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その三 ファースト・コンタクト
十三
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「庭で見回っておりました。空海和尚様が『術師が床下に潜んでいる』という声が聞こえたので、捕まえに行ったのだ。怪しい影を殴り倒し、肩に担いで来た。朝までには吐かせることが出来るだろう。和尚様もご一緒されますか?」
田村麻呂である。
深夜の嘉智子夫人の寝所である。七月であるが、陽が上るにはまだ時間がかかりそうだ。今、ここには空海と田村麻呂しかいない。
夫人は知草と共に、別の部屋に移っている。
「私はご遠慮いたします。流石は田村麻呂様、術師をよく捕えてくださいました。あなたがいなければ、術師は逃げ去ったことでしょう。私の事は『空海』で結構ですよ」
「どうぞ田村麻呂と、和尚様。そもそも和尚様が、夫人様が化け物に襲われた時に、すぐに駆けつけて下さったからです。ずっと御寝所の近くにおられたのですか?」
「それが一番良かったのですが、知草殿からきつく止められておりましたから、一旦、戻りました。田村麻呂殿、人は寝始めてからどのくらいで夢を見ると思われますか?」
「えっ、夢とは寝るとすぐにみるものでしょう」
「いいえ、そうではないのですよ。人は、眠りにつきしばらくしてから夢を見るのです。まあ、人によりそれぞれではありますがね。私は、今宵『熟睡する薬』を夫人様に差し上げました。また毎日の悪夢による疲労もあり、「夢を見る時間」は、通常よりは遅くはなるでしょう。それらを鑑み、夫人様が悪夢にさいなまれる頃を見計らい、御寝所の側に控えていたのです」
空海は自分の考えや行動について平然と説明をした。
睡眠には「レム睡眠」、「ノンレム睡眠」がある。一般的に人は、「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」を90分間くらいの間隔で繰り返すと言われている。「レム睡眠」は「体は休んでいる」状態ではあるが「脳波が活発に動いている」状態の睡眠。逆に「ノンレム睡眠」は「体も脳も休息状態の睡眠」である。「レム睡眠」でも「ノンレム睡眠」でも人は夢を見る。だが「レム睡眠」の時は、脳波が活発に動いているためにストーリー性のある夢を見やすい。また自律神経も活発に動く。自律神経はストレスや不安などのネガティブな感情に影響を受けやすく、「悪夢」を見るのはこの「レム睡眠」中に多いと言われている。
人は、平均的な時間としてだが、眠りについてから約90分後にこの「レム睡眠」に入ると考えられているのである。
空海はこの「レム睡眠」に入る時間、夫人に与えた「薬の効果」、「毎日の悪夢によるストレス」など様々な要素から、夫人が悪夢に襲われる時間を推定し、待機していたというのである。
「恐れ入りましたな。和尚様が身に付けておられるのは『密』だけではないのですか。「夢」や「薬」にも精通されておられるとは・・・。ならば、術士の男がこの様なものを持っておりました。男から聞きだせばよいのですが、一体何でしょうか?」
田村麻呂は空海の「夢の話」を明らかに理解出来ていなそうである。けげんな表情を浮かべている。
そして右手に持っていた、太さ10cm、長さ1mほどの竹筒を空海に差し出した。中は空洞になっている。
空海は竹筒を手に取り、眺める。そして口に当て、田村麻呂の方へ向ける。
「田村麻呂殿、これからは田村麻呂とお呼びいたしますぞ」
唐突に空海が言葉を発した。
「それは構いませんが、何をしているのです?」
「どうです。今、私はささやいた程度です。ですが、良く聞こえたでしょう。術師は、この竹筒を、ちょうど夫人様が寝ている場所に床下から押し当てたのです。そこから夫人様に語りかけ、悪夢にいざなったのでしょうな」
「えっ、それだけで!それだけで、夫人様は毎晩悪夢にさいなまれたというのですか!」
「夫人様の寝所には化け物がおりました。夫人様は術師により、悪夢を見せられ、そして目覚めるようにいざなわれたのでしょう。目覚めると、そこにあの化け物がいる。化け物はしばらくすると姿を消したのでしょう。知草殿は、夫人様の寝所に駆けつけた時に、化け物など見てはいないのですから。そのため、夫人様は悪い夢を見たのだとずっと思われたのでしょう」
「なるほど、悪夢を見せられ、目覚めれば化け物がいる。化け物は消え、その姿は自分しか見ていない。それが十日間以上も続けられた・・・。たまらぬことですな」
「はい、夫人様はその様な毎日の中、よくあれだけご気丈に過ごされたものだと思います。あの方は見かけよりもはるかにお強い」
田村麻呂はその言葉にうなずきながら、寝所を見回す。
「田村麻呂殿、何をお探しです?」
空海は顔を若干曇らせ、尋ねた。
「ここですか?夫人様に襲いかかった化け物を和尚様が消し去ったのは?」
「はい、そうです。田村麻呂殿、あなたは何か気がかりな事がおありのようですね?」
「はい、ですが、和尚様もそういう顔をされていますよ」
空海と田村麻呂はそう言って、互いに顔を見合わせる。
「では、私からお話ししましょう。その後で田村麻呂殿がお話しください。この屋敷には相当な呪詛がかけられておりました。それは間違いありません。私が倒した化け物は姿こそ恐ろしいものでしたが、『力』は、大したものではありませんでした。だから、私は簡単に消し去ることができたのです」
「という事は、本当の呪詛は・・・」
