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その一 怪し(あやかし)の森
二
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ミィ ミィ ミィ ミィー ミーン ミーン ミーン
ジリ ジリ ジリ ジーリ ジーリ
盛夏。蝉の声が響き渡っている。今あるこの命を精一杯に謳歌しているかのようだ。ここ高雄山寺(後の神護寺)。
京の北西、標高900mほどの愛宕山の中腹にあり、太古から続く木々が何万本、何十万本とある。木々には蝉、蝶、カミキリムシがとまり、地面にはバッタやミミズがいる。地中には名も知れぬ様々な生き物が存在している。
何百万、何千万もの生き物がいる。数多の命がある。ここは小さな宇宙なのだ。
高雄山寺に目を移せば、寺の濡れ縁に一人の僧が座り、しきりと手を動かしているではないか。
縁に置いた木に向かいノミを動かしている。僧の周りには大量の木片と木くずが散乱している。木片と木くずの量から考えると、この僧が彫っている木は、もとはそれなりの大きがあったのであろう。
僧に向かい一人の男が近づいてきた。大きな男だ。190㎝ほどであろうか。このくらいの身長の人間は、大抵相撲取りのような太った体形をしているか、また妙に痩せていたりするが、この男の体は見事に均整がとれている。
暑さのためか、めくりあげている袖からは、太い二の腕が見え、その腕には筋肉の筋がくっきりと浮き出ている。両肩の筋肉は盛り上がり、服の下には相当に鍛えぬいた肉体が潜んでいることが想像できる。男は特段速足でもないが、たちまちのうちに僧のすぐ近くにやってきていた。
軽やかでしなやかな動き。大型のネコ科肉食獣を彷彿させる。
「空海。『それ』は『あれ』か?」
大きな男が声をかけた。太く張りのある声だ。
空海と呼ばれた僧は男の呼びかけに全く答えようとせず、黙々とノミを動かし続ける。
カツン カツン ゴリ ゴリ
ガッ ガッ ガッ
空海という僧の額には玉のような汗が浮かび、首筋は光っている。僧着も汗でぴったりと体に張り付いている。そんな暑さも大男の存在も、この僧は、全く気に留めることなく黙々とノミを動かしている。
ガッ ガッ ガッ
ゴリ ゴリ ゴリイ
大男は空海が呼びかけに一向に答えないことにも怒るわけでもなく、じっとノミをいれる作業を見ている。ただ見ている。
それがこの大男には楽しいのか、目元には柔らかな光が宿っている。
ミーンミーン ミーン
ミーンミーン ミーン
カツン カツン カツン
ガッ ガッ カリ
蝉の声とノミの音、大男と空海。ただそれだけ。
どのくらい時間がたったのだろうか。急に空海がノミを置き、大男に顔を向けた。
「『これ』が『あれ』だ。もうすぐ完成する。その時を楽しみにしておれよ、田村麻呂」
汗で光り輝く顔に満面の笑みを浮かべている。30歳を少し過ぎたくらいだろうか。特に特徴のある目鼻立ちではない。ただ一度見たら忘れることの出来ない顔だ。十分に大人の顔立ちの中に、天真爛漫で無邪気な純粋無垢な少年の目が輝いている。思慮深い大人といたずら盛りの子供が絶妙なバランスで同居している。不思議な顔立ちだ。二、三日でも会わなかったら、会いたくなる。そんな感じがする。
「そうか。出来上がるのか。・・・それは楽しみな事だな」
「田村麻呂」と呼ばれた男、坂上田村麻呂はそう言った。「楽しみ」といったが、その野性味ある顔に何やら小さな緊張が生じている。
ノミが入れ始めた木を見ながら、田村麻呂は一か月ほど前のある出来事を思い出していた。
ジリ ジリ ジリ ジーリ ジーリ
盛夏。蝉の声が響き渡っている。今あるこの命を精一杯に謳歌しているかのようだ。ここ高雄山寺(後の神護寺)。
京の北西、標高900mほどの愛宕山の中腹にあり、太古から続く木々が何万本、何十万本とある。木々には蝉、蝶、カミキリムシがとまり、地面にはバッタやミミズがいる。地中には名も知れぬ様々な生き物が存在している。
何百万、何千万もの生き物がいる。数多の命がある。ここは小さな宇宙なのだ。
高雄山寺に目を移せば、寺の濡れ縁に一人の僧が座り、しきりと手を動かしているではないか。
縁に置いた木に向かいノミを動かしている。僧の周りには大量の木片と木くずが散乱している。木片と木くずの量から考えると、この僧が彫っている木は、もとはそれなりの大きがあったのであろう。
僧に向かい一人の男が近づいてきた。大きな男だ。190㎝ほどであろうか。このくらいの身長の人間は、大抵相撲取りのような太った体形をしているか、また妙に痩せていたりするが、この男の体は見事に均整がとれている。
暑さのためか、めくりあげている袖からは、太い二の腕が見え、その腕には筋肉の筋がくっきりと浮き出ている。両肩の筋肉は盛り上がり、服の下には相当に鍛えぬいた肉体が潜んでいることが想像できる。男は特段速足でもないが、たちまちのうちに僧のすぐ近くにやってきていた。
軽やかでしなやかな動き。大型のネコ科肉食獣を彷彿させる。
「空海。『それ』は『あれ』か?」
大きな男が声をかけた。太く張りのある声だ。
空海と呼ばれた僧は男の呼びかけに全く答えようとせず、黙々とノミを動かし続ける。
カツン カツン ゴリ ゴリ
ガッ ガッ ガッ
空海という僧の額には玉のような汗が浮かび、首筋は光っている。僧着も汗でぴったりと体に張り付いている。そんな暑さも大男の存在も、この僧は、全く気に留めることなく黙々とノミを動かしている。
ガッ ガッ ガッ
ゴリ ゴリ ゴリイ
大男は空海が呼びかけに一向に答えないことにも怒るわけでもなく、じっとノミをいれる作業を見ている。ただ見ている。
それがこの大男には楽しいのか、目元には柔らかな光が宿っている。
ミーンミーン ミーン
ミーンミーン ミーン
カツン カツン カツン
ガッ ガッ カリ
蝉の声とノミの音、大男と空海。ただそれだけ。
どのくらい時間がたったのだろうか。急に空海がノミを置き、大男に顔を向けた。
「『これ』が『あれ』だ。もうすぐ完成する。その時を楽しみにしておれよ、田村麻呂」
汗で光り輝く顔に満面の笑みを浮かべている。30歳を少し過ぎたくらいだろうか。特に特徴のある目鼻立ちではない。ただ一度見たら忘れることの出来ない顔だ。十分に大人の顔立ちの中に、天真爛漫で無邪気な純粋無垢な少年の目が輝いている。思慮深い大人といたずら盛りの子供が絶妙なバランスで同居している。不思議な顔立ちだ。二、三日でも会わなかったら、会いたくなる。そんな感じがする。
「そうか。出来上がるのか。・・・それは楽しみな事だな」
「田村麻呂」と呼ばれた男、坂上田村麻呂はそう言った。「楽しみ」といったが、その野性味ある顔に何やら小さな緊張が生じている。
ノミが入れ始めた木を見ながら、田村麻呂は一か月ほど前のある出来事を思い出していた。
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