か、俺もシグラも、イラリオも、知っている。知っていたはずだ。ずっとこの街で生きてきたのだから。
「言い訳は時に祈りだと思うよ、イラリオ」
シグラは座り込み、消沈しているイラリオの頭を片手で抱えて頬を寄せた。
「他に内通者はいないのか?」
「いない……俺だけだ」
「バラしたのは八番地だけか?」
「ああ。最小限の情報で、終わらせたかったんだ……」
イラリオとは深い付き合いではなかったが、知り合ってからの期間は長い。
同じ街で暮らし、同じチームに所属し、一緒に盗みをしたり、殺しを請負ったりした時期もある。他愛の無い会話をし、毎日を生きてきた。家族想いだった事も知っている。
だからイラリオの言葉に嘘が無い事は、分かっていた。
「心配するな。お前の家族まで巻き添えにはさせない」
「シグラ……俺が間違ってた」
イラリオはシグラの手に自分の手を重ねた。シグラの白い手と、イラリオの黒い手が、何か強い対比を感じさせる。
「誰も正しくなんかない」
シグラの言葉に、イラリオは涙を流した。後悔を通り越したところを見ている瞳は、もう既にこの世を映してはいない。
「思い残す事は他にないか?」
イラリオが頷いたのを見届けて、シグラはイラリオの髪をくしゃりと撫でてから身を離す。それから米神に銃口を向け、躊躇いなく引き金を引いた。
乾いた音が響き、火薬の匂いが流れた。
すぐに呼吸が消え、イラリオの血がトタンの窪みに溜まって地面の方へ伝い落ちていく。
その血を踏まずに避けたシグラが、ホルスターにリボルバーを戻した。
「目標は絶命。処理班は六番地のマニラのベランダ下の屋根へ。マニラは不在だ」
使えるようになった無線機にシグラが報告を入れると、雑音混じりの返答が聞こえた。
この街には住所が無い。一体を仕切るチームは壁にスプレーで書かれた番地の場所を覚えている。古くから住む居住者の事は、顔や名前も覚えている事が多い。
「遺品はライターと銃くらいだな」
頭に穴の空いたイラリオの衣服を探り、ポケットから銀のライターと財布を、腰から弾の尽きた銃を引っ張り出した。
実行部隊に配属されてないイラリオの武装はあまりにも簡素なものだった。八番地から持ち出された銃は全てxDKに持ってかれたらしい。
「子供に銃をやるべきだと思うか?」
そう問い掛けると、シグラは頷いた。
「どう使うかを選ぶのは本人だ」
この弾切れの拳銃は、いつか俺やシグラに銃口を向けるのかもしれない。
イラリオは子供に銃を持たせたくなかっただろう。けれどこの街で生きるなら、いずれは手にしなければならない。それならきっと、父親の加護のあるものを使う方がマシだ。
死体処理班と入れ替わりで、俺達は現場を去った。
遺品を家族に渡しに行くのは、殺す事より面倒だ。本来ならそんな事をする奴はいない。金目の物と武器を盗って終わりだ。
けど、シグラだけは例外だった。
殺すだけの相手の話を聞き、遺品を全て家族に返す。それがシグラのやり方で、何故か頭のアグーリャも黙認している。
チームのやり方では無い。シグラのやり方だ。
スラムに住んでいる家族というのは、覚悟を決めている。
だから大抵は家族を失っても泣き喚いたりしない。それでも静かに涙を流す家族を見るのは、気分の良いものじゃない。
慣れると感覚は麻痺するが、俺もまだ全く何も感じないってわけじゃない。
早くそうなりたいと思うが、シグラの傍に居るには、この感覚を捨ててしまったら終わりだって予感もしていた。
人間は厄介だと思う。
なにもかもが、面倒に出来ている。
どうせ人殺しなら、俺は本当に銃になりたかった。
それに特化して無駄の無い、無機質な銃になってしまいたかった。
「吸うか?」
紙巻を咥えたシグラに、パッケージを差し出される。
一本引き出して、唇に咥えた。
シグラが火を点けて寄越したライターは、先刻渡したイラリオの物だった。
俺達はそれで紙巻に火を点けて、燃えた葉を通して酸素を吸った。
俺達は消えていく煙を連れて、家主を失ったイラリオの家まで歩いた。
シグラの手に握られた銀のライターは、意味なく蓋を開け閉めされて金属音を立てている。
思えばそれは、イラリオがよくやる癖だった。
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