上 下
5 / 78
その一 怪し(あやかし)の森

しおりを挟む
京の夏は暑い。北山(愛宕山など)、西山(嵐山など)、東山(比叡山など)の山々が三方から市街地を囲んでいる。しばしば、フェーン現象がおこる。山を吹き下ろす風が熱風となり、京の町に襲い掛かってくるのだが、その熱風が三方向の山々により、閉じ込められてしまうのだ。また、この山々は外からの風までも遮断してしまう。
夏の時期、日本で一番暑いのはここ王都・平安京かもしれない。
この蒸し風呂のように暑い京の街を抜け、北の山々へと続く道を空海と田村麻呂が並び歩いている。
時刻は午後2時あたりで、一日で最も暑い時刻である。
「・・・何もこんな暑い時刻に行くこともあるまい。日が暮れて、涼しくなってからでは駄目なのか?」
大粒の汗を流しながら、田村麻呂が空海に尋ねた。幾分不機嫌そうに。
「日が暮れたら、何も見えなくなる。「神隠し」なのか「人さらい」なのか、はたまた「呪い」なのかは分からんがな。「何か」が起きているのだろう?その「何か」を見つけるならば、日中しかあるまい。本当ならば朝早くから動きたいところだが、俺もお前もそれほど暇ではないからな。仕方あるまい」
空海が答える。こちらはかなり不機嫌に。
「だいたい、お前が持ち込んできた話だろう。よく考えれば、なんで俺がこの暑い中、『呪われた森』なんぞに出かけねばならんのだ!俺には関りがない事だ」
「確かに持ち込んだのは俺だ。だがな空海、お主は村人たちの前で何と言った?」
「・・・・・」
田村麻呂の問いに、空海は押し黙った。
「『承知いたしました。ご安心あれ。全てはこの空海にお任せくだされ』ってお前は言ったよな」
田村麻呂は空海の口真似をしながら、楽しそうに言った。
「・・・・」
「確かに俺は相談にはいったさ。あくまで「相談」だ。「人を探してくれ」とは俺は一言も言っちゃあいない。村人の前で良い恰好したのは、お前だからな。俺に文句を言うのは空海、お門違いだぜ」
「・・・・・」
空海は無言だ。無言で汗をかきながら歩いている。田村麻呂の言っていることに反論のしようもないという事だろう。
「大体、お主は人前で、恰好をつけすぎるところがある。これからは少しばかり自重するのだな」
いつもは、田村麻呂が言ったことに理路整然と反論する空海が、不機嫌そうに押し黙ってしかない事に気を良くしたのだろう。田村麻呂の話が説教じみる。
「・・・・人々の願いに耳を傾けなければ坊主じゃあない。必死に俺に頼る村人たちを見捨てたら、俺はもう僧をやめるしかない。仏だの密だのと言ったって、人を救ってこその仏法だ」
空海は立ち止まり、自分よりはるかに大きな田村麻呂を見上げながら静かにそう言った。その静かさには「重み」があった。
「・・・それがお前の仏法だったな。『民の願いに耳を傾ける仏法』。お前はこの国の仏法を変えるか・・・」
田村麻呂が答えた。先ほどまであった快闊な表情が田村麻呂の顔からなくなっている。
平安時代初期、仏教は「国家を護るもの」、「国家安寧を願うもの」という意味合いが強かった。
先の奈良時代、日本は「律令国家」であった。その律令の一項目である「僧尼令」に「僧・尼が朝廷の許しを得ずに寺の外に出て、民衆に仏法を説くことの禁止」が定められている。
僧は国家の手厚い保護を受ける代わりに、寺の中で仏教の研鑽・研究に励み、国家と朝廷のためにこそ奉仕する存在であったのだ。
『民衆のための仏法』という考えは、「皆無」ではなかったにしろ、きわめて「稀」であったのだ。
空海の言う『民衆のための仏法』は、大げさでなく「宗教界の革命」である。そしてこの「革命」は空海ともう一人の「平安仏教の巨人」により初めて実現していくことになる。
「民を救うてこその仏法ぞ。俺はそのために唐に渡り密を学び、その全てを余すことなくこの国に持ち帰ってきた。それは全て民を数くうためだ。仏法とは帝や貴族だけのものではなく、寺の中でこねくり回すものではない」
空海は静かに、しかし熱を込めて田村麻呂に言った。
「密においては帝も民もない。誰もが救われるし、誰もが仏になれるのだ」
「おいおい、めったなことを言うな。『帝も民もない』などと・・・。俺だからいいが、人によっては、曲解する者もいるぞ」
田村麻呂は顔をしかめた。
「曲解もなにも、密とはそうなのだ。帝も民も、長者も貧者も、善人も悪人もない。すべてが仏となれるのだ。田村麻呂、お前の様な罪深き者であっても仏となれるのだ」
「お前のような罪深き者」という部分は、明らかに田村麻呂へのからかいである。
しかしその言葉を聞いた田村麻呂は押し黙ってしまった。
やがてぽつりと呟いた。
「そう・・・。俺は成れぬ。俺だけは救われることはない」
田村麻呂の顔は厳しく、そして悲しい。
「・・・田村麻呂、お前・・・」
空海の言葉が詰まる。
急に田村麻呂が歩みを止めた。太い右腕が前方に動く。
「おい、どうやら着いたようだぜ、空海。ここだ」
 田村麻呂の太い人差し指が前方を指している。空海はその指先を追った。
そこは濃緑の大きな塊である。太古から続く木々とその木々と共に暮らす何百億、何千億の生物が存在する大きな森である。
ここが件の森。
呪われた森である。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

始業式で大胆なパンチラを披露する同級生

サドラ
大衆娯楽
今日から高校二年生!…なのだが、「僕」の視界に新しいクラスメイト、「石田さん」の美し過ぎる太ももが入ってきて…

ぽっちゃりOLが幼馴染みにマッサージと称してエロいことをされる話

よしゆき
恋愛
純粋にマッサージをしてくれていると思っているぽっちゃりOLが、下心しかない幼馴染みにマッサージをしてもらう話。

ガチムチ島のエロヤバい宴

ミクリ21 (新)
BL
エロヤバい宴に大学生が紛れ込んでしまう話。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...