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その四 美女と野獣

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あたしとこの人は洞穴から出て行った。この人は虎から人に戻っている。奇妙な二人がいた。一人はものすごく大きな男だ。この人も大きいけれど、肉の厚みが全然違う。岩の様な男だ。近くにいてこれほど頼りになりそうな男は、まずいないだろう。
 もう一人は坊主だ。年は三十くらいなのだろう。ただ目が子どもの様だ。何でも知りたがる子供のような目をしているんだ。
坊主が空海で、でかいのが坂上田村麻呂なんだろう。まあ、それは誰でもわかるか。
「あたしが萩。この人の名前は知らない。もう忘れたんだそうだよ」
あたしたち四人は洞穴の前で、立ちながら話し始めた。
「俺が配下の者を率いて、あんたの村に行ったのだ。骸大夫一味が現れるらしいという事でな。そこには無数の山賊の死体があったよ。ひどい有様だった。村人が言うのだ。『虎の化け物が殺したんだ』ってな」
田村麻呂と言う男が顔をしかめながらそう言った。
「それは、この人だけがやったんじゃないよ。村の奴らさ。普段は弱っちいのに、この人が倒したら寄ってたかって、嬲り殺しにしたんだ」
「最近俺はどういう訳か、式神やら猫又やらと関わることが多くてな。虎の化け物が出たと言われても驚きはしない。ただ人外の物となると勝手が違うのでな。そこでこの和尚を呼んだのだ」
「そういう事で、やたらに俺を使うのはよせ。お前が式神や猫又と関わるのは俺のせいではない。もういい加減にしろよな」
言い争いをしている。奇妙な奴らだ。この人は一切口を開かない。けれど、この二人を油断なくじっと見ている。

力拔山兮気蓋世(リー・バー・シャン・シー・チー・ガイシー)
時不利兮騅不逝(シー・ブーリー・ジュイ・ブーシ)
騅不逝兮可奈何(ジュイ・ブーシー・シー・ケイ・ネイ・ハー)
虞兮虞兮奈若何(ユーシー・ユーシー・ネイロー・ハー)

空海と言う坊主がいきなり、訳の分からない歌を歌い出した。なんだこいつは!
「それは唐の国の歌だろう?空海どうしたのだ?」
「これは垓下の歌。今からおよそ千年前、楚の項羽が漢の劉邦に追い詰められた時に詠んだ歌だ。周りを敵に囲まれ、最期を覚悟した項羽は、そこで最愛の人・虞を自ら殺し死地におもむくのさ。何とも哀しく美しき歌だ」
「お前は、垓下の歌が今のこの状況に似ているとでも言いたいのか。のん気なことだな」
空海とかいう坊主は田村麻呂と言うでかい奴、次にあたし、そして最後にこの人に目を向けた。
「你是唐朝人吗?(あなたは、唐の国の方ですね?)」
空海が、唐土の言葉とやらで、この人に話しかけた。
「这是正确的。不是这个国家的。你是第一个第一眼看穿我的人。(そうだ。この国の者ではない。一目で見破ったのは、あんたが初めてだ)」
えっ!この人も唐の言葉を話した!じゃあ、この人は・・・。
「空海、この男は唐の国の者か?この男は、虎に変わった言うが、かの国ではそういう人間がいるのか?」
田村麻呂が問いかける。
「俺が知っているところでは、『捜神記』という本に『豹族(チュゾク)』という虎に変わる一族についての話があった。かの国の大河・長江あたりにいたという事だ。かつては、神とも崇められていたと言うが、とっくの昔に滅んだと聞いている。最後の生き残りが日本医いるとはな」
空海は田村麻呂にそう答えると、この人に目を向けた。
「已经有一段时间了。能用家乡的语言听到乡村歌曲真是太好了。你也是卡拉户的吗?他熟练地运用我们国家的语言。(久しぶりだ。垓下の歌をわが故郷の言葉で聞くのは。あなたも唐土の方ですか?我が国の言葉を巧みに操る。)」
この人の目が赤く潤んでいる。この人は唐の国の人だったのか。けれど、そもそも普通の人でもないか。
「我来自日本。我在唐户呆了大约两年。(私は日本の者です。唐土には2年ほどおりました。)」
「二年...没想到短短两年时间,我就能把唐朝语言说得这么好……这太难以置信了。(2年・・・。二年でこれほど見事に、唐の国の言葉を話せるとは・・・。信じられぬことだ。)」

 空海の異常な能力の一つに「言語」がある。空海が遣唐使で唐に渡った時、船は大きく航路を外れ、福建省の赤岸村に着いた。僻地であり、唐の通常語が通じない。通詞でさえお手上げの状況で、空海はスラスラと中国語で現地の人々と会話をしたという。
 唐での留学時には、中国語はもとより、西域の言葉や天竺(インド)の言葉をまたたく間に、習得していた。その言語能力があったからこそ、空海は密教教義の深淵に辿り着くことが出来たのであろう。

突然、田村麻呂とこの人が同時に後ろを振り向いた。
「空海、声が聞こえる。村人であろう。そのうちにこの場所も見つかるぞ」
そう言うけど、田村麻呂にはまったく焦りが見られない。
あたしはちょっとムッとした。
「あんたたち、あたしたちを助けるために来てくれたんだろう。だったら、さっさと助けておくれよっ。このままじゃ、この人、殺されちまう」
空海があたしに目を向けた。そして静かに言ったんだ。
「萩殿。この方は人間じゃない。千年とは言わないが、四・五百年は生きているやもしれん。ありていに言えば化け物だ。今なら間に合う。ここで別れれば、あなたは普通の生活に戻れる。このまま、この方と共に進むことは、決して幸せな道とはならないと俺は思う」
あたしはこの人に顔を向けた。この人は大きく頷く。そう思っているんだ・・・。
「人間だろうが、化け物だろうがどうでもいい。そんなことはどうでもいい。あたしはこの人が好きなんだ。あたしの幸せはあたしが決める」
「ほーう」
田村麻呂が感心したような声をあげる。
この人はあたしをじっと見つめる。
空海はどこかの仏像みたいに、薄笑いを浮かべていやがる。
「和尚さん、何が可笑しんだ?あたしは何かおかしなことでも言ったかい?」
「『人間だろうが、化け物だろうがどうでもいい』か。萩殿、あなたはこの俺よりも、よほどに密の奥義を体現しているやもしれぬな」
この坊主、また訳の分からないことを。けれど、あたしを褒めてはいるのだろう。だから許してやるか。
「そんなことはどうでもいいんだよ。どうやってあたしたちを助けてくれるんだい?百人からの奴らが、すぐ近くまで来ているんだよ」
あたしは空海と田村麻呂を見つめた。
「空海、そう時間はないぞ。相手は村人だ。手荒なことはひかえないとな」
「なに真っ暗な山の中で二人の人間を逃がすくらいどうという事もない。田村麻呂、お前が力を貸してくれるのならな」
そう言う空海の口元には、あの仏像の笑いが浮かび、それを見た田村麻呂は思いっきり嫌な顔をしたんだ。
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