11 / 20
番外編
Dope*
しおりを挟むひどく身体が怠い。乱れた服を直す気にもならなかった。髪を掻き上げ、映る視界にうんざりする。
「おい、火くらい消せよ」
荒れているな。
と、セレッソは思った。
ベッドに凭れて床に脚を投げ出しているラガルトの顔は、銀糸の髪に隠れて見えない。
独房の空気ごと歪んでいるのが解る。人から漏れる怠惰な粒子は確実に人に伝染するものだ。
床に捨てられた煙草の吸殻はまだ煙が昇り、火すら消えていない。セレッソは回らない頭をなんとか回しながら、それを踏み消し、溜息を吐いた。最近出回り始めたばかりの新薬を、ラガルトは気に入っている。しかしそればかりではない。転がった白い錠剤や注射器を、拾う気にもならなかった。錠剤や空袋に刻まれた名前や形のひとつひとつを眺めるうち、セレッソは眉根を寄せた。
「お前飲み合わせ考えてるんだろうな? オーバードーズするぞ」
無論散乱しているだけでその全てを使ったわけではないだろう。起きてるのか寝てるのかもわからないラガルトの傍へしゃがみ込み、髪を掴んで上向かせる。瞳を覗き込もうとすると、唇を喰われた。
「んっ…ふ、んんっ…はぁ…おい…」
離れようとしても、いつの間にか回された手に後頭部を支えられて逃げられない。しつこく口内を貪られる。数時間前に飲まされた薬がまだ抜けていない。否応無く高められる熱に、白く霞み出す意識に、抗おうとする。しかしラガルトは力任せにセレッソを押し倒した。
「ッ…!」
辛うじて頭は防いだが、床に背中を強かに打ちつけてセレッソは痛みに呻いた。普段ならこういう暴力は無いのだが、薬が入ると加減が飛んで力任せになる。やめろと言って聞くはずもなかった。
今日は目覚めた時にはもうラガルトは薬に手を出していて、抜けてくると立て続けに摂取した。一体なにがそうさせているのか、元よりジャンキーで最早理由などないのか、ラガルトは薬を乱用する時がある。そうなると手がつけられない。セレッソは黙って嵐が去るのを待つだけだった。それでも同室である以上、被害は免れない。故意に殴られるような事はない。しかし殆ど事故だが、打撲や擦り傷どころか骨折も何度かしている。荒れた時間を過ぎれば、我に帰って謝罪する。埋め合わせるように優しく抱かれる。その極端な振り幅に、セレッソは疲弊していたが、それでも絶望的な心境にはならなかった。怪我には元々馴れていたせいか、歪んでいてもラガルトの瞳は確実に自分自身を求めているのが解るからか。ただの暴力だとは思えなかった。乱暴な愛撫で、悲痛に貪られているのがわかる。痛めつけるための捌け口ではないと悟っていた。
「離せ…! いい加減にしろ。俺はお前のセックスロボットじゃねぇ」
しかしもう何度も搾り取られて疲れきった身体はこれ以上の暴挙に耐えられそうにない。セレッソは残る力を振り絞ってラガルトの身体を押し返して怒鳴った。すると声が届いたのか、ラガルトは動きを止めた。眼を細めて、とても悲しそうな瞳をする。どうしてこちらが被害を受けているのに、傷つけたような気にならなければならないのか、理不尽だと思った。濡れたようなラガルトの瞳に、抵抗していた腕から力が抜ける。
「セレッソ、好きだよ…セレッソが欲しい」
「…もう…何度やったと思ってるんだ」
「セレッソ…俺の物になってよ…」
「なってるだろう! 何度したら満足なんだ! どうすればお前は満たされるんだよ!」
瞳の焦点すら揺らめくラガルトが、譫言のように言うのに、セレッソは悲鳴のような声を絞り出した。
「わからない…」
ラガルトが、泣き出しそうな眼で言う。きっと薬が抜けて、精神が落ち着きを取り戻せば、いつも通りに微笑うのに。優しく髪を撫でて歪んだ瞳で愛を囁くのに。満たされてるみたいな、顔をするくせに。