「間違いなく、まだ終わっておりません。それで田村麻呂殿の気がかりな事とは?」
「ええ、その事ですね。それは・・・」
田村麻呂が話し終えた時、久しぶりに空海の口元にあの「仏像の笑み」が浮かんでいた。
田村麻呂である。
深夜の嘉智子夫人の寝所である。七月であるが、陽が上るにはまだ時間がかかりそうだ。今、ここには空海と田村麻呂しかいない。
夫人は知草と共に、別の部屋に移っている。
「私はご遠慮いたします。流石は田村麻呂様、術師をよく捕えてくださいました。あなたがいなければ、術師は逃げ去ったことでしょう。私の事は『空海』で結構ですよ」
「どうぞ田村麻呂と、和尚様。そもそも和尚様が、夫人様が化け物に襲われた時に、すぐに駆けつけて下さったからです。ずっと御寝所の近くにおられたのですか?」
「それが一番良かったのですが、知草殿からきつく止められておりましたから、一旦、戻りました。田村麻呂殿、人は寝始めてからどのくらいで夢を見ると思われますか?」
「えっ、夢とは寝るとすぐにみるものでしょう」
「いいえ、そうではないのですよ。人は、眠りにつきしばらくしてから夢を見るのです。まあ、人によりそれぞれではありますがね。私は、今宵『熟睡する薬』を夫人様に差し上げました。また毎日の悪夢による疲労もあり、「夢を見る時間」は、通常よりは遅くはなるでしょう。それらを鑑み、夫人様が悪夢にさいなまれる頃を見計らい、御寝所の側に控えていたのです」
空海は自分の考えや行動について平然と説明をした。
睡眠には「レム睡眠」、「ノンレム睡眠」がある。一般的に人は、「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」を90分間くらいの間隔で繰り返すと言われている。「レム睡眠」は「体は休んでいる」状態ではあるが「脳波が活発に動いている」状態の睡眠。逆に「ノンレム睡眠」は「体も脳も休息状態の睡眠」である。「レム睡眠」でも「ノンレム睡眠」でも人は夢を見る。だが「レム睡眠」の時は、脳波が活発に動いているためにストーリー性のある夢を見やすい。また自律神経も活発に動く。自律神経はストレスや不安などのネガティブな感情に影響を受けやすく、「悪夢」を見るのはこの「レム睡眠」中に多いと言われている。
人は、平均的な時間としてだが、眠りについてから約90分後にこの「レム睡眠」に入ると考えられているのである。
空海はこの「レム睡眠」に入る時間、夫人に与えた「薬の効果」、「毎日の悪夢によるストレス」など様々な要素から、夫人が悪夢に襲われる時間を推定し、待機していたというのである。
「恐れ入りましたな。和尚様が身に付けておられるのは『密』だけではないのですか。「夢」や「薬」にも精通されておられるとは・・・。ならば、術士の男がこの様なものを持っておりました。男から聞きだせばよいのですが、一体何でしょうか?」
田村麻呂は空海の「夢の話」を明らかに理解出来ていなそうである。けげんな表情を浮かべている。
そして右手に持っていた、太さ10cm、長さ1mほどの竹筒を空海に差し出した。中は空洞になっている。
空海は竹筒を手に取り、眺める。そして口に当て、田村麻呂の方へ向ける。
「田村麻呂殿、これからは田村麻呂とお呼びいたしますぞ」
唐突に空海が言葉を発した。
「それは構いませんが、何をしているのです?」
「どうです。今、私はささやいた程度です。ですが、良く聞こえたでしょう。術師は、この竹筒を、ちょうど夫人様が寝ている場所に床下から押し当てたのです。そこから夫人様に語りかけ、悪夢にいざなったのでしょうな」
「えっ、それだけで!それだけで、夫人様は毎晩悪夢にさいなまれたというのですか!」
「夫人様の寝所には化け物がおりました。夫人様は術師により、悪夢を見せられ、そして目覚めるようにいざなわれたのでしょう。目覚めると、そこにあの化け物がいる。化け物はしばらくすると姿を消したのでしょう。知草殿は、夫人様の寝所に駆けつけた時に、化け物など見てはいないのですから。そのため、夫人様は悪い夢を見たのだとずっと思われたのでしょう」
「なるほど、悪夢を見せられ、目覚めれば化け物がいる。化け物は消え、その姿は自分しか見ていない。それが十日間以上も続けられた・・・。たまらぬことですな」
「はい、夫人様はその様な毎日の中、よくあれだけご気丈に過ごされたものだと思います。あの方は見かけよりもはるかにお強い」
田村麻呂はその言葉にうなずきながら、寝所を見回す。
「田村麻呂殿、何をお探しです?」
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「はい、そうです。田村麻呂殿、あなたは何か気がかりな事がおありのようですね?」
「はい、ですが、和尚様もそういう顔をされていますよ」
空海と田村麻呂はそう言って、互いに顔を見合わせる。
「では、私からお話ししましょう。その後で田村麻呂殿がお話しください。この屋敷には相当な呪詛がかけられておりました。それは間違いありません。私が倒した化け物は姿こそ恐ろしいものでしたが、『力』は、大したものではありませんでした。だから、私は簡単に消し去ることができたのです」
「という事は、本当の呪詛は・・・」
「間違いなく、まだ終わっておりません。それで田村麻呂殿の気がかりな事とは?」
「ええ、その事ですね。それは・・・」
田村麻呂が話し終えた時、久しぶりに空海の口元にあの「仏像の笑み」が浮かんでいた。
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