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その一 怪し(あやかし)の森
八
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「呪術師の男は四十年くらいは使っていたんじゃないだろうか。そいつは本物だったよ。聞けば誰もが知っているお偉いさんの『殺し』にも関わっている。そいつが死んだ後、弟子の『綱虫』という女が、あの森を引き継いだ。そうさね、師匠で四十年、綱虫で30年。ひょっとしたらその前から使われていたかもしれない」
やおが淡々と話し、空海と田村麻呂はじっと聞いている。
「師匠は本物だったけど、綱虫という女はまがい物だね。師匠の見よう見真似で、やることはやるけど、よく言って二流の下ってとこかな」
「やお殿、綱虫という術者の居場所を教えていただきたい。どうしたら会える?」
空海は言った。
「ここからのことは、『払うものを払ってから』という事だね」
やおは悪戯っぽく口元に笑みを浮かべ、右手を空海に差し出した。
「田村麻呂、やお殿から話を聞くには金が要る。この家には金がうなっているだろうぜ」
やおは右手を伸ばしながら上下に軽くゆらしている。
そう言いながら、空海は懐から金の粒を3つほど出し、やおの右手に乗せた。
やおは顔をしかめた。
「足りないね。これじゃあ無理だ。教えられない。出直しといで」
「急ぐのだよ、やお殿。金は後でどうにかする。どうか教えてくれ」
空海は頭を下げた。
「あたしの仕事に『後で』や『まけてくれ』はない。それは空海、あんたもよく知っているだろう?」
「田村麻呂、お前も出せ」
「俺も今は持ち合わせがない。ただただ森に行くだけだと思っていたからな」
「使えぬ奴だな。やお殿、どうすれば教えてくれる?」
「そうだねえ、三回かな」
「三回・・・。明日の朝までに?」
空海の問いにやおは無言でうなずいた。
「承知した。では早速始めよう。田村麻呂、そういうことになった。悪いが一人で帰ってくれ」
「おい、どうなったのだ?空海よ。お前の話は唐突すぎて話がつかめん。その三回ってのはなんなのだ?」
「俺はこれから『愛を交わす』のだ。三回もな。だから忙しい」
「『愛を交わす』って、お前!お前は僧侶ではないか!女性と触れる事さえ許されぬことであろうに」
田村麻呂は顔を赤らめながら声をあげた。
そんな田村麻呂を空海は見つめた。
「男が女を欲する。女が男を欲する。それは宇宙の理(ことわり)だ。俺が唐の国で学んだ密とは『宇宙の理を解き明かす法』。『僧侶は女に触れてはならん』等は『人の決めた理』であって『真の理』ではない。些末なことぞ、田村麻呂」
空海の「性愛の肯定」は、当時の仏教界では異端的な考えであることは間違いない。
真言宗の代表的な経典の一つに「理趣経」というものがある。その経典は誤解を恐れず言えば「欲望の肯定」である。その「欲望」の中でも最も大きなものが「性愛」となる。
真言密教は「欲望(性愛)あってこその人間」、「欲望(性愛)の否定は人間としてあるべき姿の否定」と考えているのだ。欲望を否定せず、むしろ欲望をエネルギーとし、更なる高みに昇華させようとする。
空海が「性愛」を禁忌と考えないのは、人間の抱える「欲望」から逃げず、真っ正面からとらえようとする密教のダイナニズムそのものなのだ。
「そうかもしれん。そうかもしれんが、世の中はそうは考えぬものだ。簡単に『三回、愛を交わす』などと言うな。まずいことになるぞ!」
「『まずいことになる』か。そうだな、それはそうかもしれんな」
「そうであろうよ、空海。それはいかんぞ」
「ああ、さすがに朝までに三回は少し多いな。約束は果たせぬやもしれん」
真顔でそう答える空海を見て、田村麻呂はこれ以上、何も言う気がしなくなったのである。
やおが淡々と話し、空海と田村麻呂はじっと聞いている。
「師匠は本物だったけど、綱虫という女はまがい物だね。師匠の見よう見真似で、やることはやるけど、よく言って二流の下ってとこかな」
「やお殿、綱虫という術者の居場所を教えていただきたい。どうしたら会える?」
空海は言った。
「ここからのことは、『払うものを払ってから』という事だね」
やおは悪戯っぽく口元に笑みを浮かべ、右手を空海に差し出した。
「田村麻呂、やお殿から話を聞くには金が要る。この家には金がうなっているだろうぜ」
やおは右手を伸ばしながら上下に軽くゆらしている。
そう言いながら、空海は懐から金の粒を3つほど出し、やおの右手に乗せた。
やおは顔をしかめた。
「足りないね。これじゃあ無理だ。教えられない。出直しといで」
「急ぐのだよ、やお殿。金は後でどうにかする。どうか教えてくれ」
空海は頭を下げた。
「あたしの仕事に『後で』や『まけてくれ』はない。それは空海、あんたもよく知っているだろう?」
「田村麻呂、お前も出せ」
「俺も今は持ち合わせがない。ただただ森に行くだけだと思っていたからな」
「使えぬ奴だな。やお殿、どうすれば教えてくれる?」
「そうだねえ、三回かな」
「三回・・・。明日の朝までに?」
空海の問いにやおは無言でうなずいた。
「承知した。では早速始めよう。田村麻呂、そういうことになった。悪いが一人で帰ってくれ」
「おい、どうなったのだ?空海よ。お前の話は唐突すぎて話がつかめん。その三回ってのはなんなのだ?」
「俺はこれから『愛を交わす』のだ。三回もな。だから忙しい」
「『愛を交わす』って、お前!お前は僧侶ではないか!女性と触れる事さえ許されぬことであろうに」
田村麻呂は顔を赤らめながら声をあげた。
そんな田村麻呂を空海は見つめた。
「男が女を欲する。女が男を欲する。それは宇宙の理(ことわり)だ。俺が唐の国で学んだ密とは『宇宙の理を解き明かす法』。『僧侶は女に触れてはならん』等は『人の決めた理』であって『真の理』ではない。些末なことぞ、田村麻呂」
空海の「性愛の肯定」は、当時の仏教界では異端的な考えであることは間違いない。
真言宗の代表的な経典の一つに「理趣経」というものがある。その経典は誤解を恐れず言えば「欲望の肯定」である。その「欲望」の中でも最も大きなものが「性愛」となる。
真言密教は「欲望(性愛)あってこその人間」、「欲望(性愛)の否定は人間としてあるべき姿の否定」と考えているのだ。欲望を否定せず、むしろ欲望をエネルギーとし、更なる高みに昇華させようとする。
空海が「性愛」を禁忌と考えないのは、人間の抱える「欲望」から逃げず、真っ正面からとらえようとする密教のダイナニズムそのものなのだ。
「そうかもしれん。そうかもしれんが、世の中はそうは考えぬものだ。簡単に『三回、愛を交わす』などと言うな。まずいことになるぞ!」
「『まずいことになる』か。そうだな、それはそうかもしれんな」
「そうであろうよ、空海。それはいかんぞ」
「ああ、さすがに朝までに三回は少し多いな。約束は果たせぬやもしれん」
真顔でそう答える空海を見て、田村麻呂はこれ以上、何も言う気がしなくなったのである。
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