「ラガルト…」
満たされたいとか愛されたいとか。本当はそんなの求めていない。俺も、きっとラガルトも。――セレッソは言うべき言葉を見つけることができずに、銀糸に指を絡ませた。
埋めたいのは、最初からずっと在り続けて、生きるほどに広がっていく空虚な穴。忘れたいのは、打ち消したいのは、いつしか存在そのものになる。
天井が落ちてくればいいのにと、思うときがある。コンクリートに埋まって、薄まっていく酸素と意識。そのまま死に絶えて存在を失えばいいと。
相手を唯一なんて言い聞かせながら、満たされているんだと説き伏せながら、惰性の生を浪費していく。なんとか塗りつぶしていく、秒針の後ろ側。
キスをする。執拗な舌の馴れ合い。粘膜から熱を分ける。何がしたいのかわからない。どうしたいのかわからない。意識が蝕まれていく。熱い。脳が溶ける。視界が濡れるのはそのせいだ。
身体を弄られるのを感じても、もう抵抗もできない。どうだっていい。どうだっていい。どうせどこへもいけない。どうせ何にもなれない。それでもここに居る。それでもお前はここに居る。
輪郭をなくしていく自分の思考と熱が、相手のものと判別できなくなる。境界を見失う。もしかして一つかもしれない。この四角い箱に二人分充満する液体かもしれない。
「ああ、あっ…う、あぁっ…はぁ…!」
「ん…はぁ……」
いつの間に挿入ってきたかわからない。内臓を掻き混ぜられてるみたいだ。ぐちゃぐちゃと粘着質に濡れた音がする。荒い呼吸。無駄に甘ったるい声が漏れる。背骨を快楽の蟲が駆け上っていく。スパークするのは幻覚か。白いのに赤が散る。笑い声がする。神か死神か。誰かの笑い声がする。銃声がする。なんだかわからない。
「ふ、あっあぁぁ! ラ、ガ、ル、ト、、、あ、うあぁ…あっ…」
「セレッソ…セレッソ…」
傷口を抉るのは、蜥蜴。入り込む。掻き乱される。どうしようもない快感。身体が芯から甘く痺れる。眼球が海に溺れる。肺が酸素を求める。
「う、あ…もっと、もっと、して…くれ…あっあぁぁ…そ、こ、あっ…」
「ここ? セレッソ…ここ…に、居る、のか?なぁ…セレッソ…」
「ラガルト! あぁっあっ…ラガルト!」
「セレッソ…呼んで…もっと…俺を呼んで。どこへもいかないように…セレッソ…」
いつの間に上になっていたのかわからない。セレッソは無自覚にラガルトの上で腰を振っていた。薬に乗っ取られた理性が快楽ばかり貪りたがる。思う様好きなところを擦りつけて暴れる。下から突き上げられると堪らない。身が震える。
「セレッソ…は、蝶だったのか…」
熱に浮かされたラガルトがセレッソの腰を掴んだまま呟く。自分の上で大きな羽を広げる、深紅の髪をした人。一つ羽ばたくたび、桜の花びらが舞う。ステンドグラスのような羽は毒々しい色で艶やかに誘う。蜜を貪りながら。
「飛んでくのか?…どこへ…俺も、連れてってくれよ、セレッソ…」
嬌声を上げて仰け反る背が、羽を揺らす。蛹から孵る蝶だ。俺が蛹なのか? 俺から羽ばたいていくのか?
窓もない部屋からきっと飛んでいく。窓も無い、空も無い、、、
ここは、どこだ?
こんな四角く閉ざされた小さな片隅で、空間を歪ませるように薬の中毒性だけが濃度を増していく。どうせ当にズレているくせに、気が違っていく感覚。わけのわからない幻覚や疾走感。焦燥感、か?
滲むなにもかもが、否応無く進む時間で輪郭を取り戻すまで、何度でも吐き出し続ける。傷が腐るまで、悲鳴が枯れるまで。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる